第15話 ラビッツ・フット
サツキがいつもの時間に起床して食堂へと行くと、ニルとティムが心配そうな表情で待っていた。
昨晩はミスティアのことが頭から離れず、二人にはなおざりな態度で接してしまったのだ。今更ながら後悔する。
「すみません、昨日はちょっと疲れていて。もう大丈夫です!」
明るく元気な声を出す。そんなサツキを見て二人もやっと安心したようだった。
朝食を食べながらそれぞれのクエストの報告をして、効率的な回り方を相談した。とりあえず戦闘系は後回しにして三人いっしょにクリアすることに決め、それ以外を各々で先に消化することになった。
そこでニルが思い出したように口を開いた。
「あ、でもあたし、今日はレアモンスターを張り込むつもりなんだよね。二人は気にしないでクエを進めておいて」
レアモンスターと聞いてサツキはドキリとした。
昨日のことは二人には話していない、余計な心配をさせると思ったからである。まさかとは思うがニルが狙っているのは剣歯虎なのだろうか。
「……ニルさん、そのレアモンスターって虎ですか?」
「んにゃ。ウサギだけど、どうして?」
「い、いえ! ちょっと気になっただけです。あの、わたしお手伝いしますよ」
「へーき、へーき。強さはたいしたことないらしいから、あたしひとりでも余裕っぽい」
「そうですか……」
ニルが大丈夫だというのならそうなのだろう。ただサツキとしては昨日の出来事を思い出すと、どうしても不安だった。
クエストを勧めていてもサツキはいまひとつ身が入らなかった。
ニルのことが心配だったというのもあるし、もう一度ミスティアに会って話をしてみたいとも思っていた。そんなことを考えながら歩いていたせいか、クエストで指定された場所を通り過ぎてしまったようだ。森林エリアの地図を可視ウィンドウで確認すると、やっぱり行き過ぎている。
しっかりしなきゃと、気合を入れるように両頬をぴしゃりと叩いてから、来た道を引き返す。
その時ギルドチャットからニルの焦ったような声が飛びこんできた。
「サツキ、今どこにいる? すぐに来て!」
「ニルさん大丈夫ですかっ!!」
サツキの血の気が一気に引いた。
やっぱりいっしょについていくべきだった。自分が昨日あんな目にあったくせに、どうしてニルを一人で行かせたりしたのか、後悔してもしきれない。
「どこですか!? すぐ助けに行きますから、それまで持ちこたえてください!」
「あー。ちがう、ちがう。すぐ来て欲しいのはホントだけど、別にピンチじゃないよ」
サツキの必死の呼びかけにこたえるニルの声は予想外に落ち着いていた。サツキはほっとしたのと同時に拍子抜けして虚脱感に襲われた。
「あの、戦闘中じゃないんですか?」
「違うよー。もうとっくに倒した後、それより早く来て!」
ニルはそう言うと場所を告げる。教えられた場所はクエストの目的地を通り過ぎていたおかげで意外と近くのようだ。それにしても戦闘は終わっているのに早く来て欲しいというのはどういうことなのだろう。
サツキは疑問を抱きながらも指定された場所に向かって走り出した。
ほどなく木々の間にニルが手を振っている姿が視認できた。
「サツキー! こっち、こっち。よかった間に合った」
通常チャットからニルの声が聞こえる距離までくるとパーティ勧誘がきた。訳もわからないまま、それにYESで答えてパーティを組む。
するとサツキのカバンに、何かアイテムが入るのが確認できた。
「あっぶなー。もう少しでロストするところだったよ、それサツキにあげるね」
なんだろうと、今カバンに入ったばかりのアイテムを取りだしてみる。
「きゃあああーーーっ!!」
サツキの手に握られたそれは、やたらとリアルな動物の足だった。
「な、な、な、なんですかコレ!?」
「『ラビッツ・フット』だよ、知らない? 現実世界でも幸運のお守りのアクセサリーとして人気があるんだけど」
あたりまえのようにこたえるニルの首には、サツキの手に握られているのとまったく同じものが提げられていた。
ニルの話を聞くとこういうことだった。
このラビッツ・フットをドロップするのは『逃げ足ウサギ』というレアモンスターで、名前の通りHPが少なくなるとすぐに逃げ出してしまう。
そのため、盗賊の24hourアビリティであるトレジャーフィニッシュの効果時間内に倒すことが難しく、盗賊泣かせの敵らしい。
そのかわりラビッツ・フットの性能はオンリーワンのもので、防御力は+1だが、幸運度+15に、アイテムドロップ確率アップという、盗賊垂涎のレアアイテムだった。
ニルは何とかトレジャーフィニッシュの効果時間内にトドメを刺すことができて、見事にラビッツ・フットを手に入れることができた。そのままほくほく気分で近場のクエストをクリアしていると、なんとニルの目の前に逃げ足ウサギがリポップしたというのだ。
そうなるとさっそくラビッツ・フットの効果のほどを確かめてみたくなる。
軽い気持ちで再び倒してみると、トレジャーフィニッシュなしにも関わらず、なんとふたつめのラビッツ・フットがドロップしたのだ。
