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第一球 最初に覚える変化球はフォークボールであれ -1-

● 第一球 最初に覚える変化球はフォークボールであれ


 大方の子供たちは、感受性が豊かだから何かと影響されやすい生き物(年頃)である。特に自分が興味を持ったものならばなおさらだ。


 そういった中で、大いに影響を受けやすいのはアニメやマンガだろう。本杉陽朗ヒロも例外ではなかった。


 ヒロが小学生の時に、ある週刊少年マンガで連載されていたバスケマンガが大ヒットしており、子供たちの間でバスケットブームが訪れていたのであった。ヒロも友達と一緒によくバスケットをするようになり、小学校や中学校の部活はバスケ部に入部したのである。


 とびっきりの才能がある訳ではなかったが、無難にこなせるほどの運動神経を持っていたので、バスケットを楽しく競技することが出来ていた。そして高校でも、特に辞める理由とかも他に興味が有るものが無かった為に、自然とバスケ部に入部したのだった。


 本格的にバスケをやり始めてから六年が過ぎ、今の季節は夏。


 炎天下、学校の校庭をランニングする生徒の集団の中に、ヒロは居た。


 なぜ走っているのかというと、バスケ部の練習で走らせているのである。

 高校生になって、初めて迎える夏。青春の中でも貴重な輝かしい日々を、このキツくツラい地獄の練習で過ごしていたのである。


 Tシャツは汗でびっしょり濡れ、グランドの地面のように乾いた喉から掛け声を出しては、一刻でも早くランニングが終わって、ぬるい水道水でもいいからガブ飲みしたいという願望が頭の中を占領していた。


 脱水症状になる者も、そろそろ出てきそうな感じである。むしろ、自分自身が脱水症状になりそうな気配がしている。


 ヒロが所属するバスケ部は、学校の部活の中でも部員数は一番多い。その理由は前述のバスケットマンガのお陰でもあった。ヒロみたく、マンガに影響を受けた人たちが多く、自然と競技人口を拡げてくれたのだ。その為、小中高でバスケ部は人気部活となっていた。


 人数が多いために、体育館は三年生とレギュラークラスの二年生のみだけが使用し、ヒロたち一年生や残りの者たちは、外で練習するしかなかった。真夏の太陽が照りつける外で。


 だが、そんなクソ熱い校庭でバスケ部以外に汗をかいている部活は他にも在る。


 校庭の隅では陸上部が、グランドの半分はサッカー部が。そしてもう半分を野球部が占用している。何周もただ走るという単調な行動と苦しさを紛らわせるために、他の部活の練習風景……いや、ある人物を横目で観ていると、ヒロの隣で走っている男子が呟く。


「良いよな、野球部……」


「何が?」


 息を切らしながらも訊き返した。


「何がって……ほら、橘さんだよ」


 野球部にはバスケ部には無いオアシスがあった。それは女子マネージャーの存在。しかも、とびっきりの女子だ。


「みんな、頑張って!」


 野球部員を励ます声が響いた。その声の主は、橘沙希。


 明朗活発を溢れさせるショートヘアーのボーイッシュな髪型。太陽のように眩しい笑顔に誰もが勇気づけられるほど、元気ハツラツな女性だった。それをもっと輝かせるほどに彼女は、


「やっぱり可愛いよな、橘沙希ちゃん」


「そうだな……」


 可愛かった。この通り男子からの評判が良く人気がある。そしてヒロもまた、彼女のことを想い寄せている一人だったのである。


「こんなことなら、野球部に入れば良かったぜ」


「野球は出来るのか?」


「そんなの楽勝だろう。ただボールを投げて、打って、取るだけだろう」


 野球の練習を傍から観ての感想だった。正味な話、他の球技スポーツをしている者たちは、野球は楽なスポーツに見えていた。


 バスケなんて、四十分間以上も走り回らなければいけないスポーツ。サッカーも然りだ。それに比べて野球なんて、攻撃側は一部の人間が出て打ったり、走ったりするだけ。守る側も球が自分の所に飛んでくるまで、その場に佇んでいるだけに過ぎない。


「でも、結構練習は厳しいんだろう?」


「うんや。このバスケ部の練習を経験したら、どの部活だって乗り越えられる気がする。今、野球部に入れば、オレ多分レギュラークラスだわ」


「甘く考えすぎだって……」


 チームメイトがそう言ったからではないが、橘沙希がいる野球部に入部しようかと考えたこともある。しかし、好きな女子がいるからと言って、長年続けているバスケを辞めるほどの決断は出来なかった。


 バスケ部にもマネージャーは居ることには居るが……ここは、あえて伏せて置く。


 ヒロは何気無く思う。橘沙希が野球部ではなくて、バスケ部のマネージャーだったら、こんな辛い練習も幾分か和らいでもっとやる気が出るにと、少し肩を落とした。


 そろそろ走りながら会話をするのもキツくなってきた頃、


「おら、一年。無駄話してないで、声だせや!」


 二年の先輩に注意されてしまい、ヒロたちは威勢良く「ハイ!」と返事した。そして、通常よりも大きな声を出さなければならなくなった。

 そんな最中、


「ほら、みんな。ファイト!」


 野球部員に投げかけている沙希の声援を、さも自分たちの声援だと脳内変換させては自分を励ました。多分、そんな風に考えているのはヒロだけではないだろう。


 夏の直射日光による暑さと体力の限界が迫ってきており、意識が朦朧としてきた。


――カッキィィィーン!


