Iscardia-イスカルディア- ①
押しかけ家庭教師による主催の勉強合宿が始まり、数日が過ぎた頃。
この日もコーリーは、アルネットの指導方針に不満を抱き、言い合いになるばかりで勉強が捗らなかった。
「自分が得意なことばっかり教えようとしないで!」
「そっちが苦手科目を避けてるから!」
一事が万事この調子で、アルネットが来るまでは自分なりに充実していたコーリーは、苛立ちを募らせるのだった。
しまいに「アトラファならもっと分かり易く、具体的な訓練メニューまで考えて教えてくれる」などと、冒険者の相棒の事を引き合いに出そうものなら、アルネットの不機嫌が頂点に達する。
以前のように畏怖の対象ではなくなった分だけ、人間関係は進歩したのかも知れないが、正直、性格的にウマが合わないと思うコーリーであった。
憤慨したアルネットが「もう帰る!」と言い出すまでがいつものこと。
内心で「もう来なくていい」と思いつつ、そこまで突き放す態度を表に出せず、宿の出入り口までは送る――というのが、ここ最近のコーリーの習慣。
◆◇◆
部屋を出て階段を下りると、食堂ホールの一画に人だかりが出来ていた。
〈しまふくろう亭〉で夕餉にありつこうとする客たちが、ぽつぽつと集まり始める時刻だった。その客たちが、一つのテーブルの周囲に人垣を成していた。
不意に、おぉっと歓声が沸き起こり、
「――あたしの勝ち。六連勝!」
人垣の中から、聞き覚えのある女性の声がする。
「あれ、ククルさん……夕食の時に来てるなんて、珍しい」
「だれ?」
「冒険者ギルドの先輩で――」
アルネットの問いに簡単に答えつつ、人垣へと近付く。
野次馬たちが酒杯を手に手に賑わっている中心では、ククルともう一人、アトラファがテーブルを挟んで、何やら遊びに興じていた。
どうやら卓上でやる遊びのようだ。
広げられたすごろくのマップのような敷布、小さな駒、その両脇に積まれた白と黒の山札、それに六面のさいころが幾つか。
けしからんことにお金を賭けているらしく、ククルの前には銅貨と銀貨が山盛りになっている。一方でその対戦相手と思しきアトラファの前には、数えるほどの枚数しかない。
エリィが心配そうにアトラファの椅子をがたがたと揺すっている。
あの二人も、知らない内になんだか仲良くなったのか。
どういう経緯でそうなったか知らないが、アトラファの負けが重なり、ククルに有り金を巻き上げられていると分かった。
見ていたアルネットが眉をひそめて呟く。
「あぁ……、『イスカルディア』ね」
「いすかるでぃあ?」
「すごろくの一種よ。王都の誰かが二十年くらい前に考え出したらしいけど……」
王都で数年おきに流行が訪れる「大人の遊び」で、しばしば勝敗に金銭が賭けられるため、流行期には役人たちの頭を悩ましているようだ。
風紀が乱れるとの理由で〈学びの塔〉では設立以来、禁止されている。
仮に女子寮で流行るとしたら、賭けの対象はお金ではなく、キャンディとか保存の利く菓子類になりそうだが……。
「コーリーはベーンブル州出身だから知らなかったんでしょう。レノラも。レノラが知ったら、賭けの大元締めになりそうな予感しかしないし……不良の遊びよ」
「うん、レノラについては、確かに……」
頷きつつも、不良の遊びと断じて眉をひそめているアルネットに疑念を覚える。
もしかしてアルネットは、自身が品行方正な優等生だとでも思っているのだろうか。確かに成績は優秀だったけれども。
◆◇◆
遠巻きにしているコーリーたちに気付かず、ククルがアトラファを煽った。
「賭ける金が無いならあんたの番は終わり、どいてどいて! 次の挑戦者は!?」
「……もう一回。エリィ、賭け金」
冒険者ランクで抜かれたとはいえ、後輩相手に賭けを仕掛けて金を巻き上げるククルもどうかと思ったが――、
「うわぁ」
負けが込んでいるのに再戦を要求し、振り返りもせずに背後で心配そうにしているエリィに手の平を差し出し、財布から銀貨を出させているアトラファを見て、コーリーは喉の奥から変な声が出た。
たまらずにアルネットが人をかき分けて、輪の中に突進して行く。
「ちょっと! エリィに何をさせているのよ!」
