なんて綺麗な、希望のひかり ⑧
拳がエリィの鳩尾を貫いた――アルネットにはそう思われた。
事実、胸部に打撃を受けたエリィは小刻みに、トトト、と後に下がり、お腹を押さえて、けぽっと何かを嘔吐した。少し前に食べた物だろうか。
アトラファの拳は当たった。
拳を振り抜いたアトラファは、ぜーっ、と息をしている。
当たりはしたが、アトラファはこの一撃で、エリィの意識を刈り取れなかった。
一瞬前に意図を察したエリィが、打撃のダメージを軽減するために、飛び退いていたのだ。
――追撃するべき。
アトラファは死力を尽くした。
皆に戦力として認識されていなくても、今こそ自分が動く時。
アルネットは、己の脚を前に出す。
今のエリィが正常でないことは分かっている……でも止めなくては。
アトラファやコーリー、それによく知らないが冒険者らしいフォコンドという人――皆が危険を冒して、この事態を治めようとしている。
精霊法を発動することさえ出来れば、相手が〈使い魔エリィ〉であろうと負ける気はしない。ここで……エリィの術による破壊を目の当たりした今ですら、そう思える。
世界で一番強いのはエリィではない。アルネットだ。
ただ、それは〈騎士詠法〉を習熟していたらの話。
詠唱している間に攻撃されたら、どんなに威力のある術を使えても無意味。
その問題を解消するのが〈騎士詠法〉という、イスカルデ双角女王が編み出した、本来なら魔物と対峙するための秘技。
コーリーやアトラファがこれを使っている様子を見るに、術者の定めるタイミングで即座に術を放てるという点で便利。
しかし、タイミングを見計らって術を維持しながら待機している状況であっても、気力がぐんぐん減って行く。
以前に塩を探して断層の調査に赴いた際のコーリー、そして今のアトラファを見れば分かる。〈騎士詠法〉は、術の展開速度と引き換えに経戦時間を狭める技。
それでも今、アルネットは〈騎士詠法〉が欲しかった。
エリィを止めたい。アトラファを助けたい。
精霊法は自身の拠り所であった。
でも、レノラをはじめとして、様々な人が何かしらでアルネットを上回っているのを知った。
正直、コーリーのことを下に見ていた。なのに、この有事にあってコーリーはアトラファに頼みにされ、アルネットは「何もしなくて良い」と言われる。
今こそ、役に立つ時。
「《曙光の剣具して参れ》――」
◆◇◆
――コーリーは、城壁に向かって走っていた。
エリィの足止めはアトラファが受け持ってくれているが、エリィの火球の射程が長いので、出来るだけ戦場から離れる必要があった。
近くにいるはずのティトを捕まえれば勝ち……とはいえ、流れ弾に当たったら普通に死んでしまう。
それはティト本人にとっても同じはず。だから、この災禍のすぐ近くに身を潜めている。
ティトには城壁を崩すような力は無いから、エリィにそれをやらせなければならない。
アトラファが頑張ってエリィを止めている間に、ティトを見つけなければ。
〈使い魔エリィ〉に城壁を破らせるつもりならば、ティトは城壁付近で待機してるはず。
そうした思惑で城壁に向かっているコーリーだったが、気付くとフォコンドが並走してきている。
アトラファと一緒に、エリィを足止めしてくれているのではなかったのか。
思わず足を止めて問いかけてしまう。
「フォコンドさん!? アトラファの所に残ってくれなかったんですかっ?」
「逆に、こちらが問いたい。あの炎の剣で街を破壊する奴は何なんだ。占い師グリルルスとどういう関係なのだ。アトラファは、占い師を捕まえれば解決するようなことを言っていたが……」
矢継ぎ早に、めちゃくちゃ質問してくる。
コーリーは息を切らしているが、同じくらい走ったフォコンドは、顔色も変えていない。これが王都でトップクラスの冒険者か。
アトラファと一緒にエリィの足止めをして貰いたかったが、ここに居るということは、おそらく事情も知らぬままに、アトラファに「行ってくれ」と頼まれたのだろう。
そんな事情を察したコーリーは、ざっくりと事情を説明する。
たぶん、アトラファはあらゆることを内密にして事件を収束したかったのだろうけど、ティトがああなって、エリィがこうなってしまった以上、秘密で通すのはもう無理。
