軍師ナーリャニアの好奇心を疼かせるもの
軍師ナーリャニア視点
女王が治める国サジャは、神の加護に依って成り立っている。
かつて人の住むことの出来ない土地だったサジャに、巫女であった初代女王シェリは神を招き、自らの身と引き換えに人が住める土地になるよう加護を頼んだ。
神は女王シェリと婚姻を結び、やがて二人の間に二人の子供が産まれる。半神半人の子供だった。
月日が経ち女王シェリは人の身を捨て神となる。遺された二人の子供はより神の血が濃い方が女王となった。神は自らの血が濃い子孫が国を治めることを条件に加護を与え続けるとしたため、産まれた順ではなく神の血が濃い王族を直系とするようになった。
王家は近親婚を推奨するようになる。神の血を絶やさぬ為、半神半人の血をそのまま遺す為、近過ぎる血族同士で子を産み続けた。
そして濃くなり過ぎた神の血に人の身が耐え切れず、王家に異形が産まれる。
異形は神に認められなかった。
女王が居ない国はあっという間に荒れ果てた。毒の大地では作物は育たない。毒の大地は上にあるもの全てを腐らせる。女王が居ない五年程の間に生物の半分以上が死に絶えた。
新しい女王は王家の傍流だった。数代前の女王の弟が、気まぐれで手を付けた奴隷の子孫。その頃王族と呼ばれていた全ては既に絶えていた。
女王は近過ぎる近親婚を禁じた。半神半人の血を絶やしてはならない。けれど濃くし過ぎてもいけない。数代に一度血の濃くない王族同士で血を交え、それ以外の時はけして王族同士血を交えないように、と。
そうして王家は慎重に交配を重ねた。過ちを繰り返さないよう、滅びの種を芽吹かさないよう。
それは初代女王の時代から千年経っても、過ちにより国が滅びかけてから数百年経っても、守られ続けている───。
女王ファラナルアは暗殺によって命を落とした。
首謀者は貴族カレット・ラスティとその息子サファル・ラスティ。カレットは名君として名高かった女王ファラナルアを弑し、名君の片鱗を見せつつもまだ幼い王女ミラフィアナをサファルと結婚させ、王家の外戚として権力を得ようとしていた。神の加護を得るためには神の血を引く女王を立てなければならないが、女王を傀儡としてしまえば自分が王のように振る舞えると考えたのだ。
しかしカレットの計画は失敗した。
カレットは王宮に多くの暗殺者を送り込み、王女ミラフィアナを捕らえると他の王族全てを暗殺する予定だったが王子フェイフを暗殺することが出来なかったのだ。
王子フェイフは王宮を脱出し、捕らえられた妹ミラフィアナを救出する為兵を率いてラスティ親子と戦い、無事ミラフィアナを助け出すことに成功する。
そして王女ミラフィアナは、亡くなった母ファラナルアの後を継いで女王となる筈だったのだが。
「この度の戦で、反逆者カレット・ラスティに追従した者達は皆戦死した。よってこの議会を開くにも些か人数が足りない為、空いた席を埋める必要がある」
新しい女王は戦後最初の議会でそう口にした。
ミラフィアナが女王となっていても予定していた最初の議題はそれだったため、議会は混乱もなく粛々と進められる。都合が良い、とは到底思えなかったが。
反逆者カレット・ラスティ。彼がミラフィアナを捕らえ王宮を占領して最初に行ったことは議員の入れ替えだった。
ファラナルア女王の時代、議会は大まかに三つに分かれていた。ラスティ家筆頭の魔術推進派、レクバーン家筆頭の軍部増強派、どちらにも属さないソリクファ家筆頭の中立派。細かく分ければそれ以上になるが、集団が形成されれば誰しも上に立つ者を求めるもので、上位貴族でありそれぞれ優秀な人材を輩出するその三家に追従する者が多かった。
カレット・ラスティはミラフィアナの後見として、幼い王女の代わりに自らが女王代理として政治を動かすことを宣言。そしてラスティ家に従う魔術推進派を議員に取り立て、他の軍部増強派や中立派の議員を追放または粛清した。現在、追放された議員は皆王子フェイフの元に集い、取り立てられた魔術推進派の議員はラスティ親子とフェイフを旗印とする内乱の中で皆戦死している。
