Iscardia-イスカルディア- ⑥
「そういえば、ククルさん、この時間に〈しまふくろう亭〉に来るの、珍しいですよね」
「あー、んー、まーね。この店の味が嫌いってわけじゃないんだけど、パーティーの仲間にね、夕飯は〈火吹き蜥蜴亭〉って奴がいて」
「今日は何でこっちに?」
「……近頃、あっちが混んでててさー」
ククルが言うには〈火吹き蜥蜴亭〉はとても繁盛していて、予約を取らないと入れないくらいだという。以前はそんなことは無かったのに。
何故かと問うと、
「なんか、とんでもない占い師が宿泊してるらしい。失せ物、探し人……何でも言い当てるんだってさ。しかも美人なもんだから、一目彼女に会いたいってお客が絶えないんだとか……んで、面倒くさいんで、今日はこっちに来たってわけ」
ミオリさんには聞かせられないな、と考えつつ、コーリーには思い当たることが一つあった。
――ティト。
辻馬車のターミナルで飢え死にしそうになっていた、あの子。
同い年とは思えないほど成熟した見た目だったけど、中身は年齢相応で、玉子サンドを喜んで食べていた。
そして、占いが――特に失せ物探しが得意だと。
でも、あの子の占いって、インチキだと思ったんだけどなぁ……。
アトラファには、アルネットが〈騎士詠法〉を教えろ教えろと喰い付いている。
精霊法という分野に関して、同世代で自分より秀でてている存在を、アルネットは許せないのかも知れない。
その従者であるエリィはというと――、
「エリィ、あれ、そんなむつかしくないと思う」
「賽子の目を操作するやつ? 出来るの?」
「うん、たぶん、こうやってー、」
エリィは賽子を手の平に乗せて――、
瞬間、エリィの周囲に火精霊の気配が膨れ上がるのを感じた。
凄まじい勢いで、周囲の火精霊の力がエリィの手元に集中していく。
わやわやとじゃれ合っていた、アトラファとアルネットが、はっと手を止めてエリィを見る。コーリーでさえ気付いたのだから、二人が気付かないわけがなかった。さらに厨房の方からマシェルの声が聞こえる。
「んん? 竈の調子が悪いな……急に火が弱くなって……」
その声を聞き、ミオリが厨房に様子を見に行く。
コーリーには、そしてアトラファとアルネットにも、今、何が起きつつあるのかが分かっていた。精霊法を学んでいる者には。
当のエリィは、気付いていない。
厨房の火が弱くなったのは、エリィが周辺の火精霊を独占しようとしているせい。客の誰かがくしゃみをした。急激に周囲の温度が下がっている。
周囲の熱が奪われているせい……では奪われた熱は何処に?
これは――たぶん、まずい。
「全員、テーブルの下に隠れて!」
アトラファが、普段ではありえない大きな声で、皆に警告する。
ククルや客たちは、気が付いたものの、皆きょとんとしていた。
アルネットが、被せるように張りのある声で命令する。
「言われた通りにしなさいっ! 避難よ、緊急避難っ!」
ようやく客たちは何かあったのだと思い、テーブルの下に身を伏せる。
何事かと厨房から顔を出したミオリに、コーリーは飛びついて押し倒した。
――エリィが賽子を振ろうとしてから、ここまで五秒に満たない。
これほどの、予想外かつ緊急の災害に際して、よくも居合わせた全員が、迅速に最適な行動を取れたものである――。
何も知らないエリィは、無頓着に無詠唱で精霊法を発動する。手の中で、しゅるしゅると火の粉を散らしながら回転する賽子を、エリィは――、
「――こうやるのっ! 六・六を出すっ!」
放られてカウンター席の天板に触れるや否や、賽子は人々の視界から消失した。
火花と煙と、天板の端から端へまっすぐに伸びる焦げ跡と、焼ける匂いを残して。
――チュイン!
という、聞き慣れない音とほぼ同時に、そこかしこで激しく何かがぶつかったり、割れたりする音が、絶え間なく響く。
とてつもない破壊が〈しまふくろう亭〉の店内で起きている。
それだけを理解できた。
やがて破壊音が鳴り止んだ頃、ミオリの身体の上に覆いかぶさっていたコーリーは、身を起こして様子を窺う。
カウンター席の前に、賽子を振った時の姿勢のまま、エリィが立っている。
ががっ! ぎゅるるるるる――っ、しゅうぅぅ……――。
そのエリィの眼前に何かが凄い勢いで落下し、回転し、摩擦でカウンター席の天板を焦がしながら、勢いを弱めていく。
びくっと身を竦めたコーリーだったが、恐る恐る、確かめてみると――それは今しがた放られ、視界から消失した二個の賽子だった。
焼け焦げて、すり減っていたが。
そしてその出目は――予告通りの……、
「ほらっ! エリィにもできた! 六・六!」
皆が恐怖のあまりに絶句している中、エリィは喜んで飛び跳ねていた。
店内に目を移せば、惨状が広がっている。
割れた食器、飛び散った料理、壁やテーブルに椅子といった調度品にも傷やへこみ、焦げ跡という被害が。
壁掛けランプがかしゃんと床に落下し、客の誰かが「ひっ!」と喉を鳴らした。
この日、〈しまふくろう亭〉は営業を停止した。
◆◇◆
「…………………」
お客たちを帰した後。
宿に残っているのは、マシェル、ミオリの兄弟と、宿泊しているコーリーとアトラファ……ククルと、それに事件の当事者であるエリィとアルネット。
惨憺たる有様の店内で、歩く死体のようなミオリに、コーリーとアトラファは無言で道を譲った。マシェルは眼と閉じて腕を組んでいた。
ミオリの背中から立ち昇る静かな怒気には、アルネットですらたじろぎ、
「はわわわ」
と、エリィと手を取り合って怯えていたのだが――。
