第20話 城塞都市ルメインベルク
グリンディンヴァルトから東へ進むこと三日、サツキたちははるか彼方まで見渡せる大平原へと辿り着いた。足首を隠すぐらいの丈の草が、乾いた風に揺られている景色がどこまでも続いている。
ところどころに丘があるのだが、そのことで遠近感がわかり、いっそう平原の広さが感じられた。
サツキは久しぶりに視界が開けた解放感を味わうように大きく伸びをする。
「やっぱり広いところはいいですねー。ここが中央平原ですか?」
「いえ、ここは北方平原ですね。アイシアのある中央平原はこの南です。もっとも同じ景色が続いていますから、システム上の境界以外はないも同然ですが」
ティムが風に目を細めながらそう説明してくれる。
三人は今回も歩いて移動してきていた。道中でこの北方平原エリアの敵に慣れるために戦闘を重ねてきたのも前回と同様である。
もっともレベルが上がったおかげで戦闘はかなり楽になっていた。しかし戦闘が楽になるということは取得経験値は少なくなっているわけで、辺境での成長は厳しくなってきていた。
最初の予定通りに、この北方平原にある都市でのクエストを終えたら、アイシアへと向かうことで三人の意見は一致した。
そこでサツキが遠くを駆けている馬の姿に気がついた。
「あそこに馬がいますよ。敵――じゃあないですよね?」
ここまで戦ってきたなかに馬型の敵はいなかった。
ニルもサツキが指さす方へ手をかざして見つめる。
「サツキ眼がいいねー。砂漠の民の能力値設定ってどうなってるのよ」
夜目が利く猫の半獣族のニルでも、視力ではサツキに劣っているらしい。
「あ、こっちに来ます」
サツキの言うとおり、徐々にその姿が近づいてくるのがニルとティムにもわかった。
三人は多少警戒しながらそれを待つことにする。
大地を蹴る四本の脚がはっきりと確認できる距離までくると、サツキはそれがただの馬ではないことに気づいた。ニルにもその正体がわかったようで声をあげる。
「あー。あれって半人半馬族だね。プレイヤーだよ」
サツキが調べてみると名前とギルドが表示されたので、ニルの言うとおりプレイヤーらしい。
これがケンタウロス。サツキは初めて見るその姿に魅せられた。
神話でのケンタウロスは、本来は馬の首がある部分に人間の胴体が不自然に生えているといった感じで、妙に生々しいというか気味が悪いと思っていた。
今、目の前を走る姿にはそれが感じられない。おそらく裸ではないからだろう。
そのケンタウロスは人間部分の胴体に板金鎧を着ていて、馬の胴体は色鮮やかな布に覆われていた。それだけで人と変わらないように見える。むしろ勇ましさと優雅さを兼ね揃えた存在に思えた。
あっという間に三人の横を駆け抜けていったその姿を、サツキはずっと見つめていた。
「サツキはケンタウロス見たのは初めて?」
「はい」
「街に着けばいっぱい見られるよ。ケンタウロスでゲームを始めると北方平原スタートのはずだから」
「そうなんですか?」
「確かそう。だよね?」
ニルがティムへと確認する。
「そうです。ケンタウロスは移動に制限があるので平原エリアじゃないと不利なんですよ」
「移動に制限ですか?」
ケンタウロスが移動に有利というならわかるが、不利になるというのは不思議だった。
「たとえば先日までいた森林エリアのようなところでは、全速力で走れませんし小回りもききません。砂漠や湿地では自身の重さで沈んでしまい、人型よりも速度が遅くなるそうです。現実世界の馬は違うのでしょうが、Noahではバランスを取るためにそういった設定がされているみたいですね」
「そのかわり平地だと速いよ。各都市間をたった二時間で移動しちゃうもん」
サツキたちのような人型が走った場合、各都市間は八時間なので驚異的な速さだった。
「ただし燃費も悪いようですね、空腹パラメータの減少がかなり早いそうです。その分、満腹までの許容量も大きいそうですから、食事の回数が増えるということはないのでしょうが――」
「大食いで食費がかさむってわけね」
「そういうことです」
なるほど。二人の話を聞いていると良いことばかりではないようだ。それでも先程見た、大地を駆ける姿には惹かれるものがあった。
しばらくケンタウロス談義に花を咲かせながら歩いていると、前方から先程とは別のケンタウロスが歩いて来るのがわかった。
なぜひと目で別人だとわかったかというと、それが女性のケンタウロスだったからだ。
その姿を見てサツキは激しく感動した。
今までケンタウロス=男性というイメージしかなかったのだが、その女性ケンタウロスがもの凄く素敵なのだ。