つまり、今ここにいる者は正式な議員ではなく、フェイフに従って内乱を勝ち残った者と内乱終結後に王宮に駆け付けた者だ。内乱のせいで国は荒れている。一刻も早く復興するには議員を選び、それぞれにすべき事を与えなければならない。復興作業とは女王一人で手が回るものでは無いのだから、議員一人一人に仕事を振り女王が纏めるという形が一番効率がいい。と、ナーリャニアは思っているのだが、この新しい女王がどう思っているのかは分からない。
新しい女王はとにかく謎でしかない存在だ。
誰も知らない人間。王族であるという証のその美貌は目立つものなのに、彼女を知っているものは誰もいない。先代女王ファラナルアと良く似た顔なのだから誰かしら知っていてもおかしくない筈なのに、ここまで王族と良く似た娘の話など誰も聞いたことがないという。髪と瞳の色もこの国では王族にしか出ない色な為、誰もが一目見た瞬間王族と分かるものなのにここ数十年彼女に該当する王族の話など出たことがない。
何処で産まれ何処で育った誰の血筋なのか。そして今一番気になるのが、女王となって何をするつもりなのか。
顔を覆う羽扇の下でナーリャニアはにんまりと笑う。主であるフェイフから胡散臭いと言われる笑みだ。ナーリャニアは今、楽しくて楽しくて仕方が無い。なんせ、これから復興作業という楽しくない仕事が待ち受けていて気が滅入っていたところに、謎の女王という謎解きのネタが転がり込んできたのだ。復興作業の合間、暇潰しに女王のことを考えるのはどれほど楽しいだろう。
まずは、女王が誰を議員に選ぶかが気になる。あの反逆者カレットが議員を総入れ替えしたのは自分の味方のみを側に置いておく為だった。恐らく女王も同じく味方で周りを固める筈だ。例えそうでなくとも信頼出来る者の一人や二人近くに置く。女王が誰を選ぶかで女王の味方が分かる。
ああ、胸の高鳴りがやまない!
「軍師殿」
「───はい」
羽扇で顔を隠したままナーリャニアは立ち上がった。扇の下で密かに興奮していた事などお首にも出さない。少し驚いたなんてことも誰にも気付かれないよう悠然と振る舞う。大切な主に恥をかかせる様な真似は出来ない。ナーリャニアは、王子フェイフの軍師として誇りを持っているのだから。
「軍師殿は王子フェイフのもと多大なる功績を上げたと聞いている。その頭脳のおかげで王子が率いる軍は負け無しだったとか⋯⋯ゆえにわたくしは、お前のその功績を讃え宰相として取り立てたいと思う」
「あら⋯⋯私はもとは農民の出ですけれど」
「関係あるまい。お前のことは国民全てが知っている。誰も反対はしないだろう」
高揚する。ナーリャニアは、思わぬ出来事というものが大好きだった。フェイフから宰相となることを打診された時は扱き使われるのが目に見えていた為即座に断ったが、謎の女王からの指名とあればどんな予測のつかないことがあるのかと、そちらの方が気になってしょうがない。
ちらりと横目でフェイフを見下ろせば、フェイフは少し悩む様な仕種をした後ナーリャニアを見上げて艶やかに微笑んだ。好きにしていいらしい。
「新女王陛下のお申し出を、謹んでお受け致します」
胸の前で左拳の上に右手を重ね腰を折る。礼をとって顔をあげれば、先程まで仏頂面をしていた女王が艶やかに微笑んでいた。王子と女王、そして王女と先代女王、よく似ているとしみじみと思う。
血筋はそう遠くない。
「では宰相ナーリャニア。左大臣に王女ミラフィアナ、右大臣に王子フェイフを据え、その他の議員をお前の采配で決めよ」
「⋯⋯殿下方を遠ざけは致しませんの?」
「遠ざける必要があるのか?」
謎が深まる。女王は簒奪者だ。普通ならば他に王位を継げる者が居るなら殺すか遠ざけるかするだろうに。しかも議員の人選を全てこちらに一任するときた。あまりにもこちらに都合が良すぎるし、何か企んでいると考えるのが自然だ。
「本当に私が全て決めていいんですのね?」
「最終的な決定権はわたくしにある。問題があれば都度口を出すだけだ」
ふむ、と下唇を噛む。この様子だと女王は初めから自分で議員を決めるつもりなど無かったのかもしれない。自分の手駒は議員という表舞台に出さず影に控えさせておくのか、もしくは既に議員に選ばれそうな者を今集まっている者の中に潜ませているのか。