「ん。自分の賭け金が無くなったから、立て替えてもらってる」
「あなたという人は……っ!」
悪びれもせずに答えるアトラファに、アルネット怒りのあまり髪を青白く発光させる。
チリッと火花が散ったのを目の当たりにした酔客たちが、慄いて退いた。
その隙間を縫って来たコーリーは、ククルを窘めようと試みる。
「ククルさんもククルさんですよ。ひどいです。前に『お金や報酬の大切さ』をあんなに真剣に教えてくれたのに、よりにもよってアトラファ相手にこんなことしてるなんて!」
「あー、だってさー……」
ようやくコーリーの存在に気付いたククルは、ばつが悪そうに頬を掻きながら、釈明する。
『イスカルディア』は、ククルが〈しまふくろう亭〉に持ち込んだものではないようだ。
「誰かが忘れてった物みたいなんだけど、アトラファの奴がさ、それは何だって言うんだもん。教えてやったら、そっちの見かけない子が――、」
エリィが強く興味を示したので、遊んであげることにした。
初めの一回は練習。まだやりたいと言うので真剣勝負に。たちまち連勝したが、ここでそこらの酔客たちが混じって、賭けて遊び始める。
やがて、ルールを理解したアトラファが参戦を表明――。
「んで、六連勝したわけ。正直……めちゃめちゃ気持ちいい。生意気なアトラファをこんなに一方的にやり込められるの、初めてかも」
この人はだめかも……と、コーリーは思った。
「なんで賭けたんですかっ? ただ遊んであげれば良いのに!」
「え? 『イスカルディア』って賭けるのが決まりじゃん」
だめだ……この人は、普通じゃない上に不良だ。
そうしている間にもアトラファの手には二枚の銀貨が乗せられ、その内の一枚を、アトラファはぱちんと卓に置いた。
アルネットは鼻を摘ままれて、もがいていた。
止めてと取り縋るコーリーを無視し、ククルが卓に身を乗り出す。
「ほう、まだやるというのかね。しかし消極的だな。銀貨一枚を温存して置くということは……」
「様子見はこの一回まで。次で勝つ」
「ふはは。様子見をしてる時点で、もう負け根性なのだよ!」
「もう止めて下さいククルさん! 口調まで普段と変わってるじゃないですか!」
◆◇◆
――〈Iscardia-イスカルディア-〉。
二十年くらい前に、王都で発生したすごろく型のボードゲーム。
二人から四人まで同時に遊戯可能だが、基本的には一対一での対戦が好まれる。
――遊びの設定と、遊技者の目的。
この世界は闇精霊によって浸食されており、徐々に狭くなっている。
遊技者の目的は、一人でも多くの民を安全な城に避難させること。
――使用する道具は大別して五種類。
〈世界図〉……遊戯の舞台となる。開始時、好きな場所に自分の駒を置ける。
〈駒〉……数種類あり、戦闘力がある駒とない駒がある。最終的に避難させた駒
の点数を競う。駒の種類によって点数が異なる。
〈白札〉……精霊の祝福。ルール上で使用者にとって有利な状況をもたらす。
手札にすることができ、任意に使用できる。
〈黒札〉……魔物の脅威。概ね全ての遊技者に不利な状況をもたらす。
手札にすることができず、引いた直後に災厄が起きる。
〈賽子〉……六面ダイス。遊技者一人につき二個ある。出目によって、駒を進め
たり札を引いたり出来る。強制的に〈黒札〉を引かされることも。
闇精霊は刻一刻と世界を侵食しているため、遊技者の手順が一回りするごとに〈世界図〉は外側から削られて無くなって行く。
その際、外側に取り残された〈駒〉は遊戯から除外する。世界が「城だけ」になった時点で、それぞれが避難させた〈駒〉と種類ごとの点数の合計を競う。
勝ち目が無いと判断した時点で、投了しても良い。
◆◇◆
「……なんか、終末的な設定の遊び」
「現実感が無いからこそ流行るのではないかしら」
手に負えない遊技者たちを前に、コーリーとアルネットがぼやく。
エリィは、アトラファの椅子の背もたれに手を突いて、飛び跳ねている。
楽しんでいる……いや、賭博にはまって興奮しているように見える。
だめな人達の七回戦が始まる。
アトラファとククルは〈世界図〉の思い思いの場所に〈駒〉を置いた。




