勇者になれなかった英雄
練兵場で素振りをしていると、黄色い歓声が聞こえた。
その声の方を見遣ると、召喚されたばかりの勇者が第二師団長と手合わせをしていた。
最強と名高い第二師団の団長だ。王国最強とまではいかないが、かなりの強者であることは確かだ。その師団長と互角に戦っていた。
「マジかよ……」「まだ召喚されて一ヶ月くらいじゃないか」「さすが勇者様だよなー」
と、私の指揮下にいた騎士達がその戦いの様子を見て、呆れと感心を合わせたような、何とも言えない表情をしていた。その心中、私のものと大差ないだろう。
たった一ヶ月で、ほとんど戦ったことも無い人間が強者になる。
これが、異世界から召喚された勇者の力ということか。
全く……理不尽だ。
「あんな高レベルな戦い、今のお前らじゃ、見ていても参考にならんぞ」
「じゃあ、隊長ならどうなんすか?」
訓練に身を入れろと注意したはずが、部下からそんな切り返しを食らってしまった。
「隊長なら勝てますよね?」
「……いや、どうだろうな。こればかりはやってみないと分からない」
歯切れ悪い答えになってしまい、部下達は不満のようだ。
「そんな! 王国最強の隊長なら、まだまだあんな若造には負けないでしょ!」
「勇者様を若造扱いするんじゃない。お前らと大差ないだろ」
「でも!」
「くどいぞ。お前らも勇者様みたいに強くなれるよう、努力することだ」
「あいつが訓練しているところなんかみたことないけどな……」
などと部下が呟くが、聞こえなかったことにする。
この部下達もなかなか筋が良いが、勇者には到底及ばない。
理不尽なまでに強い。
やがて師団長が負け、歓声は更に大きなものになる。
勇者は涼しげで整った顔立ちから、人懐っこそうな笑顔に変えて、師団長と握手をしていた。
この世界には、魔王と呼ばれる魔族の王がいる。
魔王は瘴気の淀みが激しくなると出現し、この世界を混沌の海へ還すため、世界を荒廃させようとする。
それに対抗するのが勇者召喚であり、強者を一人選び、様々な加護を身に付けさせる儀式だ。
もちろん、選ばれる人間は清廉潔白――とまではいかないまでも、勇者としての使命を全う出来るだけの志のあるものが選ばれていた。
そして多くは私たち王国民や、その友好国から選ばれる傾向にあった。
そのため、ある程度まで誰が召喚されるかは予測がついていた。
しかし今回の勇者召喚では、儀式の際に魔王の配下による急襲があった。
そのため儀式に妙な横やりが入り、魔力が乱れた。その結果、なんと異世界から人間を連れてきてしまったのだ。
勇者召喚は一度きり。その上、喚び出した勇者を元いたところへ戻す術などは無い。
しかし勇者は笑って「元いた世界に未練はありません。僕に出来ることがあるのなら、是非やらせてください」と言った。
その言葉に、儀式を行ったものや、王族の方々は肩をなで下ろした。
なるほど、素晴らしい志を持った人間なのだな、と私も感心していた。
最有力候補と目されていた私だったから、全く期待していなかった訳ではない。そして召喚されなかったことに対して、思うところが無かった訳でもない。
だが、そんな勇者の様子を見た時は、この若者を支えられるよう努めて行かねば、と思ったものだった。
しかし今思えば、私の目も曇っていたのだろうな。
師団長と勇者の立ち会いから数日が過ぎた。
私は報告書を提出しに城内へとやってきていた。
無事に事務局へ報告書を提出した後、王国軍の駐屯地へ戻ろうとしていた時のことだった。
「それでさあ、俺がちょっと本気出したら簡単にやられちゃってさー」
「すごーい勇者様!」
笑いながら道の中央を歩く勇者一行。周りにいるのは、全て女性だ。きゃっきゃと声を上げながら歩いている。
「勇者様」
「ん?」
私の呼びかけに、彼は顔をこちらに向けた。
「ああ、あんた。えっと……」
「ギルバードです勇者様」
「ああ、そうだった」
興味無さげに呟き、気怠げに溜息をつかれた。
「……勇者様。王城内では王族以外は右側通行が慣例となっております。どうか――」
「それなら私が許可を出しました」
勇者の後ろから現れた声の主を見て、すぐさま跪く。
「シャーロット様」
「選ばれしものである勇者様を、下々のものと同等に扱うことなどできません。我々王族と同格で扱うべきだと判断し、王女である私が勅命を出しました」
王女であるシャーロット様がそう決めたのなら、私に逆らうことはできない。
ただここは、非礼を謝ることしかできない。
「……失礼いたしました」
「謝るのは私ではなく、勇者様なのでは?」
シャーロット王女殿下の呆れ声が頭の上に降り注ぐ。
顔を上げ、なるべく表情を消して、勇者の方を向いて「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を口にする。
「別に気にしていないよ」
と、小馬鹿にしたように鼻で笑いながら言う。
それに「さすが勇者様」と、周りの女が褒めそやす。よく見れば、女性騎士や有望な文官、それに神官もいるし、魔術師も――!?