しかしレアアイテムは一人につきひとつしか持つことができない。そのまま捨てるのももったいないので、慌ててサツキを呼んだというわけだった。
サツキとしてもニルの気持ちは嬉しい。確かに嬉しいのだが……。
「でもこれってわたしが装備してもあまり意味がないような……」
どう考えても盗賊以外の職業では役に立たないように思える。
「アイテムドロップ確率アップは職業関係なく有効なんだし、幸運度+15だってないよりマシでしょ。どうせサツキ、首装備してないじゃない」
サツキとしては実のところ効果うんぬんよりそのリアルなフォルムが気になっていた。腰などに吊るすのならまだしも、首飾りというのはちょっと抵抗がある。
ニルはせっかくのレアアイテムにもサツキが難色を示しているのを見て、機嫌を悪くしたようだった。腕を組んでそっぽを向いてしまう。
「いいよ、いいよ、気に入らないなら捨てればいいじゃない。サツキじゃなくてティムを呼べばよかった」
「気に入ってないなんてことはないです!」
サツキは慌てて装備画面を操作して首に提げる。
「べつに無理して装備しなくてもいいよ」
「無理なんてしてません!」
サツキはラビッツ・フットを顔の脇にかざすとにっこりと微笑む。
それを見てニルも機嫌を直したようで、サツキに近寄ると髪をわしゃわしゃと掻き回した。
「うんうん、お揃いだねー」
ニルは本当に嬉しそうに笑っている。
サツキは髪を掻き混ぜられながら、ニルが喜んでくれるのなら見た目ぐらい我慢しようと思った。
日が暮れてグリンディンヴァルトに戻ってからもニルの機嫌は良かった。
いつも快活で賑やかなニルだが、ラビッツ・フットを手に入れたことがよほど嬉しいのだろう、食事の最中もずっと大きな声でしゃべり続けていて、ティムに他のプレイヤーの迷惑になるからと注意されたぐらいだ。
そうして食後のお茶を飲んでいる時にニルは思わぬことを提案してきた。
「そうだ! 今日はあたしとサツキで同じ部屋に泊まろうよ」
いきなりのことでサツキは驚いた。
「でも、どうせ寝るだけでは?」
「いいじゃない。女子会よ、女子会! パジャマトークよ、パジャマトーク! ふたりで一晩中ガールズトークしよっ」
そう言うとニルはサツキに抱きついてきた。サツキが持っていた木製のカップから紅茶がこぼれる。いくらラビッツ・フットが手に入ったからといっても、ニルのテンションは高すぎだと思う。
「それじゃあティムさんにわるいですし。そうだ、六人部屋を借りませんか? お金はわたしが出しますから」
二人に出会ったばかりの頃とは違い、今ではサツキの所持金にもかなりの余裕があった。
「えー、ティムが一緒じゃガールズトークができないじゃなーい」
「ニルさんがそんなこと気にするとは思えないのですけど……」
「なんか言った?」
「いえっ、なんにも!」
「それともサツキ、あたしとふたりはイヤなの?」
「そんなことあるわけないじゃないですか! ただ――」
そこでサツキはティムの方をちらっと見る。
ティムはサツキの視線に気がつくと微笑んだ。
「私のことは気にしなくていいですよ。むしろニルさんのイビキから解放されてゆっくりと眠れるので嬉しいぐらいです」
「あたしはイビキなんかしないわよ!」
「なぜわかるのです? イビキは眠っている時にするのですから、気づいていないのは本人だけですよ」
ティムは涼しい顔でそんなことを言う。そのポーカーフェイスからはそれが真実なのか冗談なのか判断ができず、ニルも急に不安になってきたようだ。
「……あたし、ホントにイビキかいてるの?」
「さあ、どうでしょう」
ティムはチシャ猫のようにニヤリと笑った。それをきっかけにニルとティムの言い争いが始まった。
サツキはそれを見て、本当に仲が良いなぁ、と思う。
出会った当初は二人がどういう関係なのかわからなかったが、色恋事に疎いサツキでもさすがに今ではわかる。ニルとティムは恋人同士だろう。
つまり今のコレも痴話喧嘩なわけで、愛情表現みたいなものだ。そしてそんな二人をできるだけ邪魔したくないというのがサツキの本心だった。昼間はお邪魔虫であるサツキがいっしょなのだから、せめて夜ぐらいは二人きりにしてあげたい。
これは正直に伝えるべきだろう。
「あの、わたしはできるだけお二人の邪魔をしたくないんです。昼は仕方ないとして、せめて夜ぐらいはゆっくりとお二人で……あの……語らったりとか……そういうことをした方がいいと思います……」
サツキが顔を真っ赤にしてそう言うと、ニルとティムは言い争いをやめてサツキのことを見つめる。最初は呆気にとられていたようなその表情が、徐々に意地の悪そうな笑い顔に変化してきた。
それを見てサツキは、自分が墓穴を掘ったことを悟った。
「サツキあんたさー、変なこと想像してない?」
「へ、変なことってなんですか」
「あたしとティムが毎晩イチャイチャしてるとかー」
「そんなこと思ってません!!」
「じゃあ語らったりのあとの、そういうことってなあに~? おねーさんに教えてくれる?」
せっかく人が気を遣っているのにからかうなんて!
