夏季休暇の過ごしかた
〈学びの塔〉が長い夏季休暇に入ろうという時期が、今年もやって来た。
一昨年、父に反対されながら入学試験をパスしたコーリーは、夏季休暇に里帰りをしなかった。父と顔を合わせたくなかったのと、王都からベーンブルまでを往復する路銀が心許なかったからだった。
去年、やっぱりコーリーは里帰りをしなかった。いい加減に顔くらい見せに帰っても良いかな、と思い始めてはいたが相変わらず路銀が心許なかった。それに、その年の夏季休暇も寮に残ろうとするコーリーを見かねて、友人のパンテロが「うちに遊びに来ないか」と誘ってくれたのだ。
パンテロの実家は涼しい気候のハーナル州にあって、避暑には最適だった。
ハーナルに行ってみたかった気持ちもあり、誘惑に負けてほいほいとついて行ったコーリーは、ひと夏の間、パンテロの武具コレクションの自慢と解説を受けるはめになった。釣りとかキャンプをするのかと思ってたのに……。
この年に入学して来た初めての後輩、タミアとクルネイユが誘いを「丁重にお断り」していたのは、きっとパンテロの武具蒐集癖に付き合いたくなかったからに違いない。二人はパンテロと同郷で幼馴染だった……なぜ教えてくれなかったのか。
◆◇◆
……三年目の夏、コーリーは勉学に励むことに決めていた。
〈学びの塔〉に復学を果たした時、勉強について行けないのではお話にならない。
放校処分の後、コーリーが冒険者をやってる間に皆はどんどん先に行っている。
皆が里帰りをしたり、避暑地で休暇を楽しんでいる今こそ、差を縮める時。
貯金を崩して、北市街の書店に参考書を取り寄せてもらった。
「私、すごい……充実してる……よし、やるぞっ!」
教科書や参考書といったものを目にすると、心が燃え上がる。
〈学びの塔〉に居た頃は、こんなんじゃなかった……目標はあったし頑張ってもいたけれど、勉強できるということ自体に、こんなに充実感を得られていなかった。
たぶん、冒険者という生業を経験したおかげだろう。前向きに考えれば、それだけでも冒険者になって良かった。
〈騎士詠法〉という技術体系を知ったことも大きい。
大切なものを守れる大きな力。これをコーリーは身に付けたい。
冒険者として様々な事件に遭遇するにつけ、コーリーはそう思わずにはいられなかった。
〈騎士詠法〉の特訓の効果か、苦手だった精霊法の実技も、確かに上達している手ごたえを感じていた。
「でも、実技だけじゃ駄目なんだよ。座学もしっかりやらなきゃ……ふんすっ」
「……。んー?」
〈しまふくろう亭〉の自室で机に齧りついているコーリーを、アトラファが眠そうに見つめていた。
冒険者ギルドで目ぼしい依頼がなく、暇なのでコーリーの部屋に遊びに来たものの、コーリー自身が勉学に燃え上がっているので、やる事も無くぐったりしているようだ。
パーティーを組んでから二ヶ月を経過している。すでに彼女の扱いに慣れ始めているコーリーは、アトラファは部屋の置き物みたいなものだと思って、ひたすらにガリガリと勉強に勤しんだ。
◆◇◆
苦手科目の、精霊法の参考書に目を通していると、こんなことが書かれている。
氷精霊の本来の性質は、温度の低下ではなく「停滞」である。
風精霊は大気を司っているのではなく、実は「流体」を支配している。
火精霊の性質は「活性」であり、それに伴う混沌の具象化を経て、急激な温度の上昇が起こり、発火を招くのである。
我々が目にする精霊法の効果は、これら三精霊が持つ本来の性質がもたらす、副次的な効果に過ぎない。
光精霊は、他の三精霊に対して優位にある。光精霊が司るのは「秩序」である。
「……うーん?」
コーリーは呻いた。
光精霊の説明文だけ、他の三精霊に比べて曖昧だ。
なんで優位にあるのか。そもそも光が秩序って具体的にどういうこと……?
