第6話 女帝蜘蛛(前篇)
サツキたち三人が坂を下りきると、そこは明かりが届く範囲を見るかぎり、真っ直ぐに伸びた通路だった。
ただ通路の所々に横穴があいている。とりあえず巨大蜘蛛の姿は見えない。
「あの穴が気になるよね……」
ニルがささやく。
横穴は人間が腰をかがめて通れるぐらいの丸い形をしていた。
しばらく待ってみても何の動きもない。
「進むしかないね。一応すぐに逃げられるようにティムは後ろで待機、サツキはあたしの数歩後ろからついてきて」
「はい」
ティムをその場に残し、ニルとサツキは慎重に歩を進める。この二人は敏捷度が高いので忍び足が可能だった。
ニルが横穴に静かに近寄り、そっと中を覗きこんだ。
「やっぱりーーーっ!!」
ニルが大声で叫ぶと同時に飛び退くと、それを追うように巨大蜘蛛が飛び出してきた。
胴の大きさは1メートルほど、そこに細く長い足がついていて、腹部には黄色と黒の縞模様があった。
サツキは生理的嫌悪から一瞬逃げ出しそうになるのを堪えて、ニルをかばうように正面で対峙する。
基本敵な戦い方はコボルトと変わらないはずだと考え、まずは自分がターゲットを取るために攻撃を開始した。
果敢に斬り結ぶサツキに触発されるように、ニルも態勢を立て直すと背後から攻撃をくわえる。ティムも回復の届く範囲まで近づいて援護の構えをとった。
コボルト戦で連携を確立していた三人は、最初の不意打ちから立ち直ると、その後は巨大蜘蛛を圧倒した。
コボルトとの違いは、巨大蜘蛛の噛みつき攻撃には毒の追加効果があり、それを喰らうと徐々にHPが減っていってしまう。
サツキも毒を受けたが、戦闘終了後に毒消しを使って治療した。
「あー、びっくりした。そんな予感はしてたけど、お約束よねー」
「ですね」
サツキとニルは戦闘後の解放感もあって笑い合う。
そんな二人の横でティムはひとりつぶやいていた。
「模様からすると巨大蜘蛛のモデルはコガネグモのようですが……。でも毒があるのはジョロウグモですし……」
それ以降の横穴は、穴からは距離をとり、横軸だけを合わせて巨大蜘蛛を誘い出して倒していった。どうやらひとつの穴に一匹しかいないようで、穴の中を調べても特に何もなかった。
そして真っ直ぐ伸びていた通路の突き当たりに、それまであった横穴の五倍以上はある大きな穴があいていた。
「ここが目的地かな?」
「そのようですね」
穴の中はカーブしていてここからでは奥まで見えない。三人はすぐには踏み込まず作戦を立てることにした。
「じゃあまずはラスボスの復習をしておこっか」
「そうしましょう。名前は女帝蜘蛛、ここまで倒してきた巨大蜘蛛のレアモンスターになります。私たちの目的である『女帝蜘蛛の毒』が麻痺毒だということは話したと思いますが、当然これを使ってきますので注意が必要です」
「それは巨大蜘蛛の毒とは違うんですか?」
サツキが質問を挟む。わからないことは積極的にたずねようと思っていた。知らないままでいて後から迷惑をかけることは絶対に避けたい。
「巨大蜘蛛の毒は徐々にHPが減るタイプのものでしたが、麻痺毒は相手の動きを止めるものです。といっても完全に動けなくなるのではないのですが、八割がた動けないと思ったほうがいいでしょう」
「毒消しは効くんでしょうか?」
「ええ。毒消しで治りますが、毒を喰らった本人が治そうとしても麻痺で失敗することがありますので、他の人間が治療したほうが確実でしょう。基本的には私がやりますが、お二人も臨機応変に対応してください」
サツキとニルは頷く。各自が毒消しを持っていることも確認した。
「女帝蜘蛛の情報はそんなもんかな。それじゃああたしからもひとつサツキに言っておくね。盗賊の24hourアビリティは『トレジャーフィニッシュ』と言って、効果時間が3分でこれが発動している間にトドメをさすと、100%の確率で当たりアイテムをドロップするのよ。だからもう少しで敵を倒せるとなったら、サツキが攻撃を止めてくれると狙いやすいんだよね」
「わかりました。わたしが敵を倒さないようにすればいいんですね」
「そういうこと。ただ女帝蜘蛛の強さがわからないからねぇ」
