第2話 鉱山都市ミンクス
サツキが拠点にしている街は『ミンクス』という、この地域からのゲームスタートを選んだプレイヤーなら、誰もが最初に訪れる鉱山都市だった。
Noahの世界は都市国家が乱立しており、このミンクスと同じようなゲーム開始時の拠点となるような街がいくつもあった。
そういった街をベースキャンプとしてLv20前後まで上げ、徐々に活動範囲を広げて自分のレベルに合った敵と戦いつつ、最終的には大陸の中心都市である『アイシア』で本格的な冒険をするというのがNoahの標準的なプレイだった。
ちなみにNoahのレベル上限は100である。
したがってLv27であるニルとティムがいまだにミンクスにいるのは、経験値稼ぎということから考えるとあまり効率的とは言えなかった。
「だってしょーがないじゃん。盗賊と付与魔術師だよ? 誰かさんは足が遅くてすーぐ敵に見つかるし」
「私に言わせればニルさんに慎重さが足りないからなんですけどねえ。経験値的においしい敵と戦っていたら命がいくつあっても足りませんよ」
ニルの発言にティムも負けじと言い返す。
しかし効率よりも安全を重視するという意識は、現状のNoahプレイヤー全員が持っているものだった。なぜならゲーム内での戦闘不能が現実での死と考えているからだ。
レベルを上げたければ慎重に、一歩ずつ上を目指すしかなかった。
サツキたち三人はようやくミンクスの街並みが見える所まで帰りついた。時刻は既に夕方である。
このミンクスのあるエリアは岩や石の転がる荒野と、砂漠が広がる土地であり、緑はほとんどなく、背の低いサボテンのような植物が生えているぐらいだった。
そのかわりに遠くまで見渡せるため、今も夕陽が沈むのが大きく見え、雄大な景色を描いている。
しかしニルとティムは景色などお構いなしで、どちらがより迷惑をかけているかについて言い争いを続けている。
「お二人って仲が良いですけれど現実世界でもお知り合いなんですか?」
サツキが何気なく発した質問に、二人の声がぴたりと止まった。
そのまま不自然な間が流れる。
また変なことを言ってしまったのかと思い、サツキが謝ろうとするとニルが口を開いた。
「うーんとね、サツキ。あんまり現実世界のことはきかない方がいいよ」
ニルはどう言えば伝わるかと考えるように慎重に言葉を続ける。
「そもそも個人情報を不用意に漏らさないっていうのがオンライン上のマナーっていうのもあるけど、いま大切なのはこのふざけた現状のNoahじゃ、現実世界の情報を知ることによって、身動きが取れなくなる可能性があるってことなんだよね」
ティムが後を引き取るように補足する。
「例えば私たちがサツキさんの現実世界の友人だったとしますよね。協力できているうちはいいですが、もし敵対した時には現実世界の関係が足枷になります。赤の他人だったとしても現実世界での相手の環境に同情したり共感したりすれば、判断が鈍ったり決心が揺らいだりするでしょうし」
「……それはフォーチュンにまつわる噂のことを言ってるんでしょうか?」
「いいえ、それよりもずっと手前の段階の話です。」
「手前の段階――ですか?」
「はい。……今はわからなくてもきっとサツキさんにもわかる時がきますよ」
ティムが悲しそうな表情を浮かべているので、サツキは不安になった。
「まあまあそんなに思い悩みなさんなって、教えてあげるから。あたしとティムは確かに現実世界での知り合い。そんでもってあたしはホントに女、ネカマじゃないよん」
「結局言っちゃうんですね」
「まーいいじゃん。サツキになら」
ティムが苦笑するのに対して、ニルは屈託なく笑った。
そんな二人を見ながらサツキは思う。この二人が知り合いだとしたらどんな関係だろうか?