「…………何故」
何とか感情を押し殺し、声を抑える。
勇者の取り巻きの中に、婚約者のフィリアがいたのだ。
幼馴染で、故郷の田舎から二人で王都へとやってきて、私は剣で、彼女は魔術で身を立てようと約束した。
互いに昔から想い合っていて、いずれは一緒になろうと誓っていた。
そして私が第二師団の、彼女が魔術師団の分隊長になって、ようやく婚約ということになったのに。
勇者の隣で笑う彼女は、こちらを一瞥すると、すぐに視線を勇者へと戻した。まるで私に興味が無いかのように。
私は彼らがいなくなるまで、頭を垂れ続けた。
それを哀れむ視線も感じたが、もはやどうでもいいことだ。
「……………………何故だ」
それに答える声は、どこにも無かった。
勇者召喚がなされてから、半年が経過した。
勇者は剣術と魔術の訓練の傍ら、この世界の常識や魔王の眷属である魔族のことについて学んでいた。
……個人的には、女と遊ぶ合間に訓練しているように見えたが。
しかしながら、ようやく旅立ちの時がやってきた。
謁見の間にて、勇者と数人の女――フィリアもその中にいた――と、何故か私も呼び出されていた。
慣例では、勇者と共に数人が共に旅立つことになっている。下手に多くの人間を送り込むよりも、少数精鋭が最も効率的だからだ。
そして城内の噂では、そのメンバーはほぼ決まっていた。
騎士団のホープである女性騎士、聖女とまで謳われる年若い神官、商人出で武術も魔術も修めている事務官、そして百年に一人の逸材である魔術師のフィリア。また表に出ることは無いだろうが、暗部の一人もその中に入るだろう。
共通しているのは、有望な若く美しい女性であること。
そして当然のように、全員がここにいた。
玉座に座っていた王が立ち上がり、勇者の旅立ちに対する激励を行い始めた。
賜ったお言葉を掻い摘めば、この者達とともに魔王を打ち倒せ、といったものだった。
私もこの中に入るのか――正直言えば、嫌だった。
何が悲しくて、婚約破棄されたフィリアが懸想する勇者とともに旅立たねばならない。それも、フィリアも一緒にだ。
しかし、私の予想は裏切られる。
「勇者ケイ=ノムラ、第二師団所属ミランダ=シュルツ、神官団所属マリア=テレス、事務局所属ケイト=スコット、そして魔術師団所属フィリア=ノーランド。そなたらを魔王討伐隊に任命する。また、第二師団所属のギルバード=グレンは先遣隊として魔王討伐にあたるように」
先遣隊? なんだそれは。聞いたこともない。
「……お待ちください。先遣隊とは、どういうことでしょうか? これまでの慣例では出たことは無かったはずですが」
聞いたことも無い任務に不敬とは思いつつも、言葉を発してしまう。
しかし陛下はそれを咎めることも無く、私に説明して下さった。
「勇者は異世界から喚ばれて、こちらの世界のことには疎い。いくらこの世界のことを学ぼうとも、万全を期して魔王討伐にあたらねばならないからの」
「…………左様でしたか。失礼致しました」
王の隣にいた王女の自慢げな顔を見て、大体察した。
勇者に注意してすぐ、私は分隊長の任も解かれた。そして勇者派と言われる隊に組み込まれ、理不尽なまでにしごかれ、不当な扱いを受けていた。
言うなればいじめか。
そして今回のこれも、その一種だろう。王女……もしくは、勇者主導の。
「国防のため人員は割けぬから、先遣隊はおぬし一人となる。紛いなりにも王国随一と呼ばれた手練だからこそ、選出されたのだ」
「光栄にございます」
