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故郷への手紙

 若葉が萌ゆる季節、姉さん、元気にお過ごしでしょうか。

 この手紙が届く頃には、もう赤ちゃんが産まれているかも知れませんね。だから、未だ見ぬ甥か姪の誕生を先にお祝いさせていただきます。


 おめでとう姉さん。そして我が甥か姪よ!


 父さん母さんや、姉さんの旦那様も、変わりなく健康に暮らしていることと思います。私は元気です。授業は難しいですが、落第することなく無事に三年生に進級することが出来ました。


 以前に手紙で書いた通り、周りは貴族や地主の子ばかり で、普通の農家の子なんて私くらいしか居ませんが、それでも何とか上位の成績を維持しています。なので、授業料免除という特待生の地位は揺るぎないです。ご心配なく。


 もちろん女子寮の皆とも仲良くやっています。入学したばかりの頃は、身分が上の人達の中で上手くやっていけるだろうかと緊張しきりでした。けど、いざ飛び込んでみるとそんな心配は全く無用でした。



 今では友達も沢山できて、授業のノートを広げて勉強を教え合ったり、たまに甘いお菓子が手に入る機会があれば、皆でそれを分け合ったりしています。毎日が楽しく、充実しています。


 ここ〈学びの塔〉では、学業の成績が全てなんです。年齢も身分も関係なく。だから、私みたいな普通の子でも、頑張れば頑張っただけの見返りがあるんです。


 父さんは、庶民の私が貴族だらけの場所でやって行けるのかと、ずっと気を揉んでいたみたいだけど、ご覧のとおり上手くやってます。ご覧のとおり……とは言っても手紙なんだけど、本当に順風満帆です。姉さんから父さんに「心配ないよ」って伝えてもらえれば幸いです。

 父さん頑固だから、私から言ったって聞きゃしないからね。面倒なことを頼んでごめんね。



 ところで、進級してから周囲の環境に変化がありました。寮の私の部屋の真向かいはずっと空き部屋だったんですが、今年からはなんと、アルネット王女殿下がお住まいになっているのです。

 ……びっくりしたでしょう?


 王女殿下は私たちの学年より三才ほど年下なんだけど、幼少の頃から光と火の法術の才能をいかんなく発揮し、その才能が認められて通常よりも一年早い入学をされ、更には年度が替わると同時に飛び級。今年からは私と同学年です。


 尽きぬ井戸のごとき才能、それに母君であらせられるアーベルティナ陛下譲りの、輝くような美貌。精霊に愛されて輝かしい運命を歩むべく生まれた人というのは、本当にいるもんなんだなぁ……と実感した今日この頃です。


 ……ただねぇ。こんなことを手紙に書いて良いか分からないんだけど、この王女殿下、ちょっと我儘なんだよね……。訂正。「かなり」我儘だと思う。


 だってあのお姫様ときたら、自分が玉葱嫌いって理由で、学食のシチューから玉葱を無くさせたんだよ! 玉葱の入ってないシチュー。信じられる? 嫌いなら自分のだけ抜けばいいのに!


 初めの内は、王女殿下と同じ学び舎で勉強できるなんて光栄だなぁ、家族に自慢できるなぁって思ってたよ。でも王女殿下ときたら、後輩がなけなしのお小遣いで買った菓子を取り上げて泣かすわ、それをやんわりと注意した先輩の脛を蹴って泣かすわ。やりたい放題なんだよ。


 その後で教員室に呼び出されてたみたいだけど、ものの十分もしない内に、ケロっとした顔で戻ってきてた。気になって教員室に様子を見に行ったら、寮監のカイユ先生が泣きべそをかいていた。

 何をされたのかは分からないけど、恐ろしい……。


 そんなだから、アルネット様は王女だというのに取り巻きの一人もいないのです。

 実家が名家だったり、成績優秀だったりする新入生の中には、アルネット様と同様に高慢ちきな子もいます。けど、普通は先輩から指導されたり、自分より優れた学友と出会ったりして、大抵は一年以内に伸びた鼻をへし折られるのです。


 ところがアルネット様の場合、精霊法の実力は敵無しで、実家の権力もこの上ないものだから、逆らい得る人がおらず、誰もが彼女の前では萎縮し、距離を置くようになったのでした。触らぬ魔獣に呪いなしってね。


