青の章 1
1.青年ラウリン
その日の夕暮れがせまっていました・・・。
「親方はもう帰られただろうか?」仕事場まで遠く、歩いて通っているラウリンは気が気ではありません。通い道の途中には危険なところがあって、やり過ごしているうちにいつもの時間に遅れてしまっていたのです。
ほんらい時計職人の修行は親方の家に住込みでお手伝いをしながら進めるものなのですが、ラウリンには家族としては母一人きりのために通いでの修行をお願いしていたのでした。5年前から工房に通って腕を磨いてきた20才になったばかりのラウリンがこれから時計職人となって一家を支えていくのです。
「あぁ、日が暮れてしまう・・・。」
2.ジョエル親方の時計工房
ここスイスでは、1735年、ジュウ渓谷の小さな村ヴィルレで、ジャン・ジャック・ブランパンが初めて時計工房を開きました。これが世界で最も古いブランド時計メーカーの始まりとされています。
さてラウリンの親方であるジョエルはジュウ渓谷ヌーシャテルに生まれ、時計師一家を継いで小さな工房をかまえていました。若い頃にはたくさんの時計部品を作っていたものですが、今ではおもに修理時計の部品を扱い修理そのものが多くなっています。気難しく早くに跡取りであった息子を無くしたジョエルも今や80才で、ラウリンが弟子として入るまではずっと50年近く一人で工房を続けてきました。
早春の5月、夕日が沈んだ頃・・・「ハトリー、今日はもう上がっていいよ。ここまでにしよう。」「はい」と答えた青年は日本人で名前は服部健介25才、インターン制度を利用して語学研修を兼ねてスイスにやって来ている日本の時計メーカーの時計師です。親方のジョエルは高齢で無口でしたが、不慣れなフランス語で質問するとゆっくりと優しい口調で実際に見せてくれる作業手順を健介が理解できるまで付き合ってくれます。一人でずっと仕事をしてきたと聞いていたので気難しい親方を想像していた健介にとっては有難い修行先となりました。ジョエル親方の仕事は日本メーカーのそれとはかけ離れた世界でしたが、機械式時計の好きな健介にとっては様々な道具の使い方を勉強するだけでも毎日が充実した日々となっていました。
3.ジョエル親方の秘密
次の日の朝「まただ・・・。」健介には不思議に思っていることがありました。工房に入って半年になりますが、時計の心臓部である「テンプ」の心棒の先端を磨く大事な作業を見せてもらっていないのでした。いつも作業前に夕方になっていて、何故か次の朝にはその作業が完成しているのです。素晴らしく磨きぬかれたその先端の作業はじっくりと時間を掛けなければならないはずで幾晩も徹夜仕事をしなければ完成はできないはずのものでした。健介はジョエルのところに下宿しているので夕食も共にしており、早寝のジョエルが早起きをして作業しているしかないのですが・・・。「不思議だ・・・。一体いつどうやって仕上げているのだろう・・・。」健介は一度日本の工場へ仕上げ前の部品と仕上げ後の部品を送って調べてもらったことがありましたが、その結果はとても一晩で磨き修正したものとは思えない程の真円度と面組度であると報告が来ていました。健介の目で見ても高齢で悪くなった目や手元のおぼつかない様子のジョエル親方の普段の姿からは想像できない仕上げが出来ているのでした。