王家のちょっとした秘密
「――そう言えば、なんでナザルスケトルには女王様しかいないの?」
「なんなの、突然に」
夕食の後、生徒の反抗的な態度にもめげず、自称家庭教師を続けているアルネットに、コーリーは訊ねた。
今日は、王都の歴史を学んでいるところだった。
算術のように、式を理解してただ無心に解くのが得意なコーリーだったが、暗記は苦手だった。歴史は暗記を必要とする最たるもの。
〈学びの塔〉に在籍していたころ、パンテロから「興味を持てる部分を見つけて、そこから広げていくと良い」みたいなアドバイスを受けた覚えがある。
それでも、あまり歴史に興味を持つ、ということはなかったのだが……。
今日に限って、ふと気になってしまった。
――どうしてナザルスケトルは、代々女王が統治してるのだろう?
男の王様がいたって別に良いと思う。
なのに、ナザルスケトルはずっと、少なくとも何百年も女王が統治している。
女王に子供がいれば、娘が王位を継承するが、息子は王位を継承できない。
四王家のいずれかから、女王となるべき女性が選出される仕組み。
何故、男性は王になれないのだろう。
「それは……四王家は、女系を維持しなくちゃいけないから」
「? なんで?」
アルネットの返答に、更なる疑問が生じてしまう。
女系――母方の血脈を守っていかないといけない、ということ。
つまり、つまり……なんで?
「なんでって言われても……伝統だから」
アルネットはそんな風に返したが、たかが伝統だから、という理由で頑なに女系を守っていくものだろうか。
アトラファなら何か知ってるかも。物知りだし、意外な分野の事も知ってるし。
そう思って振り向くと、アトラファはエリィと共に、人んちの部屋のベッドに寝そべり、「あっちむいてホイ」という謎の遊びに興じていた。
◆◇◆
「……ちがうよぉ。指さしたほう向くんじゃなくて、指さしてないほう向くの」
「ん? んー?」
「アトラファは、あたま良いのに、遊びのルールをりかいするのが、下手だねえ」
「待って。まず『じゃんけん』の仕組みが分からない。石が鋏に強いのは分かる。鋏が紙に強いのも……でも、なんで紙が石より強いの?」
「それは、紙は石をつつめるから……」
「そこが分からない……石と鋏は、互いに敵を破壊しようとしてるのに、何で紙だけ優しいの? 何で鋏はそんな紙を切り刻むことが出来るの? 石はどうして紙を破ろうとしないの?」
「それは、てつがくの話だから……じゃんけんはてつがく」
……なんか、いちゃついてる。
人んちのベッドの上で。暇なのか。
「………………」
コーリーは、親指で自分のこめかみをぐりぐりとねじった。
アルネットも、ベッドの上の二人を見て、憮然としていた。
こっちが一生懸命に勉強してるのに、どうして二人とも、いちいち部屋に訪れて、何か有意義な事をするでもなく、無為な遊びに興じているのだろう。
アトラファは元々、コーリーの部屋で怠惰な時間を過ごしていたが、最近はそれにエリィまでも加わっている。
アルネットは……頼んでないけど、家庭教師という名目だから良しとしても。
とにかく、アトラファとエリィの二人は、勉強の邪魔であること甚だしい。
せめてじゃれ合うのは、コーリーのベッドの上以外の場所でやって欲しい。
◆◇◆
コーリーは「あっちむいてホイ」で見事にエリィの指差さす方向を向いてしまった、アトラファに訊ねてみることにした。
アトラファは、素早く指差されると、反射的にそちらを向いてしまう習性を持っているようなので、エリィには絶対に勝てないだろう……。
「アトラファは知ってる? どうしてナザルスケトルが女王制なのか」
「んー、まぁ、大体は」
「うそっ、知ってるの!?」
アルネットが驚いていた。
歴史の教科書には、載っていないこと。それを市井の冒険者であるアトラファが知っていることが、衝撃だったのかも知れない。
きょとんと顔を上げたエリィを尻目に、こちらに向き直ったアトラファは、話し始める。