 そんな折に起こったのが、先の「玉葱廃止事件」でした。

 それまでは皆が「関わらなければ大丈夫」と思っていたのに、楽しみにしているシチューから玉葱が消されたとあっては、否応にも関わらざるを得ない。ここにきて、寮生の溜まりに溜まっていたフラストレーションが爆発したのでした。暴君による圧政から自由を取り戻すべく、私たちの闘いが始まったのであります。


 何となく吹き出してるマリナ姉さんの姿が浮かんだけど、笑い事じゃないです。学食のおばさんが作る特製クリームシチューは、学食の中でも五指に入る人気メニュー。それに玉葱が入ってないなんて、寮生活の楽しみの二割くらいを失ったようなものです。


 シチューのみならず、サラダやスープなんかの他のメニューからも玉葱は姿を消しました。玉葱は美味しくて健康にも良いのに。我々寮生の血液がドロドロになったら、王宮はどのように責任を取ってくれるというのか。


 で、我々寮生一同は、学食に対して「我らの食卓に自由と玉葱を取り戻せ!」をスローガンとし、抗議活動を行いました。


基本的には「食堂に意見書を提出する」といった穏便な活動をしていたのです。

ところが、一向に改善されない状況にしびれを切らした一部の過激派が校庭の花壇を占拠、植えられていた草花を引き抜き、自主的に玉葱を栽培するという暴挙に。元々花壇を管理していた園芸同好会の反発を招き、穏健派がそれに同調。本来は仲間であるはずの寮生同士の抗争へと発展。


 果ては当局の介入により、過激派・穏健派ともども反省文五〇枚と奉仕活動を課せられるという大惨事に……。

 結果として私たちの闘いは、実を結ぶことはありませんでした……。


 決め手は学食のおばさんの言葉でした。


「ゴメンねぇ。アタシらも、アンタらに美味しくて栄養のあるものを食べさせてあげたいんだけどねぇ……でも、偉い人らの言うことだからねぇ……」


 この時、私たちはメニューから玉葱を抜くのはおばさん達にとっても不本意であったことを知りました。そして、自然と「おばさんたちを困らせるのは何だか悪いなぁ」という空気が醸成されてしまい、その後の活動は尻すぼみになって行き、やがて玉葱奪還運動は目的を果たすことなく終息したのであります。


 この騒動の時、発端である王女殿下は何をやっていたのかというと、幸いにも〈学びの塔〉には居なかったのです。なんか家の大切な行事があるとか何かで、しばらく休んでるんだよね。この機に行動を起こしたのだけど、上手くいかなかったわけです。


 こうなったら正攻法で皇女殿下に玉葱を克服させた方が近道かな。それはそれで困難を極めそうだけど。私たちは玉葱を諦めない。


 ……気が付いたら大半が玉葱の話になってしまったけど、要は、私は苦労しつつも、それでも充実した日々を送っているってことです。つまりそう、「普通」ってことです。だから心配しないで。父さんと母さんによろしく。それと旦那様と仲良くね。




       貴女を愛する妹、コーリー・トマソンより、マリナ姉さんへ




 追伸


 前の手紙で相談された赤ちゃんの名前ですけど、やっぱり姉さんたち夫婦で決めるのが一番だと思います。父さんが「初孫の名前はおれが!」って張り切っているのは、まぶたに浮かぶように分かるのですが、両親に名付けて貰うのが産まれてくる赤ちゃんにとって幸せなことの気がします。


 とにかく、父さんの勢いに惑わされず流されず、旦那様と良くご相談ください。



     ◇◆◇



 ――良くご相談ください、まるっ……と。


手紙を書き終えたコーリーは、ぐぅっと腕と背筋を伸ばした。


 羽ペンを机の隅に置く。ちょうどインク壺の中身が尽きたので、購買部で注文しないといけないだろう。

 けれど、今日は貴重な安息日だ。もし購買に誰も居なければ、外出許可を取って街に出なければいけない。今すぐ外出するのは少々億劫だった。用事は午後からにして、昼までは読書でもして過ごそう。


 無事に進級を果たしてからというもの、何となく気が抜けている気がする。

〈学びの塔〉を優秀な成績で卒業した後、それなりに堅い安定した職業に就くのがコーリーの夢、というか意地だ。そのために今までがむしゃらに勉強してきた。入学にどこまでも反対した父に「どうだ、見たか!」と言ってやりたい気持ちが先にある。


