コーリーとアトラファ ⑧
まだ薄暗い、早朝の南広場。
冒険者ギルド会館の前には人だかりが出来ていた。
山のようなという程の人数ではないが、明けの刻まで少しという時間帯を考えると、非常といえる人数だった。
人だかりの中心にいるのは、腰に剣を佩き、弓を背負った冒険者たち。
二パーティ、総勢八名。いずれもランク〈銀〉を超える手練れの一団であった。
昨日の昼過ぎより、ギルド職員が方々手を尽くして掻き集めた精鋭たちだ。急造のパーティではあるものの、一人一人の実力は折り紙つき。
必ずや、近郊の南の森に出現したという鹿の魔物を討ち果たしてくれるだろう。
出撃の号令を待つ冒険者を囲むのは、ギルド職員たちだ。彼らの表情は一様に晴れない。
コーリー・トマソン。
ギルドの情報伝達のミスで、危険な南の森へと採取に出かけた新人冒険者の少女。その生存が絶望的になっていたからだった。
人だかりの中には、冒険者でも職員でもない、普通の町娘のような出で立ちの若い女性もいた。
女性の名はミオリ。南広場にほど近い宿屋〈しまふくろう亭〉の看板娘である。
ミオリが冒険者ギルドに駆け込んで来たのは、昨夜遅くのことだった。
「――うちで預かってる子が、帰ってこないんです!」
聞けば、日没までには戻ると言って採取に出かけた宿泊客の少女が、約束の時刻を過ぎ、深夜になっても帰って来ず、居ても立ってもいられなくなり、冒険者ギルドにやってきたのだという。
……件のコーリー・トマソンのことに間違いなかった。
対応したギルド職員、アイオン・ベルナルは、包み隠さず全てをミオリに話した。
ミオリは顔を蒼白にしながらも、気丈にも泣き崩れたりはしなかった。
また、激情に駆られてアイオンを罵ったりもしなかった。
ただ、
「ここで待たせて下さい」
とだけ、願い出たのだった。
ギルドはそれを受け入れ、俯きながらロビーの椅子に座って待つミオリに毛布と夜食を差し入れた。
ミオリは毛布を肩に掛け、飲み物を少し口にしたが、それ以上は喉を通らなかったのか、夜食に手を付けることは無かった。
――日没までに帰る。
そう言い残して出発したコーリー・トマソンが、この時刻になっても帰還していない。
それは彼女が何らかのトラブルに巻き込まれた、おそらくは鹿の魔物に遭遇したということの裏付けになってしまった。
彼女のランクは最低の〈縁無し銅〉。しかもソロ。
この時、事務所のあちこちから長く沈痛な溜め息が漏れた。
コーリー・トマソンへの依頼を直接担当した職員、リーフ・ポンドは心痛のあまり頭を抱えて机に突っ伏し、ダリル主任に発破を掛けられるまで一時間余りも啜り泣いていた。
そして今朝を迎える。
緊急の依頼に応え、準備を整え、集まった八人の冒険者たち。
士気は高い。城門が開く時を今か今かと待ち焦がれていた。
やがて明けの刻を告げる鐘が鳴る。
――ゴォーン――ゴォーン。
この鐘の音を合図に、南門が開かれる。
「……今! この時刻をもって、しゅっぱ、」
第一パーティの髭をたくわえたリーダーが、出発の号令を掛けようとしたその時、城門の方角から駆けて来る者がいた。
「――帰って来たっ! 帰って来たぞおぉぉっ!」
この一晩、南門で番をさせられていた、冒険者ギルドの若手職員だった。
彼は握り拳を振りかざし、時に飛び跳ねながら全力で駆けて来る。
寝不足で憔悴しているが、満面の笑み。
アイオンをはじめとする職員たちも、冒険者たちも、全てを理解した。
まず、ギルド職員たちが駆け出して冒険者たちの横を通り過ぎた。その中には〈しまふくろう亭〉のミオリの姿もあった。
残された冒険者たちは互いに目配せし、肩をすくめ、苦笑し合った。そして職員たちを追って駆けて行 く。広場から南門へと。
◇◆◇
コーリー・トマソンは生還した。