「四王家は、女系の血筋を維持しなくてはいけないから」
「……それはさっき、アルネットから聞いた」
その理由を知りたいというのに。
アトラファが続ける。
「ダナン湖の湖底に沈んでる飛翔宮、そこに繋がる転移陣。それを起動するのに、女系の血筋を維持していかなくちゃいけないの、王家は」
「ななな、なんで転移陣のことを知ってるのよっ!」
アルネットが何か叫んだが……転移陣とは何のことだろう。
飛翔宮――というのは、何となく聞いた覚えがある。ダナン湖に沈んでいる、かなり大きな遺跡……湖が澄みきっている時節には、湖面から、沈んでいる宮殿の先端部分を観察することが出来るのだとか。
アトラファは少し考え、「見た事じゃない、教わった事だし、ちょっと難しい話になるけど」と前置いて、話し始める。
◆◇◆
「飛翔宮」という名の通り、現在は湖底に沈んでいるその宮殿は、かつて――遥かな昔には、ダナン湖の上に浮かんでいた。
そして、飛翔宮こそが本来の「王都」であった。
しかし何らかの理由により、飛翔宮は墜落し、湖底へと沈んでしまった……。
ただ、水没したかつての宮殿に至る手段が途絶えたわけではない。
湖上に浮かぶ宮殿に入るための施設が、元々、湖畔に築かれていた――それが転移陣。その上に立った者は、立ちどころに宮殿の内部へと招かれたという。
飛翔宮は何らかの理由で沈んでしまったが、その後も転移陣は健在だった。
同時に、水没した飛翔宮に入る手段は、ダナン湖畔の転移陣の他にはなくなってしまった。
転移陣の上に作られたのが「現在の王都」。
王都ナザルスケトルは、水の豊かなダナン湖が傍にあるから、そこに建てられたのではない。飛翔宮に繋がる唯一の手段、転移陣がそこにあるから、それを保護するために作られたのだ。
誰にも転移陣を壊されぬよう、城壁を築き……代々の女王が陣の稼働を点検する。墜落した飛翔宮に、今も入れることを確認するために――。
「へぇー……」
「ただ、転移陣は誰でも使えるわけではないの。ある血統の人でないと、転移陣を起動できないの」
「……それが、四王家ってことなんだ」
「それだけじゃない。特に母方の血を受け継ぐ王族でないとダメなの」
「んん?」
コーリーは分からなくなった。
王家の血を継ぐ者、というのなら、やっぱり男性でも良いのでは。
母方の……ということは、お母さんが王家の人なら、男性でも王を継承できるのではないか。
「転移陣は、ミトコンドリアDNAを解析して、飛翔宮への門を開け閉めしてるらしい」
「みとこん……?」
「母方の血脈に受け継がれる、遺伝情報みたいなもの、って聞いた」
「でも、それだったらお母さんが王族なら、男の人でも王になれるんじゃないの? 『みとこん』が何なのかはよく分からないけど」
ここで、アルネットが割って入って来た。
「言っちゃうけど……男の人でも、母が王族なら転移陣を開けるのよ。遺伝情報は母のものを受け継いでいるから」
でも、ナザルスケトルの王位に就くことは許されない。
転移陣を開けることが王となる条件であったとしても。
「だから、なんで?」
「男の人が王様になったとして、『僕はこの人が好きなんだー』とか言って、他所からお嫁さんを連れて来られたら困るからよ。遺伝情報は母からしか受け継がれないから、その王様の子孫は、転移陣を起動できなくなる……」
逆に女王だったら、自由に恋愛しても、仮に平民と結ばれたとしても、その子は母の遺伝情報を引き継いでいる。
転移陣の門は閉ざされない。
「飛翔宮ってのを、湖から引っ張り上げたら?」
「それが出来たら、こんな制度はなくなるんだろうけど」
飛翔宮はかなり大きな建造物で、沈んでいる場所の水深も深くて、引っぱり上げるのも、潜って生きて還って来るのも、無理めなのだそうだ。
どうして、今はもう誰も住んでいない、湖に沈んでしまった都と行き来する手段を維持しなければならないのかは……コーリーにとって疑問だったが。
――王族って大変なんだな、と、ただそれだけを思うのだった。




