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あなたは「勇者のヒト」

 エリィによってドアが開けられると、夜の空気が部屋に侵入してくる。

 アトラファは「ふぇ、」とむずがり、続いて「べくし!」とくしゃみをした。

 下着姿で長話しているものだから、身体が冷えたのだ。


「服、着れば……?」

「そうする」


 コーリーも、アルネットが自室に訪れた時点で部屋着を身に付けてはいる。

 アトラファは下着の上に直接、いつもの濃紺のフード付きローブを纏った。

 そしてまた「べくし!」と変なくしゃみをする。


 その様子を見た他の三人は、失礼ながら変な人のようだと思い、中でも親交を深めているコーリーは「いや、実際に変な人だった」と思い直した。


 氷精霊法を得意とするくせに寒さに弱いのか、洟をすすりつつ膝を抱え、アトラファは言う。


「『どらごん』が何なのか知らないけど、エリィみたいな人のことを何て呼ぶのか、昔聞いたことはある、気がする」

「ほんとっ? 教えて!」


 アルネットが縋るような面持ちで、アトラファに迫った。

 コーリーは、この時、これで解決したと思った。


 今までに遭遇した事件や依頼を振り返ると、アトラファが断定的な口調で意見した時には、それが推察であれ、概ね的を射ていることが常だったから。

 迅速に、真っ先にアトラファに相談しといて良かったと。


 早く自室に帰って寝たい……と。

 コーリーの身勝手ではなく、エリィだってウトウトしていた。



     ◆◇◆



「エリィを見て『勇者のヒト』の話を思い出した」

「ユーシャの人? 土地の名前? エリィはユーシャ出身の人っていうこと?」


 アルネットは、矢継ぎ早に質問をまくし立てた。

 ユーシャ? 「どらごん」並みに聞いたことのない単語だった。


 コーリーは、謎のユーシャについて想像を膨らませる。


 ……例えばユーシャ村。

 名前の響きからするに、アイオリア州の南部にあって、名産は葡萄酒――乾燥したアイオリアの大地で育てられた葡萄は、十分に甘みと香りを蓄え――その葡萄酒を用いて作られる牛すじ煮込みは、もう絶品の味……。


 いい夢見れそう。

 そこまで妄想を育て上げた段階で、アトラファが見事に断ち斬ってくれる。


「そうじゃない。『勇者』って言葉が意味するところは……なんて言ったら良いんだろう。生き様とか、運命とか……ともかく、出身地を示す言葉ではない。わたしも自分の言ってる意味が良く分かってないけど」

「本当に、全く意味が分からないわよっ」


 アルネットが苛立ち始める。

 これはまずいな、またミオリさんを悩ませることが起きなければ良いな――見守っていたコーリーだが、不覚にもエリィに注意を向けるのを忘れていた。


 寝惚けていたエリィは、おそらくはこの時にすでに覚醒していた。

 アトラファの言葉を聞いて。


「昔、先生っていう男に聞いたの。わたしはそいつが大嫌いだったけど……でも色々知ってて強い奴だった。そいつが言ってたの。『勇者のヒト』のことを」

「けっきょく、何なのユーシャの人というのは? エリィがそれに該当するの?」


 アルネットはいらいらと続きを促した。


「『勇者のヒト』っていうのは――エリィみたいに出身地不明で、突然に現れて、何となく周囲に溶け込んで、世界を救う重要な使命を帯びていて――その対価として、あらゆる場所で壺とか樽とか、物をぶち壊して中の物を盗んでも、罪に問われない――そういう人が『勇者』なんだって」