うむ、と陛下は追うように頷いた。
それから謁見が終わるまで、陛下含め誰ひとりとして、私に対して声をかける人間はいなかった。
荷造りを終え、手紙を書き終えた私は、夜が明けぬうちに兵舎を出た。
手紙は信用出来るものに渡した。
勇者に骨抜きにされたり、取り入っているものたちがはびこる状況では、信用出来る者は少ない。
けれどまだ若い元部下達を始め、いくらかはいる。その者たちに別れを告げ、魔王討伐の先遣隊として旅立った。
馬小屋に赴き、馬の番をしているものを労ってから、自分の愛馬の下へ行く。
栗毛の美しい愛馬を見つけると、顔をこちらへと近づけてきたので、撫ぜてやる。
「隊長。鞍はこれでいいですかい?」
馬番から鞍を渡される際、そんなことを言われた。
思わず苦笑する。
「俺はもう隊長じゃないよ」
「いえ、俺らにとっちゃ、あんたが隊長ですよ。俺たちにも分け隔てなく接してくれるあんたが、一番尊敬できるんだからよ」
世話係の言葉は、素直に胸にしみた。「ありがとう」と声をかけて、その鞍を受け取った。そのまま鞍をつけて、跨った。
「これからお前らも大変だとは思うが、頑張ってくれ」
そう言い残し、私は駆け出した。
旅路で、決して魔王の配下たちに遅れをとったりはしなかった。
しかし、私の旅は苦難の連続だった。
先遣隊というからには、魔王の配下らしき影が見えるたび、勇者達のパーティーに連絡を入れるようにしていた。
まず最初に、火の消えた火山の付近で地震が頻発するという噂を聞いた。妙に思って、昔世話になった山の民に聞いてみると、最近不審な気配と淀んだ空気を感じるとのことだった。詳しく調査すると、どうやら裏で魔王の側近が火山の活性化を図っていたようだ。
それを、勇者パーティーに連絡することにした。しかし勇者やその他諸々は、その手の情報の扱いになれておらず、全て事務方のケイトが取り仕切っていた。
元が騎士団関係の事務処理を行っていた人なので、ひと月前までは仲良くしていたし、それ以降も決して悪い印象はなかった。フィリアよりも俺の内情には詳しいかもしれない。
けれど、連絡しても、ただ一言だけだった。
「倒せそうなら倒して」
それならばと、正面から斬り結び、倒した。
地面を揺らしたり地脈を動かしたりと、大掛かりな魔術が得意なだけの雑魚だった。
しかし火山の麓の街に帰ってみると、私が倒したはずの魔族は、何故か勇者が倒したことになっていた。
街の皆に歓迎される勇者。話を聞くと、どうやら火山に入った勇者一行が、見たことも無い大型の魔物を倒したそうな。それを倒した途端、それまで断髪的に続いていた地震が止んだらしい。
勇者に抱きついて喜ぶ女騎士のミランダ。そういえば、ミランダはこの街の出身だった。自分の故郷を救ってもらえたのだから、感謝するのは当然か。
魔物と地震との間に因果関係はない。物事は論理的に考えるように、と口を酸っぱくして指導したはずなんだけどな。
溜め息をつき、愛馬に乗って歓喜に沸く街に背を向けた。
港町では、嵐が相次ぎ、次々と船が難破しているという話を聞いた。
その季節は海も凪いでおり、しかも船を出したときに限って海が荒れ出すという。
どう考えても魔物の仕業だった。
船は出せないが一応と思いケイトに連絡を入れると、何とかして海に出ろとのこと。
船は出せないと言っても「あなたなら出来るでしょ?」と返された。
確かに可能だ。前に遠征で助けた魚人族を頼れば何とかなる。報告書にも記載していたし、ケイトなら知っていてもおかしくはない。