 高い金属音とともに、野球部員たちの大声が聞こえる。


「危ねーぞ! よけろ、バスケ部!」


 その声に反応して、勘の良いバスケ部員たちは何が危ないのかを察知し、後ろを振り返ったり、列を乱しては今居る場所から離れた。だが、ヒロは疲れ果てて意識が朦朧しかけていたからなのか、動じることなくそのままに走っていた。


 事故アクシデントは何時だって、突然起きるものだ。


 野球部が打ち飛ばした石のように硬い硬球が、ヒロの後頭部に直撃したのだった。


 強烈な痛みを感じると否や、目の前が真っ暗になったが、その後すぐに不思議と痛みを感じなくなった。


『な、なんだったんだ……』


 何の気なしに起き上がると、バスケ部員や野球部員、そして橘沙希がヒロの周りに集まっていた。皆が一様に心配そうな顔で、ヒロに声をかけてきた。


「おい、大丈夫か!」


『う、うん。一応……』


「しっかりしろ! だ、誰か、保健の先生を呼んでこい!」


『あ、大丈夫ですよ。別に大して痛みは無いですし……』


 ヒロの声に気にも留めず、野球部員とバスケ部員が一人ずつ駆け出していった。そして他の部員が声を震わせながら言葉を発する。


「おい、救急車を呼んだ方が良いんじゃないか?」


『え、そんな救急車なんて大げさですよ。ほら、大丈夫ですから』


 ヒロは立ち上がって自分の無事をアピールしたが、沙希や部員たちの視線は低くしたままだった。その視線を追いかけていくと、驚愕するものを目にした。


『っ!?』


 そこには“自分”が、力無く倒れていたのであった。


『えっ、あっ? ん? ど、どういうことだ?』


 驚き戸惑うヒロ。倒れている自分の身体に触れてみるが、何の抵抗も無く自分の手が自分の身体を貫通……通り抜けてしまったのである。気味の悪い現象に腰が砕けてしまい、尻餅をついてしまった。


 ふと自分の手をマジマジと見つめると、手の平が半透明になっており、透けて見えているのである。


『ど、ど、どういうことだ!?』


 そう言いつつも、自分の身に降り掛かった不幸な出来事に薄々感づき始めていた。


『も、もしかして……』


 ヒロは、ある“結末”を予期した。


「おい、人工呼吸すればなんとか、息を吹き返すんじゃゃねぇのか?」


「バカ。こういう時は、電気ショックを当てれば良いんだよ。確か、保健室に在ったりするだろう。誰か、持って来い!」


「いや、素人が勝手にやったら危険が増すから止めとけ」


「ヒロ! 起きろ! 死ぬな! ヒロ!」


 そんな周りの声が、その結末を事実へと導かせた。


『死んだのか……』


 そう自分の状態を呟くと、身体が少しずつ浮き始めたのである。自分の意志とは関係無く徐々に天へと昇っていき、自分の生身や仲間たちと遠ざかっていく。


『えっ? なっ! ちょっと待ってよ!』


 本杉陽朗はまだ高校一年生である。青春真っ只中。恋愛も社会経験や大人な体験もまだしていない。思い残すことが山ほど有る。


 自分の生身の側に橘沙希が駆け寄っているのが見えた。

 好きな人に好きだと告白もしていない。例え玉砕な結果になるとしても、これだったら告白しとけば良かったと後悔を噛み締めた。


 最期の抵抗として、自身の身体に戻ろうと必死に手を伸ばしたが届くわけがない。天へと昇っていくたびに、頭の中が真っ白になっていき、何も考えられなくなる。


『ああ、これが…昇天か……』


 先ほどの死んでも悔やみきれない想いと共に身体も消え去ろうとしていた。その時だった。


 辺りが突然暗くなり、天から一筋の光がまるでスポットライトのように差し込んできたのである。

 そのライトに照らされて、髪の長い女性が姿を現したのだった。


 髪の毛自体からキラキラと輝きを放ち、端正の顔立ちに真っ白なドレスで身を包んだ気品溢れる姿。それに全身から神々しさを弾け出しており、まるで美術館に飾られている彫刻のようだった。


