なんて綺麗な、希望のひかり ②
黒猫は、しばらくコーリーの足元をうろついていた。
ご飯はまだか――と、急かすように。
普通の猫だと思えたのなら、可愛らしくて仕方ないのだろうけど……。
〈使い魔〉として操られていることが確定的なこの黒猫。動物不信になりそう。
動物を見たら〈使い魔〉であることを疑え――そんな先入観を植え付けてくれたティトには謝ってもらうとして。
コーリーは二人分、つまり、ティトとエリィの分のサンドイッチを買い求めるべく、先程の屋台へと向かった。
黒猫はコーリーのすねを擦るように、ぴったりとついて来る。こそばゆくて可愛い……〈使い魔〉じゃなければ。
屋台に着き、注文する。
「えっと、鱒フライと玉子のサンドイッチのセット二つ」
「すぐ出来るよ! そこで待ってて!」
「それと、持ち帰りにしたいんですけど……スープも」
コーリーが申し出ると、店員はにわかに難色を示した。
……気持ちは分かる。面倒くさい客だと思われている。
トレイとカップは、回収して洗って再利用しているのだろうから。
コーリーは食い下がる。
「どうしても持ち帰りたいんです。食器の料金も払いますから」
「……スープはどうすんだい? サンドイッチを小脇に抱えて、熱々のスープのカップを両手に持って、街を歩くのかい?」
「まぁ……はい。そのつもりですけど」
コーリーが答えると、店員は「はぁ」と溜め息をを吐き、背を向けてごそごそと何かをやり始めた。
やがて取り出したのは、竹製の水筒――みたいな何か。
コーリーの両手の指を、いっぱいに使っても一周できない太さ。
かなり太い竹の節を、一つ切り取った容器。
「これ、うちのお弁当箱なんだけどさ……どうもアンタ困ってるみたいだし、これも売ったげるよ。ちゃんと洗ってあるし、これならスープも二人前入るよ! ……全部で、銀貨一枚!」
「くっ……買います」
銀貨一枚を手渡す。高い買い物であった。
相変わらず、足下にまとわりついている猫。ぐるぐると喉を鳴らして、コーリーの脛に頭を擦りつけて来る。
くっ、可愛いんだけど〈使い魔〉なんだよね――。
◆◇◆
黒猫に連れられ、コーリーは南市街を歩き回った。
あっちにウロウロ。こっちにウロウロ。
せっかくのサンドイッチは湿気でしんなりしていたし、スープも冷めてしまっていた。
黒猫がどうしてこんな行動を取るのか、コーリーには想像が付いていた。
〈使い魔〉である黒猫はたぶん、行く先にアトラファの気配を感じる度に、避けていたのだと考えられる。
宿に居なかったのだから、当然アトラファもティトを探している――その手掛かりである〈使い魔〉を。
でもおそらくは〈使い魔〉である動物は複数いて、コーリーのように「こいつがそうだ」という、よっぽどの確信を以って看破しないと見破れないのだと思われる。
素知らぬふりをされたら、それまでだし……。
思い返すに、アトラファはエリィが〈使い魔〉であることを、どうやって見抜いたんだろう……。
◆◇◆
……やがて夕闇が迫るころ。
黒猫に導かれたコーリーは、見覚えのある場所へと連れて来られた。
「ここって……」
街中に一坪ほどの小さな空間――石積みの小屋。
その扉の前には「立ち入り禁止」と書かれた板と、鎖が張られてある。
扉は新しい――以前に誰かがぶち壊したので、当局が手配して新調したのだろう。
ここはコーリーが冒険者に成り立てのころ、アトラファと一緒に冒険した、地下旧市街への入口の扉であった。
あの時は暗いし怖いし、わりと散々な目に会ったので、二度と訪れたくは無かった。
しかし、案内役の黒猫は無情にも鎖を潜っていく。
仕方がないのでコーリーも鎖を跨ぎ越えると、黒猫は「ここが終着点だ」と言うように、にぁーと一声鳴いた。
「……ありがとね。これ報酬。ティトの分から天引きだけど」
鱒のサンドイッチをちぎり、手の平に載せて差し出すと、黒猫はふんふんと匂いを嗅ぎ、サンドイッチの欠片を咥えると、夕闇の中に駆けて姿を消してしまった……まるで普通の野良猫のように。
未だ見ぬティトが〈使い魔〉から解放したのか、あるいは解放されぬまでも、一時的に自由行動が許されたのか……。
ティトが所有し操っているという、黒い七竈の魔物の能力が「実を食べた者を支配する」というのであれば、その真の恐怖は、疑心暗鬼であるとコーリーは思う。
エリィは〈使い魔〉だった……けど、エリィは何処で七竈の果実を口にした?
