コーリーとアトラファ ⑨
コーリーは、アトラファに会う決心をした。
家の場所は知っているが手ぶらでは行けない。
何度も助けてもらった命の恩人だ。その彼女に「パーティに入れて欲しい」と頼みに行くのだから、気の利いた贈り物の一つでも持って行かなくてはならない。
アトラファが何を好むのかは全く知らなかったが、こういう時に何を用意すれば良いのかは知っていた。
大体に於いて女の子同士が膝を突き合わせて話し込む時に必要とするもの――それは甘いお菓子とお茶であった。
菓子は値の張るものだったが、幸いにして今のコーリーの懐は温かかった。
〈学びの塔〉にいた頃、北市街の高級店を覗いたことがある。色鮮やかで宝石細工のような美しい菓子に、「これは本当に食べられるものなのか」と目を見張ったものだった。
あの店には焼き菓子の詰め合わせも置いていたはず。あれなら良さそうだ。
◇◆◇
コーリーは辻馬車を利用することにした。
辻馬車は人を輸送するための一頭立ての馬車だ。王都に点在する双角女王の像の付近には、辻馬車のターミナルが設置されている。
この南広場にもターミナルがあり、常に一、二台が客を乗せるために待機していた。
ターミナルに近付くと、そこには見知った顔がいた。
「やあ、コーリー君じゃないか。怪我はもう良いのかい」
「おはようございます、アイオンさん」
顔なじみになったギルド職員、アイオンだった。
アイオンは、手荷物を抱えてまさに馬車に乗り込もうとしているところだった。
「あぁ、おはよう。コーリー君はどこまで?」
「北の広場までです」
「なら、僕と同じだ。良かったら一緒に乗って行かないか?」
相乗りだからといって運賃が安くなるようなことは無いが、次の辻馬車が来るまでの待ち時間は短縮できる。コーリーはお言葉に甘えることにした。
その車両の座席はやや狭く、コーリーとアイオンが並んで座ると二人の膝がくっ付いてしまいそうになる。
もぞもぞと窮屈そうなコーリーの様子に、アイオンはさり気なく手荷物を二人の膝の間に置き、問題を解決した。
馬車が進み始め、コーリーは隣に座るアイオンの顔をちらっと見やった。
彼は落ち着いた面持ちで進行方向を見ている。初対面では弱気そうで頼りない印象だったが、その実、中々に気配りの上手な男だった。
黙って並んで座っているのも何なので、世間話を持ち掛ける。
「あの、アイオンさんはお仕事で北市街に?」
「ん? あぁ、コレをね」
そう言ってアイオンが手荷物から取り出した物。
それはまだ記憶に新しい、南の森で遭遇した魔物、黒い雌鹿の死骸から残った、あの赤黒い小石だった。
「……ひ、」
不意打ちでとんでもない物を見せられ、コーリーは口から心臓が飛び出そうなくらいに驚いた。
たちまちあの日の恐怖が蘇り、パニックを起こしそうになる。
「ひぃっ――!」
「おっと、危ない。ダメだよ、馬車で立ち上がったりしたら」
「だ、だって! そそそれ、まままもまも魔物の!」
アイオンが腕を掴んで支えてくれたが、コーリーは腰を浮かせたままだった。
怖い。逃げたい。走行する馬車から飛び降りてでも逃げたい。
「落ち着こう。コレはもう平気なんだ。ただの石……というわけでもないけど、害は無い」
アイオンは小石をしまい直し、手荷物を座席の反対側に置いた。
