第13話 森の都グリンディンヴァルト
サツキたちがミンクスを出発してから三日が経っていた。
時刻は夕方でもうすぐこの森林エリアの都市に到着するはずだった。
道の両側は背の高い針葉樹に囲まれている。下生えの草は少なく、かわりに苔が多いのは日光が当たらないせいだろう。それほどに鬱蒼とした森だった。
はるか地平線まで見通せる荒野や砂漠で行動してきたサツキにとっては、視界が制限されるこの森はいまひとつ落ち着かなかった。
正直なところ緑の多さに感動していたのは最初だけで、あの荒涼とした景色が懐かしい。それが贔屓目だというのはわかっていたが。
三人はいそがずに、時間をかけてここまでやってきていた。
Noahの各都市間の距離は、敏捷度の低いプレイヤーでも走れば8時間ほどだった。また高レベルになってから取得できる乗馬スキルをもちいて馬などに乗れば、2時間もあれば移動することできる。
走っても疲労するわけではなく、空腹のパラメータの減りが激しいぐらいでその他のデメリットはない。それでも三人が走ることを選択しなかったのは各々の敏捷度が違うために足並みを揃えるのが難しいのと、森林エリアの敵に慣れるために、見かけるたびに倒すようにしてきたからだった。
ミンクス周辺では昆虫系の敵ばかりだったが、ここでは齧歯ウサギに森林狼、森林虎など動物系の敵が多く、対応の仕方が微妙に違っていた。
そうやって徐々に森林エリアに慣れながら、夜になると点在する村の宿屋に泊まりここまできた。
三人が戦術について意見を交わしながら歩いていると、森から姿をあらわした一団があった。こちらと同じ三人パーティだが、全員がエルフというのはいかにも森林エリアらしい。
向こうも気がついたらしく、警戒するようにこちらの様子をうかがっている。
「こんにちはー。あっともう、こんばんはかな」
ニルが微笑みながら和やかに話しかける。
エルフの三人組はそれに軽く頷くと、足早に立ち去って行った。それを見てティムが苦笑する。
「仕方のないことですが警戒されますねえ」
「そういうものなのですか?」
サツキとしてはなぜそこまで警戒しなくてはいけないのかわからなかった。ミンクスにいた時には今のような状況に合ったことはない。
「いまだに辺境の都市に残っている人は少数派ですからね、ほとんどが顔見知りなのでどうしても余所者は警戒されます。アイシアのように知らない人間がいるのがあたりまえになると、またちがうのですが」
「現実世界での田舎と都会みたいだねえ」
二人の言っていることは理解できる。だが警戒するということはそこに何らかの脅威を感じているからだ、それはつまり――。
「あの、Noahがこういう状況になってからもPKってあるのでしょうか?」
これはずっと聞こうと思っていたことだった。サツキにとってそれは信じられないことである。Noahでの戦闘不能は現実世界の死と認識されているのにPKをするということは、いわば殺人を犯すのと同じではないのか。
ティムは難しい顔をして、慎重に口を開いた。
「残念ですがないとは言えません。もちろん遊び感覚でPKをする人間はいないと信じたいですが、目的のために手段を選ばない者はいるでしょう」
「それはやっぱりフォーチュンのために?」
『フォーチュンを手に入れられるのは頂点に立った者だけである』という噂、これを信じるのならばPKは避けられない。サツキが暗い表情で考えに沈んだのを見て、ティムが明るく言葉をかける。
「確かにPKはありますし、私たちも注意しなくてはいけないでしょう。けれども必要以上に怖がることはありません。三つの抑止力がありますから」
「三つの抑止力ですか?」
「はい。まずひとつめはリスクです。ほとんどのプレイヤーがステータスを隠した状態でいる現状のNoahでは、相手のレベルがわかりません。返り討ちに合う危険やレベルダウンのことを考慮すると簡単にPKはできません」
「でも装備などの外見から判断して、ある程度はレベルがわかるのでは?」
「これはまだNoahがこうなる以前の話ですが、わざと低レベルの装備をしてPKを誘う人たちがいましたね。初歩の罠といえます」
なるほど、色々なことを考える人がいるものらしい。だとすれば確かに安易にPKは仕掛けられないだろう。
「ふたつめですが、サツキさんは『囚人のジレンマ』というのを聞いたことはありますか?」
「……なんとなくは」