「いるわけないじゃない! そんな扱いに困る厄介な人!」


 アルネットは怒りだした。

 馬鹿にされているか、即興のほら話を聞かされていると思ったのだろう。


 でも、アトラファもアトラファだ。

 そんな人……ユーシャ、じゃなく「ゆうしゃ、勇ましき者」か。アルネットの言う通り、そんな厄介な人が一定数、世の中に存在しているとは思えない。

 そう意見すると、アトラファは顔色も変えず応えた。


「人口割合で一定数いるのではなく、その時代の人口総数に関わらず一人だけ必ず現れるらしい」

「はっ!? もっと意味が分からないっ!」


 怒りを募らせるアルネットに、アトラファは更に続ける。


「『勇者のヒト』は世界を救う使命を帯びて何処からかやって来るの……で、さっき言った通り、その人は勝手に民家に押し入り、壺や樽をぶっ壊したり、あまつさえ監視の下に安置されている宝箱も開けて、貴重な道具や薬やお金を持って行ったりするんだけど……人々は文句を言えないの、一切」


「どうしてよ!?」

「『勇者のヒト』は世界を救うことになってるから、邪魔してはいけないの」


 その「勇者のヒト」が降り立った世界の住人は、その人の救世を邪魔しないよう、壺を叩き割られても、樽を粉砕されても、宝物を物色されても、文句ひとつ言えないという仕組み……らしい、のだという。


 さすがにコーリーも嘘だと思った。

 こんな話をするアトラファは珍しかったが、アルネットは真剣にエリィのことを考えて相談しているのだということは感じていた。


 そんなアルネットを怒らせてまで、続ける話題ではないのでは。

 そう考えて、この話題を終わらせに掛かる。


「ね、アトラファだって『勇者のヒト』がいるなんて思ってないんでしょ……?」


 まして、エリィがそんな空想上の困った人だなんて。

 だからこの話は、終わりにしよう――そう言おうとしたのだが。


「もちろん思ってない。でもわたしが昔、先生から『勇者のヒト』の話を聞いたのは事実。エリィについての話や、エリィ自身の振るまいを目にして、今日まで忘れていた『勇者のヒト』の話を思い出したのも事実」



     ◆◇◆



 アルネットは思う。

 コーリー・トマソンが、エリィを慮って話題を逸らそうとしてくれているのは分かっていた。


(でも……『勇者のヒト』か)


 アルネットは思い出す。


 以前にも、エリィは殺傷力の高い火精霊法を人に向けて撃ったことがある。

 その時は狙いが定まっておらず、被害に遭ったクルネイユは無傷だった。


 ああ見えてクルネイユが許してくれる度量の持ち主だったからこそ、エリィとアルネットは女子寮に馴染み始めているが――でなかったら第三者から見て、エリィは悪質な傷害未遂事件の加害者だっただろう。


