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死ぬまで聞こえなかった音

作者: 秋津呉羽

「『赤い実はじけた』って教科書あったじゃんか、小学六年生の頃に。あれって、実際はどんな音がするんだろうな」

「……? 何を言っているのだね。君は私のことが好きなんだから、既に知っていて当然ではないのかね」

「ぶっ!?」


 耳が痛くなるような寒空の下、俺――八坂翔太やさか しょうたは平然と帰ってきた答えに、思わず吹きだした。軽く咳き込んで顔を上げてみれば、『君は実に馬鹿だなぁ』と言いたそうな顔をした幼馴染の平塚愛梨ひらつか あいりと目があった。


 濡れたようなしっとりとした黒の長髪に、気の強そうな釣り目。背中に流した黒髪にはリボンが一つ結んであり、それがコイツのトレードマークとも言える。顔立ちは……まぁ、その、なんだ……本人には絶対に口が裂けても言わないが、かなり整っていると思う。読モに応募して当選したことあるとかないとか。

 俺は若干焦りながら、朝の通学路を愛梨と並んで高校に向かう。


「な、なんでそうなるんだよ……」

「シラを切る気かね。ここで八坂翔太が平塚愛梨を好きな理由を、100個読み上げてしまっても良いが、君もガラスのハートを持った思春期の少年だ……容赦をしてやろうではないか。寛大な私に感謝したまえ」


 どこか上機嫌な愛梨が、耳当ての角度を直しながら、ふふん、と笑う。見ていて憎々しいほどに余裕たっぷりなのが癪に障るが、いつもの事だ。

 普段の俺ならここで突っ込みの一つもいれるところだが……情けない事に、モゴモゴと口ごもることしかできなかった。


 白状してしまおう……ぶっちゃけ、俺は愛梨が好きだ。


 南極体験をしてみたいと言って防寒着を着て冷蔵庫に入り込んだり、人は何秒間素潜りし続けられるかと言って簀巻きにした俺を風呂に蹴り落としたり、人体の胃の許容量の限界を知る為と言って、フォアグラを作るが如く俺の口に手作りのクッキーを突っ込んだりと……どうしてこんな奴を好きになったのか俺自身が理由を知りたいが、どうにも理屈では説明できんらしい。


 まぁ、人が恋に落ちるのは理屈ではないみたいだ。


 しかも、最悪なことに、愛梨は俺の気持ちを機敏に察知している。同級生の話では周囲にも筒抜けらしいが、決してそんなことはない! ……そうであってくれ、頼むから。


「ふむ、『赤い実がはじけた音』はフレッシュすぎて耳が痛いから……そうだな、恋に落ちる音とでも言おうか」

「言い換えることに何か意味があんの?」

「大人っぽくなる………………今ちょっと馬鹿にしたね?」

「し、してないぞ! してないって!! だから背中に手を突っ込む冷てぇぇぇぇえッ!!」


 ただでさえ寒いのに、冷え性の指先を背中に突っ込んでくるんじゃねぇっ!

 さんざん俺の背中を蹂躙した愛梨は、満足げに手をこすり合わせながら、ニヤッと笑みを浮かべた。


「ふふん、折角だ。君のその青臭い興味を証明してみようじゃないか」

「……どうやってだよ」

「簡単なことさ。君が私をときめかせればいいのさ。私に恋に落ちる音を聞かせてみろ……つまり、私を落としてみろ、と言っているのさ」

「は、はぁ!? お、おま、そ、え、あの……っ!!」

「君は本当に見ていて愉快なほど動揺してくれるねぇ……」


 やめろ! 俺をそんな憐れんだ目で見るな!


