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第二球 いつの時もフォークボールばかり投げろ -4-

  ●○●


「ピッチャー、タカハシくんに代わりまして、モトスギくん。モトスギ陽朗くん」


 グランドにアナウンスコールが響き渡る。観客たちは聞きなれぬ名前にざわつき始めた。


 どよめきの中で、ヒロは二週間ぶりにグランドで一番高い所に立った。緊張のあまり、そんな周囲のざわめきも目の前でワダが話している声も耳に届いていなかった。そんなヒロの背中をワダが強く叩く。


「はは、そんなに緊張するなよヒョロ。確かに初登板とかは緊張するだけで、練習だと思って気楽にやりな」


 ヒリヒリと感じる痛みと共に、声が聴こえるようになった。


「で、でも、練習でも上手く投げられないのに……」


「良いか。ピッチャーをやるなら弱気になるな。いつでも、どんな時でも強気で勝気でいろ。そして俺のミットに目掛けて投げろ。それだけだ」


 そう言ってワダは自分の守備位置……ホームベースへと戻っていった。


 ワダの背中が遠ざかる毎に、再び緊張と困惑が甦って、周りの声が聞こえなくなっていく。テストの時と違って大勢の視線がヒロに集まっているが、それを感じる余裕すら無い。緊張と混乱のあまりに、良く言えば無心。悪く言えば放心。それが今のヒロの状態だった。


 慣れぬ投球練習を終えると、相手打者が打席に入り、審判が「プレイ」と試合開始を告げた。


 捕手のワダが簡単なサインを出す。ヒロの緊張と身体をほぐすために、初球はコースを外れても良い直球ストレートだった。


 しかし、ヒロは緊張でサインを見て解する余裕が無い。だから無我夢中のままに、両手を高く上げ、大きく振りかぶった。その後の上半身を大きく捻るヒロの独特のフォームに、打者はもちろん観客も目を奪われる。


 ヒロの記念すべき初試合での第一投は、


「あいたっーー!」


 打者のお尻に命中する死球だった。


 本来なら帽子を取り、頭を下げて謝罪をするのが礼儀ではあるのだが、そういった行動を取ることをしないヒロ。その表情は顔面蒼白だった。


 ワダはヒロの表情で心情を読み取り、ヒロの代わりに謝罪した。痛みに悶えつつ打者は一塁の方に進んでいく。


「こりゃ、そう簡単に終わらないかもな……」


 ワダが不安な一言を呟きつつ、ヒロへと返球した。


 次の打者が打席に立ち、ヒロは一塁に走者ランナーがいるにも関わらず大きく振りかぶってしまう。その隙を突き、一塁に居た走者が盗塁を敢行した。


 ヒロは走者が走ったことを気にする余裕がなく、今度は打者に当てないことを意識し過ぎてか、外角を大きく外れるボール球となる。ワダは捕球すると、すかさず二塁へと投げようとしたが、走者は悠々と二塁に到達していた。


「三塁まで行かれるな……」


 ワダの予言が当たる。


 次の打者にも再びヒロは大きく振りかぶり、案の定ランナーは三塁へと盗塁を行ったのである。ヒロが投げた球はホームベースの手前でワンバウンドする暴投になってしまう。ワダは球を身体で止めるのが精一杯。とても、三塁手に投げて走者を刺すことは出来なかった。


 わずか三球で走者が三塁に到達してしまった。


 不甲斐ないヒロの投球に、観客からのざわつきの声が大きくなっていく。


『ありゃりゃ、セットポジションを……。そういえば教えてなかったような……』


 スコアボードの天辺に腰を落として観戦していた野球の神様が震え声で漏らした。助けてあげたいが、もう干渉する力は残っていない。だから祈った。神様なのに。


『ヒロくんが無事に抑えますように』


 無死で三塁。この状況では一点が入る可能性は高い。しかし、十点差がある現状で一点返されても、まだ大した問題ではない。ただヒロの状態を見るからに、そのビハインドの危険ラインが下がっている。


