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第三球 無回転を意識して思いっきり投げることを心掛けるべし -1-


 気持よく晴れ渡たる青い空が広がっていた。


 こちらの世界でも現実の世界と同様の空……いや、こちらの空の方が綺麗な印象だ。ヒロは大府内高校の屋上で大の字となり寝そべり、何かも忘れてこの空に溶けてしまいたいと思慕しながら、そっと伸ばした手は空に届くはずは無く、虚しさが増していく。

 この空とは打って変わって、暗雲に覆われたかのように暗く落ち込んでいた。


「なんで、自分……ここに、いるんだろう?」


 現状に対しての自問に答えが返ってくることは無い。そもそも本来なら野球の部活(練習)に行かないといけない時間だったが、ヒロはここに居た。


 元よりこの三日間、練習には行ってなかったのであった。ヒロは何をするも気力が沸かずに、こうして独りになれる所で時間を潰していた。


『なに、こんな所でズル休みしているのよ』


 野球の神様が宙に浮いた状態で顔を覗かせる。突然現れても、もう驚くことはなくなった。というより、その気力すら沸いても無かった。


「ズル休みじゃないよ……。体調が思わしくないから、休んでいるだけだよ……」


 ヒロが申告する今の体調を表すかのように、元気の無い声だった。野球の神様は、ヒロが三日間徹夜したように消耗しきった状態である原因を承知だった。


『なに落ち込んでいるのよ。たかがワンアウトも取れずに大量失点したぐらいで……。酷い有様だったけど、初登板だったんだから仕方……』


 話しが進む度にヒロは寝たままで両膝を抱え込み、小さくなってしまった。


『ありゃ? トラウマになっているのね……。たくっ、そんなじゃ、いつまでたっても元の世界に戻れないわよ』


 先日の不甲斐ない初登板の結果が、よほど堪えていた。あの投球内容が脳裏にこびりついており、毎夜悪夢としてリプレイされた。それが理由でヒロは不眠症に陥ってしまっていたのである。この三日間、ぐっすりと眠れていなかった。


「……野球の神様。やっぱり無謀なんだよ。素人がいきなり野球で、しかもピッチャーをするなんて……」


 今にも泣きそうになり、弱音を吐くヒロ。気持ちは解らない訳では無いが、


『それでも入部テストは合格したんだし、あのイナオくんとかはヒロのことを認めてくれているんだから、もっと自信を持ちなさいよ』


 自信を持った所で、あの散々たる結果だ。信じることが出来る訳が無かった。


『やれやれ……。こんなんじゃ、元の世界に戻れないわよ』


「……野球の神様なんだから、自分を神様の力で野球を上手くしたり出来ないんですか?」


『残念ながら、神様はそういう不平等なことをしないの。だけど神様はいつだって、努力した人の近くに居て、微笑んでいるものなのよ』


 神様っぽく説法のように言い聞かせる。いや、野球の神様なんだからそうなんだろう。


『まあ、したくても神通力が回復していないんだから、どっちにしろ無理よ。ヒロくんが努力して野球を上手くなる方が近道よ』


 一陣の風が吹き抜ける。心地良い風だった。少しでもヒロに安らぎを与えてくれればと心に抱くものの、やはり無理だった。ヒロは伏したまま、ポツリと口を開く。


「ねぇ、野球の神様……」


『んっ?』


「野球の神様に、こういうのもアレなんだけど、野球って、何が面白いのかな?」


『ファッ!?』


 野球の神様として、聞き捨てならぬ発言である。だが、ヒロの素直の感想でもあった。野球をしたことも興味を持ったこともない人間が、絶対的な強制の下でやらせされていたのに過ぎない。


 この二週間、流されるがままやってきたが野球の楽しさ、面白さを感じ取ることは出来なかった。それに加えて、先日の初登板である。


 硬球が後頭部を直撃し、絶命し、甦させて貰ったと思ったら異世界だし、野球で活躍しないと戻れないし、その野球でこっ酷い体験したし。と、これまで野球に関わる経緯は辛い思いばかりしてきたのだ。野球が嫌になって当然ではある。