 更に悪いことに、あの直後のエリィは反省していない様子だった。

「回復まほうで治せるから、必要なら人を傷付けても構わない」――悪く解釈するなら、そのような主旨のことを言っていた。



 アルネット自身もレノラに敗れる前、似た考えを持っていた。

「自分の誇りを守るため、力を見せつけて人を脅したとしても、利得を目的としていないならば、それは正しい行いである」と。


 自衛のためなら暴力を振りかざしても良いと考えていた。

 己の精霊法の制御には絶対の自信があったし、振りかざすことはあっても、実際に人に向けて振り下ろし、傷つけるような事態には絶対ならないという過信もしていた。


 手加減して怪我をさせなければ、傷付けたことにはならないと思い込んでいた。

 その結果、コーリーは怪我をしたわけではないが、女子寮を追い出され、大いに傷付くことになった――レノラをはじめとした彼女の友人たちも。


 自己弁護するわけではないが、エリィの考えと違うのは「実際に怪我させても良い、だって治せるから」とは考えてもいなかった、ということだ。



 未だに腑に落ちないのは、どうしてエリィはあんなことが出来たのか? ということだった。

 精霊法をあれくらい使いこなせるなら、術で人を傷付けてはならない、傷を癒すような術は存在しない……それくらい理解していて当然なのに。


 記憶喪失ということで納得していたものの、最近になって、記憶喪失にしてはあまりにも精霊法の術理に長けている、と思い直すようになっていた――。


 更に思い返せば、エリィは女子寮で、カイユ教師の部屋から、何やら刀の鍔とかいう貴重品を勝手に持ち出したこともあった。

 本人がそれを貴重品だと知っていたかどうかには、疑問はあるが……。

「勇者のヒト」は勝手に物を持ち出す――。


 事前にそんなほら話を聞いていたとすれば、エリィにまつわる話を聞いて「勇者のヒト」の話を思い出すのも仕方があるまい……。


 目を閉じ胸にそっと手を当て、アルネットは激情が収まるのを待った。

 コーリーがほっと息を吐いて安心する気配を感じた。

 アトラファからは特に何も感じない。



 そして、エリィは――。



     ◆◇◆



「――どうしてアトラファは、勇者のことをそんなにしってるの?」


 眼を見開き、瞬きもせず、アトラファを見ていた。

 うっすらと、額に汗をかいている。



 エリィの呼吸が浅くて速いな――そう、コーリーは思っていた。

 相棒のアトラファが、何か琴線に触れるようなことを言っちゃったのかな、と。

 泥棒と同じ扱いとかしちゃってたしなぁ……と。



「エリィのあんな表情、見たことない」――そう、アルネットは思っていた。

 クルネイユに貶されてちょっと凹んでいるのは見たことある。

 けど、あんな……魂を貫かれたような表情は。



 眠そうな眼をエリィに向けて、アトラファは言った。


「先生って奴に聞いたのを覚えてるだけで、」

「それはだれなの! なんでこの世界で、その人は『勇者』をしってたの!?」


 言葉の尻に被せるように、エリィは問いかける。

 アトラファはしばし瞬きを繰り返して、やや興奮気味のエリィを見据える。

 ふーふー、と鼻息を荒くするエリィに、逆に聞き返したのだった。


「エリィこそ、どうして『勇者のヒト』の話を知ってるの。先生は、俺だけが知ってる話と言ってた……特に誰かに話した覚えは無いし、コーリーもアルネットも知らなかった……何でエリィは知ってるの? 実は有名な話なの?」


「ちがうっ! だって……それは地球の、物語の中の勇者の、」


 ――設定。そうエリィは、絵里は言いたかった。


「地球?」



     ◆◇◆



 エリィは何かを一生懸命に説明しようとしていたが、結局は言葉にならず、わちゃわちゃと、自身の黒髪を掻きむしって乱した。

 よほど興奮が昂ぶっていたのか、背中を撫でて落ち着かせてあげようと差し伸ばされた、アルネットの手ですら振り払った。


 その(のど)から嗚咽(おえつ)が漏れる。


「うぅ~っ!! だれもわかってくれない……! ドラゴンもゴブリンも……回復魔法も……。ここはどこなの。アルはだれなの。アトラファはどうしてこんな最初の街で冒険者をしてるの、魔王なのに!」


 そんなエリィを前にして、コーリーはついに彼女が記憶喪失を通り越して、意識混濁に陥ったのだ……と理解した。


 視線を移した先要るアルネットは、弾かれた手を抑え、逆に泣きそうな眼差しをこちらにくれる――そうだよね、こんな状況だと。

 アルネットだって、普段偉そうにしていても、子供なんだ。


「――マシェルさんたちを起こしてくる……! マシェルさん、怒鳴ってエリィをもっと泣かせたりしないかな……ミオリさんなら、」

「ごめんね。……どうしてこんなことになっちゃうの。ひっく」


 しまいに、アルネットまでもが泣き始めてしまう寸前。

 いよいよ、大人であるマシェルとミオリを起こしに行って、事態をひとまず収拾して貰おう、それしか無い……という段になった時。


 特に狼狽(うろ)えていないアトラファが、エリィに向けて言った。



「……どうして、エリィは地球を知ってるの?」



     ◆◇◆



 信じ難いことに、エリィはその言葉を聞くと、泣き止んで顔を上げた。

 溢れ出る涙で潤んだ双眸。爪が当たって赤く腫れた頬。

 エリィは祈るように、アトラファを見上げたのだった。


 その様子を見て、コーリーは不意にこう思った。

 見知らぬ海岸に流れ着き、長い長い暗闇の洞窟の果てに、光を見つけた旅人ならば、きっと今のエリィのような表情をするだろう――と。


 救いを見出したようなエリィが、アトラファに向けて言った。


「どうして……アトラファが地球をしってるの?」

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