 グランドに立つメンバーや観客の誰もが「もう代えた方が良い」と心から思っていた。


   ●○●


 野球用語に『炎上』という言葉がある。


 投手……主に中継ぎや抑え、いわゆる救援投手リリーフピッチャーが相手打者を抑えられず失点してしまうことを言う。そう、ヒロは炎上をしてしまっていた。


 四球や暴投を連発してしまいランナーを出しては押し出しだったり、たまにストライクコースに行ったとしても難無く打たれてしまったりと、十点差あった点差が三点まで縮められていた。しかも、まだノーアウト満塁の状況である。


 不甲斐ないヒロの投球に、


「おいおい、なに素人に投げさせているんだよ!」

「いいぞー! そのままでいいぞー!」

「大府内には他にまともなピッチャーはいないのか!」


 観客や敵チームからもヤジが飛び交う。


 ワダはふとベンチを見ると、イナオの姿が無かったことに気付く。「ふー」と疲れを吐き出すように息を吐いてからタイムを取り、ヒロがいるマウンドへと駆け寄った。


 ヒロの顔は顔面蒼白から、完全に精気が抜けたように自失呆然となっていた。


「おい、しっかりしろヒョロ!」


「は、はい……」


 ヒロの状態にワダは「やっぱり、時期早々だったかな」と思いながら頭を掻き、自分のミットで口を隠して話しかける。


「ヒョロ。もう、ここまできたら、せめて一泡を吹かせてやるぐらいしかないな。これから投げる球は、全部あの変化球だけだ。良いな!」


「変化球……」


「フォークボールだよ。どんなサインを出してもフォークボールを投げろ」


「は、はい……」


「よし。この登板を意味あるものにするぞ」


 ワダはヒロの肩をポンっと叩き、硬式球をヒロのグラブの中に入れて、ホームベースへと戻っていく。


「フォークボール……」


 腰を落としたワダは、適当なサインを出す。さっき言った通りに投げる球が決まっているからこその所作だった。そしてヒロは、また走者がいるにも関わらず大きく振りかぶった。だが満塁の状況で盗塁する者はいない。


 ヒロの心情は、あの入部テストの時と同様に無我の境地に達していた。つまり、何も考えられない状態だった。


 投じられた球が、外角の際どいコースへと直進していく。しかし、相手打者はバットを振る気配は無かった。ベンチ……監督から『待て』の指示が出ていたからだ。制球難の投手……ヒロに対しては、ただ立っているだけで良いと判断されていた。だから打者は投じられた球をじっくりと見ることが出来ていたが――


「ッ!」


 こつ然と消えて、見失ってしまった。


 その球の行方は審判のコールが「ボール」と宣告されて初めて気付いた。打者は思わず振り返り、見失った球の所在を確かめた。球はホームベース付近でワンバウンドしたが、ワダはなんとか捕球……ミットの中に球を収めていたのであった。打者の表情は入部テストの時のイマミヤと同じように驚いている。


「やっと、投げられたか……」


 そうワダが内心で呟き、口元が緩む。


 続けて第二球もヒロはフォークボールを投じると、今度は内角へと。


 打者は球が当たると判断して避けようと仰け反ったものの、球は大きく落下し打者の足下付近でバウンドしたのである。打者は片足を上げて間一髪で球を避けると、ワダは身体全体で球を受け止めた。


 球を後逸させなかったことに、ワダは大きく息を吐いた。


(なんだ、あの変化は?)


 打者はヒロのフォークボールの変化に戸惑い、打撃に集中出来ていないようだった。


 一方ヒロは、ちょっとした中断も何かを考える余裕は無い。ただフォークボールを投げて、自分の投球をさっさと終わらせたかった。


 第三投目は球がスッポ抜けてしまう。ワダが左腕を全部伸ばさないと届かないほどに高めのボール球となった。


 カウントはスリーノー。そして無死満塁。あと一球で、ボール球になってしまえば押し出しになってしまう。しかも『待て』の指示が出ている状況で、打者はバットを絶対に振らない。と、ワダは見抜いていた。


 それでもヒロに投げさせる球は――フォークボール。


 外れても良い。今はただ、ヒロに本番(試合)でフォークボールを投じさせる経験を一球でも多く得させる為に。そうワダは考えていた。


 第四投目――投じられた球は、今度はど真ん中へと進んでいく。


 球はホームベースの手前で鋭く大きく落ちて、ショートバウンドしたもののワダはミットの中に収めた。ストライクコースを通過しておらず、無情にもボール球と判定されてしまった。