これ以上港の人たちを困らせるわけにはいかない。私は急ぎ魚人族たちの下へと訪れる、協力を仰いだ。魚人族は快く引き受けてくれて、何とか魔物の下へと辿り着くことができた。
相手は全身が見えない程に大きな海竜で、泳ぐだけで大時化のように海が荒れて近づけず、吹き出すブレスは小島を蒸発させる程だった。
魚人族の力を持っても体勢がままならない中、何とか魔術と体術を駆使して接近し、その口から体内に入って剣で斬り裂き、血液に雷撃を流した。そして弱ったところで、首を一刀両断にして倒した。
海竜の被害を受けていた魚人族は喜んでくれ、安心して私は港町へ帰り着いた。すると……勇者達が海の街ならではの手荒いながらも親しみのこもった賞賛を浴びていた。
訊ねてみると、勇者が現れると海が荒れ始め、同時に現れた海蛇の魔物が現れたという。その魔物を勇者達が倒すと、徐々に海が静まっていったという。
なんてタイミングだろうか。
と、勇者が海の男たちの歓待を受けている最中、聖女のマリアが女性陣と抱き合って喜んでいる姿を見た。マリアはフィリアの友人だったし私も何度も話したことがあるが、初めて会った人と簡単に打ち解け合えるような性格ではない。
そのことも近くにいた人に聞いてみると、巡礼の旅でお世話になった船乗り達がこの街を拠点としていたみたいだ。
潤んだ目で勇者に感謝を述べているマリア。それを抱きしめる勇者。
大きな歓声が聞こえたところで、私は街を去った。
精霊の園が荒らされているという話を聞いた。
私とフィリアの故郷は、精霊の園のすぐ近くにあり、精霊と共生しながら生きてきた民だ。
それゆえ、精霊の園が荒らされるなど、あってはならないことだと憤り、故郷へと帰った。
故郷では皆が歓迎してくれたが、フィリアのことを聞かれたときだけは口ごもってしまった。
それでも状況はきちんと聞き出し、精霊の園を荒らした犯人が魔王の仲間の悪魔だと推測した。
今回は僅かな時間も惜しいし、今までのこともあったので、勇者達には連絡を入れず、すぐに精霊の園へと入った。
精霊直伝の魔術の効きは悪いのは、精霊の園を荒らしている時点で分かっていた。そのため、純粋に体術と剣術だけで勝負をした。風を操り瘴気を振り撒く攻撃には苦労したが、何とか撃退することが出来た。
精霊達からはとても感謝された。仲の良かった子達が何人も死んでしまって辛かったが、それでも何とかなったと納得させて村へ帰った。
――そして、石を投げられた。
鬼の形相で睨みつけてくる村の皆。
その傍らに、勇者一行。それで、大体察した。
その後、村から聞こえてくる罵詈雑言を要約すると、私は浮気してフィリアを捨てたことになっているらしい。そのせいで騎士団を辞める羽目になり、今はゴロツキ紛いのことをしているとか。更に更に、精霊の園に行ったのは、精霊を捕まえて売る為と思われているらしい。
いくらなんでも酷過ぎる――反論しようと口を開こうとしたとき。
勇者がフィリアの肩を抱きしめ、そのフィリアは勇者に体を預けて、愛おしげに勇者を見上げていた。
――ぷっつり、と何か切れる音がした。
私は、自分がやりたいことを曲げてまで、彼女と共に生きようと思っていたのに。
彼女に誇れるような人間でありたいと、頑張っていたのに。
……もう抜け出せないくらいに、それに染まったのに。
「もう、いい」
誰にも聞こえないその呟きだけを残して、私は去った。
口汚い罵倒の声はまだ聞こえる。
「罰が当たればいい」だって?