 まるで、出来の悪い甥っ子を見るような視線を向けてくる愛梨は、口の端を軽く吊り上げると、背伸びをして俺の額を人差し指で突いてきた。


「大丈夫だ。この私が、私自身を落とす最善の秘策を教えてやろうと言っているのだよ? これはもう、勝ちは確定したというものだよ。まぁ、期待して待っていたまえよ」

「お前、自分が言ってる意味分かってんのか?」

「あぁ、分かっているとも」


 言っちまえば、『私は今日あなたを好きになります』ってことだ。

 本当ならこんなシチュエーション、据え膳食わねば何とやらなんだろうが……愛梨が俺を見る笑顔が、厄介ごとを引き起こす前のそれだ。

 明らかに俺をオモチャにしようという腹積もりだろう。

 だが……。


 ――甘い! そうやって脇が甘い時こそチャンス! 今日こそ俺の男を見せてやるぜ!


 実の所、俺がこう思うところまで愛梨の手のひらの上だったりするのだが……この時の俺は、私を惚れさせて、という割と甘美な誘い文句にすっかり舞い上がってしまっていた。


 しょうがないじゃん、好きな相手からこんな風に言われたら、男ならやる気出るだろ?


「んふふ」

「なに笑ってんだよ」


 どこかくすぐったそうに笑う愛梨に悪態をつくと、パタパタと手を振ってみせた。


「いやなぁに、女冥利に尽きると思ってね」

「は?」

「さ、そろそろ学校が見えてくるぞ。お手てを繋いで登校と行こうじゃないか」

「ざ、ざっけんな! ガキじゃねーんだから!」

「まだ毛も生えそろってない子供の癖に何を言ってるのだね」

「もうは……朝の通学路で何言わせんだこの――――ッ!!」


 ギャーギャーと言い合いながら、俺と愛梨は一緒に校舎へと入ってゆく。そんな俺達に、周囲からは、なまぬる~い視線が注がれていたりするんだが……肝心の俺は、まったくもってそんなことに気が付いていなかったのだった。


 

 ★★★★★★★★



 つつがなく授業が終わり、昼休み。

 俺が同級生の男友達と一緒に、購買のパンを齧っている時にそれは起こった。


 ぴんぽんぱんぽ~ん。


『二年A組、八坂翔太君。生徒会長である平塚愛梨が呼んでいます。至急、屋上へ来るように。繰り返します――』

「げほッ! ごほっ!?」


 焼きそばパンの麺がもろに気道に入った。

 そう、放送の通り、認めたくないが、大変に遺憾だが、何でこんなことになったのか分からんが、世の中どこか間違っていると思うが、平塚愛梨はこの高校の生徒会長だ。

 これは今でも有名な話なのだが……愛梨は公約発表の時に、壇上で発表原稿を破り捨て、『ごきげんよう、高校と言う名の檻で飼われた家畜の諸君』と発言し、もともと寂しかった校長の毛根に致命打を与えたのは、学年を問わず語り継がれている。


 こんな発言して良く当選したなぁ、とも思うが……実際に愛梨は度重なる教師との交渉を実施し、文化祭や体育祭における学生の自治の割合を大幅に増加させた。結果、テンプレートのような祭り消え去り、自由を謳歌した学生の、学生による、学生のための祭りが誕生したという訳である。

 その他にも、愛梨が実施した改革は数知れず……その桁外れた行動力と、美麗な容姿、そして、気さくな態度も相まって、愛梨の人気は非常に高い。


 そう、男子からもだ。愛梨に告白した男子はとても多く……俺はそんな噂を聞くたびに、胃が締め付けられるような思いを味わっている。

 あーそうだよ! 俺が今一歩踏み出せないチキンなのが悪いんだけどな!


