塩を探す冒険 ⑧
「今、アイオリアの心配をするのは無駄。だって今、塩が見付からなくても、飛空船が実用化されたら、王都での塩の値段は安くなるから」
飛空船という、風任せではなく自在に行き先を決められる空飛ぶ船の話を、前に少ししたことがある。
アトラファは、それを踏まえた上で、未来の話をしている。
「たぶん、今回採取した鉱石には、塩は含まれてない。王都の近くには岩塩の地層は無い……でもやっぱり近い将来、アイオリア州は経済危機を迎えると思う」
「……どういうこと?」
「飛空船が実用化されたら、ハーナル州やベーンブル州から塩を運んで来るのが容易になる……そうなったら、アイオリア州は塩の値段を下げるしかない。そしたら相場が暴落する。今回、塩が見付かろうと見つかるまいと、アイオリアの未来は決まっている」
それはそうだ。アイオリアは、塩を王都に輸出している二州と値段を合わせているのだから。飛空船とやらで、色々な物資や人材を王都に運べるようになったら……塩だって。
アトラファは続ける。
「アイオリアはまずいことになるけど、スカヴィンズの未来は明るいかも」
「なんで?」
「境界山脈の向こうには陸地があるのが分かってる。探査には飛空船が使われる。探査基地はスカヴィンズ州に作られるだろうから、スカヴィンズには人と物が行き交うことになる……でもアイオリアは……」
……何だか、壮大な話になってきた。
◆◇◆
アルネットが俯き、ぽつりと口にした。
「ナザルスケトルとアイオリアが、戦争になったらどうしよう……」
「戦争?」
思いも寄らなかった「戦争」という言葉に、コーリーはぎょっとする。
けど……、そうか。
荒野が広がる、作物の育ちにくいアイオリア州――塩を売り、食糧を買い付けることで食いつないでいる。
食べる物も買えなくなったら、なりふり構ってはいられなくなるだろう。
最初は、国境が接している地帯での略奪や小競り合いから始まって、アーベルティナ女王はきっと前線に軍を配備する。
ハーナル州は王都と交流が盛んで互いに利益を得ている関係だから、王都の味方をするだろう。〈学びの塔〉が創設されてからは、パンテロたちのような留学生も多い。
スカヴィンズ州は、アイオリアと距離を隔てている。アイオリアを支援したくても王都とハーナルの連合軍は阻めない。ダナン湖があるため陸路での進軍は不可能。そもそも現女王であるアーベルティナ陛下がスカヴィンズ出身。
ベーンブル州は、日和見するだろうが、ハーナルとスカヴィンズがそんな状況だから、早い段階で王都への支持を表明するに違いない。
結果として、アイオリアは滅びる……ことは無いにしても、かなりの辛酸を舐めることになるのは確定的。
全方面から攻撃されるアイオリアは、おそらく勝てないだろう……。でも、最後には王都側が勝つ要素が多いとしても……それまで、どれくらいの犠牲が。
◆◇◆
「……アルネット次第だと思う。戦争が起きるか起きないかは」
「え?」
アトラファの言葉に、アルネットが呆けた声で返事をした。
これは……アトラファは気付いてたのかな。それらしいそぶりはしていたし、アルネットも名前を偽ったりはしていなかったし。
アトラファは続ける。
「アルネットは次の女王になるんでしょ。近い将来って言っても、そんなに思ったより近い未来じゃないよ、飛空船が実用化されるのは。凄く大変な事業。アーベルティナ女王の代では実現できないかも」
「そしたら、わたしの代ってことね……気付いてたのね、やっぱり」
コーリーは元々〈学びの塔〉の学生だから分かってたし、貴女に対して特別に隠してたわけでもないけどさ、とアルネットは言った。
その返答に、あわわわ、と慌てたのはコーリーであった。
アトラファには「かつて自分が〈学びの塔〉の学生であったこと、復学を目指していること」などは、一切話していないのだったから。
しかし、アトラファはコーリーの思惑を看破しているかのように続けるのだった。
「コーリーもそうでしょう。冒険者を辞めて学校に行って勉強して、何か、人の役立つことをしたいんでしょう」
「えっ、なななな何でそんなことを……、」
「それは分かるに決まってる。学校に行くつもりもないのに、安くない参考書を買い込んで、朝から晩まで勉強する人、いる?」
「あう……」
言われてみれば当たり前。
アトラファにすれば、コーリーの行動からして、その目的は丸分かりだったに違いない。でも、それでもアトラファが「冒険者を辞めるつもりなのか」と今まで問い正して来なかったのは、彼女なりにコーリーの言葉を待っていたのではないか、と思えた。
だとしたら、誘うのは今しかない。
編入試験を受けて貰って、来季から一緒に〈学びの塔〉で授業を受けるのだ。
アルネットとエリィも一緒。レノラたちだって……。
「……あのね、アトラファ。秋になったら〈学びの塔〉の編入試験を受けない? アトラファなら合格間違いなしだし、成績だって上位をキープできるよ! アルネットを抜いちゃうかも!」
「わたしは行かない。勉強嫌いだし……〈学びの塔〉って、クラッグ・トートが作った学校でしょう。勉強以上に、あいつのことが大嫌いなの」
「そ、そう……」
コーリーは途端にしゅんとなる。
こんなにも、きっぱりと拒絶されるとは思っていなかった。
コーリー自身は〈学びの塔〉に戻るのを目指していることを打ち明けるのに、かなり悩んでいたのに……もしアトラファと疎遠になってしまったら、寂しいと思ってるのに。
アトラファは、そういうことを思ってはくれないのだろうか。
◆◇◆
「貴女くらい精霊法が扱えるなら、講師として招いても良いわよ」
アルネットが口を挟んでくる。
王女だとバレてしまったので、もはや権力を隠す気が無くなったのであろうか。
それはともかくとして、良い案だと思えた。
アトラファが〈学びの塔〉の皆に〈騎士詠法〉を教える――何となく、その光景が目に浮かぶ。きっとあんまり優しくない。ビシバシ鍛えるだろう。
でもきっと皆、自身の精霊法の上達を実感することになる……今のコーリーのように。
なのに、アトラファはまた拒絶する。
「それもやらない。人に教えるの本当は苦手だし……コーリーには特別に教えてるだけ」
何という、才能の浪費を。
アルネットが、少しむきになって続ける。
「じゃあアトラファは将来どうなりたいのよ!」
「……飛空船が実用化されたら、境界山脈の向こうに行ってみようかな」
遠い眼差しで、アトラファが答えた……遥か彼方――前人未到の地に思いを馳せるように。
けれど、境界山脈の向こうは、アトラファ自身が言っていたように「陸地がある」と分かっているだけの、未開の地。
イスカルデ双角女王ですら、その地の詳細を持ち帰ることは出来なかった。彼女はその遠征の半ばで生命を落としてしまったから。
「アトラファは、探検家になりたいの?」
「ううん。何にもなりたいと思ってない。でも……境界山脈の向こうには、知らない世界があるかも知れないから」
「『知りたいから行きたい』ってことでしょ? それって望みでしょ?」
「ん……知りたくはないの。知らないものがずっと地平の果てまで広がっていれば良いっていう期待。そしたらずっと……」
「?」
コーリーもアルネットも、この時アトラファが何を言ってるのか分からなかった。今も実感はできない。
――そしたらずっと、探し続けていられるから。
たぶん――ティトという女の子が、その感覚を――悟りを共有していたのだと思う。あの、街で出会ったお腹を減らしていた、大人っぽい女の子。
ティト。あの子が全てを始めたのだ。




