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銀の王女と流浪の魔女 ④

 アトラファという冒険者の少女は、カウンターに肘をついて手を組み、背中を丸めて椅子に腰掛けていた。

 あまりにも微動だにしないものだから、


(寝てるの……?)


 そうアルネットは思わざるを得なかった。


 濃紺のフード付きローブを、鼻の上まで引っ被っているものだから、横目では表情はおろか人相すら分からない。

 何故、この人は夏の盛りにそんな恰好をしていられるのだろう。


 椅子一つぶん隔てた先のアトラファを、密かに注視していると、不意にすぐ真横からカチャリと音がして、アルネットは注意をそちらに移した。


「おいしかった」


 エリィがおやつの果物を食べ終えて、フォークを皿の上に置いたのだ。

 果汁で汚れた口元を拭ってあげようとすると、エリィは自分でハンカチを取り出して汚れを綺麗に拭き取った。

 アルネットは少し拍子抜けしたが、


(それは……そうよね)


 出会ったばかりの頃の、絵本を読み聞かせてあげた赤ちゃんのようなエリィとは、違うのだ。

〈学びの塔〉の食堂では、カトラリーを使いこなして食事をしているし……。

 そういえば、侍従長のサーリアがこんな推測をしていた。


 ――エリィは「元々知っていたことを思い出しているかのように」物覚えが良く、それ故に、貴族か資産家の下で教育を受けた娘なのではないか――。


 それを手掛かりにエリィの素性を探っているが、上手くいっていない。

 でも、故郷が見つかって、記憶が全部戻って……エリィが自分の側から居なくなってしまうのなら……いつかは見つけなくてはいけないのだとしても。


 ガタン。


 少ししんみりした気分になっていた所に、急に椅子を引く音が響いたため、アルネットとエリィは心底驚いて、座った姿勢のままぴょんと飛び跳ねてしまった。

 早まる鼓動を感じつつ振り返ると、眠っているかに思えたアトラファが、立ち上がったところだった。


 起きてるなら、起きてるように振る舞えばいいのに。

 立ち上がるなら、事前に立ち上がるような動作をすればいいのに。

 意図も行動も読めない人だ。


「……そろそろ混み出す時間だというのに帰って来ない――ということは、食事は外で済ますつもりなのかも」


 突然に何を言い始めているのかも分からない。


「アルネット、コーリーに何かした?」

「――え、」

「コーリーは明らかにアルネットを避けている。せっかく尋ねて来たのに、ドアを閉じて鍵を掛けて窓から逃走するくらいに」


 鋭い……いや、鋭くなくても分かるか。

 あまり部外者には明かさず、当事者同士だけで円満に和解まで持って行きたいのが本音だった。

 でも、アトラファは冒険者としてコーリーのパートナーを務めている人だと聞く。何もかも秘密にしておくわけにも行かない。


 仕方がないので、アルネットは自分とコーリーが抱える問題の、最も深い核心の部分だけをアトラファに教えることにした。

 ふう、と息を吐き、最適と思える言葉を選ぶ。


「コーリー・トマソン。あの娘はね――わたしに出会ったら最後、燃やされると思っているの」


 そう言って、自分よりやや背の高いアトラファを見上げると、フードの奥の金の双眸が、しぱしぱと瞬いていた。


 店の厨房の方から、ガシャンと派手な音が聞こえてくる。

 見やると、先ほど案内をしてくれた宿の女が皿を床に落として割った音だった。

 宿の女は皿を取り落とした姿勢のまま、両手を戦慄かせて、青い顔でこちらを見ていた。


 ……あれ、何か間違えた?



     ◆◇◆



 ――一方そのころ。


 王女の襲来から、生命からがら逃げ遂せたコーリーは、アトラファの読み通り、昼食は南広場の屋台で済ませて、その後はアルネットが諦めて〈しまふくろう亭〉から立ち去るまで時間を潰す腹づもりでいた。