完全にへそを曲げたサツキは、怒ってそのまま自分の部屋に戻ろうとした。ニルが笑いながら謝ってくるのを振り切ろうとしたが、ティムまでいっしょになって謝られるとさすがに折れるしかない。
そのままなし崩し的に、今晩はサツキとニルが相部屋で寝ることになってしまった。
ベッドに座ると可視ウィンドウの装備画面を操作して装備をオフにしていく。
ニルはパジャマトークなどと言っていたが、サツキはいつも下着だけで寝ていた。見ればニルも下着姿になっている。
この世界の下着は現実世界のもののようにファッショナブルではなく、生地面積も大きく地味なものなので、見られてもそれほど恥かしさはない。
次々と装備をオフにしていって、ラビッツ・フットはどうしようかと迷った。幸運のお守りだというし、慣れると最初に見た時ほど不気味さを感じなくなっていたのでそのままにしておく。
「とぉー!」
いきなりの掛け声と共にニルがサツキへとダイブしてきた。そのまま二人してベッドへと倒れ込む。
「なにするんですか!?」
ニルは横になったままサツキの体をくすぐりだした。だが痛みを感じないのと同じように、くすぐったさも感じない。サツキの反応の無さにつまらなくなったのか、ニルが動きを止める。
「むー、つまんなーい。VRMMOが痛覚を遮断するのは当然だけど、くすぐられた時の感覚は残しておいて欲しいよねー」
「わかりましたから、自分のベッドに戻ってください」
ニルはまだぶつぶつ言っていたが、それでもおとなしく自分のベッドへと戻る。その後はベッドに横になりながら普通に話をした。
会話の内容は現実世界のことだったが、個人的なことには極力触れずに一般的な話題に終始した。これは以前にニルたちが言っていた、お互いのことを知らないほうがよいという理由からだろう。
正直なところサツキはニルの話についていけるか不安だったが、ニルはサツキの趣味嗜好をそれとなく聞き出して巧みに会話を誘導する。そのためにサツキにとってこの語らいは予想以上に楽しいものになった。
もっともニルも楽しんでくれたかどうか、なによりもこれがガールズトークというものなのかどうかは、はなはだ疑問だったが。
話題が尽きてくると会話は自然とNoahのことになった。
「そういえばサツキの名前の由来ってなに? ありふれてるけど五月生まれとか?」
「いえ、わたしの誕生日は三月です」
「そっか、じゃあヤヨイだもんね。あたしのニルヴァーナはバンドの名前から。カートのいるほうね」
サツキはそのバンドを知らなかったが、ニルの言うことから察するに同名のバンドが複数あるようだ。
「それでサツキの由来は?」
「わたしが名前をサツキにしたのは――」
そこで言葉に詰まった。
もちろん理由はある、決して適当に付けた名前ではない。だがこんな話を聞いてもニルは楽しくないだろう。
押し黙ったサツキを見て、ニルがベッド脇のテーブルにのっている室内ランタンに手を伸ばした。
「話したくないことは無理に話さなくっていいって。そろそろ眠ろっか、明かり消すよ」
部屋の中が暗闇に包まれた。
いつもはひとりの室内に今日はニルの呼吸音が聞こえる。それはサツキをひどく安心させるリズムだった。それに誘われるように言葉が口からこぼれた。
「――わたし中学の時にずっとイジメられてて、イジメってクラスが馴染んできた五月頃から始まるんです。学年が上がってクラス替えがあっても同じでした」
ニルは何も言わずに黙っている。
「高校に入って――いちおう進学校なので露骨なイジメはなかったんですけれど、今度は友達ができずにクラスで孤立しちゃって、不登校になったのがやっぱり五月なんです」
そこでサツキは無理にでも明るい声をだした。
「だから自戒の意味をこめてサツキにしたんです。せめてNoahでは周りと上手くやっていこうって」
しばらくして衣擦れの音が聞こえるとサツキのベッドが軋んだ。ニルが腰を下ろしたらしい。そしてサツキの頭に手の触れる感触がした。
「サツキ、もしNoahから無事に出られたら現実世界で会おうよ。あたしたちなら向こうでもきっと友達になれるから」
「……向こうのわたしはニルさんが思っているような人間じゃないですよ」
「なに言ってるの、人の性格なんてそんなにコロコロと変えられるわけないじゃない。サツキはサツキだよ」
「……本当に会ってくれますか?」
「あたりまえじゃない」
サツキは体を起こすとニルに抱きついた。
泣かないようにしようと思っていてもニルに優しくされるといつも泣いてしまう。今は暗闇のおかげで泣き顔を見られなくてすむのがせめてもの救いだった。
サツキとニルの胸元でお揃いのラビッツ・フットが揺れていた。




