銀の王女と流浪の魔女 ②
――数日間、コーリーは勉学に励んだ。
〈騎士詠法〉の訓練も、毎日欠かさずに続けた。
せっかくコツを掴みかけてきたのだから、この機会に少しでも上達したい。
「《賢き小さき疾きもの、儚き花の守り手よ、縒りて糸の如くなれ》――」
最初は十秒も保てなかった風の糸を、今は一分近く維持できるようになっていた。
ただ未だに、術を維持したまま激しく動き回るのは無理だ。
特に、風の糸を遠くまで伸ばしている時には、集中を切らさないためにその場から一歩も動くことができない。逆に、風の糸を自分の身体に纏わせた状態でなら、少しは動くことができる。
今、コーリーの前には数本の薪が立てられていた。
これからコーリーが試みようとしているのは、風の糸を瞬間的に加速させた刃で薪割りをするという、コーリー自身が考えた修行だった。
近くに立って、ぼーっと見守っていたアトラファがぼそりと言う。
「そういうのは、まだコーリーには早いと思う……」
「黙って、集中が途切れるから! ……《爆ぜて刃の如くなれ》!」
もともとコーリーが使っていた風の砲弾の術は、威力も射程も十分だったが、いかんせん燃費が悪かった。二、三発撃つと気力切れを起こしてしまう。
まして〈騎士詠法〉は、最小限とはいえ気力を消費し続けて「発動寸前」の状態を維持する技術。風の砲弾の術とは相性が悪い。
風の糸による、索敵に特化した術を作り上げようとしていたコーリーだったが、糸は調子の良い時でも五、六間しか伸ばせなかった。その程度の距離なら目視のが速いし、気力の消耗もない。
暗闇なら重宝する索敵術かも知れないが……使える状況が限定され過ぎていた。
がっかりしたコーリーが、今度思い付いたのは――風の刃の術。
遠距離の索敵が駄目なら、近距離での護身の術だ。
風の糸を身にまとい、敵が接近したら気流の回転速度を爆発的に加速。
風の刃で、魔物をばったばったとなぎ倒すのだ。
急激に加速された気流は、火花を散らして薪を打った。
イメージでは一刀両断にされた薪が、パカンパカーンと割れて後ろに積み重なっていくはずだった。しかし、
――バコーン、バコーン!
薪は割れずに、あさっての方向へ飛び去って行く。
術の威力が低すぎて切り裂くことが出来ず、薪の表面の樹皮を弾けさせただけだったのだ。
その内の一本が――。
バキャッ! と二階の客室の雨戸を破壊して、不幸にも偶然その近くにいたらしいミオリの「きゃあっ、なに!?」という悲鳴が聞こえてくる。
「………………どどどど、どうしよう」
「コーリーすごい。予想以上の威力。実戦で使えるかも。でも『風の刃』じゃなく『風の棍棒』と名付けるべき」
「それどころじゃないよっ! ミオリさんに怒られる! ……ね、アトラファ、一緒に謝って、お願い! ……アトラファ?」
懇願するも、すでにアトラファは音もなく逃走を果たしていた。
その場に一人残されたコーリーの頭上、怒ったミオリの声が降ってくる。
「こらっ! コーリーちゃんがやったのっ!?」
「す、すみません……後で直しておきます……」
◆◇◆
一階のホールへ向かうと〈しまふくろう亭〉の店主のマシェルが、その日の夕食を出してくれる。
まだ日も落ちてはいないが、最近は〈しまふくろう亭〉の客入りが盛況で、特に人気メニューの冷製スープの注文が殺到する時間帯には、アトラファが厨房に応援に入らないといけないため、下宿人の二人の夕食はちょっと早めだった。
今日のメニューは、サラダと数切れのパン、そしてメインは……何だろう。丸っこい深皿に蓋がかぶせてある。蓋を取るとほわっと湯気が上がり――。
「……玉葱?」
深皿の中心に鎮座しているのは、丸ごとの玉葱だった。
そのままの形の玉葱が、スープの中に浸されている。火は通っているようだが……。
玉葱の姿煮といったところか。育ちざかりのコーリーにとって、ディナーのメイン料理としては少し残念ではあった。
匙を取って玉葱を突き崩してみる。
すると中から食欲をそそる、肉と香辛料の香りが溢れ出てくる。
くり抜かれた玉葱の中に別の具材を詰めて料理されていたのだ。
口に運ぶと、これが絶品だった。
内側に詰められた具材、外側のスープ、両方の旨みを吸い込んだ玉葱が、口の中でほろほろと溶けていく。
「――――おいしいっ!」
「どう? 兄さんったら冷製スープ以来、メニュー作りに味を占めちゃって」
給仕をするミオリが、二人に感想を求めてくる。
横ではアトラファが黙々と食事を続けている。美味しいと思っているのやら。
気付くと厨房からマシェルが出てきて、コーリーたちが座っているカウンター席の前に、腕組みをして立っていた。
「どうだ? くり抜いた玉葱に具材を詰め、スープと共に蓋付きの器に入れ、器ごと蒸してみた。蓋を取ったら一見まるごとの玉葱。匙で崩すと具が出て来て二度びっくりってわけだ……意外性があるだろ。メニューに加える前に意見を聞きてぇんだ。いきなり試食をさせて悪いんだが……遠慮なく感想を言ってくれ」
なるほど、マシェルは夏が終わる前に新メニューの開発をしたいのだ。
『赤と白の冷製スープ』が流行ってはいるけれど、涼を求める人が減れば、客数は前と同じに戻ってしまうだろう。