仲の良い友人か、それとも恋人同士か、兄妹ということも考えられる。
どんな関係にしろ、アクティブなニルを優しく見守るティム、というイメージが浮かんだ。
(いいなあ)
そう思った。……なるほどティムの言うとおりだ。すでにこの二人にどっぷりとシンパシーを感じてしまっている。敵対することなど考えられない。もしも二人と敵対することになったとしたら、サツキは自分が身を引くことを選択するだろう。
この感情が二人の言っていたことだとはわかったが、手前の段階というのが何のことなのかはわからない。いつかわかる日が来るのだろうか。
サツキがそんなことを考えているうちに三人はミンクスに到着した。
ミンクスは鉱山都市にふさわしく背後に山を構え、埃と煤にまみれた、石造りの武骨で機能的な建物が立ち並ぶ街だった。
NPCにもぶっきらぼうで口数が少ない愛想のないものが多い。
サツキは他の街を知らないということもあるが、この街が嫌いではない。しかしニルたちの情報によると、他都市出身者はミンクスを暗くて汚い街だと評するそうだ。
サツキはそれを聞いて悲しくなり、自分がいかにこの街に愛着を持っているかに気がついた。
ちなみにティムはこのエリアの出身だが、ニルはずっと南東にある森にかこまれた街の出身なのだという。
確かにこの付近では猫の半獣族は全くといっていいほど見かけない。多いのは人間とドワーフであるが、変わったところでは蟻族などもそれなりに見かける。
そのニルはなんとLv1の時に一週間もかけて故郷の街からミンクスまで来たのだそうだ。
「もちろん何回も死んだけどレベル1なら死んでも影響ないし、ホームポイントをこまめに移しながらやれば来られるって。常に敵に見つからないようにしないといけないけどね」
確かにその頃は現在と違い、純粋なゲームだったからそんなことが可能だったのだろう。それでも大変なことにかわりはなく、そこまでしたということは、やはりティムと一緒に遊びたかったのだと思う。
「さーて。じゃあ今晩はあたしたちの出会いを祝って豪勢にいこっかー!」
ニルの声に我に返る。その意見には賛成だがサツキには先立つものがない。
「あ、あの。わたしお金をあまり持ってなくて……」
「そんなのわかってるって、もちろんあたしたちの奢り。こんな一番安いパンと井戸水を飲んでる人に払わせたりしないって」
ニルの手には水袋と何の変哲もないパンが握られている。ゲームの世界なのだから同じ物がいくらでもあるが、それにしてもどこかで見たような……。
サツキはあることに気がついて、慌ててカバンの中を確かめる。
そこに入っているはずのパンと水がない。ニルたちと出会う前には間違いなくあったはずなのに。
「にっひひー。盗みだよ~ん」
ニルが笑っている。おそらく盗賊技能のひとつなのだろう。それにしてもまったく気がつかなかった、いったいいつ盗ったのだろうか。
「てか、サツキのカバンの中ってこれ以外なーんにも入ってないんだけど。あんた今までよく生きてこれたね?」
「出かける前には回復薬とかも入ってたんですけど全部使っちゃって……」
「いや、水と食料ももっと持とうよ」
「ごめんなさい……」
しょんぼりと俯くサツキを慰めるようにティムが声をかける。
「サツキさん気にすることないですよ、ニルさんだって最初は何にも知らなかったんですから」
「そうなんですか?」
「ええ、ひどかったですよ。そもそも空腹のパラメータがあることにすら気づいてなかったんですよ」
ティムが笑うのに対して「にゃによーわるいー」とニルが膨れている。
今では経験豊富そうなニルでも、最初の頃はそうだったのだと知ってサツキは安心した。
「はいはい、ニルさんは盗った物を返す。お金もですよ」
ティムのその発言の意味に気がつき、サツキは慌てて所持金の確認をした。
なけなしの全財産が消えていた。
「にっひひー。掏りだよ~ん」
振り返ると、ニルが満面の笑みを浮かべていた。