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銀の王女と流浪の魔女 ①

 ――声が聞こえる。


 絵里はベッドの中で、うっすらと覚醒した。

 両親が、小声で何かを言い合っている声。

 ケンカでもしたのだろうか。隣の部屋で寝ている絵里を起こさないよう、気を遣っているようだけれど……それでも、眼が覚めてしまった。


 絵里は、もっと会話に耳を澄ませようと、そっとベッドを抜け出した。

 お父さんの声は明瞭に聞き取れる。でも、お母さんの声は良く聞こえなかった。

 幾つもの声が重なり合っていて、本当のお母さんの声が思い出せない――。


 会話は続いていく。




「――行かせなきゃいけないのか。良子。今まであの実を使わなかったのに……自分の娘には食べさせるっていうのか?」


 うん。どうしても。

 あたいは結末に居合わせることが出来なかったけど、あっちの世界の、あの後の事については、何も心配してない。

〈あの子〉はやり遂げたんだって、信じていられるから。

 でも絵里には見て来て貰いたいの……あの後、どうなったのか。


「〈その子〉がやり遂げたことを良子が信じているなら、それで良いだろ? 何で絵里に見届けの役を担わせなきゃいけない。絵里が自分で望んだ結果なら納得できる……でも、まだ三歳だぞ! 可哀想だろ! 写真も捨てちまって、母親の顔も思い出せないまま、生きてかなきゃならないなんて!」


 ……あたいがそうするんじゃないよ。

 必ずそうなる、だから早めに手を打っておくの。

 あっちの世界で出会った時、絵里はあたいのこと、全く覚えてなかった。

 それは、あの頃の方が若かったけどさ……気付くもんじゃない?

 例えば近い将来、あたいが死んじゃったりしてもさ、写真の一枚でも残ってればさ……「この人、お母さんの面影ある」って気付くんじゃない?

 でも、あっちで会った絵里は、本当に何も覚えてなかった。


「良子、お前が何を言ってるのか、分からない……」


 あのね。運命って、切り拓いたり選択したり出来るものじゃないと思ってる。

 あたいにとって、運命は「見つけるもの」なんだよ。

 地球の物で例えるとしたら……そう、恐竜の化石みたいなもの。

 誰にも見つからずに、ずーっとそこに埋まってるんだけど、ある時に誰かが見つけて「ああ、そういうことだったんだ」って気付くの。

 ……あんまり前向きな考え方じゃないのは分かってるけど、とにかく、あたいにとって運命ってそういうもの。


「……つまり、変えられないってことなのか?」


 うん。あたいの過去の記憶に改変が起こっていない以上、それはすでに観測されてしまった、確定済みの運命。

 絵里は何があったとしても、あっちの世界に導かれてしまうし、母親の――あたいの事は忘れちゃう。何かの理由でね。

 怖い思いや、痛い思いをして、忘れるくらいなら……あらかじめ仕込んでおく。


 それに、そのためにゲームも作ったでしょ?

 絵里に――「勇者は何をする人なのか」を学ばせるために。


「……楽しかったな。絵里はもうちょっと大きくならないと、遊べないけどな」




 ……その時。

 息を潜めて、ドアに耳を押し付けていた絵里は、急に開かれたドアに体重を預ける形で倒れかかった。


 あっ、気付かれてた……怒られる!