それに来年には冷製スープの製法が研究されて、近隣の〈火吹き蜥蜴亭〉でも提供されるようになっているかも。
アトラファと同等の氷法術士を雇うのは困難を極めるだろうけど……。
何なら、ただ削った氷を入れて冷製スープを作ったっていい。味は格段に落ちても、その分だけ値段を安くすれば……。
そういったことにマシェルは危機感を抱き、新メニューを作り出そうとしているのだ。
そう理解したコーリーは、この『まるごと玉葱の蒸し煮』を絶賛した。
「すごく美味しいです! これならぜったい、」
「んー、ふつう。手間は掛かってるけど」
仮に同じ値段なら、手間の分だけ店が損をする。値段を高くするなら、お客が損をする。
味は普通の玉葱煮込みとほとんど同じなんだから、大して流行らないだろう。
舌の肥えてる人は喜ぶかも知れないけど、〈しまふくろう亭〉の客層じゃない。
アトラファの意見は、恐ろしく辛辣だった。
「む……そ、そうか」
遠慮なく感想を聞かせてくれといったマシェル本人ですら黙り込み、近くでテーブルを拭いていたミオリも心配そうな視線を向けてくる。
このままでは、何か嫌な沈黙の空気が流れそうな気配を察し、コーリーは深い考えもなく無理矢理に声を上げた。
「そ、そうかな? 美味しかったよ!」
「不味くはないんだけど普通なの。感動に直結しない意外性は要らない」
アトラファがまた何か、無表情で難しいこと言い始めてる。
ごはんに感動って必要なのか。
手に負えなくなったコーリーは頭を抱えそうになったが……批判された当のマシェルには、何かが通じた様子であった。
「じゃ、『冷製スープ』には感動があったってのか」
「んー、なんていうか『冷たいスープ』って今まで無かったから。それに夏という季節にも合ったメニューだったし」
「……季節感か。なるほど、参考になった」
マシェルは拳を握り締めると、踵を返して歩き去る。
その背中があまりに小さく見えたので、コーリーは思わず声を掛ける。
「あのう……このままでも十分、」
「いんだよ。親父たちが隠居した後、この店が流行らなくなった理由がちっと分かったぜ。近所に〈火吹き蜥蜴亭〉が開店したせいだと思ってたが……」
振り返った瞳は、心なしか哀愁を帯びていた。
マシェルはその瞳をアトラファに向けると、あんがとよ、と小さく呟いて厨房へと入って行った。
「……あんなマシェルさん、初めて見ました」
「両親が隠居する前は、父さんと料理の味のことでガミガミ言い合っていたのよ。あの頃のこと思い出したのかも。アトラファちゃんは女の子だし、お客さんだし、強くは出れないから……」
「私だって女の子でお客さんなのに、すっごいガミガミ言われるんですけど……」
アトラファだけ特別扱いされてるみたいで羨ましい。
コーリーがぼそりと不満を口にすると、ミオリは目をぱちくりとさせて「そうねぇ」と頬に手を当てて考え出した。そして、ぽんと手を打ち、
「ほら、コーリーちゃんは……何を食べても『美味しい』ってしか言わないから」
「それは私の長所ですっ!」
◆◇◆
――そんな日々を送っていたある日のこと。
今日も今日とて、机に齧りついていたコーリーの耳に、部屋の外からドアをノックする音と共に、ミオリの声が響いた。
「コーリーちゃん、お客さんよ。ええと……お友達?」
お友達?
コーリーはペン立てにペンを戻し、椅子を立った。
ぱっと思い描いたのは、〈学びの塔〉の同級生で親友のレノラの顔だった。
お友達と言うからには、ギルド職員のアイオンではあるまい。一介の冒険者であるコーリーのもとに、アイオンが足を運ぶような事態が、そう何度もあっては堪らない。
冒険者のククルさんかな、とも思ったが、ミオリはククルと面識があるので、彼女が訪ねて来たのなら「ククルさんが来たわよ」と告げるはずだった。
何より、レノラには夏が始まる前に一度手紙を送っている。
きっとレノラだ。夏季休暇が始まって、会いに来てくれたんだ。
これは嬉しい。ぜひともアトラファを紹介しないと――。
「はい、はーい! いま開けます!」
コーリーは、浮ついてると自覚しながら、部屋のドア目がけて飛んで行った。
何を話そう。話したいこといっぱいあるんだ。
アトラファのことも相談したい。手紙では凄い才能の持ち主であること伝えていたけど、実は勉強嫌いであることが、最近になって発覚したんだ。
彼女に〈学びの塔〉の編入試験を受けてもらう方策、レノラはずる賢こくて人を嵌めるのが上手いから――ちがう、聡明で人のためになることを考えられるから、上手い手を思いつくだろう。
コーリー、貴女、わたくしのことそういう風に思ってたんですのね――?
レノラがここに居たら、間違いなくそう言っていたであろうことを思いながら、コーリーは喜び勇んでドアを開けた。
「ようこそ! 久しぶ、り――?」
ミオリに案内され、そこに居たのはレノラではなかった。
夏らしい白いワンピースに身を包んだ彼女は、同じく白いつばの広い帽子を脱いで、胸の前に抱えた。背丈はコーリーよりも低い。
さらりと肩に流れる銀の髪。青みがかった翠の瞳。
その双眸が、コーリーの姿を捉えた。
破壊と暴虐の王女、アルネット。
望まぬ再会であった。コーリーは悲鳴を上げた。