恐怖の対象が遠ざかったことで、コーリーはようやく少し落ち着いた。
しかし気味が悪いことに変わりは無い。なぜ、そんな物を持って貴族や豪商の多く住まう北市街に……。
「規則だからね。魔物の討伐が成されれば、証拠としてこの『血核』を役所に提出しなければいけない。冒険者への報酬はギルドが立て替えているけど、お金の出所は国なんだ」
「で、でも『ただの石じゃない』って……毒とか、呪いとか」
「毒も呪いも無いよ。むしろ逆かな」
「……逆?」
「毒も呪いも効かない。それどころか、何をしても絶対に傷付かないし、どんな熱でも溶かせない、薬品にも反応しない」
「壊せないってことですか?」
それは、すごい物質なのではないだろうか。
例えば、加工して剣や鏃や盾を作ったら、魔物との戦いで有効な武器に――。
アイオンは苦笑した。
「何をしても壊せないから、加工も無理なんだ」
「あ。そうか……」
「大きさも形も不揃いだしね……国は、ある程度の期間保管した後、遠洋に運んで投棄しているそうだよ」
コーリーは、どこか遠い海の底が、赤黒い石で埋め尽くされている様を想像した。
何千年何万年、波に揉まれても決して砕けない石……。
ふとあることに気付く。
魔物が生まれ死ぬ度に、世界に石が一粒ずつ増えていく。永遠に壊れない石が。だとすれば、遥か遠い未来には、この世界の全ては赤黒い石に――。
コーリーはぞっと身震いした。
「……やっぱり私、その石が怖いです」
「そう思うのも仕方がない。元は魔物だからね。無害とはいえ気味の良いものではないさ」
やがて北広場に到着し、二人は辻馬車から降りる。
別れ際、アイオンはそういえば、と言って振り返った。
「パーティ申請の返事を保留しているそうだね」
「はい……ちょっと、一緒に組みたいと思ってる人がいて」
「それは構わないけど、断るのは早めに伝えた方が良いよ。先方はキミの力が欲しくて申請に応じているんだからね。その気が無いのに待たせたら、先方の不利益になる」
「はい。分かってます……数日中には決めます」
「うん、それなら良い。じゃ、僕はこれで」
去って行くアイオンの背中を見送りながら、コーリーは溜め息を吐いた。
冒険者ギルドでからかわれた気晴らしと、恩人へのお礼を兼ねた買い物になるはずが、暗澹とした気分になってしまった……。
◇◆◇
北市街は、南市街に比べて明るく洗練された雰囲気の建物が多い。
第一に、建造に使われている石材が白く上質な物が多いから。
第二に、南の城壁が日光を遮る南市街と違い、北市街には普く日の光が行き渡っているからだ。
目的の菓子店は、辻馬車のターミナルから少し歩いた場所にあった。
店内に入ると、甘い匂いと共に、正面に据えられたショーケースが目に飛び込んでくる。
楢材の木枠と、透明で広く平らなガラス板で作られたショーケースだ。
ケースの中には、飴で作られた指輪や花などが飾られている。そのどれも値札が付けられていない。
売り物ではなく、この精巧な飴細工が店の看板替わりということなのだろう。
端から端まで鑑賞した後、コーリーは目当ての品を探すことにした。
贈り物なので、やはり日持ちがしそうな焼き菓子を選ぶべきだろう。量り売りの焼き菓子を置いてある一角に足を運ぶと、「おすすめの品」なる広告が掲示されていた。
――情熱のカカオ風味! 意中のあの人に贈るならコレに決まり!