「あくまでもトレジャーフィニッシュを狙うのは余裕がある時だけにしましょう。サツキさんはあまり気にせずに戦っていいですよ。頭の片隅に覚えておくぐらいで」
「はい」
まずは確実に女帝蜘蛛を倒すことを確認した。一度倒せることがわかれば、アイテムは次の機会にまた狙えばよい。
「そんなとこかな。他になければそろそろ行く?」
「あとひとつだけ。サツキさん、ルナティックダンスのリキャストを確認してもらえますか?」
サツキは可視ウィンドウを見る。リキャストタイムはゼロになっていた。ついでに月齢を確認すると十六夜だった。
「発動できます。あと月齢は十六夜ですので……」
「ほとんど制御はきかないということですね。了解です」
サツキとティムのやりとりを聞いて、心配そうにニルが口を挟んだ。
「ねえ、ルナティックダンスを使うような状況になる前に、逃げたほうがよくない?」
「私もそう思います。リキャストを聞いたのはあくまでも確認ですよ。発動のタイミングはサツキさんに任せますが、基本的にはルナティックダンスを使わずに倒すことを考えましょう」
「だね」
「はい」
「それじゃあ行きましょうか」
ティムの声を合図に三人は女帝蜘蛛が待ち構えていると思しき穴へと入っていった。
ニルを先頭にしてゆるいカーブを描いた穴を進んでいく。どうやら穴の先は広い空間になっているようだった。
ニルが持つ松明の明かりに徐々に照らしだされたその広間には、異様な光景が広がっていた。
「なに、これ……」
ニルかすれた声を出す。サツキも思わず息をのんだ。
広間の床には繭のようなものが無数に乱立していた。
呆然と立ちつくすニルとサツキをよそに、ティムはそれに近づくと調べ始める。ほどなくして何かわかったのか大きく頷いた。
「――やっぱり」
「なにがやっぱりなのよ?」
「ニルさん、これの表面を切り開いてください」
「そんなことして平気なの?」
「大丈夫です。私が保障します」
ニルはそれでも不安そうだったが、恐る恐るダガーを突き立てそれを切り開いた。
中から姿を見せたのは仮死状態になって動かないでいるコボルトだった。
「……どういうこと?」
ニルが喘ぐようにしてティムにたずねる。
「これは繭なんかじゃありません。女帝蜘蛛がエサであるコボルトを糸で絡め捕ったものなんですよ。私が「やっぱり」と言ったのは、巨大蜘蛛がコガネグモをモデルにしていたからです。コガネグモはこうやって獲物を糸で包む習性があるんですよ」
「……趣味わる」
「毒を使うのはジョロウグモ、糸を使うのはコガネグモ、これで女帝蜘蛛がその二種類のハイブリッドだということが判明しましたね。麻痺毒だけでなく糸にも警戒しないといけないでしょう」
「それでその肝心の女帝蜘蛛はどこなわけ?」
三人は広間を見回す。しかし糸に絡め捕られたコボルトが並んでいるだけで、女帝蜘蛛の姿はどこにも見えない。
サツキはふと気配を感じた。
しかし前後左右を確認しても何の存在も見とめられない。勘違いかと気を緩めた瞬間、巨大なモノが真上から襲いかかってきた。
ニルとティムが重量感のある落下音に驚いて振り向くと、目に飛び込んできたのは女帝蜘蛛にのしかかられているサツキの姿だった。
その大きさは巨大蜘蛛の三倍はあり、黒真珠のように艶やかな体毛と、腹部の色鮮やかな黄色と黒の縞模様。美しく超然としたその風格はまさに女帝の名にふさわしかった。
「サツキ!」
ニルが駆けつけ女帝蜘蛛の腹にダガーを突き立てる。
女帝蜘蛛が怯んだ隙にサツキはその体の下からなんとか抜け出すと、すぐに立ち上がり抜刀する。すると手に持つ曲刀の両手剣が白い光に包まれた。
「武器強化付与です。攻撃力が少しは上がっています。サツキさん落ち着いていきましょう」
「はい!」
ティムに返事をするとサツキは女帝蜘蛛に斬りかかっていった。
その大きさに圧倒されそうになるが、スピードはこれまで戦ってきた巨大蜘蛛と大差なく、武器強化付与の恩恵かこちらの攻撃もしっかりと効いていた。
女帝蜘蛛の背後からはニルが攻撃を仕掛け、ティムはいつでも援護できるように杖を構えている。
