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コーリーとアトラファ ⑩

「座って」

「うん……」


 アトラファの家に入るのは〈学びの塔〉を追放され、街をさ迷ったあの夜以来だった。

 あの後も何度かここを訪れたが、その都度アトラファは留守にしており、会うことは叶わなかったのだ。


 重大な決心をした今日に限って会うことが出来たのは、何かの必然を感じさせた。

 良い流れが来ている。上手く行く気がする。


 あの夜と同じ椅子に腰かけると、目の前のテーブルには、やはりあの夜と同じように〈縁あり銀〉の認識票が無造作に置かれている。

 今しがたまでアトラファが眠っていたであろうベッドのシーツは少し乱れていて、枕と古びたヘアブラシが転がっていた。

 あそこに腰かけて、髪を梳かしていたっけ……。


「……あっ!」

「へぁっ!?」


 お茶を淹れると言って台所に立ったアトラファが声を上げた。

 その声に驚いたコーリーは、びくーんと背筋を伸ばした。別に何もしていない。ただ出会った日のことを思い出していただけだ。


 戻って来たアトラファの手には、素焼きのコップが二つ。

 その表情は何だか、落ち込んでいるように見えた。


「ごめん。茶葉がなかった……。普段お客さん来ないから……水しかなかった……」

「ぜ、全然良いよ! 私、お水大好きだから!」

「そう……」


 コトリと、置かれたコップを手に取った。

 やはり、汲み置きや湯冷ましの水とは思えない程に冷えている。あの夜はその理由が分からなかったが、今は分かる。

 氷の精霊法で冷やしているのだ。凍りつかない絶妙な温度にとどめる調整力は、コーリーくらいの年齢で考えると天才的と評して良い。


 強大な精霊の加護を生まれ持つ人は稀にいる。アルネット王女のように。

 力を制御できる才能はまた別だが、王女は類稀なる強大な加護とともに、若年にして、制御する才にも秀でた天才児だ。一二歳にして光と火の二属性で上級を取得している。


 コーリーは、そのアルネット王女と短期間とはいえ同じ教室で学んだ。その上で「制御力だけならば、アルネット王女よりアトラファの方が上」と断言できる。


 そんな凄まじい才能の持ち主が、なぜ下町で冒険者をやっているのだろう……。

 アトラファの年齢はコーリーと同じくらいに見える。そのつもりで接してきたが、実はずっと年上ということも考えられなくはない。


「変なこと聞くけど、アトラファって今いくつ?」

「十四」


 同い年だった。紛れもない天才であった。

 アトラファのことをもっと知りたくなった。なぜ冒険者になったのか。どうやって精霊法を身に付けたのか。それに南の森で見せた「術を発動直前の状態で維持する」という人間離れした技。

 でも、その前に……。


「お菓子、開けようか」

「ん」

「カカオ風味なんだって。『情熱の』……」


 いや、情熱云々は言わない方が良いか。

 また変に誤解されたら困るのでコーリーは口をつぐんだが、アトラファが食い付いて来た。茶色い焼き菓子をまじまじと見つめて言う。


「情熱? カカオ? これ焦げてるの?」

「情熱は忘れて。カカオはベーンブルの南で採れる……えーと、何か苦い作物で、焦げてるように見えるのは、カカオの色が着いてるからなの」

「苦いの? お菓子なのに?」


 アトラファは焼き菓子を一枚手に取ると、矯めつ眇めつした後、すんすんと動物のように匂いを嗅ぎ、口に運んだ。

 サクリと一齧りし、目を見開き、そのままサクサクと一気に食べ終えてしまう。


「おいしい」


 喜んでもらえたようで、良かった。

 コーリーは「私も」と一枚取り、食べてみる。

 女子寮で試した時とは比べものにならない程美味しかった。若干の苦味は感じられたが、逆にその苦味と、カカオそれ自体の風味が菓子の甘さを引き立てている。コーリーはカカオに対する認識を改めた。


 情熱のカカオ。買って良かった。

 ――本題に入る前、疑問に思っていたことを尋ねてみた。


「あのね、アトラファは氷法術を使うでしょ?」

「ん。そう」

「あれ、どうやってるの? ほら、氷の針を撃たないで留めておくやつ。私、帰ってから何回も試してるんだけど上手く行かないの。留めておこうとすると暴発するか消えちゃう。あれって氷法術でしか出来ないの? 私、風法術士なんだけど……」