 打者は四球で一塁へと進む中、首を傾げていた。ワダの思惑通り一泡を吹かせたが、各塁にいた走者たちも進塁し、三塁走者が本塁に帰ってきた。押し出しで九点目が入ったのだ。これで二点差。


 ワダはタイムを取り、ベンチの方に視線を向けた。するとミハラが立ち上がり、ベンチから出てきたのであった。ミハラはゆっくりと審判の方へと向かっていく。


 監督がベンチから出てくるというのは、選手の交代を審判に伝えるため。この場合は、投手……ヒロの交代だった。


 ワダや他の内野手達が、マウンド……ヒロに集まっていた。


「ヒョロ、ご苦労さん」


 ワダは優しく声をかけ、ミットでヒロの頭を軽く叩いた。それは叱責とも慰めとも励ましとも捉えられる行為だったが、ヒロは自我を喪失したままだった。


 そしてアナンスが響く。


「ピッチャー、モトスギくんに代わりまして、イナオくん。イナオ和久くん」


 そのアナンスコールに、相手や観客どころか味方たちも驚く。


「え、イナオさんが?」


「昨日投げたばかりだろう。カワサキとかヨシダとかいるのに……」


 メンバーの驚きも冷め止まない中、イナオがブルペンから出てきてマウンドに駆け寄ってくる。その姿に周りの観客から一際大きな歓声があがった。

 イナオがマウンドに着くと同時に、ヒロの肩に優しく手を置いた。


「よし、よく頑張った。モトスギ、これは良い経験だ。これを次に活かせよ!」


 そう声を掛け、ヒロからボールを譲り受けた。当のヒロはイナオの声が聞こえていたのか聞こえて無かったのか、下を向きつつ元気の無い足取りでベンチに向かっていた。


 不行儀なヒロに遊撃手のノムラが注意しようとしたが、イナオが止める。


「今は良いよ。今はこの状況をなんとかしようか」


 ヒロよりも今のピンチの状況について目を向ける。


「ノーアウト満塁だ。だが二点差もある。ここは何があっても一点死守ではなく、一点取られても良いから、まずワンアウトを取るぞ」


「「オウ!」」


 イナオの提言に一同は声を上げ、ワダだけを残して解散し自身の守備位置に戻っていく。


「モトスギの方は仕方ない。それよりも、このピンチをなんとか切り抜けないとな、ワダちゃん。いつもので頼むよ」


「分かっているよ、サイちゃん。注文通りに頼むぜ」


 気心知れた二人の軽い掛け合い。その短い会話の中で何をするべきか以心伝心で伝わっており、ワダは守備位置に戻っていく。イナオが立つマウンドには、小さな凹みが有ったりと荒れていた。


「やれやれ、これも教えていけないとな……」


 イナオは呟きながら足場を丁寧にならしていく。


 マウンドを使用したままに去った張本人はベンチに戻って、肩をガックリと落とし項垂れていた。すると沙希が叱りつけるように話しかけてきた。


「モトスギくん! 初登板で散々な結果だったのはわかるけど、反省は試合後にしなさい。今はイナオ先輩のピッチングを見なさい!」


 いつも優しい沙希が、険しい表情を浮かべていた。


「は、はい……」


 大人しく従い、イナオの姿を凝視し始めた。ただ呆然と眺めている、といった方が正しい。ヒロは何も考えたくはなかったのだ。


 イナオの投球練習が終わり、試合が再開された。


 打者……いや試合全体の雰囲気が先ほどと違い、ピーンと張り詰めていた。相手チームは、投手がイナオだということもあり、先ほどみたいに押し出しは期待出来ないと認識していた。それはイナオの制球力はずば抜けており、その実力もまた有名であった。


 ワダはサインを出さない。自分が出す必要が無いからだ。こういった危機的な状況では、全部イナオに任せている。イナオとワダはノーサインでの投球を可能としていた。


 第一球は評判通りの制球力で、外角低めの際どいコースへとズバンと決まり、打者は全く手が出せなかった。


 打者は打席から出て、自陣の監督の方に視線を向けてサインを確認する。

 太陽高校の監督は考える。


(相手はあのイナオ。ならば、確実に一点を取りにいくことが無難だ……)