「おいおい、愛しの生徒会長様がお呼びだぞ」

「うっせぇ、鼻にMONO詰めんぞ!」


 ニヤニヤとニコニコが半分ずつ詰め込まれたような笑みを浮かべる同級生を威嚇して、俺は昼飯の最後の一欠けらを口に突っ込んで、早足で屋上に向かう。


『えー八度目になりますが、二年A組、八坂翔太君。生徒会長であり、君にとっての最愛の女性である私こと、平塚愛梨が呼んでいます。至急、屋上へ来るように』

「繰り返しすぎだろ、おい!!」


 屋上行くよりも先に、放送室に行った方が良いんじゃねーか!? つか、先生達も止めてくれよ、頼むから!! まぁ、対戦車砲もかくやという威力の理論武装をしている愛梨は、教師からしても強敵だろう。あんまり積極的にかかわりたくないのかもしれない。


「はぁはぁはぁ!」


 急いで屋上に行けば……そこには、誰もいなかった。

 屋上の外周を取り巻くように張り巡らされたフェンスの上で、溶け残った雪がキラキラと陽光を反射しているだけだ。


「愛梨はどこだよ……」


 ただ……かなり恐ろしい事に、俺が屋上に着いた瞬間、ピタリと放送が止んだ。あいつ、一体どこから見ているんだよ……。

 キョロキョロと周囲を見回す。確かに一見すると何もないが、愛梨が屋上に行けと言ったんだ。つまり、絶対に屋上に何らかの仕掛けがあると思っていい。


 ここら辺は長い付き合いだから分かる。阿吽の呼吸ってやつだな(自慢)。


「ん……これは……?」


 無機質な屋上のタイルの上に、何か落ちている。

 拾い上げてみれば、それはマイクの付いたヘッドフォン……ヘッドセットだった。さらに、このヘッドセットからは長い配線が伸びており、屋上に敷設されているスピーカーに接続されていた。

 嫌な予感しかしねぇよ。

 見なかったことにして回れ右したいが、恐らくこの瞬間も愛梨は俺のことを監視しているだろう。このヘッドセットを見つけた瞬間……いや、屋上へと足を踏み入れた瞬間から、俺の退路は完全に絶たれていたのだ。


 俺は恐る恐るヘッドセットを付け――


『やぁ、君。ようやく来たのかね。遅いよ』

「お前マジでどっから見てんだよ!? こえぇよッ!!」


 つけた瞬間、ヘッドセットから音が聞こえてきて思わずビクッとなってしまった。すると、かみ殺したような笑い声が耳をくすぐった。


『最近は、遠く離れたペットを見守るカメラというやつがあってね。いやはや、便利な世の中になったものだよ』

「ペットと同列か、俺は」

『んふふ、私の可愛くて愛しいペットじゃないか、君は』

「…………!」


 くそっ! ちょっと、なんか、こう、変な扉が開きかけたじゃねえか!!

 視線を頭上に向けて顔を巡らせれば、なるほど……確かに、給水塔の真横に何か楕円形状のものがへばり付いている。多分あれだろう。叩き落としてぇ。


「んで、俺を屋上へ呼びだした理由は何だよ」

『君、そこから私に告白したまえよ』

「……………………………………………………は? え、は!?」


 しまった、あまりにも驚きすぎて二度聞きしてしまった。


「馬鹿じゃねーか!? 誰がそんなことするか!!」

『なにを焦って恥ずかしがっているのかね。大丈夫だ、全校生徒にとって君が私への愛を叫ぶことは、冬が寒いと叫ぶことと大して変わらない』

「んなわけねーだろ!! ……んなわけないよね?」

『ほらほら、早くしたまえ。これぞ私のときめくシチュエーション! 全校生徒の前での告白! ほらほら、フェンスの下で待っているオーディエンスの諸君もワクワクしているぞ!』

「はっ!?」


 俺は慌ててフェンスに駆け寄り下を見て……卒倒しそうになった。

 なんでこんなに暇人が多いんだと言わんばかりに、大量の生徒が校庭に集まってこちらを見上げていた。恐らく、あちらからも俺の姿が見えたのだろう……わー! っと耳が痛くなるような歓声が上がり、『こっくはく! こっくはく!』と告白コールが連呼された。

 流石にこの状況には眩暈がした。てか、どんだけ娯楽に飢えてるんだ!


