「仮想現実と人間の未来」
ほんのすこしだけ、未来の話をしようと思う。
もはや一般常識の類となったVR(仮想現実)と言う技術の名前を皆さんもよく聞くことだろう。
ぼくも小説でスマホと専用のコンタクトレンズを結合し、神経細胞へと直接電気信号を与えることによりVR空間を実現するような技術を展開した。
まぁ説明が長すぎて、読者を選ぶ小説になってしまったのだけど。
これに限らず、なろう系のVRゲーム小説では外部デバイスを装着することによって仮想現実を実現することが多い。
ヘルメット型、ヘッドマウントディスプレイ、首筋などの体に接続する機械や、それこそコンタクトレンズまで。
でも実際、VR技術が発展するとしたら、そうはならないのじゃないだろうか。
たぶん一番可能性が高そうなのは、体内へのナノマシン注入によるVRの実現だろう。
いやいや笑うとこじゃない。
これはぼくの妄想じゃなくて……って言うのはちょっと語弊があるかな。
正確に言うと妄想には違いないんだろうけど、「ぼくだけの」妄想ではないと言うこと。
世の中の学者と呼ばれる人たちが、数十年以内にその時は来ると予言している。
血液中に何万、何億と言うナノマシンを注入し、それを介してインターネットに接続し、まずは人間の知識の拡大が起こるはずだ。
常時ネットに接続され、知識を外付けする。
そして次にはニューラルネットワークの外部接続が行われるようになり、人の記憶と知識は、自己の脳内と外部媒体の間でシームレスに接続されるようになる。
このような技術が実現した際には、感覚への信号入出力が基本技術として確立していないとおかしい。
最初の出力は、視覚に文字情報をレイヤリング表示するあたりから。
入力は、視線やジェスチャーあたりだろうか。
そうなるとVR(仮想現実)の前にAR(拡張現実)が当たり前のように行われるようになるだろう。
それはやがて、考えただけで情報を記憶と同じように脳内に投影することができたり、見たもの聞いたものをビッグデータとして扱えたりするような技術となる。
そうなったとき、人間の脳は数万年ぶりに爆発的な進化を遂げたことになるだろう。
人間は進化しなさすぎた。
外部技術の飛躍的な進化に頼り切り、それでなくても緩慢な生物としての進化を放棄してしまったようにも見える。
しかしここに来て、本来なら生物としての人間とは無関係なはずの無機物であるナノマシンと、それに連なる巨大なネットワークが人間と言う生物の完全なる体の一部になることで、人間は進化を再開するのだ。
ここまで来て、VR(仮想現実)はついに花開くだろう。
それこそ小説のような、異世界とも呼べる仮想の世界で、人は現実と同じように暮らすことが出来るようになる。
脳を進化させ、言葉によるコミュニケーションを手に入れ、それまでとは全く違う生物になった時のように、人間は新たな種になるのだ。
さて、ナノマシンとの融合により、人間は今より更なる長寿を手に入れることになってしまった。
それは良い事のように見える。
でも、単細胞生物の時代には無かったテロメアによる細胞分裂の限定化は、生物が進化することによって獲得した「利点」なのだ。
それを捨て去って、人間は本当に良い方向へと進化できていると言えるのだろうか。
その疑問には、老化と死が生物にもたらす利点を考えれば自ずと答えは出る。
人間に限らず、複雑な生物はその生の中での突然変異や進化が出来ない。
だからこそ、自己の複製たる新たな命を産み、外敵から身を守れる程度まで育て、古い命は死んでゆくのだ。
そのサイクルによってのみ、既存の生物は環境に順応し、新たな性質を獲得し、種として生き続けることが出来た。
でも、これからの人間は違う。
生物としての肉体の進化を必要とせず、無機物部分の進化をすることで、一人の一生の中でいくらでも新たな生命体になることが出来るようになるのだ。
そうなった時点で、人間は死を必要としなくなる。
と言うことは、わざわざ老いる必要もなくなる。
必要ないのであれば、ナノマシンによる自動修復で、無限の命を得ることも簡単だ。
いや、ネットワークの中に記憶や知識を完全に移行することが出来るのであれば、むしろ肉体自体が不要になるだろう。
そうなればもう、外部媒体と本体は逆転する。
ネットワーク上に存在する意識や記憶が本体となり、外部媒体たる肉体は、必要な時に必要なものを用意するだけでよくなる。
それも、細胞を持つ生体である必要は無いわけで、一部の好事家が求めない限り、高性能な無機物の肉体が使用されるだろう。
まぁ実は外部媒体が無くてもVRだけで用は足りるんだけど。
こうしてVRの未来を想像していたら、人間は電子データになってこの世界に存在しなくなってしまった。
でもまぁ、そんなに悪い未来でもないような気が……する? しない?