確かに攻撃力は巨大蜘蛛よりも高く、回避に失敗するとそのダメージは大きかったが、それもすぐに回復をしてHPを高く維持しておけば耐えられるものだった。
これならいける。
三人がそう思った時、女帝蜘蛛が急に全ての足を胴体に引き寄せ、次の瞬間弾けるようにしてサツキに向かって襲い掛かった。
とっさのことにサツキは避けることができず、その噛みつき攻撃をまともに喰らってしまい、大きくHPを減らしてしまう。
「サツキ!」
「サツキさん!」
ティムが回復薬が付与された杖から、ニルも攻撃の手を止めて、同じく回復薬が付与された銅の指輪で、サツキに回復をとばす。
「ごめんなさい、油断しました」
サツキは女帝蜘蛛の追撃をかろうじてシャムシールで防ぐと、立ち上がろうとして――力が抜けたように膝をついた。
「サツキ!?」
「麻痺毒です。私が治療しますのでニルさんはタゲを取ってください!」
「わかった!」
ニルが背後からの一撃を発動し大ダメージを与える。女帝蜘蛛はターゲットをサツキからニルに移して攻撃をしかけた。
ティムがその隙にサツキに駆け寄って毒消しを使った。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。それよりニルさんは」
見るとニルは完全に逃げに徹していた。こうなると猫の半獣族で元から敏捷度が高く、盗賊の特性で回避も高いニルに、攻撃を当てることのできる敵はそうそういない。
「鬼さんこちら」
ニルは余裕をみせ、そんなことを言って女帝蜘蛛をからかっている。
しかし執拗にニルを追い回していた女帝蜘蛛が、いきなり前屈みになり尾部を持ち上げたかと思うと、ニルに向かって蜘蛛の網を噴き出した。
「ニルさんっ!!」
放射状に広がったそれが確実にニルを捕らえたと思った瞬間――
「パリイ!」
そう叫ぶと、ニルは蜘蛛の網をすり抜けるように回避していた。
「盗賊の職業技能、『回避専念』です。30秒間は物理攻撃を完全回避できます」
サツキが立ち上がるのを支えながら、ティムが説明してくれる。
さらに続く女帝蜘蛛の猛攻を回避専念でしのぐと、ニルはバク転をして大きく間合いをとって息をついた。
「ニルさん大丈夫ですか?」
「なんとかねー。あ、パリイのリキャストって30分だから、この戦闘中はもう使えないんで、そこんとこよろしくー」
「わかりました!」
サツキは女帝蜘蛛の背後から渾身の力を込めて斬りかかる。
女帝蜘蛛は怒ったように甲高い声で鳴くと、振り返り再びサツキに向かって攻撃をしかけてきた。
「おそらく女帝蜘蛛の特殊攻撃は麻痺毒の噛みつきと、蜘蛛の網の二つです。どちらにも予備動作がありましたからそれを見て避けてください」
「はい!」
ティムのアドバイスにしっかりと返事をする。
サツキは女帝蜘蛛が全部の足を胴体に引き寄せるのを見ると防御姿勢で待ち構え、左手をシャムシールの刃に添えて女帝蜘蛛の牙をしっかりと受けとめた。
蜘蛛の網は女帝蜘蛛が前屈みになったのを見た瞬間に、転がるようにして横へ跳ぶ。ニルほどアクロバティックにかわすことはできないが、確実に攻撃を避けていった。
特殊攻撃を封じることができ、女帝蜘蛛の脅威は半減した。いまや三人は戦いの主導権を完全に握っていた。
「よっし、これならトドメさせそう! トレジャーフィニッシュ発動するよ」
「了解です」
トレジャーフィニッシュを発動させるとニルの体が淡い金色の光で包まれた。この光をまとっている間が効果時間ということなのだろう。
それを見てサツキは攻撃の手を止めて防御に専念する。
ニルがダガーを逆手に持ち直し、女帝蜘蛛の後ろから飛びつくようにして、バックスタブでその腹を一気に斬り裂いた。
女帝蜘蛛はしばらく痙攣するように震えた後、完全に動きを止めた。
確認するとHPは0になっている。
「よっしゃ! トドメとったどー!」
「やりましたね!」
「素晴らしい。二人ともお疲れさまです」
三人が会心の勝利に喜びを分かち合ったその時――死んだ女帝蜘蛛の腹が弾けるように裂けると、中からおびただしい子蜘蛛の群れが飛び出して、女帝蜘蛛の脇に立っていたニルに一斉に襲いかかった。