ママ
ここは忘却の街。
めざましい勢いで回復しつつある新都市を横目に、まるで沼の底に沈んだがらくたのように、暗くひっそりとたたずむ。
場末の古びたバーの扉を開けると、ママがいつもの笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい。今日も一日お疲れ様」
温かなおしぼりが差し出される。小鉢に盛られたきんぴらと、冷えたグラスが目の前に用意される。
「はい、まずは一杯どうぞ」
ママの柔らかな白い手がなめらかに動き、俺の差し出したグラスにビールがそそがれる。
ママが笑うと糸のように細くなった目に、ふっくらした頬のえくぼ。少し引き上げられた唇の端にちらりと覗く糸切り歯が、何とも言えず可愛らしい。
俺がじっと見つめると、ママは「お化粧でなんとか隠してるんだから、あんまり見ないで」そう言って恥じらいを含んだ笑顔を見せた。
手を口に持って行く仕草が、あどけない少女のようだ。俺は幼い日の初恋を思い出す。優しかったあの子。今はどうしているんだろう。
「今日は、ちょっと元気がないみたいだけど、どうしたの?」
ママが俺の目をのぞき込んで尋ねる。ああ、ママには何でもお見通しだ。
「やっと見つけた仕事だけど。今月いっぱいでもう必要なくなったからって・・・・・・」
「まあ・・・・・・」
ママは、自分の事のように大きく肩を落としてため息をついた。目には哀しみがあふれている。
「大丈夫。アタシはあなたがいつも頑張っているの知っているから。いつかきっと報われる日が来るわよ」
暗い雰囲気を打ち払うように、ママは力強く言う。俺は、不覚にも涙がこぼれそうになった。
「でも、アタシ達には厳しい時代になったわね。どうしてかしら、ついこの前までみんなアタシ達を必要としてくれていたのに、おかしいわよねっ」
小首をかしげて、ママは空になったグラスにビールをつぐ。
「この星がメチャメチャになった原因は、すべて俺達Yのせいだって言われてるからな」
「でも本当にそうなの?体よくアタシ達に、責任のすべてを押しつけただけじゃないのかしら」
「そうだと思いたいけれど、今の復興する世界を見ていると、あながち間違いじゃない気もしてしまうな」
ママは寂しそうに笑った。
「Xは本当に優秀よね。周りとのコミュニケーション能力に長けているし、目先の利益に流されず、未来の子供達が安心して育っていける持続可能な社会を、ゆっくりとだけど確実に実現させようとしてる。アタシ達みたいに、何か、いさかいが起こった時に、それを単純に力や目先の利益だけで解決しようとはしないわよね。悔しいけど、根っこが違うんだなって思っちゃうわ」
「でも、俺にとってママの方が、よっぽど優しくって慈愛にあふれていてXらしいよ」
うふふっとママは嬉しそうに笑う。
「そうね、最近のXは、まるで一昔前のYみたいに見えるわよね」
カランカランとドアにつけられたベルの爽やかな音が響いた。
「おかえりなさい」ママの優しい声が、入ってきた客に向かってかけられた。
今日も、疲れた男達がバーに集まる。
俺は、過去を回想する。
地球環境の悪化による資源や食糧の奪い合いから端を発し、第三次世界大戦勃発。
人々は絶滅の淵にまで追い詰められた。まるで出来の悪いSF映画のようだった。
昨日まで俺達が普通に生活していた世界が、一年も経たないうちにすべて瓦礫と化した。飢えと病と暴力が蔓延する悪夢のような世界。それでも戦いは、まるでコンピューターゲームのように無慈悲に執行され続けた。
尻尾をくわえたヘビのように、どこが始まりでどこが終わりなのか、もはや人々にはわからなかった。戦争は始めるより、終わらせる方が難しい。昔の歴史家の言葉が、誰の心にも重く響いた。
巨大企業、巨大国家の己の利益に関する思惑。そして、それらの力の下で着実に育っていったテロリスト集団達。押さえつけられていた力が一気に燃え広がった。人々の不満は自分ではない誰かを糾弾することによって消費された。
無人爆撃機が爆弾の雨を降らせた。そして、最初の一国が核を使用した。その後は、すべての秩序が崩壊した。今だに高濃度の放射能汚染のため人の住めない地域が世界中に存在している。
それでも、人々は生き残った。
そして、力強く復興への道を歩み出した。
そんな中、戦乱中の空白を埋めるかの如く、生物工学、地球環境学がめざましい勢いで発達していった。人体のサイボーグ化が進み、アンドロイドも生みだされた。遺伝子工学も進み、命はシャーレの中で作り出される事が普通になった。
地球環境もゆっくりと、まるでカタツムリが歩むような速さだったが、人類の利だけを優先させることなく根本解決に向かって進み出した。
そんな中で、女達は男を必要としなくなった。
社会的にも、肉体的にも頭脳的にも、すべてにおいて男は不必要な存在であると断言された。
男達は、先の戦争の責任者として。地球環境を悪化させていった原因を作り出した元凶として次々と断罪され、処罰されていった。
「とうとうY遺伝子を組み込まずに、子孫を作る法律が世界議会で可決されるそうだ」
隣に座った、顔見知りの男が俺に話しかけてきた。
「そうか・・・・・・」
「アタシ達、絶滅危惧種ね」
ママが柔らかく微笑んだ。
この世から、オスのいなくなった世界。その世界は愛に満ちあふれた平和な世界になるのだろうか。俺にはわからない。
願わくば、自分が地球最後のオスにならない事・・・・・・
ただ、その事を願うのみ・・・・・・