黒き七竈の魔女 ⑦
「……う、うぅっ」
寝台の上で、ティトが唸っている。悪い夢でも見ているのだろうか。
急に倒れたティトを、コーリーとアトラファ、それに従業員のお姉さんの三人がかりで、彼女が宿泊している部屋まで運んだ。
コーリーとアトラファが運搬役を担い、従業員のお姉さんが部屋までの案内役をしてくれた。
ティトの身体は意外と軽かった。
よくよく見ると、手足が細くて長くて、肩幅もコーリーとそんなに変わらない。
全体に細長いくせに、出っ張っている所は出っ張っているのは、ちょっとズルいとコーリーは思うのだった。
〈学びの塔〉の同級生で、口さえ開かなければ、清浄なる森に住んでそうな美少女であるパンテロですらも、胸部等の発育は自重していたというのに……。
「………………」
コーリーが、薄手の毛布を押し上げているティトの胸部を無心に凝視していると――、何かを感じたのか、不意にティトはがばっと飛び起きた。
「――ケダモノっ!? 獣の視線を感じるっ! どこっ!?」
寝汗でびっしょりのティトは、警戒して周囲を窺う。
どんな夢を見てたんだろう。可愛いなぁ……獣なんてここに居るわけないのに。
インチキ占い師だとしても、やっぱり憎めない感じの子だ。
コーリーは優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ。ティトは倒れちゃったけど、今目を覚ましたんだよ」
「あ、あぁ……おまえ、……コーリーだっけ」
「うん。南広場で会った時以来だね」
コーリーは、寝台の脇に置かれていた洗面器で手拭いを絞り、ティトに手渡した。
汗を拭いてあげようと思い、宿に用意して貰ったのだが、本人が目覚めたのなら自分で拭いた方が良いと思った。
「……どうも」
素直に手拭いを受け取ったティトは、ごしごしと顔を擦り、次に後ろ髪をたくし上げて、首筋の汗を拭った。
白いうなじが眩しく、それに髪をかき上げた時に、何だか良い匂いもする……。
手拭いを返された時、コーリーは思わず言ってしまった。
「お腹とかは拭かないの? そこも汗かいてるんじゃない?」
「……なんで、おまえの前で脱がなきゃいけないの? 脱がせたいの?」
「いや、ちょっと心配しただけで……」
コーリーは目を細め、曖昧な言葉で取り繕った。
危なかった……変態として認定されてしまうところだった。
他人の匂いについて「良い」と評価するのはまずいな。
たとえ褒め言葉でも、こっちの人格がめちゃくちゃに低評価されてしまう可能性がある。特に日常生活の中で使うのはまずい。
ついこの前、エリィがアトラファの匂いを嗅いで、嫌がられていた。
コーリーは反省した。
自分自身、割と自他の「匂い」を気にする性質なんだけど、口に出すのは止めようと思った。
◆◇◆
――ガチャリ。
ドアが開き、お盆に水差しとコップと小瓶を載せたアトラファが入室してくる。
ティトは、何故かびくりと肩を震わせた。
アトラファが、ベッドの脇までお盆を運んでくる。
「……水。貰ってきた。あと……何これ……お酒?」
小瓶の蓋を開け、鼻を近づけてくんくんしている。
こっちまで酒精の匂いが漂って来てるから、相当に強い蒸留酒だろう。
気付けになると思って、持たせてくれたのだろう。でも、ティトは大人ではないから、お酒を飲んではいけないのだった。これは後で返却することにする。
アトラファは水差しからコップに水を注ぎ、ティトに手渡す。
ティトはそれを黙って受け取る――さっきまでのコーリーに対する態度が嘘のように。
「………………」
「………………?」
両者が無言になってしまった。
アトラファは元々、特に必要な会話が無ければ延々と沈黙に耐えれる――というか、沈黙に違和感を感じない性質なので、こんなこともあるだろうと思えるが。
ティトの方は、印象だけれども。色々と話してくる性質のように見受けられる。なのにアトラファの前でだけ口をつぐんでしまう――というか直前に話した時には、泡を吹いて意識を失っていた。