王宮で? 〈学びの塔〉で? ……「地球」ってどこ?
考え始めたらキリが無くなるし、意味も無い……解決策は根源を断つこと。
――ティトを捕まえる。
そのためには、扉の鍵を外さないと……。
アトラファは前に蹴り壊してたけど、今回は新しく丈夫になってるしな……まぁ、壊そうと思えばどうにでも……こっそりやれば……。
いざとなったら違法行為を厭わない、そんな行動を迷いつつあるあたり、アトラファやアルネットに毒されて来ているかも。
「うぅっ……!」
コーリーの意思を汲んでかは知らないが、目の前の、地下旧市街へと繋がる扉に掛かっていた錠前が「キィン」という澄んだ音を発して外れた。
近くに寄ってみると、鋳鉄の錠前が綺麗に割れていた。
断面は赤熱している……触れたらただの火傷では済まないだろう。
ぎぎ、と扉が開くと、そこには見知った――そして見知らぬ表情の少女がいた。
「――エリィ!」
◆◇◆
普段とは思えぬ無表情のエリィが、そこに立っていた。
一瞬、コーリーは「しくじったかも」と思った。
氷法術の達人アトラファをして、ヤバいと称する〈使い魔エリィ〉――殺意があって臨戦態勢だったら……?
てっきり素直に、ティトが現れてくるものと思い込んでいたが。
遅ればせながら、始動鍵を唱えようとする。
「さ、《賢き小さき――》……!」
「やめて。あたい、ご飯を受けとりに来ただけなの」
遮るように、エリィが言った――いやエリィじゃない。
エリィの意識を乗っ取った……ティト。
二人して、いつか降りた地下旧市街へと赴くことになった。
やっと会えた……いや、会えそう……ティト本人に。
◆◇◆
「直接会いたいって言ったでしょ! ティト本人と会えないんなら、サンドイッチはあげないから!」
「ええぇー……」
本来のエリィと見紛うような表情で、不満の声を上げる。
操られていないエリィのように感じる。
改めて厄介な能力……黒い七竈の魔物の力。あるいは精神を乗っ取っているとしたら、エリィに成りすましているティトの演技力なのか。
駄目で元々、コーリーは探りを入れてみる。
「……操ってる時は、中にティトの精神が入ってるの?」
「完全にはそうでもないよ? 中身はあくまでもあたいで……反映してるっていうか。でも外側であるエリィは、無意識でもないっていうか」
なんて説明したら良いんだろ、と言いつつ、エリィ――を乗っ取ったティトは、右腕を地下旧市街の暗闇に向けて振った。
――しゅぽぽぽぽぽ!