『んふふふ、どうだね、このシチュエーション?』

「どうやってこんなに人を集めたんだよ!!」

『なぁに、私が一声かければこんな状況作り出すこと訳ないだろ?』


 マジで言ってそうで怖い。

 というか、マジで言ってるんだろうなぁ、こいつ。実際にそれができてしまうカリスマを持ってるからなおのこと厄介なんだよなぁ。

 ガックリと頭を落としている俺に、んふふふ、と心底嬉しそうな……そして、どこか淡い期待を込めた笑い声が聞こえてきた。


『さて、どうするのかね、君。別に何もせずにこの場を去っても良いが……その場合、私はとってもガッカリするぞ? 今の私はときめきオトメモードだ。茨の園を越えて、王子様がキスをしてくれる瞬間を待っているお姫様の気持ちがよ~く分かるぞ』

「あのなぁ……そんな簡単に俺が乗せられると――」

『あぁ、そう言えばこんなことも考えられるな』


 まるで、見ているかのように……マイクの向こう側で愛梨がニヤッと笑ったのが分かった。


『もしも、君が何もせずその場を去った場合、もしかしたら、他の男子がそのヘッドセットを付けて、私に愛を叫んでしまうかもしれないな』

「はぁぁぁぁぁ!?」

『これは私のときめきシチュエーションだ。金剛石のように動かぬ私の心も、ついクラッと来てしまうかもしれないなぁ……』

「な……か……」


 乗せられていると分かっていても、頭の中で見知らぬ男子学生が、愛梨に向かって告白をするシーンが浮かんできてしまう。

 それは嫌だ。絶対に、断固として、拒否させてもらう!


「あぁぁぁぁぁぁぁ!! 分かったよ、ちくしょう!」


 くそ、結局、やっぱり退路なんてなかったんじゃねーか!

 俺はヤケクソ気味にヘッドセットのマイクをONに切り替える。まるで、俺の心で荒れ狂っている感情を表すように、スピーカーからハウリングが放たれ、学院を揺るがす。

 そして、俺は大きく息を吸って――


「よっしゃぁぁぁぁぁ!! 俺の一世一代の告白を聞けぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 ワーッ!! と下で暇人どもが盛り上がっているが……今の俺には聞こえない。

 俺は必死に校庭、校舎、外へと視線を走らせる。俺の知っている平坂愛梨は、見えないところで声だけ聞いて終り、なんてつまらない事をする人間ではない。

 こんな面白い機会を見逃すはずがない……絶対にどこかで見ているはずだ。

 そして……見つけた。


 別校舎の屋上、その影。


 黒髪を結ぶ赤いリボンがふわふわと風に舞っているのが見えた。


「第二棟の屋上に隠れている平坂愛梨―――――!!」

『……っ!?』


 驚いたような気配がヘッドフォン越しに聞こえ、視線の先で、ひょっこりと愛梨の顔がこちらを向いた。それを確認した俺はニヤリと笑って、視線を固定。

 遠いけれど……でも、しっかり、はっきり、愛梨の眼を見据えて本気で叫ぶ!


「俺を見ろ、愛梨――――――!! 俺はこんなにもお前が好きだぁぁぁぁぁぁッ!!」


 中庭を挟んで、校舎越しの告白……一斉に生徒達が沸くのを聞きながら、俺はドッと噴きだした汗を拭った。まるで、短距離走を走り切ったかのようにバクバクと心臓が鳴り響いている。

 まるで、審判を待つ罪人のような気持ちでヘッドフォンから聞こえてくる声を待っていると……んふふ、という聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。


『そうだね……98点というところかな』

「よっしゃぁぁぁ!!」

『一万点中の』

「ぁぁぁぁぁぁ……って、一割もいってねーじゃねーか!?」


 ドッと笑い声が聞こえてくるのを聞いて、マイクを切っていなかったことに気が付いた。

 顔を真っ赤にしてマイクを切ると、どこか優しげな響きをともなった愛梨の言葉が聞こえてくる。


『でも……良く私を見つけられたね』

「何言ってんだよ。俺がお前を見つけられないわけないだろ?」

『………………まぁ、ちょっとはときめいたかな、だがまだまだだね』

「はぁぁぁッ!?」


 これだけの事やらせておいて、ダメだったってことか!?