コーリーは、助け舟を出そうかな、と考えた。
二人の過去から、話を逸らしてみようかな、と。
「あー、っと。……何で『グリルルス』なの? 南広場で私に会った時は『ティト』って名乗ってたじゃない」
「コーリー、おまえはサンドイッチを分けてくれた良い人だったから。だから、ティトって名乗ったの」
ティトは、ぶつぶつと両手の指をいじりながら言った。
だとしたら、つまり、良い人だと思ったコーリーに名乗ってくれた名前――ティトの方が本名なのか。……と問うと。
「ちがう! 『賢い犬』なんて我が子に名付ける親がいるわけないでしょ。でも……良い人に出会ったら、あたいはティトって名乗ることにしてるの!」
「じゃ、『グリルルス』は?」
「ハーナル州の森に棲む生き物の呼び名。あたい見たこと無いけど……リスに似ていて、小さくて鈍くさくて、可愛いの……たぶん」
ついでに何か神秘的だし。占い師っぽいでしょ。
そんな理由で、ティトはその生き物の名前を、自身の通り名として使用しているのだという。
王都だと住民が名前を偽ることは、割と重大な犯罪と記憶しているが……ティトの場合は入国時にグリルルスと申請してるようだし。
そもそも「ティト」という呼び名ですら、本名ではないという話しぶりだし。
◆◇◆
「――あなたの占いの評判を聞いてやって来た。探してるものが何処にあるか、すぐに言い当てるって。飼ってる犬がいなくなったの。何処に居るか占ってほしい」
めちゃんこ嘘くさい感じでアトラファが切り出すものだから、傍で見ているコーリーははらはらしてしまう。
依頼の通り、占いが本物かどうか試す。
アトラファは、冒険者ギルドの依頼を、とっとと済ましてしまうのを優先している様子。
もちろん嘘だ。犬なんて飼ってはいない。
ただ、即興にしては絶妙な問いをしたな、とコーリーは思った。
もし、ティトが「その犬は何処其処にいる」と答えたなら、占い自体がイカサマだと証明される。アトラファは犬を飼って居ないのだから。
逆に、「犬なんて飼っていないでしょ」とティトが答えたら、その根拠は何だ、とアトラファは続けるだろう……ちょっと意地悪だけど。
しかし――、
ティトは俯いて答えた。明確に真実を。
◆◇◆
「犬って……フォスファーのこと? あの子はもう居ないよ。死んじゃったもの」
「!? …………? ………………?」
アトラファは狼狽していた。こんなアトラファ、初めて見た。
幾度も幾度も、死にそうな時さえ飄々としてたのに。
「フォスファー」って「一番星」のことだ。夕焼けの後に、一番に見える星。
死んじゃったって……。
アトラファはよろめいて、後ずさって、倒れそうになった。
そんなアトラファを、コーリーは支えた。
ティトは続けて言った。
「フォスファーのことも忘れちゃったの?」
「……もしかして、ティトなの?」
かすれた声でアトラファが聞き返す。
何が何だか分からなかったが、この二人、過去に何かあったのだろうな、ということだけは、コーリーにも理解できた。
それまで、うつむいてボソボソと話していたティトは、ばっと顔を上げて、叫ぶように言った。
「そうだよっ! なんで分かんなかったのっ!」
「……わたしが知ってる『ティト』って、痩せっぽちで、チビの子だったから」
「育ったんだよっ! あれから何年たったと思ってんの? ……気付いてくれると思ってたのに! あたいは一目で分かったのに!」
ティトは、わーん、と泣いてアトラファに抱きついた。
アトラファは、わたわたと両腕をさ迷わせた後、押し倒されるように床に倒れる。
ぐぇ、という悲鳴がコーリーの耳に届いた。
この二人は……コーリーが知らない、昔の友達なのだろう。
◆◇◆
でも、とりあえず二人を引き剥がしておこう。
組み伏せられたアトラファが、ティトに耳をしゃぶられそうになってるから。
ティト――この子……、アトラファのこと、好き過ぎない?