鉄の地色のままのプレートメイルを着ていて、左腕にはベアが持っていたようなヒーターシールドをしており、右腕には騎槍を持っている。馬の胴体部分は真紅の布に覆われ、そこにギルドのエンブレムなのだろうか、凝ったデザインが描かれていた。肢巻にも胴体と同じ真紅のものが使われている。
髪も体毛と同じ栗毛というのだろうか、ライトブラウンのそれを馬の尻尾にしてあるのが、尻尾とおそろいでおしゃれだ。
顔つきもいかにも女騎士という感じで凛々しくて格好よかった。
その女性ケンタウロスも、サツキがまばたきもせずに自分のことをじっと見つめているのに気がついたらしい。
あまりに見つめられるので、自分の姿にどこか変なところでもあるのかと思って確認したが、いつもと変わりがない。それでもじっと見つめてくるサツキがだんだんと薄気味悪くなり、慌てて駆けだしてその場を立ち去った。
サツキは走り去る女性ケンタウロスの後ろ姿を名残惜しそうに見送る。
ニルはそんなサツキを不思議そうに眺めていた。
「サツキ、そんなにケンタウロスが気に入ったの?」
「すごく……。素敵です……」
返事をしながらもいまだに女性ケンタウロスを目で追っているサツキに聞こえないように、ニルとティムが声をひそめる。
「サツキの好みって変じゃない? ベアのことも可愛いって言ってたし……」
「まあ趣味嗜好は個人の自由ですから……」
「ニルさんっ!!」
「ふぁい!!」
いきなりサツキに呼ばれてニルの声が裏返る。
「な、なに!?」
「わたし次にキャラメイクする時はケンタウロスにします!」
「は?」
「わたし絶対ケンタウロスになります!」
興奮しながら力説するサツキに、珍しくニルが押されている。
「次って言ったって、あんた……」
「それはわかっています。だから仮定の話としてどうですか、わたしのケンタウロスって?」
「どうって言われても」
「ちょっと想像してください。格好いいですか?」
サツキの勢いに押されて、ニルはサツキがケンタウロスになった姿を想像してみる。
「……ごめん、サツキ。気を悪くするかもだけど、あんたにケンタウロスは似合わないと思う」
「ええっ! 何でですか!?」
「何でって言われても、あたしのなかでのサツキって、今のあんた以外考えられないし」
「そんなぁ」
「仕方ないですよサツキさん。これは刷り込みのようなものですから。最初のイメージというのはなかなか抜けないものなんです。私もサツキさんは今の姿が似合っていると思いますよ」
ティムにまでそう言われて、サツキは軽くへこんだ。
ニルがそんなサツキの髪をわしゃわしゃと掻き回す。
「あんたがケンタウロスだと手軽にこうすることもできないでしょ。だからいいじゃない」
たしかにそうかもしれない。サツキは残念だがそう納得した。
そして三人は北方平原エリアの街である『城塞都市ルメインベルク』へと到着した。
ルメインベルクは城塞都市の名にふさわしい、立派な外郭に覆われた街だった。
何もない平原に造られたので街全体が正確な五角形をしている。レンガ造りの建物は頑丈そうで、街全体が城塞としての統一感があった。全てが雑然としているミンクスや、森との境界が曖昧なグリンディンヴァルトとは一線を画している。
門にはNPCの衛兵――これもケンタウロスだ、がいて物々しい。街全体の雰囲気もどこか緊張感に満ちている。サツキがそれを口にすると、ティムが理由を教えてくれた。
「ルメインベルクは獣人の侵攻に対する防衛拠点という設定なんですよ。グリンディンヴァルトのクエストでもオークが攻めてくるのを防ぐというのがあったでしょう」
そういえばベアに手伝ってもらった『オークの前哨基地を潰せ』がそんな内容だった。つまり戦いの最前線でもあるからこのような雰囲気なのだろう。
街の中心部まで来てサツキが感じたことが他にもあった、ひとつは全ての空間が広くとられているということで、もうひとつはプレイヤーが多いということだった。グリンディンヴァルトもミンクスに比べれば多かったが、ここはそれ以上である。
「プレイヤーが多いのはやはりアイシアに近いからでしょう。あとは防衛戦目当てのプレイヤーもいるかと思います。空間が広いのはこの街の主要種族がケンタウロスだからですね、すぐにその必然性がわかりますよ」
ティムはそう説明しながら笑った。
サツキは首をかしげながらもそれ以上は聞かなかった。ティムがすぐにわかるというのならそうなのだろう。
三人はいつものように冒険者の宿へと落ち着くことにした。
冒険者の宿の食堂へと足を踏み入れたサツキが最初に思ったことは、場所を間違えたのか、ということだった。
とにかく広い。その広い空間のところどころにテーブルが配置してあるのだが、数えてみるとその数は他の都市と変わらないのである。つまりテーブル間の距離が異常にあいているのだ。なんとも贅沢なスペースの使いかたである。