 本当はここで気を抜かず、皆が休んでいる時こそ勉学に勤しむべきだ。でも、難関と言われる三年生への進級試験を上位の成績で通過できたのだ。少しくらいなら気を抜いて、ゆったりとした時間を満喫しても良い、はず。


 部屋に一つだけ据え付けられた窓からは、穏やかな日差しが差し込んでいる。こんな日は、どこか過ごしやすい木陰を見つけて、そこで秘蔵のビスケットでもつまみながら読書と洒落込もう。冬の終わり頃から校庭に住みついている痩せ猫に、ビスケットを分けてあげても良い。


 コーリーは書き終えた手紙のインクが乾き切っているのを確かめると、それを机の引き出しにしまった。封をするのは送る時で良いだろう。椅子から立ち上がるとちょっとお尻が痛かった。



 窓辺に立ち、両手で思い切り良く窓を開く。

 微かな風が頬を撫でた。

 差し込む陽の光に眼を細める。


 次第に光に慣れてきた眼を見開くと、そこには美しいナザルスケトルの街が広がっていた。

 赤レンガの屋根と、ねずみ色の石壁で彩られた街並み。

 遠くには堅牢な石積みの城壁が見える。


 城門から続く大道には街路樹が植えられ、その両脇で営まれている露店のテントの群れ。まるで色とりどりの布を集めたパッチワークのよう。街中に張り巡らされた水路が陽の光を反射し、街全体を輝かせていた。


 高台にある寮の窓からの眺めは絶景だった。

 麗しき街。我ら人間の首都。永遠の都ナザルスケトル――。

 今日という佳き日を、これから満喫しようではないか、というその時、


「――王女警報! 王女警報!」


 甲高い叫び声が響き渡った。王女哨戒委員の警報だ。

そして爆音、怒号、悲鳴。寮生たちが何事かとコーリーと同じように窓から顔を出す。

校門から女子寮に続く道なりに、黒い煙がたなびいているのが見えた。


――王女様? もう帰ってきたの?

――哨戒委員の子たちと揉めてるって……。

――揉めてるっていうか、なんか戦争始まってない……?

――わー、久々の大規模戦闘だねぇ……。


 安息日の女子寮に、不穏なんだか平穏なんだか、よく分からない空気が流れ始める。


 王女哨戒委員とは、アルネット王女の動向を注視し、王女による被害を最小限に食い止めるために創設された、女子寮独特の役職である。


 王女哨戒委員は三つの班に分かれる。

 授業でわざと王女の近くの席を取って、王女が興味を持っているものや不満を感じているもの、特にその日のご機嫌を探る偵察班。危険だが授業中は大抵王女も大人しくしているため殉職者は少ない。王女の同級生がこれを担う。


 次に、偵察班が探った情報を元に動き回る王女を追跡し、時には一次接触を図り、身を盾として女子寮の平和を守る、強行追尾班。主に経験豊富な上級生がこれを担う。幾人もの英傑が王女に対し決闘を挑み、再起不能にされた。


 最後に、見習い部隊である避難誘導班。一般の寮生に注意を呼びかける役割を持つ。無駄な犠牲となるのを避けるため、見習いである彼女たちが王女と相対することはまず無い。

廊下の様子を窺うと、栗色の髪の下級生が声を張り上げていた。


「王女警報! 王女が接近しています! 寮生は速やかに施錠し、警報が解除されるまで自室で待機して下さい。繰り返します!」

「あの、ちょっと、いつもより大ごとの気がするんだけど」


 尋ねると、下級生は青ざめた顔で言った。


「あ、先輩。すみません。哨戒委員の子が校門で王女様に絡まれちゃって……王女様もウチらに感づいたらしくて、なんかもう戦争みたいな感じに……強行班の先輩らが決闘を挑んで食い止めてるけど、もうダメかも……でもウチ、最後まで女子寮を守りますから!」