 転ぶ衝撃と、夜更かしをしていたことに対する両親の叱責に備え、思わず身を竦めた絵里の身体を、母が優しく支えた。

 それでもまだ、顔を思い出すことが出来ない。


 ――母の言葉。


 王女さまやお友達とは仲良くしなさい。

〈あの子〉やフォスファーのこと、あまり怖がらないであげて。

 絵里が忘れちゃっても、おかーさん、絵里のこと、ずっと大好きだからね――。



     ◆◇◆



「……んむぅ」


〈学びの塔〉の談話室で居眠りをしていたエリィは、口元に圧迫感を覚え、むずがるような声を出しつつ目覚めた。

 夢を見ていたらしい……夢の内容は、あまり覚えていない。


 寝惚け眼を擦りつつ前を見ると、栗色の髪の少女が、片手にハンカチを構えて、眼をぱちくりさせていた。


「あっ、あのあの、ごめんねエリィ。起こすつもりはなかったんだけど、よだれ垂れてたから……制服の襟、汚したらいけないと思って……」


 どことなく自信無さげな話し方をする子の少女は、タミア。

 エリィとはたぶん同い年くらいだと思われるが、学年は一つ下。

 二ヶ月くらい前に、色々あって仲良しになり、今ではこうして談話室や食堂などで一緒に居ることが多い。


 すると、向かいの椅子に斜めに腰掛けながら本のページをめくっている、小柄で黒髪の少女が口を開く。


「よくもまー、こんな蒸し暑ちー部屋で、グースカ寝てられるもんです……」


 手の平でパタパタと貧相な胸元に風を送っている、黒髪の少女はクルネイユ。

 タミアと同様、仲良くなって良く一緒に居るのだが……ちょっと意地悪な性格なので、エリィとは時折ケンカになる。


「クルちゃんだってしょっちゅう、よだれ垂れして寝てるじゃない。ほんとに酷い時だと授業中とか」

「寝てねーですし」


「寝てたよ。授業中だと、ウチも側に行って拭いてあげるわけにも行かないから……クルちゃん、ノートに水たまりが」

「タミア、うるせーです!」


 クルネイユが怒って、会話を打ち切りに掛かる。

 やや背の高いタミアが「よしよし、まあまあ落ち着いて」とクルネイユを宥める。

 この二人は、大体はいつもこんな関係性だった。

 ただ、クルネイユ以外の人物に対して引っ込み思案な所があるタミアが窮地に陥った時には、逆にクルネイユがリードすることも有る。


 エリィを含めたこの三人の外に、普段なら更にもう三人――が、行動を共にしているのが常だったのだが。

 今はその内の二人が不在。

 残り一人は、タミアとクルネイユの言い争いになど、露ほどの関心も寄せず、一心不乱に書き物をしていた。


 不在なのは、レノラとパンテロ。

 エリィにとっては、二人とも「年上の同級生」だった。


 夏季休暇が始まると同時、ハーナル州の実家に帰省するパンテロに同行する形で、レノラは〈学びの塔〉女子寮、及び自身の実家から逃亡した。

 二か月前の事件で、伸ばしていた髪を切って短髪にしてしまったことを、実家から咎められることが、よほど嫌だったと思える。

 まんまと逃げ遂せたレノラは、今頃はハーナルで、パンテロと一緒に避暑を満喫している頃であろう。


 ……後々、エリィたちもハーナル州に向かい、パンテロの実家に滞在させてもらう予定でいる。ただ遊びに行くのではなく、ある特別な理由があって。



     ◆◇◆



 その「理由」に直面している当事者こそが、いつもの顔ぶれの最後の一人、王女アルネットであった。


「――文章が固いと頭も固いと思われるかもしれない。いいえ、ゆるくても駄目。王女としての威厳と、親しみやすさを内包した招待状でないと……!」


 アルネットは、上質な紙をすでに何枚も丸めて無駄に消費していた。

 もったいねー、下書きせずに一発書きとは、流石は王家の血を引く者です、と呆れ顔で眺めていたのは、クルネイユだった。


「そんなにかしこまらなくっても、コーリーのあねごなら『美味いもんがあるから遊びに来い』って書けば、二つ返事でやって来るです」

「駄目よ、そんなの! 次期女王からの直筆の手紙なんだから、百年後に〈学びの塔〉の書庫の閲覧室で硝子ケースに入れられて展示されても、恥ずかしくない招待状を書かなくちゃ! ……ええと、『謹啓』――」


 アルネットはペンを走らせる。その筆致は流麗だった。

 しかし……経験浅い姫が、表面上を取り繕っている感は否めない。

 ここで、明るい栗色の髪のタミアが、アルネットの肩越しに招待状の文面を覗き込んで、おずおずと言った。


「……あのあの、次期女王が臣民に対して『謹啓』って、威厳なくないですか?」

「うっ……!」


 アルネットは押し黙った。

 そうして出来上がった招待状の内容は――。



『――ますます、ご清栄の由。

 さて、この度は先代イスカルデ猊下の御世より念願であった〈飛空船〉の建造  が、ハーナルの地にて完了したとともに、無事に試験飛行を成功いたしました。

 ひとえに、臣民による支えの賜物と、感謝する次第。

 つきましては、〈飛空船〉披露と、遊覧飛行を兼ねた宴を催したく存じておりま すので、貴女におかれましては、ご多忙とは存じますがご来臨いただきたく』



 へりくだっているのか、ふんぞり返っているのか、よく分からない内容だった。

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