「ただ、ボールを投げて、打って、捕る。それだけのスポーツなのに……」


『ん、う~ん。確かに言葉にするのは難しいけど……。それを言ったら、どのスポーツもそうじゃない?』


 サッカーは、ただボールを蹴る。バレーは、ただボールを叩く。ラグビーは、ただボールを持って走る。どの球技だって“ただ”それだけのことである。


 ヒロがこれまでやっていたバスケだってそうだ。ボールをただ弾んで、ただ投げて、ただリングに入れる。


『何を面白いと思ったり感じたりするのは、人それぞれじゃない。何で面白くなるかは、その人のあるがままの心に任せるしかないからね。私が野球の神様だからって、世界中の人たちに野球を好きにさせることなんて不可能だしね。もちろん、そうしなければいけない面もあるけど』


「なのに、半強制的にやらされている訳で……」


『うっ……それは……』


 言葉に詰まり黙りこむ。野球の神様として、ここで野球の面白さを伝導しなければならないのだが、今のヒロに何を伝えても暖簾に腕押しだろう。言葉が見つからない。


 しかし、それは野球の神様が見つけるのではない。ヒロ自身に見つけて欲しいものであった。そもそも野球の面白さを口で説明しても伝わらないのは重々承知だ。野球の神様の目は悲しげだった。