ナーリャニアには分からない。軍師と呼ばれてはいるが、ナーリャニアは頭が悪いのだ。ナーリャニアにある才は、個人個人の得意な事を見分け相応しい役割を与える事と一度見たことは忘れないという記憶力、そして興味が湧いたものに対する好奇心だ。ナーリャニアは自分で考えるということがすこぶる苦手だった。
そんなナーリャニアのその才を上手く利用し、軍師に仕立てあげたのは王子フェイフである。
ナーリャニアは主に指示を仰ぐ。自分で決める事など出来はしない。自分で決める気など無い。フェイフはやはり、艶やかに微笑む。
「それではまず、重要性の高い役職から⋯⋯」
頂点に立つ者は違ってもやることは変わらないということだろう。予め決めていた通りに役職を埋めていく。上位になるのは当然ながらフェイフの軍で共に戦った信頼する仲間達だ。今までは王家と一線を引いていた者もいるが、ここにいるのは皆フェイフの為人を見て今後王家に仕えてもいいと言ってくれた者達ばかり。この中に新しい女王と通じている者がいるとは正直考えたくはないが、この状況を鑑みるに少し疑っておいた方がいいかもしれない。フェイフはきっと仲間を疑うことは無い。疑うのはナーリャニアの役目だ。
一人決める度に女王を見る。少しの変化も見逃さないよう頭から足まで、けれど悟られないよう極自然に。そう簡単に分かるとは思わないが。
「宰相閣下に申し上げます」
「⋯⋯どうぞ」
あらかた役職を決め終わった頃、前触れなく声が上がった。それなりに離れた場所にいた、仲間の輪に入っていない中年の男だった。内乱に参戦していた者ではない。戦いが終わってからこの王宮に駆け付けたのだろう、ナーリャニアが一度も見たことの無い顔だった。あまり好ましいと思えない雰囲気の男だ。にこにこというよりはニヤニヤという表現が合う笑みを浮かべた男は、少し腰を屈めて上目遣いにナーリャニアを見る。───女王が、動く。
「女王には伴侶が必要です。歴代の女王は皆王配を迎えてから即位しております。王配は騎士長も兼ねておりますし、民の不安を減らす為早急に騎士長の座を埋めるべきと思います」
誰にも口を挟まれないようにと思っているのかやや早口に捲し立てる男は、自分が今どんな顔をしているのか分かっていないのかもしれない。醜い男だ。欲を隠すことも出来ないようでは上を目指すのは難しいだろうに。
「戦時中、私は病に倒れており参戦することが叶いませんでした。今更ではありますが王家に尽くし、何か力添え出来ればと思っております。我が家には陛下と似合いの年頃の息子が居るのですが親の贔屓目を抜いても腕の立つ男です。陛下の王配候補にどうかと思うのですが如何でしょうか」
病に倒れていたと言うには肌ツヤも良く腹の荷物もしっかり蓄えているようだが、どんな病に罹っていたのだろう。おまけに自分の息子を王配候補に、とは大きく出たものだ。駆け引きのかの字もなく直球で来るとは、ただの馬鹿なのか何か考えがあるのか。それとも既に女王が取り立てると決まっているのか。
女王はほんの少し前のめりになりながら微笑んでいた。
「失礼ながら、私は貴方の名前を存じ上げません。名乗っていただいてもよろしいでしょうか」
「おお、そういえば宰相閣下とは初対面でしたな。こちらは宰相閣下をよく知っていたもので失念しておりました。私はジャルグル・テフムーラと申します」
テフムーラ家。家名だけならナーリャニアも聞き覚えがあった。とても古い家系だ。あまり目立った功績は無いが、二代目女王の時代にテフムーラ家から王配が選ばれ貴族に取り立てられ、辺境の領地を与えられて以降堅実に領地運営をこなしているという一族だった筈。辺境といっても他の隣国と接した辺境伯と違い、神の森とこの国との境の土地である為戦火に巻き込まれることもなく、他領と諍いを起こすことも無かったためそれ程重要視されておらず、ほぼ忘れ去られた貴族だ。
ナーリャニアも、存在は知っていても名を出されなければ思い出すことは出来なかっただろう。
「それで、御子息を陛下の伴侶にとのお話ですが⋯⋯現段階では何とも言えません。陛下が是非にと望まれる方ならばすぐにでも準備いたしますが、今はまず内乱により荒れた国内を平定するのが先ですので」
「騎士長の座はどうするのですか。騎士長は軍を総括する者、空位のままでは支障がでましょう」
「代理を立てれば良いことです」
