88話:教わった力から強化が始まりそうです
アイリーンの放った水の魔法により、スタジアムの中は大洪水に見舞われていた。
観客席は、強力な結界で守られているので水が浸入する事は無いが、まるで大波が防波堤を襲っているかのように波が押し寄せている。
安全と頭の中では分かっていても、この迫力に身構えてしまう天使がほとんどだった。
そのアイリーンはというと自らを泡の結界で守り、この大洪水の中、全く流される事無く、平然と立ちつくしていた。
数分間にも及んだ大洪水は、アイリーンが指を鳴らすと何事もなかったかのようにスゥっと消滅した。
「スタジアム壊したら、次の試合まで直すの私じゃない。
危なかったわぁ、やりすぎるところでした」
アイリーンは、汗を流していないにも関わらず、額を拭うような仕草をして、わざとらしく焦っているような演技を見せた。
「あら?」
しかし、その表情は、ほんの一瞬だけ曇ってしまう。
大洪水で仕留めたはずのペネムエの亡骸が見当たらないのだ。
「魂まるごと消滅したかしら?」
アイリーンは、無邪気な笑顔で首を傾げたが、すぐに真顔になる。
「な訳ないわよねぇ!? どうやって回避したのかは分かりませんけど!!」
真後ろには、空中から神槍ブリューナクを突き刺そうとするペネムエの姿があった。
しかし、あと拳一つ分の距離でアイリーンに届くかと言うところで発見されてしまった。
【アクア・バレット】
アイリーンが振り向きながらを、軽く右手をペネムエの方へ向けると数え切れないほどの小さな泡の玉がペネムエに向かって一斉に放たれた。
だが、その全てがペネムエの体をすり抜けていく。
「あらあら残念」
それでもアイリーンに驚いた様子は、まるでない。
「瞬間移動で後ろに回り込んで攻撃、という幻術を見せての、隠密で姿を潜める。
まぁ天使の戦術としては35点、ギリギリ赤点回避ってとこかしらね?」
目を3秒ほど閉じたアイリーンは真上に魔法の杖を掲げると、肉眼では誰もいない一か所へ黒い雲を発生させた。
その雲からは、鋭い針のような黒い雨が嵐のように降り注いだ。
【コールド・エリア】
誰も見えない所へ放たれた黒雨の嵐の中から、ペネムエの声で呪文が響くと黒雨は無害な雪へと変わる。
スタジアムの一部分が美しい銀世界へ変わった所で、ようやくペネムエが姿をみせる。
「あらあら、触れたらほぼ即死の毒を混ぜたのに、おかしいわねぇ。
【アクア・スパイラル】」
首を傾げながらも、アイリーンはすぐに次の手に打って出た。
らせん状の水が、するどい槍のようにペネムエへと放たれたのだ。
「はっ!!」
しかし、その攻撃もペネムエに届く事は無かった。
気合の入った声と共にブリューナクを一振りすると、アクア・スパイラルも消滅してしまったのだ。
観客の天使からも、ここまで観戦して、ようやくザワつく声が聞こえてくる。
「人形がアイリーン様を押しているのか?」
「いや……押してるは言い過ぎ……」
「それでも、アイリーン様の攻撃を裁くとか、あり得ないだろ……」
おのおの感想や見解を口にしているが、いずれも驚きの声だった。
「うーん……これだけ防がれると、流石に落ち込むわねぇ。
12神官になっちゃういと、実戦の機会は減るから私も腕が落ちたかしら?」
アイリーンの落ち着いた表情とキョトンと首を傾げる仕草からは、どこまで本気で話しているんのか誰にも判断ができない。
【アイス・プリズン】
それでも余裕も感じられる、アイリーンの周りを氷の鎖が囲い、その姿を覆った。
彼女の体を守っている泡の結界ごと凍ってしまい、そのまま氷の鎖に締め付けられ、周りの氷の破片が飛び散った。
氷の破片が全て地を転がり、視界が開けたが、そこにアイリーンの姿は無かった。
数秒が経過すると、氷の破片が、ひとりでに一か所へと集まり、巨大な氷の塊となった。
さらに数秒が経過すると、その氷はアイリーンの姿へと変化した。