テーブル自体も変だった、呆れるほどに高いのだ。サツキの身長だとテーブルの表面にやっと顔が出るぐらいだ。そして椅子がない、立食専用だとしてもこれでは食べるのに苦労するだろう。
呆然と立ちつくすサツキのことを、ニルとティムがおもしろそうに見ている。
「これは良いタイミングで来たね」
「ですね。ルメインベルクに着くのが予定より早かったおかげで夕食まで時間がありますから、この誰もいない食堂を見られましたね」
「どういうことでしょう?」
「ケンタウロスが来れば、この不思議な食堂の理由が自然にわかるっていうこと」
そこへタイミングよくケンタウロスのプレイヤーが二人、食堂へと入ってきた。
サツキたちは脇へよけてその行動を見守る。
テーブルへとついたケンタウロスを見て、サツキはようやく合点がいった。あたりまえのことだがケンタウロスは椅子に座らないのである。そしてケンタウロスに合わせているから、テーブルは高いし、間隔も広くあいているのだ。
「私たちも席へつきましょうか」
ティムは奥まったテーブルへと移動すると、メニューへと手を伸ばして何かを選択した。
すると何もない空間から湧き出るようにして椅子が現れた。
「人型のために椅子もちゃんと用意されているのですよ」
「でもこれって……」
サツキはその椅子を見て唖然とした。
テーブルに合わせているから椅子も高い。どうやって座ればいいのかと思っていたら、よく見ると側面に梯子がついているのだ。
梯子を登り座ってみるとちょっとした絶景である。これがケンタウロスの目線なのかと思うと少し感動した。
「でもこれなら普通の椅子を用意して、テーブルの高さを変えられるようにした方がいいんじゃないでしょうか?」
サツキが当然の疑問を口にする。
「それだとケンタウロスと人型が同席した時に困りますからね。ここはケンタウロスの街だと割り切れば、異文化体験でこの椅子もおもしろくないですか?」
ティムの言うことはもっともだった。現実世界でも外国旅行をした時には、そこの文化を体験するのが醍醐味だろう。
三人は梯子付きの椅子に座って食事をとることにする。
ルメインベルクではお酒はエールが本場のようで、それだけで何種類もある。残念なことにニルとティムの好きなワインがなかったので、二人は黒エールを注文した。ニルたちも最近はサツキにアルコールを勧めてこない。
食べ物はソーセージとジャガイモ、キャベツが特産品らしい。なのでソーセージの盛り合わせとジャーマンポテトにザワークラウト、それにライ麦パンを頼んだのだが、テーブルに出現したその量を見て、三人とも絶句した。
現実世界ならどう考えても十人前はある特盛だったのである。
「……まあ、満腹になっても食べられるからいいんだけど」
「……味に飽きそうですが」
「……つ、次から三人で一人前にしましょう」
三人が食べる前からげっそりとしつつ、先程のケンタウロスの二人組を見ると、ピッチャーのエールを片手に次々と料理を流し込んでいる。
「サツキ、まだケンタウロスになりたい?」
「えっと、今のままでいいかなって思います」
イタズラ顔で問いかけるニルにたいして、サツキは曖昧な笑みでこたえた。
「……納得」
食事が終わってニルたちと別れ、部屋に入ってそれを見たサツキはうめいた。
さっきの夕食時にひとつの疑問をめぐって議論がされた。ケンタウロスはどうやって寝るのか、についてである。
最初に言い出したのはニルだった。
「馬は立ったまま寝るっていうから、ケンタウロスもそうじゃない?」
「確かに基本的には立ったまま寝るそうですが、安全が確保されていると感じれば、座ったり横になって寝ることもあるそうですよ」
ティムはさすがの博学である。
「疲れないとしても立ったままだと落ち着かないですよね」
サツキとしてはやっぱり横になって眠りたい。
「まさか部屋に行ったら寝藁があったりして。いっそのことサツキが聞いてくればいいじゃない、ベアの時だってそうしたでしょ」
「あの時はクエストを手伝ってもらうっていう目的があったからで、どうやって寝ているんですか? なんて聞けません!」
そんなやりとりがあったのだが、サツキが部屋で見たものは、笑うしかない巨大なベッドだった。
キングサイズでもこれに比べればまだ小さい、四畳半ぐらいの大きさがある。そこに大きさも形もさまざまな枕が、これでもかと置いてあった。
サツキはしばらくそのベッドを見つめていたが、小さくため息をついて下着姿になるとそこに横になった。
しかしどうにも落ち着かなくて眠れそうにない。
二人部屋だとこれがふたつもあるということになる。
でもニルたちはきっとひとつのベッドで寝ているのだろう。そんなことを考えた自分が恥ずかしくなって、サツキは枕の間に潜りむようにして眠りについた。