候補に、とは言っていたものの何とか今自分の息子を王配に決めてしまおうとしているのが見え見えだ。今は何も言ってこないが他の集まった貴族達も多くは同じ目的だったのかジャルグルとナーリャニアの会話に聞き耳をたてている。王配は騎士長としてこの国の全軍の指揮権を持つが、政治に関わることは出来ない。そういう建前はあるが、女王が愚王であったり幼い場合は王配が実権を持つこともある。カレット・ラスティがそうであったように、本来王になるはずだった幼いミラフィアナを操ってこの国を好きに支配しようと考えていた者は少なくないだろう。
結局ミラフィアナは王にならず、全く情報の無い女が王となって慎重に動こうとしているものが多いようだが、一体この中の何人がミラフィアナを傀儡としようと野心を抱えてこの場に集まったのか。
「陛下、我が家は、テフムーラ家は必ず陛下のお役に立ちましょう。蓄えもそれなりにありますし、血筋も古い。陛下の後見をするのに申し分無い筈です」
「────わたくしに、後見が必要であると?」
「当然でしょう」
笑い声が響き渡る。抑えたような笑い声だが、高い天井のせいでよく反響する。控え目に口を覆い笑う女王は、しかし酷く冷たい目でジャルグルを見下ろしゆらりと立ち上がった。
瞬きを一つ。女王が動くのを目にすることは出来なかった。
「──────っひ⋯⋯!」
剣が一振、ジャルグルの喉元に突き付けられていた。柄を握るのは真白い手。白い手は白い腕に続き裾の長い袖に隠れ、その上に婉麗な笑みを浮かべる顔がある。
女王がその距離をどう越えたのか。理解は出来ないが今確かに、一番奥の王の席から最も遠いジャルグルの目の前に、女王は立ってみせた。
「隣国キュラに、ある有名な山賊の一味がいた」
女王として名乗り出た時のように、女王が諳んじる。
「頭の名をジャルグル。山賊は十数年程前からぱたりと姿を見せなくなった」
ほのかに騒めく。ジャルグルは剣を突き付けられた恐怖からか女王の話す内容にか瞳孔をこれでもかというほどかっぴらき、次第に顔色を悪くしていく。
「神の森との境に街があった。二十五年前、領主セファル・テフムーラは若くして腹に子のいる妻を残し病で帰らぬ人となった。親兄弟、親族もおらず、妻のニーアが身重の身で領主の座を継いだ」
ジャルグルの身体がぶるぶると震え始める。先程までのいやらしい笑みは消え失せ、能面のような顔で女王を見続けていた。瞳だけが恐怖という感情を顕にしている。
「産まれた子はテフムーラ家の血筋の最後の一人だった。しかしその子はニーアの手により捨てられ、今現在消息不明となっている。ニーアはその後産後の肥立ちが悪く数ヶ月もしない内に亡くなり、テフムーラ家の領地は隣のミェリー家の領地に合併された」
つ、とジャルグルの首から一筋血が垂れた。
「これはわたくしが知る一つの噂と、テフムーラ家の領地に関する議事録の内容の一部だ。───さて、ジャルグル・テフムーラ、お前は一体何者だ?」
次いで議会場に響いたのは、悲鳴とも雄叫びともつかない叫び声だった。ジャルグルの鞠のような巨体が踵を返し、一目散に出入口の扉へと転がる。扉へとその太い指がかかった瞬間、どすりと鈍い音と共にジャルグルの背に銀の輝きが生えた。女王が手にしていた剣だと気付くのに、少し時間を必要とする。
ジャルグルの手のひらまでが扉にピタリとつけられ、けれどその手は扉を押し開くことは無くズルズルと身体ごと床に沈む。
誰もが動く事も出来ないうちに、貴族を騙った男はあっさりと命を散らしていた。
「宰相ナーリャニア」
「⋯⋯はい」
「兵か騎士を数人、テフムーラ領に向かわせよ。その男が言っていた蓄えを復興の為の資金として使わせてもらう。⋯⋯自ら役に立つと言ったのだ、本望だろうよ」
女王は嗤う。そしてジャルグルを見ていたのと同じ目で、未だ呆然としたままの男達を見渡した。ナーリャニアの仲間達ではない、内乱が終わってからのこのこと顔を出してきた蝿のような連中だ。
ナーリャニアは袖を引くフェイフの手に視線を落とす。女王がジャルグルに剣を向けた時、本当はナーリャニアは止めようと動き掛けたのだ。それを止めたのはこの手だった。フェイフの隣にいるミラフィアナも、護衛として傍に付き従っている騎士を袖を掴んで止めている。仲間として内乱を共に勝ち抜いてきた者は皆動きを見せていない。