「そ、そうなんだ」

「はいっ! 先輩らは隠れててください!」


 バタンバタン、と廊下の並びのドアが次々に閉じられて行く。

 コーリーもドアを閉めて鍵を掛けた。


「王女が接近しています! 寮生は速やかに施錠し――」


 すでに爆音も怒号も聞こえなくなっていた。決着が付いたらしい。

 かわりにどこからか、ドドドド、と地鳴りのような足音が聞こえてくる。


 王女だ。

 アルネット・アイオリア・アナロスタン殿下が女子寮に帰還した。


「王女が接近しています! りょ、寮生は――」


 下級生はまだ必死に避難を呼びかけていた。だがこのままでは、この下級生自身が逃げ遅れてしまうだろう。本人にとっては本望なのかもしれないが……。


 もういいから早く逃げて、とコーリーは心の中で彼女を急かした。

 地鳴りはすでに間近に迫っていた。駄目だ、きっともう間に合わない……。


「お、王女が接近して――あ、あぁ」


 下級生の声が絶望の喘ぎに変わるのを、コーリーはドア越しに聞いた。

 ぎゅっと目を閉じて、勇敢な下級生の魂が、喜びの野に召されることを祈る。

 だが、明るい栗色の髪が、決意を秘めた瞳が――その奥に隠されていた彼女の恐れが、脳裏にちらついてしまう。


「…………くっ!」


 やむを得ず、コーリーは部屋に下級生を引き入れた。

 視界の隅に走り込んでくる王女を捉えたが、構わずドアを閉め、素早く鍵を掛けた。


「せ、先輩……? どうして」

「しっ! 黙って。ベッドの下に隠れて息を殺して。何があっても喋っちゃダメ」


 鋭く言いつけると、コーリーは下級生をベッドの下に押し込み、自分はベッドに腰掛けて、スカートの裾で彼女を隠し、耳を塞いで祈った。

 ――どうか、アルネット王女が向かいの自室に入りますように。私と下級生の姿を見つけていませんように……。

 しかし、


 ドン。

 ドアが叩かれ、コーリーはびくっと肩を震わせた。ベッドの下から、ヒッと息を飲む声が聞こえた。

 

 ドン、ドン!

 より強く叩く音がするが、無視する。


 ――留守です。この部屋は無人です。中に誰も居ません。だから、どうか……。

 目を閉じて念じていると、何やら焦げ臭いにおいがしてきた。

 うっすらと瞼を開けると、部屋のドアが、その中心からぶすぶすと黒く炭化していく最中だった。王女の火の精霊法だ。


(ひいっ! 放火魔!)


 コーリーは恐怖に慄いた。そして、

 ガンッ、バキッ!


 ほぼ炭と化したドアを蹴破り、部屋に侵入してきたのは、アルネット王女だ。

 小柄な体躯を濃緑の制服に包み、背中に流れるのは輝く銀髪。燃える双眸は、青みがかった深い深い翠だ。〈学びの塔〉で最も美しく恐ろしい存在。


「ノックを聞いたら返事をしたらどうじゃ。おかげでドアが一枚壊れた」


 いいえ、貴女が壊したのです……。

 子供らしい高く澄んだ声だが、その威圧感は半端ではない。

 炭の欠片を踏み割りながら、アルネットがコーリーの部屋に入ってくる。


「わらわの顔を見るなり逃げ出しおった不届き者らの一人が、この部屋に逃げ込むのを見た。差し出すが良い」


 ばっちり見られていた。 コーリーは、もっと奥に隠れなさい、と踵で下級生に合図を送りながら、開け放したままになっている窓をそうっと指差した。


「その不届き者ならそこの窓から出て行きました。猿のような身のこなしで、声を上げる間もありませんでした……ほんともうびっくり」

「ほう、この窓から」


 言って、アルネットは窓辺に歩み寄った。

 王女の銀髪が陽光にきらめき、風を受けてさらさらと揺れる。

 自分と違って絵になるなぁ、と思いつつも、

 コーリーは下級生が王女の死角に入るよう、じりっじりっと座る位置を変えた。


「……高いのう。見晴らしも実に良い。ここから飛び降りたのなら、まさしく猿のような輩であろうな。そういえば逃げ足もずいぶん速かった」

「そ、そうなんですか、あはっ」

「ところでそなた、先ほどからいささか不敬ではないか? 王女のわらわがこうして立って話しておるのに、何故そなたは座っておるのじゃ?」

「お、お尻が痛くて立ち上がれないのです。どうかご容赦を」


 立ち上がって足を退けてしまったら、ベッドの下に隠れている下級生が見えてしまう。お尻の下から、悲痛なほどの緊張感が伝わってくる。

 アルネットは鷹揚に頷き、コーリーの足元辺りをちらりと見た。


「そうか、ゆるそう。――また話は変わるが、そなた、動物を飼っておるか?」

「えっ、実家で、でしょうか? 両親が馬や羊を」

「ちがう。この部屋でだ。猿のようなにおいがする……そう、そなたが尻に敷いておる寝台の下から」


 ひいいぃぃぃぃっ。気付かれてるっ!