ものすごく推している。
カカオか……。うぅむとコーリーは唸った。
あまり馴染みのあるものではなかったが、女子寮で一度だけ口にしたことがある。ベーンブル州の実家に帰省していた子が「珍しいものだからお土産に」と持ち込んだのを、皆で味見したのだ。
評判はいまいちだった。
その香りは美味を期待させるものだったが、実際の味は、一言で表現すると苦かったのだ。
おまけに、湯で練ったのをほんの少し飲んだだけなのに夜眠れなくなり、試食会に参加した皆は翌日、寝不足に悩まされることになった……。
そんな思い出があるので、カカオにはあまり良い印象を持っていなかった。
しかし、コーリーは「意中のあの人に」という一文に惹きつけられた。
アトラファ。懸想しているのとは違うが、一緒にいたい、共に冒険したいと願っている「意中のひと」には違いない。
コーリーは少し迷ってから、カカオ風味の焼き菓子を買うことに決めた。
会計を済ませるついでに、包装を依頼する。
「あの、贈り物なので包んでもらえますか」
「かしこまりました。包装紙の色は、こちらの三色からお選び頂けます」
店員のお姉さんが、高級店らしい丁寧な所作で包装紙の見本を示してくれる。
包装紙の色は、薄赤、緑、深い青。
コーリーは自分の好みの、夕焼けのような薄赤色を指差そうとした。
(でも、アトラファは……)
あの南の森で、アトラファが着ていたのは、濃紺のローブ。
青が好きなのかも知れない。違うかも知れない。本当は違う色が好きで、ローブの色はたまたま着ていただけだったのかも。でも……。
「この、青の包装紙でお願いします」
「かしこまりました」
店員のお姉さんはその場で素早く包んでくれた。深い青の包装紙に水色のリボンが結ばれると、量り売りの焼き菓子は、贈り物らしい見栄えになった。
包装の追加料金を支払って商品を受け取る際、店員のお姉さんがコーリーの手をきゅっと握ってくる。
「……頑張ってね!」
「えっ? ……あっ、はい」
よく分からないが、応援してくれたのでありがたく受け取っておく。
店を出る時、振り返ると店員のお姉さんがコクコクと頷きながら拳を突き出してきた。コーリーはぺこりとお辞儀をして店を出た。
ミオリさんといい、このお姉さんといい、何か誤解されている気がする……。
◇◆◇
再び辻馬車を利用し、南広場へ戻った。
あとは――アトラファの家を訪問し、お礼だと言って贈り物を渡して、出来れば家に上がらせてもらって、世間話でもしつつ、本題を切り出す――私とパーティを組んで下さい。
そこではたと気付く。
(……アトラファ、家に居るのかな?)
面会の約束を取り付けておくべきだった。
いや、贈り物があるのだから、約束は無い方がサプライズ感があって良いはず。勢いも大事だ。うん。
でも居なかったら……後日? 焼き菓子が湿気ってしまう。買い直せば良い。でも勢いが……。
もやもやと考えているうちに、アトラファの家の前まで来てしまった。
相変わらず、水路に近く、雨が降ったら水没しそうな不安な佇まい。
コーリーは深呼吸してから、ゴンゴン、ゴンゴンと四回ノックをした。
……反応は無し。
コーリーは、残念なような、ほっとしたような、複雑な気持ちになった。
もう一度だけノックして、居ないようだったら今日は帰ろう。そう思った時、目の前のドアが突然開いた。
寝惚け眼のアトラファが、ドアから半分だけ顔を出し、
「………………だれ?」
「わ、私! コーリーだよ。ごめんね、寝てた? 寝てたよね、あは」
なんだこれ。もうちょっと軽妙に返せないのか、私。
コーリーは赤面した。冷静さを失ったまま手に持った贈り物をアトラファに突き出し、
「あっあ、あの、私と……!」
パーティを組んで下さい。
性急に口走ろうとしたのを、コーリーはかろうじて、奇跡的に自制した。
取り繕うように言い直す。
「こ、これお礼なの。アトラファには色々お世話になったから……」
「……そう」
アトラファは、ありがと、と小さく呟いた。
焼き菓子の包みを受け取り、そのままドアを閉める――。
「あ、あの」
コーリーが何か言い募ろうとした時、アトラファが振り返って言った。
「これ甘い匂いがする。お菓子でしょう? コーリー、一緒に食べる?」
「っ……、うんっ!」
コーリーは、心が喜びに満たされるのを感じた。
なんだろうこの気持ち。よく分からないけれど、悪いものではない。
アトラファ。彼女に助けられてから……私は何だかおかしい。