それは、俺にか? それとも、お前らにか?
精霊の園を出た後、ケイトからの連絡があった。てっきり罵倒されるかと思いきや「さすがに予想外だった。申し訳ない」と、謝られた。他の連中よりは、少しはマシなのかもしれない。
しかし、もう任務は果たせそうにないと伝えると「それは困る。まだ魔王は生きている」と言われた。
勇者がやればいい、と俺が言うと、ケイトは困った顔をした。
そして「魔王のせいで死ななくていい人間が死んでいるかもしれない」と、躊躇いがちに言われた。
それを言われると弱い。私に無辜の民を見捨てることはできない。
しかし、一旦態勢を整えるために、王城へと戻った。
しかし、そこに得体の知れない何かがいた。
内務官の中に私の知らない、やけに扇情的な笑顔を浮かべる女が紛れていたのだ。
かなり信頼されていて、王の側近の1人にまでなっていた。しかし、私には不気味に見えて仕方ない。
信頼出来る人間に確認しても、さる有力貴族の下に使えていた人で、とても優秀だという。
私が薄気味悪く思っているのを、不思議がられるばかりだった。
魔王達と戦っているところなのだから、疑うのは当然ではないのか。
「催眠……か?」
今までの魔王勢力の様子を見るに、搦め手が苦手では無さそうだ。
となると、これもその一つか?
しかし、対応しようにも、どうしようもない。
どうにかしようにも、気付けば女は王の傍にまで近づいていたのだ。
何とかしたいが、今の私に王へ進言する権限は無い。
どうしたら――と、思って数日後。
王城に爆音が響き渡った。
音の方へと急ぎ駆けつけると、謁見の間から次々と人が逃げ出ていた。
あまりの様子に、急ぎ中に入ると、勇者達と魔族が対峙していた。
その魔族、例の女の面影があった。
「てめえ、人間に偽って、一体何をするつもりだったんだ!」
「なにって、そんなの一つしか無いじゃなーい」
勇者の言葉に対して、にやりと笑った女魔族――何故か、こちらをちらりと見た。
「一番大きな、この王国を潰すためよ。魔王さまの為にね」
その後、勇者達と魔族の戦いになった。
なったのだが……勇者達が、思っていたよりも弱かった。
勇者パーティー全員を相手にしても、魔族は余裕だった。
「あらら、弱い弱い。もっとマシなのはいないのかしら」
「何を――ぐはっ!」
勇者が魔族の一撃をマトモに受けて、崩れ落ちる。
それに気を取られた彼の仲間達も、次々と倒されて行く。
そして、全員が倒れ伏し、魔族はつまらなそうに鼻をならした。
「弱い雑魚ね。まあ、これで鬱陶しいのも黙ったことだし――国も潰そうかしらね」
などと言い放った。
「止めろ」
思わず口に出た。
まだ残っていた人も含め、全員が私の方を見た。
魔族がこちらをみて、ニヤリと笑った。
「あら、貴方。国一番の騎士とか言われていた人じゃなかったかしら」
「それがどうした?」
「あなた、勇者よりも強いの?」
「さあ、どうだろうな」
剣を構える。女魔族はニタニタと気持ち悪い笑顔を浮かべていた。
「楽しませてね?」
結果から言えば、倒した。割とあっけなく。
手数が多くてなかなか大変だったが、一対一に強いタイプではないのかもしれない。
そして魔族を倒し、陛下を守った私は――もう魔王の居城へ向けて馬を走らせていた。
理由は簡単で、牢屋に入れられたからだ。
どうにも、私が先に王城へ到着していたのに、魔族の存在に気付いていなかったのが問題なんだと。
魔族を倒したことについては、特に何も無かった。
そしてやはり魔族退治は勇者達の功績になっていた。魔族が変装して王城へ入っていたなどと醜聞は載せられないので、いきなり攻めて来た魔族を倒したことになっていた。