 監督は自身の身体の肩や手の甲、帽子のつばを触ったりしてサインを出すと、打者は頷いた。


 イナオの第二投。第二球を投じようと腕がしならせている瞬間、打者はバントの構えをし、三塁走者が走りだす――スクイズだった。その動きをイナオは感知取ると、右手の中指に微かに力を入れて、瞬時に外角の大きく上ずる高めのコースへと投げた。


 打者は打席から両足が出ないように体を出し、構えたバットを伸ばしてなんとか球を当てようとする。しかし、球がバットに接触しようとした間際、球が僅かに横すべりしたのである。その所為でバットのミートポイントからズレて当たり、球が高々と真上に飛翔した。


 本来スクイズやバントは、是が非でも地面に転がさなければならない。こうして飛球させてしまってはダメなのだ。


 ワダはキャッチャーマスクを放り捨て、重力に従い落ちてくる球に狙い定めてガッチリと捕球した。結果は補邪飛ファールフライ。三塁走者は球が飛球してしまった時点で、慌てて三塁へと帰っていた。これで一死。

 次の打者には代打が出され、左打席に入る。


 素振りを見るからに中々良い音を立てているものの、何処か気負いを感じる。少し落ち着きが無く、初々しい顔……一年生であるとイナオは判断し、


(結果を残したいだろうな……)


 打者の心情を察した。ならばと、イナオは真ん中へと投じた。


 甘いコースに、思わず手が出る打者。

 だが、球は微妙に外角へと曲がっていた。途中でバットの軌道を変えることができず先端に当たってしまい、打ち損じてしまった。


 球は三遊間に力無く転がっていくと、遊撃手のノムラがしっかりグラブで捕球し軽やかに二塁で構えていたアナンへと送球。球を受け取ったアナンも俊敏の動作で一塁のオオシマに送球し、流れるように二重殺ダブルプレーを完成させて、スリーアウトチェンジとなった。


 ヒロが何十球要してもアウトが一つも取れなかったのに、イナオはわずか三球で三つ取ってしまい、尚且つ無死満塁での状況なのに無失点で抑えてしまった。


 悠々とベンチに戻るイナオたち。その途中で選手一同から「流石、イナオ先輩!」「ナイ、ピッチ!」と称賛の声がかけられ、観客席からも同様の声があがっていた。


 ヒロは称えられるイナオを黙したまま見つめていた。何かを言わないと思い、どうにか絞り出した言葉が、


「……すみませんでした」


 自分の厭わしい投球に対して、チームに迷惑をかけてしまったことへの謝罪だった。しかしイナオは気に掛けることはなく、いつもと同じように優しい表情を浮かべて、


「初登板だったから緊張したんだろう。といっても、限度はあるがな。まぁ、ゆっくり反省して、自分の投球の何が悪かったのか振り返っておけ。試合の方は、あとは任せておけ」


 要点だけ言ってベンチに座り、タオルで汗を拭った。ヒロはベンチの隅に移動すると座ることはなく、ずっと立ち続けて試合を観戦した。


 イナオに言われた通りに何が悪かったのかを振り返っていたが、自分に非を感じつつも、そもそも野球の素人が試合に出ること事態がおかしいのだと、他の所為にもしたくなった。


 だけど野球で活躍しなければ元の世界に戻れない。それ事態がおかしいのだ。納得いかないことばかりに、ヒロの心の中で鬱積が溜まり、いつしか自分がここにいる意味を見出だせなくなっていた。


 試合の方は、残りの二回をイナオが続投して無難に無失点で抑え、十一対九。二点差のまま勝利したのである。


 メンバーたちが喜ぶ中、ヒロだけは喜べないでいた。深く落ち込みメンバーたちの輪の中に入れなかった。正直に言えば、入りたくなかったのだ。自分が別世界の住人だからでは無い。野球が嫌になっていたからだ。


 そのヒロの様子に、遠くで見ていた野球の神様。そして近くで見ていた沙希は心配そうに見つめていた。


 こうしてヒロの初登板は、散々たる結果を残して終わったのであった。


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