 滝のような大量の汗が背中を流れ落ちて行く。


 がたっ。


 ベッドが揺れ動いた。

 馬鹿っ、と下級生を叱責したい衝動を何とか堪えた。

 アルネットの眼はベッドに釘付けになっている。まずいまずい。

 何とかして誤魔化さなければ、自分もベッドに隠れている下級生も、消し炭にされて死ぬ、かも知れない。少なくとも死にたいくらい酷い目に合う。


「今のは?」

「……おっ」

「『お』?」


 瞬間、コーリーの胸中を葛藤が渦巻いた。

 言わざるべきか。言うべきか。言わなければ自分も下級生も助からない。だが言ったとしても助かるとは限らず、自分は大切なものを確実に失うだろう。コーリーは決断した。一縷の望みに賭けた。


「……………………おならです。猿みたいなにおいも、きっとそれです」


 死にたい。


 ついさっきまでは、ちょっと贅沢して優雅なひとときを……などと考えていたのに、なぜこんなことに。

 ああ――インク。インクをあと少し早く使い切っていたならば、私は街に買い物に出かけ、こんな騒動に巻き込まれることは無かったろう。乙女の尊厳をかなぐり捨てた甲斐もなく、アルネットは誤魔化されなかった。当然である。腰を屈め、床に手をついてベッドの下を探ろうとする。


「信じられぬ。この目で確かめて――」

「お、王女殿下ともあろうお方が、はしたないですよっ!!」


 もう失うものはあんまりない。コーリーは喉も裂けよと絶叫した。

 どの口がそれを言うか、という目をアルネットが向けてくる。コーリー自身もそう思う。それでもアルネットは王女として思うところがあったのか、床に額づいてベッドの下を探るのは思い止まったようであった。アルネットは翠の双眸で、コーリーの榛色の眼を見つめた。


「――近頃、わらわの周りをうろつく不愉快な猿どもがおる。わらわは見つけ次第、一匹一匹駆除してきた」


 きっとそれは再起不能にされた王女哨戒委員の子たちです。

 でも、その他のメンバーが誰とかは、口が裂けても言えません。私が女子寮で裏切り者扱いになってしまうから。

 じいいぃっと、心まで見透かすかのような眼差しで、アルネットはコーリーの眼を覗き込んでくる。


「猿にかまけるほど暇ではないが、もし猿に飼い主がおるのなら、是非会いたいとも思っておった……」


 こ、怖い。年下の子のはずなのに、すっごく怖いっ。

 すぐさま目を逸らして飛んで逃げたいのに、目を逸らせない。

 すでに乙女として大事な何かを失ってしまったが、目を逸らしたら他にも何か失いそうな予感がする。生命とか。


 しばらくの間、見つめ合った後、アルネットの方が先に視線を逸らした。


「……猿どもの飼い主を見つけたら、わらわは容赦せぬ」


 アルネットはそう言い残し、踵を返した。ばらばらの炭となったドアの残骸を踏み越え、廊下を横切り、この部屋の向かいにある自室へと向かう。


 バタンと王女の部屋のドアが閉じると同時、コーリーはばたんと仰向けにベッドに倒れた。もはや精も根も尽き果ててしまった。

 ベッドの下から、極度の緊張状態から解放された下級生の嗚咽が漏れ始める。


「うぅっ、うっぐ……ふっ、ぶええぇぇぇん!」


 優しい先輩としては、泣きじゃくる後輩の背をさすって、もう大丈夫だよ、怖かったね、と声を掛けてあげるべきだったかも知れない。いつものコーリーならそうしただろう。しかし、今はそれすら出来ないほど精神的に疲れ切っていた。


 廊下がざわつき、寮生たちが集まり始める。

 説明する気も起きない。本当に、なんなのだ今日は……。


 その日の深夜。


「……ぐしゅっ! べくしゅっ!」


 毛布にくるまりながら、コーリーはくしゃみした。

 春とはいえ、まだ夜は冷える。まして、廊下側からしんしんと浸み込んでくる冷気を遮るはずのドアが、今日は失われていた。


 その日見た夢を、コーリーは覚えていない。



     ◇◆◇



 翌日。

〈学びの塔〉各所の掲示板に、次の文書が貼り出された。



『――下記の者を退学処分とする。


   三年生 コーリー・トマソン


   アーベルティナ歴十五年 五の月二週 銀兎の日 学長クラッグ・トート』


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