協力してくれた数少ない身内と、暗部の人間に助けられた。
そして私は彼らの手引きにより、王都から脱出することができたのだった。
しかし、もうこの国に私の居場所はない。
道中立ち寄った街で、私が指名手配犯になっていることを知ってしまった。
もうどこかに隠れ潜むのも難しい。
――私は、指名手配をされるほどのことをしただろうか。
報酬も出ない。成果は奪われる。無実の罪を着せられる。
だからといって、魔王は放っておけない。
そもそも、あの勇者達では絶対に倒せない。あの程度の魔族に負ける相手が、勝てる道理は無い。
ならば誰かがやらなくてはならない。
「そう。やるしかない。それが私が決めた生き方だ」
剣を取り、フィリアと共に生きることを誓ったあの日から。
誰かの為に剣を振るうことを決めたのだ。
たとえフィリアがいなくとも、この剣を手にし、騎士でいる限りは。
魔王城へ単身乗り込んだ俺は、次々に現れる魔族達を斬り捨て進んだ。
その最中、炎の魔剣を操る武人とも戦った。
魔王の腹心の、最後の一人だったようだ。
今までの誰よりも強く、その剣術は今まで出会った中でもっとも卓越していた。
それでも、私が負けるわけにはいかない。ただそれだけを思い続け剣を振るい、打破することが出来た。
その後は魔族もほとんど現れず、ひたすら上階へと上がって行った。
そして最上階――だだっ広いホールに、真っ黒なコートを着た黒髪の男が背を向けて立っていた。
かつん、と私の足音が響いた。
振り返った男は、どこにでもいそうな男だった。
「貴様が魔王か」
「そうだな。あんたは、勇者じゃないな?」
「……良く知っているな」
「ああ。見ていたからな」
何を、と聞くまでもない。
魔王の向こう側には、大きな鏡のようなものがあった。
しかし、その鏡に映っているのは私たちの姿ではなく、勇者達の……なんというか、その、痴態だった。ミランダにマリアにフィリアに……ケイトだけいなかったが。まあそういう場面だ。
あまり見たい光景ではない。
魔王が鼻を鳴らす。
「自力で何も為していない奴らが、この俺を倒そうっていうんだから、笑えるよ」
「……勇者達は決して弱くはないぞ」
「けど、俺やお前ほどじゃねえ……つうか、俺の腹心五人の誰にも勝てねえだろ」
「腹心か」
「ああ。全員、お前に殺されたがな」
はあ、と魔王が溜息をする。
「これでも頑張って呼び集めたんだぜ。無理矢理従えた奴もいるが、望んで配下になった奴もいるんだ。弔い合戦なんて柄じゃねえし、それほど深い縁もなかったしな。だがまあ、お前を殺せば、目標達成だ」
勇者あの屑だしな。
と、吐き捨てる魔王に、何故だろうか。少しだけ親近感が湧いた。
「まあ、あの勇者は屑だな」
「へえ、お前もなんかされたのか」
「婚約者寝取られて手柄全部奪われてお尋ね者にさせられた」
「うわ、最悪だな」
「ああ、最悪だよ」
何が最悪なのか。
そこまでやられたことか。そこまでされてもなお、魔王と戦うことか。
どちらも最悪だ。
「ま、あんな屑のことはどうでもいいか」
魔王が手をかざす。すると、彼の手に、巨大な戦斧が現れた。
「さ、始めようかね」
戦いが始まる。
それこそ死力を尽くした。
剣術、体術、魔術。磨き抜いた技術を武器に、鍛え上げた肉体を持って、諸悪の根源へと挑み続けた。
魔王は戦斧を持ち、魔力を纏わせて振り抜いてくる。一切の魔術を使わないが、もうそれだけで十分な脅威だ。
そして、私と同じかそれ以上の体捌きで攻撃を避け続けられた。
しかし、避けるということは、当たれば効くということ。