 凄い技だった。剣豪に秘伝の奥義をご教授頂く弟子のような気持ちで質問する。

 アトラファは焼き菓子を齧りながら、天気の話をするかのごとく答える。


「あれは、騎士詠法アンガルド

「アンガルド?」

「騎士詠法ができないと魔物とは戦えない。ふつうに始動鍵を唱えて術を発動させるより、魔物の攻撃のほうがずっと速いから――」

「ちょっと待って。そもそもアンガルドって何?」


 あの「術を留める技」の名称であることは想像がついたが、そんな技は〈学びの塔〉でも習っていないし、使っている人をアトラファ以外に見たことが無い。

 アトラファはきょとんとした顔でこちらを見て言った。


「……どこから?」

「え? えーと、初めからお願いします」

「騎士詠法っていうのは……えと、双角女王という人がいたでしょう」

「うん。いたね」


 双角女王イスカルデ。

 今上のアーベルティナ陛下の先代の女王で、その生涯は魔物との戦いに彩られていた。数多の魔物たちと、魔王とまで呼ばれた強力な魔物を自ら軍を率いて討伐。

 後年、魔王の棲み家の調査に同行する途中、病に倒れ、若くしてこの世を去った。

 王都にはちょっと多すぎるくらい彼女の銅像が建てられており、彼女が亡くなった後に生まれた若者でもその名を知らない人はいない。


「そのイスカルデ様が、騎士詠法を作ったの」

「そうなんだ。知らなかった」

「………………………………」

「…………あの、続きは?」

「え?」


 アトラファは、これで説明が完了したと思っていたらしい。

 しかしコーリーが知りたいのは、アンガルドを誰が作ったのかではなく、具体的にどういう技術なのか、ついでに自分がそれを使うことは可能なのかということだった。

 更なる解説を求めると、アトラファが続ける。


「イスカルデ様は魔物と戦っていたでしょう。戦いの中で、イスカルデ様の騎士団は次第に劣勢になって、人数が減っていった」

「……死んじゃった、ってことだよね」

「ん。騎士たちは少ない人数で魔物と戦わなければいけなくなった。でも騎士が一人で魔物と互角に戦うには、剣や弓では弱すぎ、精霊法は遅すぎたの」

「あぁ……」


 若輩者の冒険者コーリーにも覚えがあった。

 魔物は速い。コーリーの風法術は、あの黒い雌鹿に確かに効いていたと思う。

 でも相手の速さに翻弄され窮地に陥った。魔物が本気になった時の攻撃速度に比べれば、始動鍵を唱えて集中し術を放つ法術士の、何と悠長なことか。


 討伐において法術士の役割とは、基本的に前衛たる剣士の後ろに隠れて、いざという時に強力な一撃を放つことなのだろう。

 法術士なのに魔物と一騎打ち出来るアトラファの強さは、冒険者の中でも異質だということが分かった。


「イスカルデ様と騎士たちは精霊法を速く使う方法を考えた。でもダメだった。どんなに速く唱えても、魔物の速さには敵わなかった。何人も騎士が死んだ……それでイスカルデ様は、あらかじめ集中しておいて、必要な時に術をすぐ発動できるように精霊法を改良したの」

「それが、アンガルド?」

「ん。それが騎士詠法アンガルド


 始動鍵を唱えてから、集中し、術を放つ。これが従来の精霊法の手順。

 騎士詠法は、始動鍵の前半部分を唱えた時点で集中し、その状態を維持。後半部分を唱えれば即座に術を放てる。


 光や火の系統で扱う「あかりの術」は、短時間ではあるが灯りを維持する。双角女王はそこから着想を得て、研鑽の末に騎士詠法を作り上げたという。


 剣術に例えれば、従来の精霊法は「名乗りを上げてから剣を抜く」ようなもの。それでは魔物に通用しないので「いつでも斬りかかれるよう、構えて警戒する」に手順を改良したのが騎士詠法。魔物と一騎打ちするために作られた戦闘法。


「アトラファは、それをどうやって身に付けたの?」

「先生、師匠? ……みたいな人がいて、教えてもらった」

「その人に会える? 私も教えてもらうことって出来るかな」

「無理。いなくなっちゃったから」


 アトラファは淡々と言った。

 いなくなっちゃったから。悲しそうに顔を伏せるでも、懐かしさに目を細めるでもなく、ただ居なくなったという事実のみを告げた。


 その師匠という人が亡くなってしまったのか、何処かへ去って行ったのかは分からないが、アトラファにとって大切な人ではなかったのだろう。

 コーリーは、師匠という人について詮索するのを止めた。


「じゃあ、もし良かったらなんだけど、アトラファが……」


 ここで本題を切り出すことにする。


 ――アトラファが私に騎士詠法を教えてくれないかな。それから、アトラファのパーティに私を入れて欲しい。


 それらが図々しいお願いであるとコーリーは思っていなかった。コーリーの中には予感があったからだ。

 アトラファは、たぶん私のことが嫌いじゃない。


 コーリーがアトラファと友達になりたいと思っているように、アトラファもコーリーと友好を深めたいと願っている。そう信じていた。

 そうでなければおかしい。誰が好きでもない者の窮地に駆けつけ、生命を賭して戦うことが出来ようか。


 息を吸い込む。そして、


「頑張って覚えるから、私に騎士詠法を教えて欲しい。それからアトラファのパーティに入れて欲しい……アトラファと冒険したい。一緒にいたい。友達になりたいの!」


 テーブルに身を乗り出して一気に言った。

 息が掛かるくらい近くにアトラファの顔がある。その表情が劇的に、そしてめまぐるしく変化していく。


「ふぇ、あ、うぇ……?」


 一瞬呆けたあと、アトラファの×印の瞳孔がいっぱいに広がり、×ではなく四角になった。その頬にぱっとばら色が差した。俯き、顔を上げ、はくはくと何か言いたげに口を動かし、また俯く。

 コーリーは、アトラファが何か言うのをずっと待っていた。

 やがて、アトラファは俯いたまま、意味のある言葉を発した。


「………………い、」

「い?」


 ――いいよ。これからよろしくね、コーリー。


 そう言葉が続けられるのを、コーリーは根気よく待った。

 これから始まる二人の冒険の日々を思う。魔物は怖いが、暗い森も二人なら怖くない。

〈学びの塔〉に帰れる日が来たら、アトラファも誘おう。

 二人でお金を貯めて……アトラファなら特待生間違いなしだ。もしその時までに騎士詠法を習得出来ていたら、ワガママ王女の鼻も明かしてやれる。レノラや寮の皆にアトラファを紹介して――。


「………………いやだ」


 その言葉で、楽しい未来への夢想の時間は、断ち切られた。


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