彼女は負傷し、痛みと疲労で衰弱し切っていたが、〈縁あり銀〉の冒険者であるアトラファに支えられ、王都の南門をくぐった。
南の森で何かがあったことは疑いようも無かった。当事者からの報告を要したが、コーリー・トマソンの容態は思わしくなかったため、すぐさま〈しまふくろう亭〉へ急送され、ギルドの手配で医者が向かわされた。
診断の結果、打撲、上腕骨にヒビ、全治三週間。
この治療費は冒険者ギルドが負担することになった。治療費に加え、「魔物が潜む場所での採取の危険手当」として、当初の報酬である銀貨十五枚に加算して更に十五枚。合計、銀貨三十枚が報酬として支払われることとなった。
数日後。
〈しまふくろう亭〉の一階。一人も客が居ない、いつもの店内。
体力を回復したコーリーは、マシェルに絞られていた。
「オイ。なぁ……『揉め事はごめんだ』って言ったよな?」
「はぃ……」
「お前が死んじまったらよ、お前の故郷を探して両親に『娘さん、死んじまいました』って伝えるの、誰だと思う? なぁ?」
「はぃ……」
「『はぃ……』って、ちゃんと聞いてんのか! オイ!」
マシェルがカウンターをがんと叩き、周囲の食器類と共にコーリーの身体もぴょこんと飛び跳ねた。
もはや、思考停止の条件反射である。
「はぃ……すみません……」
「兄さんやめて! コーリーちゃん、まだ怪我が治ってないのよ! それに今回の事はコーリーちゃんが悪いんじゃなくて……」
寄り添っていたミオリが、コーリーの頭をなでなでしつつ、ちろりと横を見やった。
そこに居たのは冒険者ギルド職員、アイオンであった。
「……今度の件は全面的に我々ギルドの落ち度です。コーリーさんに冒険者としての欠陥があったわけではないのです。本来は我々が冒険者のランクに見合った依頼を選別しなければいけなかったにも関わらず、我々は……」
「うるっせぇ! 誰だテメェは! もういい、まだるっこしい!」
マシェルは厨房の奥に引っ込んでしまった。
コーリーはほっと胸を撫で下ろし、ミオリはにっこり微笑む。
アイオンは、はらはらと厨房と二人を交互に見やって、言った。
「いいんですか? お父さん、かなり怒っていらっしゃったような……」
「いいんですよ。兄さんが本気で怒ったらあんなもんじゃ済まないんです。あれでも、コーリーちゃんが無事だったことを喜んでるんです」
本当だろうか。コーリーはカウンターの椅子の上で身を小さくしながら疑った。
どこからどう見ても激怒しているようにしか思えない。
黙っていれば良いのに、追い打ちをかけるようにアイオンが言う。
「えっ、お兄さん!? ……お父さんじゃなくて?」
「――オイ! 全部聞こえてるからな!」
厨房から怒声が響き、コーリーとミオリは額を抑えた……。
コーリーは、ミオリの取りなしもあり、「定期的に家族に手紙で近況を伝えること」を条件に今後も〈しまふくろう亭〉に宿泊し続ける許可を得た。
元々、姉のマリナには近況を報告しなければならないと思っていたため、その条件は願ったり叶ったりではあった。
……報告の内容が刺激的すぎること以外は。
◇◆◇
それから三週間。コーリーは何事も無く平穏に養生した。
アトラファからは、何の連絡も無かった。
いつものように早めの朝食を摂っていたコーリーは、意を決して問うた。
「……ミオリさん。待つことと攻めること、どっちが愛だと思います?」
「え、コーリーちゃん好きな男の子いるの? えっ」
ミオリは何だか狼狽え始めた。頼りにならない予感がした。
でも同性の年長者である。とりあえず相談してみても損は無いはず……はず……。
「違います。男の子じゃなく女の子で……」
「女の子!? ……あわっ、あわわわわわわ」
何かを誤解している。コーリーは混乱しているミオリを宥めようと試みた。
◇◆◇