「光精霊って、なんなの……?」
「光の精霊が司っているのは、『波』」
独り言に、すかさず暇を持て余していたアトラファが食いついてくる。
構ってほしいのかも知れないが、今は勉強をしてるし……。
でも、何だかためになりそうなので、コーリーは拝聴することにした。
「波って、湖でざざーんっていうあの波? 波と光に何の関係があるの?」
「その波も波だけど、光精霊が司っているのはちょっと違う『波』」
アトラファの言葉によれば、この世の全ての事柄は、様々な波の形で観測出来るのだという。
音も光も。感じている重さや時間、嬉しい悲しいといった気持ちでさえも、全ては波という形で捉えることが出来るのだという。
その「波」がどんな形をしているのかを知りさえすれば、光法術士ならば力量次第で世界のあらゆる事象に干渉できる。
故に、この世の秩序を司るといわれる。
もし、人間が夜行性でコウモリのように視覚ではなく聴覚に頼って生活する生物だったら、光精霊ではなく音精霊と呼ばれていただろう、とアトラファは続けた。
「光法術は、極めると他の三精霊の術よりも発現する効果が格段に多くなる。だから最高位の精霊と呼ばれてる。もっとも、重力や時間の操作までもを使いこなせる術者は皆無と言っていい……たった一人だけ、忌々しいのがいるけど」
アトラファは、最後に顔をしかめてぼそぼそと何かを付け加えたが、聞き取れなかった。
それよりも、話が壮大過ぎてコーリーにはいま一つ、光は波ということがイメージできなかった。
音が波というのは何となく分かるんだけど……。
〈学びの塔〉で一年生だった頃、たらいに張った水面に、鳴らした音叉を近付ける実験、というのを授業でやったことがある。
細かく震え、円形に波立つ水面を見た。音は確かに波だった――。
◆◇◆
それにしてもアトラファは、教師のように色々な知識を蓄えている。
いつか自分が〈学びの塔〉に復学する際、アトラファも連れて行って編入試験を受けさせたい。一緒に学生生活を送りたいという密かな野望を秘めているコーリーは、本題を告げる前の様子窺いのつもりで、聞いてみた。
「あのさ、良かったらアトラファも私と一緒に勉強しない……?」
「! ………………」
しかし、アトラファはもの凄い顔をして辞退の意を表明した。
普段は大して表情を変えず、美味しいものを食べても嬉しそうな顔もしないくせに、勉強しようと言った途端にこの顔であった。
何とも形容し難かったが、故郷の農場で気難しい馬が人を噛もうとしている直前の表情が思い出された。こんな時はそっとしておいた方がいい……。
「う、うん。勉強嫌いだったんだね。色んなことに詳しいから……勉強が好きなのかなって」
「……わたし、昼寝する。コーリーは勉強がんばって」
このままここにいたら勉強させられるとでも思ったのか、アトラファは退散していった。
うるるる、と唸り出しそうな疑心暗鬼の声色に、コーリーは「この子に編入試験を受けさせるのは、思った以上に困難かもしれない」と感じた。
「アトラファもお昼寝がんばって……なんか、ごめんね」
バタンとドアが閉じる音を聞いて、そっと息を吐き出す。
いきなり本題に入らなくて良かった。事前にアトラファの勉強嫌いを確認できたのは収穫といえた。
……もちろん、諦めるつもりは微塵も無い。
学校生活は勉強だけじゃない。他に楽しいことは沢山あるんだ。
◆◇◆
机に向き直り、先ほどのアトラファの説明を反芻していたコーリーは、ふとあることに思い至って顔を上げた。
精霊は、光・火・風・氷の他にあと二柱がある。
絶滅した土精霊と、世界の外側に放逐された闇精霊。
土精霊に関しては、どのような性質を持っていたのかも調べようが無いという。完全に消え去ってしまった上に、推測のための材料も無い。
ただ〈土の民〉と呼ばれる人々の存在に、この精霊の絶滅が関わっているのではないかと囁かれるのみだ。
長く繰り返された〈土の民〉への痛ましい迫害は、イスカルデ双角女王の御世に法が整備され、現女王アーベルティナ陛下がそれを継承したごく近年になって、ようやく過去へ消え去ろうとしつつある。
幸いにも、コーリーは〈土の民〉への迫害というものを目の当たりにしたことはなかったが、世の中にそういう人々がいるという事実だけは知っていた。
もう一つ。コーリーが気に掛かったのは、こちらの方だった。
――闇精霊。この精霊は何を司っているのだろう。
土精霊のように絶滅したのではない。今も世界の外側から影響を及ぼし続けている……魔物が発生は闇精霊の影響によるものだとも。
光・火・風・氷の四精霊が、力を結集して世界の外へ追放したという闇精霊。
アトラファの説明を聞き、光精霊が万能に近い、まさに秩序を司る精霊であることを理解した。その光精霊ですら単体では敵わず、総力を集めても滅ぼすには至らず、追放するのがやっとだった、闇の精霊とは……。
(考えてみれば……)
闇の精霊の力をうけて発生する、魔物たち。
魔物たちは同種の個体は二つとない。そして能力も千差万別。
身体の一部を伸ばしたり、天候を操ったり、精神に干渉して来たり――。
冒険者ギルドの討伐記録を閲覧すると、別々の地域で同種の動物が元になった魔物が発生することはあるらしい。例えば、こっちとあっちの二ヶ所で「鼠の魔物」が発生するようなことはあり得る。けれど能力は同じではない。
同じ「鼠の魔物」だからといって、同じ能力や習性を持っているわけではない。魔物討伐が危険で厄介な任務と言われる所以だ。過去の経験を活かせないのだから。魔物が発生すればその都度調査して個別に対処するしかないのだ。
それら魔物の能力は、いわば「闇の精霊法」というべきものではないか。
(千差万別……同じものが一つも無い……)
参考書にも闇精霊に関する詳細な記述は無かった。
魔物に関しては、冒険者のコーリーの方が参考書より詳しいくらいだった。
アトラファなら、詳しい説明を聞かせてくれるのかも知れない。
(でも、今はなぁ……)
コーリーは気分を変えるために、苦手な精霊法の参考書を机の隅に積んで、代わりに算術の問題集を手に取った。
考えが煮詰まった時、とりあえず作業的に問題を解いて行くのが良い。
算術は得意科目だった。
でも、せっかく買った問題集なのに、一気に解いてしまったら勿体ないな……。
贅沢な悩みに浸りつつ、コーリーは勉学に励んだ。
闇精霊のことはすぐに忘れた。精霊法は苦手科目だったから。