「てかちょっと待てよ。俺の告白に返事は!」

『ま、それは置いといて。あ、先ほどの告白は録音したから、明日の昼食時間からエンドレスで放送決定だ』

「置いとくなよ! 一番大切な所を置いとくなよっ!! あと、俺を晒し者にする気かよ!?」

『では、次は放課後だ。学校が終わったら、きちんと私の事を待っておくのだぞ、翔太』


 最後にマイクにキスしてから一方的に切りやがった。くっそ……ちょっと、いや、かなり耳が幸せになってしまったのが癪に障る……! 


「はぁ……今日を無事に乗り切ることができんのかな……」


 思わず天を仰ぐも、空は快晴。雲一つない青空が広がっていた……。



 ★★★★★★★★



 気分はスターターが鳴る前の短距離選手だ。

 ごくりと、息を呑む音すらも聞こえてきそうな緊張感に包まれたまま、俺はクラウチングスタートの体勢を取る。先ほどまで聞こえてきた周囲のざわめきも今は聞こえない……俺は、一度やると決めたらやる男なのだから。


 そして……ぴりりりりりりりりりりりり! というスターターが鳴り響く。


 同時に、蒸気が抜けるような音がして扉が閉まった……そう、電車の扉だ。

 もう一度言わせてもらうが、先ほど鳴り響いたのは発車ベルで、閉まった扉はもちろん搭乗口……そして、俺はそんな電車の遥か後方から全力でスタートを切った。


「だぁぁぁぁぁ! くそぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 次なる愛梨の指示は『遠方に引っ越してゆく幼馴染に、電車と並走しながら告白する』だった。頭おかしいと言ってやったが、一笑に伏されてしまった。なぜだ。

 というか、俺はなぜもう一度告白させられるようなシチュエーションに陥っているのか、それを物凄く聞きたいのだが、肝心の愛梨は電車の中――扉の向こうだ。

 まるで、ガラス越しにゴリラを見る動物園来園者のような視線を向けてくる愛梨に向けて、全速力で駆け寄る。


「愛梨! 俺はお前が好きだ――!!」


 幸い人が少なかったのが救いなんだが……扉の向こう側で、愛梨が素早くスマホで文字を打ち込み、それをこっちに向けてくる。


『もっと気の利いた言葉で』

「はぁ!? あ、あ、えー……き、君の瞳に乾杯!」


 あ! こいつ電車の中で吹き出しやがった!


「おい! 腹抱えて笑ってんじゃねぇ! う、うおぉぉ……!」


 やばい、エンジンの回転音が上がって、電車の走行速度が物凄い上がってゆく……! ていうか、シチュエーション的にはもうクリアしてんじゃねぇの!?


『もっと情熱的に』

「ぐ……ぬぅぅ……あ、愛梨、お前が欲しい――!!」


 恥を捨てて全力で叫ぶと、電車の向こう側で愛梨がどこか満足そうに頷いて、素早くフリック入力。そして、それを見せてきた。


『74点』

「超微妙! あ……ぐあぁぁ、もう! 本当にお前が好きなんだよ! いい加減に信じろよ!」

『89点。もっとなりふり構わず』

「愛梨、愛してる――!!」

『よし、買った!』

「競りか――――!!」


 はぁはぁと息を切らせて俺はゆっくりと減速。

 目の前にはすでにフェンスが立ちはだかっていて、もう少し止まるのが遅かったら真っ直ぐに激突するところだった。顔を上げて、加速してゆく電車を見てみれば、満面の笑みでこちらに向かって手を振る愛梨の姿が遠ざかるところだった。


