「自動運転技術と走り屋」
自動車の運転技術が、人間の手から離れようとしている。
目的地さえ設定すれば、人間はただ乗っているだけで目的地まで運ばれる。
設定さえ間違っていなければ、だけど。
事故が完全に無くなることは無いだろうけど、それでも人間が運転している現在より、かなり減るだろう。
もちろん、道路交通法の違反者も「ほとんど」居なくなるはずだ。
なぜ道路交通法違反者が完全に居なくならないのかと言えば、それは当然車の自動運転プログラムを書き換えて使用する違反者が絶対に居るからだ。
今だって違法な(とまでは言わなくても、車検に適合しない)アフターマーケットのパーツを付けて、性能を上げたり下げたりして楽しんでいる人たちがいるのだ。
既にエンジンを制御するコンピュータを書き換えてチューニングする「コンピュータチューン」なんかは普通に存在するので、自動運転のコンピュータだって書き換えられるだろう。
そういうことをやってる人の中には、もちろん合法なレース場内でのみ、マシンの性能を極限まで引き出した走りを楽しんでいる人もいる。
でも大多数は公道で、不必要なパワーやスピードを楽しんでいるのだ。
さて、そんな人たち、自称「走り屋」と言う人たちが自動運転社会にどう適合してゆくのか。
もちろん今まで通り、マシンの排気量を上げたりタイヤのグリップ力を上げたりの「物理的な」チューンも行われるだろう。
でも、今とはがらっと変わるのが、運転技術の部分だ。
前述のとおり、運転は人の手から離れてしまっている。
そこで走り屋たちは、自動運転プログラムをソフトウェアチューンして、自分の車がドリフトやパワースライドしながら峠を攻めるようにするのだ。
たとえば、コーナーへの進入角度と速度の閾値を、変更したタイヤの性能に合わせてギリギリに設定する。
コーナーでエンジンの回転数を下げないようにクラッチを自動調整する。
ギアチェンジのタイミングと回転数を変える。
壁や縁石などとのクリアランスをギリギリまで小さくする。
そういうドライビングテクニックの部分が、全てプログラムテクニックにとって代わられるのだ。
この時点で、走り屋は峠を攻める際に、危険な車に搭乗している必要は無くなる。
極限までチューンした『峠仕様』の車を走らせ、それを沿道から観察するだけ。
当然、F1やNASCARなどのレースにもドライバーは不要となる。
しかしそうなった時、ぼくたちは今のように熱狂することが出来るだろうか?
……まぁたぶん「実物大ミニ四駆」のレースくらいには、楽しめるのかもしれないなぁ。