斬っては避け、避けられては斬り。魔術も何もかもを使い果たした。
「終わらねえな」「そうだな」
「止めねえか?」「冗談を」
戦いは続く。
その最中、魔王は色んな話をしてきた。
彼が元はこの世界の住人ではないこと。
騙されて殺され、気付けば魔王になっていたこと。
瘴気を振り撒き全てを無に帰すなど、考えてはいないこと。
自分たちも、ただの生き物だということ。
「ぼちぼち限界だったんだよな。魔族も住む場所減ってきてたし、あんまりに濃い瘴気は俺たちでもキツいしな」
「でもまあ、あいつらが色々と実験してくれたおかげで、魔族が住めそうなところが増えたのだから、まあ目標は達成したよ」
「勇者召喚を邪魔して、現れたのがあの屑野郎だったのはラッキーだと思ったんだがな。あんたみたいなイレギュラーがいるとはな」
そんなぐだぐだした語りの中に、一つだけ気になるものがあった。
「あんたがいなけりゃ、俺も引退出来るのにな」
その言葉にだけは反応した。
「……私も、貴様がいなければお役御免なんだがな」
多分、そこでお互いに気付いたんだろう。
戦っても無駄。どちらかが死ぬまでなんていうが、高いレベルで実力が拮抗している。続けても、いつまで続くかわからない。下手すれば、相打ちになりかねない。
けれど、お互いがお互いに「お前が向かってこなければ問題ない」と思っている。
ならば、
「逃げちまうか」「逃げるか」
その後、勇者が魔王を倒したという話が広まった。
しかし、どうしたことか、勇者と魔王は相打ちだったという話だ。残った仲間が、王国へ魔王討伐を報告したとか。
それを私たちは、王国の仮想敵国である帝国で耳にした。
「なるほど。タツヤの言った通りだな」
「だろ? ぜってーあいつは捨て駒だって」
私たちは今、帝都の酒場で仕事終わりに食事をしていた。
その際に、王国での出来事が耳に入ってきたのだ。
私は、タツヤ――魔王に魔王討伐の旅について話していた。
その過程で、彼は「ギル、お前利用されてたんだろ」と言い切った。
……旅の途中はそんなこと考える余裕は無かったが、確かにそうかもしれない。
きっと私と勇者を利用した人間達は、私がどんな状況でも魔王討伐を果たす実力と信条があると、わかっていたのだろう。
そして、生き残った勇者たちの仲間の一人は、私の信条を理解していたケイトだった。
ちなみにこの暗部がほぼ独断でことを進めていたみたいだ。
そのため、勇者を斬り捨てた。
内情を知り過ぎている私もその対象となるはずだったが、そもそも私を倒せる相手がいないことと、暗部にも所属していたケイトの報告により、放置されることとなった。
そして今、俺と魔王は、ギルとタツヤという名で冒険者をしている。
「しかしまー意外だったわ」
と、タツヤが呟いた。
「ギル、冒険者志望だったのか」
「ああ。フィリアが城勤めを望んだから、騎士になっただけだ」
フィリアは前から「冒険者なんて低俗な仕事はダメ!」って言ってたからな。
もはや未練すら砕け散った人間のことを慮ってまで、城勤めをしたくはない。
しかしここまでうまく抜けられるとは思わなかった。なんだかんだ言って、城に縛り付けられると思っていたのだ。
多分この状況を作り上げてくれたのは――
「お、来たか」
タツヤが目を向けた先。
眼鏡をかけた小柄な女性。影が薄く、気をつけていなければ見落とすような相手。
「ケイト。抜けられたのか?」
「一番嫌で危険な役回りだったんだから、これくらいはね」
と言って私の隣に座った。いつの間にか、タツヤはいなくなっていた。