「……時間が無いので、すごくざっくり説明しますけど、魔物の能力のせいです」
「もっと詳しく説明しろ。俺たちは元々、占い師の件を調べていたはずだ。どうしてそこに魔物が関わってくる?」
「ええと、占い師が魔物を持ち歩いてるんです。その魔物の能力は――『他者を操ること』――街で大暴れしてるあの子は、魔物の能力で操られてるんです!」
「……だからアトラファは、先に占い師を捕まえろと言ったのか」
「そうそう、そうです! そう言うことです!」
フォコンドの理解力が高いので助かる。
ついでに、ティトの居場所を探る方法も思いついている。
交渉するために地下市街に潜った際、ティトは魔物の能力を発動させた。
その時、コーリーは感じた……闇の精霊の気配を。
ティトは何処か近くに身を潜めつつ、エリィを〈使い魔〉として操っている。
ということは……今この瞬間、ティトは魔物の能力を使っている。
ならば、闇精霊の気配を追えば、ティトの居場所が分かる。
「《賢き小さき疾きもの、儚き花の守り手よ》――!」
コーリーは瞼を閉じ、胸の前で手を組んだ。
風の糸を周囲に伸ばす――何処かに居るはず……近くに。
気力の消耗を気にする必要はない。見つけたらフォコンドに頼めば良い。
場所を教えれば、フォコンドが動いてくれる。
――どこ? 闇の精霊……一番気持ち悪い場所を探す。
不意にコーリーは吐き気を覚えた。
その場所は――さっきコーリーが駆け去った場所。今まさに、アトラファとアルネットが、エリィを足止めしている場所。
(……何で!?)
吐きそう。
濃い闇精霊の気配を感じ、コーリーは口元を押さえる。
ティトを……ティトが持つ七竈の魔物を探していたはずなのに、
どうして、確実にティトがいないはずの――アトラファがエリィを足止めしている場所に、最も強く闇精霊の気配を感じるのか。
闇精霊の影響を受けている〈使い魔エリィ〉がそこにいるから?
いや、地下市街で対峙したエリィは、こんな感じではなかった……もっと強大な、別の魔物が同じ場所にいる? まさか。
コーリーは思いを巡らせている間、身体の動きを止めてしまっていた。
そのコーリーの身体を、急にフォコンドは抱き締め、地面に伏せた。
「ふわっ!?」
その頭上を、破壊的な光が通り過ぎて行く。
これは……火精霊法。エリィが何か、強力な術を行使した。
アトラファは? アルネットは? 二人はどうなってしまった?
◆◇◆
――その数秒前。
エリィは手の甲で口元をぬぐった。
凄いな、アトラファは。
……エリィの方がずっと強いのに、こんなにも食らい付いて来る。
今の、とっても痛かったよ。
けど、あの人を逃がすため、あの樹を破壊させないため、エリィは止まれないんだ。アルが始動鍵を詠唱してる。アルの術はちょっとやばいから、エリィも本気出さないといけない。
「――《闇払う灯の剣》!」
逃がす。逃がす。あの人を逃がす。
それを阻む、あんな城壁なんか、ぶち破ってやる。
エリィは、ととん、と数歩ほど後ろに下がった。同時に胸をいっぱいに開き、背中の筋肉を狭める。
右手には炎の剣。それを――投擲した。
◆◇◆
始動鍵を唱えるアルネットに、突如としてアトラファが覆いかぶさって来る。
(何なのよ! せっかく加勢してあげようと――!)
と思ったアルネットだったが、目の前を破壊の光が通過して行くの見た。
アトラファが、自分を守ってくれたのも理解した。
火精霊法……エリィの術だ。槍投げみたいに、剣を撃ち放った。
アルネットの始動鍵に反応して、瞬間的にやってのけた……。
おそるおそる、背後を振り返ると、城壁に穴が空いていた。
有史以来、崩されたことの無い、王都ナザルスケトルの城壁……厚みでなら一〇丈にも及ぶ、堅牢な城壁が、火精霊法よって丸くくり抜かれていた。
戦慄する。なんという威力。
くり抜かれた穴の前に、一人の女が歩んで、立つのを見た。
その手には、何らかの樹木の枝。女の身長よりも長い。
漆黒の枝には葉が茂り、幾多の果実が実っている。
黄金の光が、鼓動のように葉脈を伝い、杖を輝かせている。
「グリルルス……あれが黒い七竈の魔物……」
アルネットはその姿を見て呻いた。
美しい、と思ってしまった。




