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Rønating -ロワナテイン-

 ヂチッ――。

 空気の焦げる音がする。

 エリィを中心に、急激に火精霊が活発になっているのを感じる。


 同時に、ティトがトランクケースを抱えてコーリーの横を走り抜ける。

 しまった。攻撃しておけば良かった。ティトが抱えていた荷物を。

 すでにティトはエリィの横をも駆け去り――タン、タン、タンという階段を上る音が響くばかり。


「あっティト! このっ、バカーッ」


 思わず汚い言葉が出てしまった。

 しかし、その足音から察するに、ティトはすでに息切れをしてそう。


 普段から座るか寝転ぶかして〈使い魔〉からの調査報告を集める生活をしてたから、体力が落ちているのだ。そうに違いない。身長と胸にだけ栄養がいっていたのは許せない。

 何か言ってたね。悲壮な表情で。


『ありがとう』って?

『もう決めたよって』って? 知るもんか。

 私だってもう決めてるんだよ。ティトを捕まえて七竈の魔物を破壊して、概ね全てあやふやにして、この件を終わらせようと。


 ……何にせよ、目の前に立ちはだかるエリィをどうにかしないことには、ティトを追うことも出来ない。

 

 エリィの額の前に、虚空から湧き出た火の粉が集まりだし、渦巻いて一個の火球を作られた。予想通り始動鍵の詠唱も無しに、かなりの高精度で制御している。

 断じて体感したくはないが、あの火球が放たれて身体に当たったら、それで死ねそうなくらいの熱と輝きを放っている。


 エリィ本人が火傷したり、目を眩ましたりしないのが不思議だが、まだコーリーには体得し得ない、高度な術の制御をやってのけているのだろう。

 火球を境にしたこっちとあっちでは、温度の感じ方や景色の見え方も違っているのに違いない。コーリーにとっては熱いし眩しいが、エリィにとってはそうではない。


 火精霊の属性は「活性と、それにともなう混沌」――闇と土を除いた四精霊の中で、最も扱いにくく、単純な破壊力なら最も高い。

 もし暴発したら自分も死にかねない火球を、己の額の前で維持しつつ、攻めあぐねてうろうろするコーリーに、しっかりと視線で照準を合わせて来ているあたり、やっぱり正気を失っている〈使い魔〉であることを感じさせられる。


 ……ただ、コーリーがうろうろしていても、視線で追いかけてくるだけで、火球を撃とうとはしない。



     ◆◇◆



 コーリーは今になって、落ち着いて考えていた。


 今……自身の精霊法による風糸で〈使い魔エリィ〉を探っている。エリィの眼前にある火球に触れてすらいる。コーリーが意を込めさえすれば、火球には風糸を介して大量の空気が送り込まれ、爆発を起こしてエリィは死ぬ……かも。

 ……そんなことしたらダメ。


 何故、エリィの方が確実に強いのに、こっちが手加減してあげなければいけないんだろう。あっちは殺しに来てるのに、こっちは起死回生の一手を思いついても実行に移れないという、ジレンマ。

 エリィの目が、ついにコーリーを見据える。


(ひぃーっ! 来た!)


 コーリーは両手で頭を抑え、しゃがみ込んだ。

 その頭上を火球が通り過ぎ、遥か後方の水路に着弾。



 ――ばしゅ!



 爆発音と共に、凄まじい量の蒸気が押し寄せてくる。

 この隙にエリィの横をすり抜け、ティトを追うかと考えたが、やめた。

 冷静に――冷静に努めて、背中を見せたらエリィが撃って来る。

 そう考えている側から、すでにエリィが次弾を準備し始めている。

 立ち込める蒸気の向こうに、火球の光が見えている。


 もう〈騎士詠法(アンガルド)〉を維持できない。

 ここで解き放つしかない。


「――《集いて(まゆ)の如くなれ》!」


 コーリーは術を解放した。

 自身のごく近くに、風の糸を集積する。

 火球の光に向けて、脚を踏み出す。


 考えていたのは――本体であるティトは、コーリーを殺すつもりなのか。それとも殺さないでいてくれるつもりなのか……ということ。

 これは果実を食べた者を支配するという、七竈の魔物の能力にも関わってくること。

 ティトに「やれ」と命じたられたエリィは、自意識は無くとも、命令に従って、致死的な破壊を伴う火球を維持したまま、コーリーの動きを追っている……本当にやめてほしい。

 操っているティト本人は逃げている。


 ということは、ティトは〈使い魔〉に命令を遂行させている間であっても、自身は動けるのだ。本体は逃げている時でも〈使い魔〉はそれをサポートしている。自動的に。

 ティトは〈使い魔〉を操りながらでも、自身は動ける……それが七竈の能力。


 せめて〈使い魔〉を操っている時は、本体は動けない――そんな制約があれば良かったのに、それは無いようだ。


 コーリーはエリィの眼前に迫った。間近に火球の熱を感じる。

 ここで撃てば、エリィ自身も巻き込まれる……ティトは〈使い魔エリィ〉を連れて行くと言っていた。ここで使い捨てるつもりではないはず。


 ならば、この距離を保つ。火球は撃たせない。

 エリィが火球を維持したまま退く。コーリーはそれに追随する。


 距離を取ろうとするエリィが手を突き出してくるのを、拳で払いながら、必死で距離を詰める――一度離されたら、次こそ火球で焼き尽くされてしまう。

 退くエリィの踵が、階段の縁にぶつかった。

 一瞬だけ、僅かに仰け反った――隙ができた。


(――ここっ!)


 コーリーは見逃さなかった。

 日々の修練の賜物。体重を預けるように、エリィの胸に倒れ込み、風の糸を開放する。

 エリィの身体が弾け飛び、背中から階段に叩きつけられる。

 けふ、と息を吐き出したのが聞こえた。それまで維持していた火球は掻き消えた。怪我をさせてしまったかも知れない、と一瞬思ったが、介抱している余裕も無い。ティトを止めなければ〈使い魔〉の隷属は解除されない。


 実力で上回ったわけではないが、エリィを突破できた。

 命令が曖昧だったのか、そもそもコーリーの生命を奪うつもりが無かったのか。

 どちらにしても、今はティトを追う。


 コーリーは、エリィが呼吸をしていることだけ確かめると、階段を駆け上がった。七竈の魔物を倒せば勝ちだ。



     ◆◇◆



 ――エリィは、ぼんやりと虚空を見上げていた。

 ちょっと何か、痛いことをされた。


 何をすれば良いんだっけ?

 そう――そう。あの人とあの樹を、無事に逃がさないと。

 それが自分に下された使命。立ち上がらなければ――〈使い魔〉として。


 コーリーが階段を駆け上がる音を聞きながら、エリィは身を起こした。

 やるべきことは、あの人の逃亡を助けること。

 そのためにするべきことは――。


 エリィの唇から、エリィの知らない言葉が溢れだす――火精霊法の始動鍵。


「――《勇気の火よ、言の葉に宿れ》」


 自分の手に、熱がこもるのを感じる。

 さっき、コーリーに転ばされてしまったけど、もう誰にも負けない。

 この世界で、エリィが一番強いんだ。


「《言葉は(ともしび)となれ。灯は剣となりて闇を払え》――」


 手に宿る熱が、形を作る。

 剣だ。世界にただ一振りの、闇を切り裂く聖剣。

 エリィだけがそれを扱える。エリィだけの――勇者の剣。

 始動鍵の、最後の一言を結ぶ。


「――《(あらわ)れよ、闇払う灯の剣(ロワナテイン)》!」

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