 暫しの沈黙を不自然に感じて、ヒロは上半身を起こした。


「あれ……野球の神様?」


 視界の先は誰も居なかった。辺りを見渡したが、やはり野球の神様の姿は何処にも無かったのであった。


 毎度、神出鬼没に現れては消えたりしている。また、ふらっと何処かに行ったのだろう。と、これまでの体験で得た所感を抱きつつ、ヒロは立ち上がった。


 今、屋上から見える景色は、右を向けば広い平地が広がっており、大きな河川が大地を分けて流れ、所々に家屋が点在している。高層ビルや鉄筋的な建物などは建ってはいない。


 良くも悪くも田舎っぽい風景だった。左を向けば遠方に水平線……そう、海が広がっていた。大府内高校の周辺は、大平原と大海原に挟まれているのである。


 ヒロは何気無く手すりの方まで移動すると、悠然たる景色を眺めをつつ、自分が元の世界に思いを馳せた。


 元の世界での高校は市街地の中に在り、雑多な場所であった。そこと比べて静かな場所である。だが、あの騒々しさが懐かしくも思う。


 簡単に身を乗り出せる安全対策が不十分な手すり。下を覗き込めば、十数メートル先には当然ながら地面が見える。学校は三階建てであり、相応の高さであった。


「ここから飛び降りて死んでしまえば……元の世界に戻れるかな?」


 ショック療法と同じようなものだろうか。そんな寡少な可能性に掛けてみるのもアリかと、ヒロは冷めた笑みを浮かべてしまった。


 手すりを乗り越えようと、柵に右足をかけようかなと思った瞬間――


「だ、ダメだよ!」


 急に背後からがっちりと抱きつかれてしまった。後ろを振り返らなくても、呼び止められた声から、


「た、タチバナさん!? な、なに?」


 沙希だと解った。


「あ、その、あの……」


 沙希はヒロを抱きしめていた腕を瞬時に離し、頬を薄ピンクに染めて慌てふためく。


「いくらボッコボッコに打たれて落ち込んでいるのは解るけど、生きていれば良いことあるよ! 根性よ! 根性出して行きましょう!」


 ヒロが醸しだしていた負の雰囲気を察してか、飛び降りをすると思われてしまったのだろう。真っ先に飛び出した励ましの言葉が、それを物語っていた。


「あ、いや……。な、なんか勘違いしていない、タチバナさん」


「え……。そ、そうなの? ごめんなさい、私ったら。変な早とちりしちゃって……」


 別に謝ることではない。考えてみれば、勘違いでは無いのだ。ほんの少しだけ、そう思っていたのも事実ではある。

 むしろ察して止めに入ってくれたことに対して、沙希の優しさと抱擁にどん底だった気持ちが若干高揚した。


 ヒロと沙希。二人の間に微妙な沈黙が流れたが、


「あ、そうだ。モトスギくん! なんで、練習に来ないのよ! 先輩たちも怒っているよ!」


 沙希が本題を思い出し、叱り口調で言い放った。先ほど少し快気したものが、自分の代わりにと屋上から落ちたようだった。


「え、あ、その……」


「モトスギくんの気持ちも解らなくはないけど、その悔しい気持ちを乗り越えるためには、練習だよ! 練習! 根性で乗り越えて行こうよ!」


 野球部のマネージャーだからなのか、それとも沙希の本質だからのか、野球の神様と同じような内容だったが、あれと比べて熱い言葉だった。しかし、沙希が言ったとしても今のヒロには伝わらない。


「……悔しい気持ちを通り越して、諦め気持ちだよ。タチバナさん……」


 練習すれば多少なりとも上達するかも知れない。だが、焼け石に水のようなものだと諦観だった。元々はバスケ部で、野球の素人。普通に考えて、ここから野球が他の部員並みに上達するには、どれほどの時間と努力が必要か。そして、その努力を放棄する要因として、あの散々たる結果が重く伸し掛かっていたからだった。


 ヒロの元気の無い顔に、声に……沙希は何を言っても説得は無理と判断する。


「もう……。だったら、タチバナくん。明日の休み、ちょっと一緒に出かけませんか?」


「えっ!?」


 突然のお誘いに、心を覆い尽くしていた負の感情が吹っ飛んでしまう。


 こちらの世界でも祝日はある。それが明日の『風の日』であった。その日が何の日なのかは、ヒロは解らない。元の世界でも祝日が何故休みなのか理由を説明出来る人は少ないだろうが、それはさて置き――


「この間の試合のこともそうだけど、気分転換にね。それに、モトスギくんは転校して来てから、外とかに出ていないみたいだから……どうかなって」


「それって……」


 ここまで話しを聞く限りでは、どう考えても“デート”のお誘いのようなものだった。


「こんな所で一人でウジシウジしているよりも、外とかに出た方が良いよ。それでモトスギくん、どうする?」


 当の本人では無いが、自分が好意を抱いていたウリ二つの相手から誘われたのだ。答えは決まっている。


「う、うん。こんな自分で良ければ是非ともに!」


 先ほどと比べて、ハリがある声で返事をする。少しでも元気になってくれたようで、沙希の顔が明るくなる。


「それじゃ。明日、朝の九時に校門の前で待ち合わせしましょうか?」


 沙希はヒロが寮に入っている事は把握している。ついでに沙希自身は実家からの通い。そんな理由を含めて校門を指定したのである。勿論、その指定に何の問題は無い。こちらの世界の地理はまだ不慣れではあるが、沙希の家まで迎えに行っても良かった。


「タチバナさんが、それで良ければ」


「解ったわ。あっ! 一応、先輩たちにまだ体調不良だって伝えておくからね。それじゃ、明日は宜しくね!」


 そう言って、沙希は屋上から立ち去っていった。


 てっきり怒られる……いや、一応注意はされたのだが、そこからまさかデートのお誘いをされるとは思いもしなかった。


 ただの励ましの、お情けの、慰めのお誘いだったのかも知れないが、自分が好きな人にそっくりな沙希と一緒に出掛けられるのなら理由は何だって良かった。少し情けないとも思うが、喜びの方が上回っている。


 異世界に来て……ここに来てしまって発端から不測な事態ばかりだったが、こんな事態ならば歓迎だと、暗く落ち込んでいたヒロは何処へやら。明日のデートに胸が一杯で、大きくガッツポーズをしたのであった。


『野球をやりなさいよ……』


 野球の神様が呆れたように呟いた声は、ヒロには届いていなかった。


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