ミオリは何も言わず彼女らの横を通り過ぎ、惨状となった店内の掃除を始める。
かしゃ、パリン。
ミオリはエリィを責めなかった。
言葉もなく、薄暗い店内に散乱した皿の破片、放って置くと腐ってしまうだろう食べ物などを、集めて分別していく。
「仕方ねえ。やるか」
袖をまくったマシェルが、その作業に加わる。
コーリーとククルも。やるぞと決めて一歩踏み出したら、相棒のアトラファが「ん?」という表情でこちらを見ていたので、その袖を掴んで強引に作業に加わらせる。
「あ、あの!」
アルネットが、エリィの手を握って、焦ったように声を掛けてきた。
エリィは消沈してうつむいている。
二人の関係は、主と従者――従者の犯した罪は、主が購うもの。
アルネットはそんな風に考えていたのかも知れない。
もしも、マシェルとミオリが怒って「弁済しろ」と訴えたら、主としてエリィのために弁済資金を提供しよう――おそらく、そういった責任感はあったろう。
数日ではあるが、コーリーの家庭教師を買って出た辺り――有難迷惑なのだが――失敗を他人に押し付けたりしないし、自身が監督する者の失態についても、見て見ぬ振りにはしないタイプだとは思えた。
けど、ミオリが表だって怒らないものだから、どうすれば良いか分からなくなってしまったに違いない。
だから、コーリーは言った。
ミオリは誰も責めない。だから――、
「ね、手伝って! アルネットも、エリィも!」
◆◇◆
――後に、アトラファが言うことには。
エリィが使った技術は、〈騎士詠法〉と同じものであるという。
発動直前の状態を維持し、条件を満たした時に発動させる……。
しかし、エリィの場合は精度が全くなっていなかったと。
アトラファが使ったのは、「出したい賽子の目が上に来た時、『停止させる』氷法術」。
エリィが使おうとしたのは、「出したい賽子の目が上に来るまで、決して『停止させない』火法術」。
停滞と活性。
扱う精霊法の属性は違えど、エリィはアトラファの「イカサマ」を見抜き、自分が得意とする火属性で再現しようとした。
甚大な被害を〈しまふくろう亭〉にもたらしたものの、結果として「六・六」の目を出すことには成功していた――。
アトラファは言う。
「あの子は天才。アルネットよりも――天才だけど、今は才能以外の何にも頼ってないからあんな失敗をする。取り返しが付かないことをしでかす前に、誰かが教えないといけない」
「じゃ、アトラファが教えるの……?」
そう尋ねると、アトラファはもの凄く嫌そうな顔をした。
だろうなー、と心の奥で納得しつつ、コーリーは提案する。
「私に〈騎士詠法〉を教えてくれる時に、あの子たちにも教えてあげたら?」
アトラファには話していないけど、アルネットは実は王女様なんだよ。
王女様のお師匠ともなれば、アトラファにとっても悪い話ではないはずだ。
一人して、そう考えるコーリーだった。
アトラファは、微かに微笑んで「それも良いかも」と言ってくれた。
そして――こんなことを言った。
「もしわたしが教えられなくなった時、コーリーが引き継いで、あの二人に〈騎士詠法〉を教えてくれる?」
「えっ……、う、うん……」
あまりアトラファらしくない物言いだったので、コーリーは少し戸惑いながらも約束を交わした。
あの二人に、私が教えられることなんてあるのかな……。
エリィの天才性については少し懐疑的だが、アルネットに対しては畏怖さえ覚えているというのに。
でも……、と、コーリーは考える。
そんな日が訪れることは無い。
アトラファが居なくなって、自分がその代わりを務める――なんて日は来ない。
自分がアトラファの隣にいる限り。
◆◇◆
〈しまふくろう亭〉の営業再開には、しばしの日数を要することとなった。
ククルは毎日、様子を見に来てくれ、時には手伝ってくれたりもした。
アルネットとエリィは、賠償金を支払った。
支払ったとはいえ、国民の血税である……事件から一日後、二人は町娘のような格好で〈しまふくろう亭〉を訪れ、住み込みで働きたいと申し出た。
何でも――、
「サーリアが、いい機会だから経験を積んで来いって。……うぅ」
「サーリアさんって?」
「エリィのじょうしなの。めちゃくちゃこわいの。……うぅ」
分かったような分からないような心持ちだったが、アルネットとエリィが〈しまふくろう亭〉にやって来た。
ミオリが二人を採用し、客室のうち、一部屋を二人で共用することになった。
ひと夏だけの短期労働かと思いきや……。
「……無期限だって。〈学びの塔〉で新学期が始まっても通えるだろうって……その上で、王女の責務は果たせって……」
「そのサーリアさんって、何者なの?」
現女王アーベルティナでさえ頭が上がらない人だ、と教えられ、コーリーはそれ以上聞くのを止めた。
じゃあ新学期が始まっても、アルネットはここにいるのか……とは、さすがに思えなかったが……。
いくらなんでも新学期には女子寮に帰るだろう。
その時には、自分も〈学びの塔〉に帰りたい……アトラファを連れて。
けれど未だにアトラファには思いも伝えられていない。
その上、かつての天敵であったアルネット王女とその従者エリィが、ひとつ屋根の下で寝泊まりするとか。
「うーん……なんとかなるっ! 良くなってるか、分かんないけど……悪くなってない! きっとそうっ!」
コーリーは自分に言い聞かせた。
前に……そう、アトラファがやって来た時にも、こんなことしていた気がする。
――この日、〈しまふくろう亭〉にアルネットとエリィがやって来た。