 どうして潜伏先が王女に知られてしまったのか。

 心当たりは一つしかない。レノラに送った手紙だ。


 うかつだった。こんな事態はあらかじめ予想しておいて然るべきで、事前に符丁の打ち合わせくらいやっておけば良かった。

 親友の安否が気遣われたが、レノラの事だから、コーリーとは違って王女相手でも上手く立ち回っているだろう。


 ひとまずは自分の身の安全を確保しなくては。

 あまりに突然の遭遇だったため「とりあえず逃げて、王女をやり過ごす」という行動しか選べなかった。


 とにかく、何か食べて落ち着こう……。


 南広場の一角、辻馬車のターミナル付近に、飲み物や軽食を売っている屋台が密集しているエリアがある。

 コーリーはその辺りで食べるものを物色することにした。


 定番の茹でソーセージに、焼き鳥……。麦茶の屋台も出ている。

 その中でもサンドイッチの店が眼を引いた。


 その屋台のおすすめは「鱒フライのサンドイッチ」。鱒のフライに甘酸っぱいソースを絡め、薄切りの玉葱やトマトと一緒に挟んだもの。


 コーリーはそれと玉子サンド、薄味のスープを注文した。

 木のトレイに二種類のサンドイッチとおまけのピクルスが載せられ、カップにスープが注がれる。


 食べ終わったら食器は返しといて、という言葉と共にそれらを受け取ると、コーリーは日差しを避けて、道の隅っこの建物の陰になっている場所に座り込んだ。


「………………」


 無心にサンドイッチに齧りついていると、不意に目の前を通り過ぎる黒猫と目が合った。建物の上の方からは、ガァ、というカラスの鳴き声が聞こえてくる。

 おこぼれを狙って屋台の付近にたむろしているだろうけど、何も自分の周りをうろつかなくても良いのに、とコーリーは思った。



 ――きゅー。きゅる、ぐきゅるるるる。



 近くで奇妙な音が鳴り響き、コーリーは音のした方を見た。


 ……いつから居たのか。初めからそこに居たのか。

 頭から爪先まで黒づくめの女性が、コーリーの横に座っていた。


 やけにつばの広い黒帽子に、黒いロングドレス。肩は出していたが、やはり黒い長手袋を身に付けている。そして胸が大きい。

 そして旅行鞄……にしてはやけに細長い長持に腰掛けていた。


 夏の盛りだというのにその出で立ちは、どこかの冒険者の少女を思い起こさせた。


 再び盛大にお腹を鳴らし、黒づくめの女性はハァと溜め息を吐いた。

 コーリーは声を掛けて良いものやら逡巡した。正直、関わりたくない。

 トレイとカップを持って場所を移ろうすると、女性の方から話しかけてくる。


「ねぇ……、おまえさん。哀れな女の子を見捨てて、どっかに行っちゃおうとしてる薄情そうな、そこのおまえさん」

「うっ」


 コーリーは立ち止まってしまった。厄介そうなのに絡まれた。

 帽子のつばに隠れて顔は見えないが、思ったよりだいぶ若い――幼いと感じさせる声色だった。


「な、なんでしょう……お金はありません」

「お金はいらないわ。ただ、もしもおまえが持っている玉子サンドを、あたいにくれたならば、」


「そんなにお腹空いてるんだったら、サンドイッチくらいあげますけど」

「えっホント!? 悪いわね! あたい一目見て分かったの! おまえはきっと困ってる人を見捨てて置けない、心優しい子だって!」


 言うが早いか、黒づくめの女性はコーリーが手にしたトレイの上から玉子サンドを掴み取ると、両手で持ってかぶりついた。


 二口、三口ほどで食べきってしまうと、女性は急に黙ってうつむいた。

 どうしたのかと覗き込むと、しきりに胸の辺りをこぶしで叩いている、


 急いで食べるものだから、つっかえたんだ。

 スープの入ったカップを差し出すと、女性はそれも奪うように掴み、夢中で飲み干した。


 その際、帽子が背中側にずり落ちて、女性の素顔が露わになった。

 癖の少ない長い黒髪に、細い眉。黒い瞳……美人だ。


「はぁ……、助かった」


 黒ずくめで美人の女性は、行儀悪く手の甲で口を拭おうとし、長手袋を着けていたことに気付き、それを外してから改めて手の甲で口元を拭いた。


 そしてまたコーリーの方を向いて来たので、その視線を追うと、どうやらトレイの上に残っているピクルスに注がれているようだった。


「………………」


 無言でトレイを差し出すと、女性は手袋を脱いだ方の手でピクルスを摘まみ、口の中に放り込んだ。

 ぽりぽりと小気味よい咀嚼音が聞こえる中、コーリーはそそくさと立ち去ろうとする。

 しかし、


「まぁ、ちょっと待ちなよ」

「うぐ」


 服の裾を掴まれて引き留められてしまった。すごい力で振り解けない。

 ひきつった表情で振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた女性がいる。


「行き倒れるところを助けて貰ったんだから、このまま行かせらんないよ。お金は無いけど、代わりになんかお礼したげる……おまえ、名前は」

「お礼はけっこうですから……!」


 それに、怪しい知らない人に名前を教えたくない。

 しかし女性は何を勘違いしたのか、「ああ」と呟いて裾を掴んでいた手を離した。おかげでつんのめって転びそうになる。


 先に名乗らないといけなかったね、と言い、女性は腰掛けていた長持から立ち上がった。

 こうしてみると、背が高い人だ。コーリーはもちろん、知り合いの大人の女性たちよりも、少し高いと思える。


 黒づくめで美人で背の高い、その女性は名乗った。


「――あたいは、ティト」

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