 神秘で壮麗な雰囲気を纏っている女性の口が開く。


「大丈夫だった? あ、死んじゃったから、大丈夫じゃないよね。はい、逝きましたー……って、冗談じゃ済まされないわよね。ゴっメン!」


 茶目っ気たっぷりな顔で、手を合わせて謝罪のポーズを取ると「てへペロ」といった効果音が鳴ったような気がした。


『へっ?』


 そんな見た目とは裏腹の軽いノリに、ヒロは呆気を取られてしまう。


「あ、自己紹介はまだだったね。私“野球の神様”。よろしくね!」


 続けざまに語られた言葉に『はっ?』と、返すしかなかった。


「あれ? そこは“ファッ!?”って聞き返さないの?」


『……はぁ?』


「ん~~。そもそも、その顔は信じていない顔ね。まぁ、それもそのはずよね。私も、ついさっき野球の神様に任命されたばかりだしね」


『あ、いや……』


 今自分に直面している状況に、理解を掴めないヒロ。特に突然現れた“野球の神様”の存在が、首を動作範囲の限界ギリギリまで傾げてしまう。だから訊く。


『な、なんですか? その、野球の神様っていうのは……』


「え? これは教育やろうな……。言葉の通りよ。聞いたことがない? この日本には八百万の神々がおますところ。その神々は、様々のものに拝命されているのよ。釜戸には釜戸の神様が、トイレにはトイレの神様が。そして、野球には野球の神様がってね!」


『それは聞いたことがありますが……』


 本当に神様が居るものだとは思ってはいない……というか、そういう考えはなかった。そもそも、未だその存在を信じられなかった。それがヒロの表情に出ていたのか。


「まだ信じていないようね。だったら、仕方ないわね……」


 そう言うと野球の神様は、人差し指をヒロの額にそっと触れた。すると、不思議なことにヒロが抱いていた疑問がスッキリ晴れてしまい、何もかも理解してしまった。


 目の前にいる人物が、野球の神様だと。


『野球の神様って、女の……女神様だったんですね』


 ヒロは改めて野球の神様を見つめる。美人や美女と人間の定義に収めるのが失礼なほど、その見目麗しさは女神様と呼ぶに相応しかった。


「ああ、でも前任者は男の神様だったわよ」


『えっ……。それって、どういう意味ですか?』


「さっきも言ったけど私は、ついさっき拝命されたばかりなの。そもそも、神様ってのは交代制なのよね。ほら、トイレの神様なんかに拝命されて、ずっとトイレの神様のままだったらイヤでしょう。ちなみに女だから女神と言った方が正しいんじゃないの、と思ったりした?」


『あ、いえ。別に……』


「一応、男女平等ということで、女でも神様って名乗るものなのよ。それに女神様よりも神様の方が言いやすいでしょう」


 知らざれる神様の裏話を聞いてしまい、感心というより呆気に取られてしまう。


「てか、改めてゴメンなさいね。野球関係で君を死なせてしまって……」


『えっ!?』


 衝撃的な発言に、目をカッと見開いてしまう。


「君がランニング中に、不幸にも野球のボールが後頭部に直撃してしまったのよ。それで……」


 突然感じた痛みの正体と、この現状の理由を知ったヒロ。自分が死んだことは間違いなく現実だということに、ガクっと肩を落としてしまう。


「あ、だけどそんなに落ち込まないで。拝命されたばかりでさっそくの船出なのに、こんな風に亡くなってしまうのは、縁起が悪いというか泥を塗られたというか、ひじょ~うに宜しくないの。だから、特別サービスで君を甦させてあげるわね」


『……え?』


「だから、特別に君を甦させてあげるわよ」


 復唱される信じられない発言に、自分の耳を疑う前に野球の神様を疑ってしまう。


『ほ、本当ですか?』


「もちろん。神様、嘘をつかない。それじゃ、さっさく甦させてあげるわね。そして無事甦ったら、ちゃんと野球のことを奉りなさい!」


 さらっと代償条件を入れてきたが、それぐらいなら問題は無かった。生き返させてくれるのなら、毎日でも奉ることは厭わなかった。


『は、はい。わかりました!』


「オッケー! それじゃ行くわよ!」


 野球の神様は、突然踊りのようなポーズを取りつつ歌い出す。


「やーきゅーうするうなら~♪ こういう具合しやさんせ、アウト! セーフ! よよいのよい!」


 その歌は、どこか座敷がある宴会などで披露したら、とても似合うような古風な歌だった。謎の儀式が終わると、ヒロの身体が突然落下し始めた。


 落下速度は徐々に速くなっていき、目が開けられないほどに加速する。やがて、ヒロは意識を失ってしまった。


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