という小気味良い音と共に、暗闇に灯りが灯っていく。
「あはっ」
エリィをを乗っ取っているティトは、笑みを零すと、灯りに照らされた階段を下って行く。
その後を追いつつ、コーリーは戦力分析をする――戦ったら勝てないな、と。
無詠唱で扉越しに錠前を切ったり、無数の灯りを点したり……。
これらは〈使い魔〉としての、エリィの能力なのだろう……コーリーには出来ないし、仮にこれらの法術を戦闘に転化されたら太刀打ちできない。
なので今、始動権を唱えることは出来ない――瞬殺されてしまうから。
でも、こっちから手を出さない限り、殺されないという確信がどうしてかある。
◆◇◆
――階段を下り終えたところに、彼女は居た。
細長いトランクケースに腰掛け、黒ずくめでつばの広い帽子を被った女。
そして、コーリーが彼女を視認した瞬間に、エリィはすとんと階段の中腹に腰を落とした。糸が切れた人形のように。
とんとんと階段を下り、糸の切れたエリィと黒ずくめの女との中間で、足を止めた。
コーリーは訊ねる。
「――本体の姿が見えてると〈使い魔〉は操れないの? そう言えばティトと〈使い魔〉が同時に活動してた時って、無いよね」
「そんなことないよ。今はエリィには黙って座って貰ってるだけ……試す? コーリー、おまえが一歩でも前に出たら、エリィは立ち上がっておまえを刺す――そんな風に命じた、今。……どうする?」
「…………っ!」
言われると、コーリーは動けなくなってしまった。
自分より〈使い魔エリィ〉の方が強い――それを考慮せずに挑発したのは迂闊だった。
始動鍵を唱えて二人を同時に無力化するのは、無理。
〈使い魔エリィ〉が非常識な速度で、無詠唱の致死的な火法術を放ってくる。
逆に、ティトさえ抑えればエリィの火力は封じられる。〈使い魔〉の元締めのティトは、何の能力も持っていない無力だ――〈土の民〉だから。
ティトを抑えるとすれば、始動鍵を詠唱している隙は無い。
攻撃するそぶりを見せたら〈使い魔エリィ〉が反撃してくる。
得意じゃないけど、殴るか転ばすかして、まずエリィの精霊法を封じないと。
けど位置が悪いな。エリィの方が階段の上に居るんだ……やれない、まだ。
◆◇◆
ティト本人は〈土の民〉で、精霊法の前に無力なのは知ってる。
けどあと一歩。あと一歩前に出たら、背後のエリィが攻撃をしてくる。
こっそりと始動鍵を……無理。
「あはっ。詰んだね、コーリー。あの子と一緒に行動してれば良かったのに」
「………………っ!」
あの子というのは、確かめるまでもなくアトラファのことだ。
そりゃアトラファは頼りになるけど……アトラファが一緒に居たら、ティトはぜーったいに姿を現さないつもりだったくせに。
ついでに付け加えると、まだ詰んでない。
ティトが王都を出られない状況なのは変わりない。
詰んでるのは依然としてティトの方……ただ、アトラファと連絡を付ける手段くらいは用意しとくべきだったか。
勝ち誇ったティトは、袋を開けてサンドイッチを漁る。
よっぽどお腹が空いてたんだろう……けど、きっとそれは操られているエリィも同じ。
独り占めなんかしたら許さない――そのように思って見ていると、意外にもティトはサンドイッチが入った袋を、エリィに投げ渡したのだった。
袋を受け取ったエリィは、ぼーっとしている。
というか、ひたむきに袋を見つめ、口の端からよだれを垂らしている。
匂いも嗅いでる。よだれをしゅるっと啜って、また袋を見つめている……。
そんな様子のエリィに、ティトは命じた。
「あー、《食べなさい。お腹を壊さない位に、適量に》」
「!? それって、精霊法の始動鍵……!」
同時、何かの精霊が動くのを感じた。
ティトは〈土の民〉だから、精霊法を使えないはず……けど確かに、何らかの精霊が活発に動いている気配を感じる。
コーリーが知っている精霊ではない――風でも光でも火でも氷でも――じゃあ、この気配が闇の精霊?
何故だろう、そんなに嫌な感じじゃない。その影響を受けているという魔物を目の前にした時のような恐怖は感じられない。
エリィはというと、ティトの命令を受けてサンドイッチをはぐはぐと食べている。
「………………」
〈使い魔〉にされてしまっているためか、言葉を発しないし感情も読み取りにくいが、目を細めていて若干は幸せそう。
これでエリィの空腹が満たされれば良いが……。
本当はエリィのお腹の空き具合より、重大なことが進行しているのだけど。