「くっそ、アイツ……もうこんなこと、二度としな……い……」


 妙に視線を感じると思って周囲を見回してみれば……なんてこったい……。

 大学生のお姉さんから、主婦と思わしきオバちゃん、年の近い高校生まで、全員が俺を注目していた。そして、その中でもとっておきなのが、人混みをかき分けてこちらに向かって歩いてくる紺色の帽子と制服を着たお兄さんで……。


「ちょっと君、話聞かせてもらったいいかな?」

「あ、いえ、違うんです」

「違うくないからねー。迷惑行為とストーカー行為だからねー」

「いや、マジで違うんです! あぁ、迷惑行為は確かにその通りで本当に申し訳ないんすけど、ストーカーは! 俺の名誉に誓って本当に!」

「はいはい、話は署で聞かせてもらうからね」

「うわ、リアルでそのセリフ初めて聞いた! じゃない! 本当なんですよ、信じてくれよー!」


 こうして俺は真っ直ぐに駅に併設された交番に連行……結局、戻ってきた愛梨が引き取りに来てくれるまで、取り調べを受けることになったのだった……。



 ★★★★★★★★



「社会的に抹殺されそうになった俺に一言」

「うむ、今回は私が悪かった……」


 少し気まずそうに愛梨が視線を逸らした。愛梨の想定では、俺が恥ずかしい目にあってそれで終わりになるはずだったらしい。まさか、鉄道警察が見回っているとは思ってなかったそうだ……『そうだ』で俺の人生潰されてはたまらないぞ。


「しっかし、お前今日だけで俺に何回告白させるつもりなんだよ」

「んふふ、何回だろうね。まぁ、私は割と満足したよ」


 言葉通り本当に満足げな笑みを浮かべる愛梨。

 人の気も知らないで……まったく。

 冬の夕暮れは早い……ちょっと駅に寄っただけなのに、もう辺りはぼんやりと薄暗くなっている。歩き慣れた道をゆっくりと歩きながら空を眺めれば、月が静かに山の稜線から姿を見せているところだった。

 俺は家に帰るまでの時間が伸びるように、ゆっくりゆっくりと、愛梨の歩幅に合わせて歩き続ける。そんな俺の隣で、愛梨はどこかアンニュイな表情を浮かべていた。

 普段から自信満々なことの多い愛梨にしては珍しい。


「なんか……あったのか? 別に俺が警察に捕まったことに関しては……あー気にするようなタマじゃないよなぁ」

「君は随分と酷い事を言うね。私は繊細な女子高生だよ」


 どの口がそれを言う。

 クスッと笑ってから愛梨がすこしだけ遠い目をした。


「本当はね、恋に落ちる音というのがどういうものなのか、何となくだけれど、分かっているのだよ」

「何となく?」


 これも相変わらず曖昧だ。

 ジッと愛梨の整った顔を見つめれば、愁いを帯びた瞳が俺を見返してきた。


「何となく、さ。実際に聞いてはいないからね。でも……私の恋に落ちる音はきっと、喪失と同義だ。今はこの環境が心地良すぎて実感が沸かないけれど、失ったその瞬間、自分がどれだけ恵まれていたのか理解することだろう」


 どこか諦めてしまったかのような表情で、愛梨が悲しそうに呟く。


「例えばそれは大学に進学する時、就職する時、当然のように在った私の恋は『失恋』という形で実を結ぶことによって、初めてその存在を知ることができるのだよ」


 なんか嫌だな、と思った。

 いつも自信満々の愛梨でいて欲しいとは言わないけれど、少なくともこんなに悲しい顔をして欲しいとは思わない。それほどに、今の愛梨の表情は精彩を欠いていた。


「……俺は頭良くないからお前の言い回しが何を指してんのか分かんないけどさ。元気出せよ……お前がへこんでると、俺までへこんでくる」

「んふふ、すまないね。さて、気を取り直して……君にとっての恋に落ちる音はどんなものなんだい、翔太? こんなに何度も告白したのだから、一回ぐらい聞こえたんじゃないか?」