――結局、コーリーはミオリを放置し、厨房に赴いた。
「……マシェルさん」
「なんだ!」
マシェルは忙しく働いていた。台拭きで厨房のあらゆる塵を拭き取る。
煮込んでいるスープ。それに加えるための肉、野菜に埃が被らないよう布が掛けられている。
毎日、開店前と閉店後に欠かさぬ清掃だが、近頃宿泊するようになった客がずいぶん早起きで、朝の清掃の前にその客のために朝食を作るという仕事が増えていた。
許可なく厨房に立ち入ると怒られるので、コーリーは入口に立って問いかけた。
「待つことと攻めること、どっちが愛だと思います?」
「……アタマ、おかしくなったのか?」
作業の手を止めたマシェルの眼差しに、心なしか憐みの色が含まれていた。
強面の店主のこんな表情を、コーリーは初めて見た気がした。
実に不本意だった。
◇◆◇
――コーリーは兄妹を放置し、宿を出てギルド会館へ足を運んだ。
ロビーに踏み入ると、ここ三週間で顔見知りになった先輩冒険者たちがコーリーを見つけ、声を掛けてくる。
「よう、『遭難者』コーリー! 怪我の具合はどうだ?」
「『迷子』のコーリーじゃねーか! 今日から復帰か? もう迷子になるなよ!」
気軽に頭や肩をポンポン叩かれ、ぐぬぬ、とコーリーは歯噛みした。
コーリーは自覚していなかったのだが、南の森で鹿の魔物に遭遇したあの事件は、けっこうな大事であったらしい。本人が知らぬ間に『コーリー・トマソンの捜索』依頼まで出されていたというのだから驚きだ。
驚いただけでは済まず、捜索依頼と、本人が冒険者としては珍しい年若い少女であることも手伝ってか、コーリーは有名人になってしまっていた。そればかりか『遭難者』だとか『迷子』だとか、不名誉な二つ名を戴くハメになっていた。
「えーい! 気安くぽんぽん叩かないで下さいっ!」
馴れ馴れしくも失礼な冒険者たちの手を振り払い、窓口へと向かう。
今日の窓口担当はリーフ・ポンド一人だった。
「おはよ……ぶふっ」
リーフは普段通りの挨拶をしようとして、途中でこらえきれずに顔を背けて噴き出した。今の冒険者たちとやり取りを眺めていたに違いない。
その様子に、コーリーはこめかみをぴきっと引き攣らせる。
「今の見てたんですね? 面白かったですか? っていうか、元はといえばリーフさんのせいじゃないですか! 私、知ってるんですからね! どうしてくれるんですか! 私、私……このままずっと『迷子の』って言われ続けたら…………うぅ~っ!」
「ぶはっ、あははははははは!」
「何笑ってるんですかっ!?」
「だってぇ。『迷子』……『遭難者』……ぶふ、も、もうだめぇ……あはっ」
「笑うなっ! もーうっ!」
――ツボに入ったらしいリーフを放置し、コーリーはぷんすかと鼻息荒くギルド会館を後にした。冒険者ギルドが一番話にならなかった。
パーティ申請をして三週間。実をいえばいくつかのパーティからお誘いは受けていた。初級だが風法術士であることは、アイオンが言った通り強みだったようだ。魔物との戦いを経験したこともポイントだった。有名になったおかげ……とは思いたくなかったが。
コーリーはその全てに返答を保留していた。
安全を考慮すれば、どこかのパーティに加入するべき。それは分かっていた。
初めての依頼で経験したような恐ろしい目には二度と会いたくない。あの事件はギルドにとってもイレギュラーな事態だったとの説明は受けていた。
しかし、その後で不名誉な渾名を付けられたことも含めて、コーリーにとって、ちょっとした心の傷になっていた。
それにも関わらず、どうして返答を保留しているのか。
コーリー自身、その理由をはっきりと認識していた。
もし誰かとパーティを組むなら――アトラファが良い。
アトラファと一緒に冒険したい。
そう思っていたからだった。