フェイフとミラフィアナは、女王の暴挙をわざと見逃した。
「女王陛下の御心のままに」
ミラフィアナが女王となっていても、ジャルグルのような手合いは湧いてくるだろう。するとどう足掻いても、追放か粛清をしなければならない場面が必ず出てくる。内乱のすぐ後に幼い女王が行うには民の心象が悪過ぎるが、避けられることではない。ミラフィアナが女王となった時を想定すると、それをどう乗り越えるかが最大の課題だった。
そんな時に現れた新たな王族。
女王は一度王位に就くと、二度と王城からは出られない。神の加護を国が受け続けるには女王という媒介が王城に存在しなければならないと定められているからだ。ナーリャニアはフェイフの嘆きを知っていた。父と母を殺され妹が捕らわれ、這う這うの体で逃げ出して何とか信頼出来る味方を見つけ戦いの火蓋を自ら落としたフェイフという成人もしていない少年は、がむしゃらに戦い続けた末に妹を取り戻した時、喜ばなかった。
次期女王と定められた歴代の王女達は、譲位されるまでに国中全てを自らの足で回る。即位すれば死ぬまで王城から出られない為、出られるうちに外の世界を知っておくのだ。けれどミラフィアナはまだ幼く、王都までしか出たことがなかった。
味方をかき集める為国中を駆け巡った王子は、妹を狭い王城に閉じ込めねばならないことを嘆いて慟哭した。だからその時ナーリャニアは思ったのだ。───ああ、他に王族が居れば、と。
これは賭けだ。
女王はフェイフとミラフィアナを大臣に任命した。少なくとも今すぐに二人の命が狙われることは無い。女王が何を思い何を考えているのかは不明なままで到底都合が良いとは言えない状況だが、ナーリャニア達が夢想した都合の良い存在に新たに現れた王族はうってつけだった。
フェイフとミラフィアナは得体の知れない女王を利用する覚悟を決めたのだ。
「女王陛下」
澄んだ声に女王が目を向ける。よく似た容姿の少女に向けるその視線は、男達を見ていた時と違って何の感情も浮かんでいない。王女ミラフィアナは微笑んで口を開く。
「ミラフィアナは貴女のお名前が知りとうございます。教えて頂けませんか」
女王が一瞬睫毛を震わせる。ただ一瞬の動作からは女王が何を思ったのか読み取ることは出来ない。微笑む幼い王女と無表情の妙齢の女性、年齢と表情が違うだけの瓜二つな二人に皆揃って目が惹き付けられる。
「⋯⋯わたくしは産まれた時に存在する場所を与えられなかった者。名乗れる名前など持っていない。大層な肩書きがあるのだ、呼び名には困らないだろう」
目を逸らしたのは女王が先だった。踵を返して女王は王の席へと戻っていく。
凛とした立ち姿は孤高、孤独と言った言葉を連想させる。
ナーリャニアは、この女王の正体について思いを馳せた。名無しの女王。何故今存在を明かしたのか、何故内乱直後という面倒臭い時期に女王になろうとしたのか、何故女王になったのか、何故、何故。
知りたいことが今更増えるとは思ってもいなかった。ナーリャニアは内政の混乱が落ち着いたら姿を消すつもりでフェイフからの宰相にならないかという誘いを断ったのに、この女王の存在でつい宰相になることを決めてしまった。
ほんの少し後悔しているが、今更辞めるとは言えない。白と証明出来ないものは黒だ。現段階で女王はフェイフとミラフィアナの敵なのだから、ナーリャニアは敵の居る場所に大事な大事な主を置いていけやしない。ナーリャニアはフェイフの為の盾だから。
騎士が近衛兵に指示を出してジャルグルの遺体を議会場から外に出している。女官達が怯えながらも床に着いた血液を拭い去って、中断していた議会が再開された。決めるべきことは多い。時間は待ってはくれない。
宰相としての仕事は農民生まれのナーリャニアは初めてだが、まぁ何とかなるだろうと奮起する。
「それでは次に、内乱時に攻めてきたシャトゥア国の捕虜について⋯⋯」
ナーリャニアは頭が悪い。難しいことは考えない。ただ知識を披露して、相手に必要なものを選んでもらうのみ。そして好奇心のままに知りたいことを調べ尽くす。
女王の正体。もうこれ以上は調べるものなど無いと思っていたナーリャニアに、知りたいことが一つ増えた。