 あからさまに話を逸らしに掛かってきたな。ま、良いか。


「そうだな……改めて感じたんだけどさ、俺にとっての恋に落ちる音ってのは……」


 そこで言葉を切って、俺は今日のことを思いだす。

 朝の通学路、屋上での告白、電車との並走……妙に濃かった上に、バラバラな三つの要素だが共通する点があるとすれば……。


「生活音なんじゃないかって思ったんだよな」

「……君、頭は大丈夫かね? じゃあなんだね、君は、台所のスポンジを見てはぁはぁ欲情するのかい。うへへ、姉ちゃん、今日もエロいボディが泡だらけだなぁ、ぶくぶく」

「違うわ!?」


 どれだけ業が深い変態なんだ、俺は!!

 南極もかくやという極寒の視線を向けてくる愛梨から視線を逸らし、俺は茜色の空を見上げて、ゆっくりと頭を整理しながら言葉を続ける。


「いやでも、そんな感じなんだよなぁ。今日告白してもさ、緊張や高揚こそしたけど……『赤い実はじけた』で書かれていたみたいな感じには……」


 世界が広がり、遠い地平線まで見えるような開放感……高揚とは違って、俺自身の世界が暖かい春の陽だまりで照らされるような温もり。

 それはきっと、いつも、いつだって、感じているはずなんだ。

 俺にとっての『恋』とはまさにそれで……だから、恋に落ちる音っていうのはきっと、何気ない日常の中に落ちているはずであって……。


「あ」


 不意に理解した。

 そうだ。


 春に桜並木を歩く足音のように。


 夏に風に吹かれて鳴る風鈴のように。


 秋に枯葉が風に乗って舞い踊るように。


 冬にしんしんと降り積もり雪のように。


 幼い頃から当然のように隣にあった音……あり続けた音。

 俺にずっと恋というものが何なのか、教え続けてくれた音といえば一つしかないじゃないか。


「そうか。分かった……いつも俺の傍にいて、いつだって聞こえる音――」


 そう言って、俺はニッと愛梨に笑いかけた。



「俺の恋の落ちる音は、愛梨の声そのものだ」



 いつも、いつだって、問答無用で俺に恋をさせてしまう声。

 偉そうで、生意気で、時には気弱で、けれど、いつだって寄り添ってくれる声。

 俺にとって、これ以上の恋に落ちる音なんてものはない。


「なんだ、気が付けばなんでもないようなこと……って……あー」


 マズイ、自分でも気づかないうちに随分と恥ずかしい事を言ったぞ!

 無情ともいえる沈黙が俺と愛梨の間にわだかまる。肝心の愛梨は少しうつむいてるため、その表情は分からなく……気持ち悪いとでも思われてたらどうしよう!


「うん、まぁ、今の言葉は忘れて――」

「ぷ、んふふ……あはははははははははははははははっ!!」


 思わず唖然としてしまうような……もしかしたら、初めて聞いたかもしれないほどの声量で、愛梨が笑い始めた。ギョッと目を見開いていると、愛梨は笑いながら俺の肩をバシバシと叩いてきた。


「なるほどなるほど! つまり君は私と真逆という訳だ! あはははは、これほど愉快痛快なこともないじゃないか!」

「……よく分からん」

「いいとも! 分からなくていい……いや、分からないままの君でいてくれ」


 目じりにたまった涙をゆっくりと拭うと、愛梨は笑みを浮かべたまま、憮然とした俺の顔を下から覗きこんでくる。


「そうだな、なら私が恋に落ちる音を聞かなくていいように、君はこれからもずっと私の隣にいなければならないな。ほら、なら帰って勉強するぞ。是が非でも、東大に合格してもらわないとな!」

「は!? なんでそうなるんだよ!」

「んふふ、私が受験する予定だからだよ! ほら、行くぞ行くぞ!」


 そう言って、愛梨は俺の手を握って駆けてゆく。

 恋に落ちる音は常に俺の傍に。いつだって俺を恋に落とし続けていたのだった……。


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