「液状化したまま凍らされるとは思わなかったわ」
まだアイリーンの表情や仕草からは余裕が感じられた。
しかし彼女が、床に落ちていた数滴の赤い血痕を見つけたことで表情は一変した。
「血……? この私が人形を相手に?」
頬に触れると、手にも血がわずかに付着した。
先ほどのアイス・プリズンは、アイリーンの液状化を貫通し、痛みを感じない程度ではあったが確実に体を傷付けていたのだ。
「ここで『人形ごときがぁ!!』って怒りに任せて攻撃するのは簡単ですが……」
考え込むように顎に手を当てると、何かを閃いたように、泡を3つほど打ち出して来た。
その泡を、ペネムエがブリューナクで振り払ったが、泡の中から水が零れ出してきて体はびしょ濡れになってしまった。
しかし、濡れただけでダメージを負った様子はない。
「まさかとは思ったけど、今ので確信したわ。
あなたは試合開始からほとんど言葉を発していない、そして私の魔法の洪水は打ち消せたのに、泡の中に隠した『ただの水』は防げなかった。
魔法だけを打ち消す技術【マジカル・スレイヤー】
現在、天界でそれを使えるのは……オーディン様だけね?」
アイリーンは上空の席へと座るオーディンの方を睨みつけた。
だが、その話までは聞こえるはずもない。
*
(ペネムエ……一日でよくマジカル・スレイヤーを物にした……
だが相手が悪すぎる……いくら神器の奥義への一歩となる技術でも、長くわ持たんぞ……)
*
そのオーディンの不安は、すぐに的中することになる。
「その技術は魔力を視覚で捕らえる必要があったはず……
それには集中が必要だから、さっきから何も話してないのよね?
それに……」
アイリーンが手をかざすとペネムエの体をいくつもの衝撃を襲った。
「やっぱりね、単純に隠密効果のある攻撃には対処できない。
まぁオーディン様くらい実力があれば、こんな子供だまし通用しないでしょうけど」
【絶対零度Lv230】
余裕の表情を浮かべしゃべったアイリーンに向かい、ペネムエは絶対零度を放った。
ゼウの時よりも素早く、威力も段違いだった。
スタジアムは観客席を護る結界の表面も完全に凍ってしまっている。
「話していなかったのは、集中力を高めるため。
ですが、マジカル・スレイヤーを使うためではなく……
今、わたくしにできる最大の魔法を打つためです」
体力も魔力も消耗し、ブリューナクを杖のようにして立つのがやっとの状態だったが、ペネムエはこの攻撃に絶対の自信を持っていた。
12神官の1人に向かって放たれた強力な魔法に、観客からもドヨメキが起こる。
「なぁ、たしか公式試合のルールって」
「相手の動きを30秒止めたら勝ちだ、これだけのレベルの絶対零度、いくらアイリーン様でも30秒で脱出は無理……なんじゃないか?」
そんな声が上がっている。
この光景には、オーディンも驚いていた。
(マジカル・スレイヤーの習得で基礎魔力が向上したとはいえ、ここまでとは……
ペネムエ……ワシを超える天使となるかもしれんな)
その表情は驚きながらも、孫を見つめる祖父のような優しい目だった。
しかし、その表情は一気に冷めてしまう。
絶対零度により凍っていたスタジアムの氷が次々と水に変わっていき、やがて水滴すら残らず消滅したのだ。
「そんな……」
ペネムエの表情も、絶望へと変わってしまった。
「30秒くらいなら私を止めれると思った?
残念、私は水の魔法を得意とする12神官よ? 氷なんて冷えすぎた水ですから、あなたが放つ程度の氷なら簡単に操れるのよね」
「いくらなんでも……そこまで……」
習得した魔法の数だけなら計り知れないペネムエ、しかしそれら全てが12神官に通用するレベルでないのは彼女が一番理解していた。
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