勇者は最高レベルの魅了の魔術を常時発動させていた。しかも、相当優秀なステルス機能まであったらしく、注視しても魅了されていることに気付けない。
そのせいで王国は狂っていた。
その異常な状況に暗部が気付いたときには、もはや手遅れの状況だった。
それゆえ、主立った暗部の人間は勇者との接触を断った。そして、勇者の魅了に対抗出来ている人物を送り込むことにした。
それが、暗部に所属しながら事務官としても働き、勇者とも接触のあったケイトだった。
ケイトは、最初から勇者ハーレムの一員ではなく、スパイの一種だったのだ。
はああ、と溜息をつくケイト。
「ホント面倒だったわ。好きでもない男を褒め称すのとか、気分悪い。自信過剰の割に監視用の魔術は常時発動させているから、連絡とり辛いし。ギルには冷たくしなきゃだし。本当に最悪だったわ」
「顔だけは良かっただろ」
「全く好みじゃないわ」
知ってるくせに、と拗ねた声を出すケイト。
「十分努めは果たしたんだから、もう知らないわ。あ、それと、フィリア達は殺さないでおいたわ。殺したら、あなたに恨まれそうだったし」
「恨みはしない……と思うけど」
「どうだか。勇者以外なら、フィリアだけは殺しておきたかったけど」
ケイトが物騒なことを言った。
理由を聞いて……思わず、溜息がこぼれた。
元々私は、勇者パーティーの一員として動くはずだったらしい。それをフィリアが「先遣隊にして欲しい」と、勇者にお願いしたとか。
一緒にいるのが気まずいならばまだしも、理由が「あいつ邪魔だから」って理由らしい。ついでに「最強騎士なんて言われてたから結婚してやろうかと思っていただけ」だと。
笑えない。
「元々黒い噂があったけどね。あなた、見ない振りしてたでしょ」
ケイトに「今頃、王城で適当に男捕まえてるんじゃないかな」とか言われて、何も否定出来なかった。
私は、彼女のことが大好きだった。けれど、彼女にとっては鬱陶しい幼馴染でしかなかったみたいだ。
そういうわけで、殺されなかったことには安心している。というより、殺そうが殺すまいが大局に影響は無いと思われたのだろう。現に、シャーロット王女はいつの間にか幽閉されたわけだし。
「ま、そういうわけで、約束通り、これからは、ギルと同じ冒険者になるから」
「……約束、か。前にも言ったが、いつどんな約束をしたか覚えていないんだよな」
くすり、とケイトが笑った。
「覚えてなくていいわよ。面倒くさい書類を片付けているときの、ただの冗談なんだから」
――こんな書類仕事するなら、いっそのこと気楽な冒険者になりたいよ。
――あら、それ楽しそうね。私もこの仕事放り出してついて行きたいところだわ。
――そのときは頼むよ。
――ふふ、書類仕事を押し付けたりしないでよ。
――そんなこと、したことないだろう。
ああ――そういえば、そんなこともあったかもしれない。
叩き上げの多い第二師団には書類仕事の苦手な者が多く、なおかつ粗野なので事務官に好かれてはいなかった。
なので、私と担当だったケイトの二人で仕事をすることが多かった。下手に手伝われるよりも二人の方が仕事が進むし、何より居心地が良かった。
そんな中の雑談に、そういう会話もあったかもしれない。
フィリアの為に騎士になって。
フィリアから振られて、騎士をやめて。
やりたかった冒険者になって。
理解ある人にずっと助けられていた。
「もう少し分かりやすい方が良かったな」
「ん? 何か言った?」
「いや別になにも」
首を傾げるケイトに、微苦笑で答えた。
後の世に「英雄の中の英雄」と讃えられた冒険者ギル。
後に妻となるケイトと、盟友タツヤとの三人による英雄譚はここから始まった。
しかし、それはまた別のお話。