「簡単に説明すると、協調したほうがよいにも関わらず、個々の利益を求めるあまり協調できないことですね。フォーチュンに関しても最終的にはそうなるかもしれませんが、途中まではある程度の協調路線が取られると私は予想しています」
「どうしてでしょう?」
「例えばフォーチュンを守る守護者がいたとして、それがとても強力だとしたら? もし100人のプレイヤーが協力しないと倒せないようなものだったとしたら、ライバルといえども手を組まないといけないわけです」
「……たしかにそうですね。まったく考えていませんでした」
サツキはフォーチュンに至るまでの具体的なビジョンを想像したことがなかった。自身はフォーチュンについて懐疑的だと言いながら、そこまで考えているティムはさすがだと思った。
「みっつめは、甘いことを言うと思われるかもしれませんが倫理観ですね。私は人の性善説を信じたいと思っているんです」
「わたしもです!」
これはサツキとしては最も共感のできる理由だった。
「うんうん。サツキは難しいこと考えないで自分を信じたほうがいいよ、そのほうが良い結果になると思うし」
ニルはそう言ってサツキの髪をわしゃわしゃと掻き回した。
三人はそのまま談笑をしながら、夕暮れのかすかな木漏れ日がさす森のなかを歩いていく。
ほどなくして木立の合間から『森の都グリンディンヴァルト』が姿をみせた。
鉱山都市であったミンクスと比べると、グリンディンヴァルトは全てが正反対の都市だった。
街のなかは緑と水に溢れ建物は全て木造、煙と煤の代わりに木漏れ日と水しぶきが舞っている。街には起伏が多く小川や小さな滝がいくつもあり、それを利用して水車が回っていた。大きな樹の上に造られたツリーハウスのような建物もあり、それらを繋ぐ吊り橋が頭上を通っている。どこを眺めても綺麗で飽きなかった。
以前ニルたちに聞いた、他の都市出身者がミンクスを評した言葉がわかる気がした。
確かにここと比べるとミンクスは暗くて汚いかもしれない。それでもサツキはミンクスの方が好きだ。たとえニルに頑固だとからかわれようとも。
三人はそのままグリンディンヴァルトの冒険者の宿に入る。当然のように室内も全て木でできていた。食事をしながら明日以降の計画を立てることにする。
サツキが食堂に入って驚いたのはプレイヤーがそれなりにいることだった。貸し切り同然だったミンクスとは違う。そういえば冒険者の宿に来るまでの街中にもプレイヤーの姿を何人か見かけた。人口に差があるのはやはり景観のせいなのだろうか。
釈然とせずに微妙に不機嫌なサツキとは対照的に、ニルとティムはメニューに常備されているワインに喜んでいる。この十日あまりの付き合いでわかったが、二人の好みのお酒はワインだということだ。サツキはどうせグレープジュースの味しかしないので、勧められても断っている。
メニューの品揃えはミンクスとさほど変わらなかったがその内容は微妙にちがう。キノコのパスタだったり、マッシュルームピザだったりと、全体的にキノコ料理が多い。おそらくグリンディンヴァルトの名物なのだろう。
食事を終えたところで明日からの話となった。
基本的にはクエストを優先してこなす、情報を入手して良いアイテムを落とすレアモンスターがいるようならそれを倒しに行く、経験値稼ぎのための戦闘はしない予定。以上のことを確認した。
「それでクエストですが、三人で分担して進めたいと思います」
「いっしょにやらないのですか?」
サツキはてっきり行動を共にするものとばかり思っていた。
「クエストってあっちに行かされたりこっちに来させたり、いざ現場に着くとあれが足りない、これを持ってこいって言われるじゃない。だから分担してやって、自分の担当分以外は残りの二人から要領のいいやり方を聞いて進めれば効率いいでしょ」
「なるほど。頭良いですねー」
「まあそれほどでも」
感心するサツキにニルが格好をつけてこたえる。
「いえ、ティムさんが」
「ほー。あんたも言うようになったわねー」
ニルがサツキの両頬をつまんで引っ張った。
「ふぉめんなふぁい、ふぉうだんでふ!(ごめんなさい、冗談です!)」
そんなサツキとニルを見て笑いながらティムが場をしめた。
「それじゃあそういう方針で明日からお願いしますね」
次の日、サツキは森林エリアの南端まで来ていた。
クエストはおよそ次のように分担された。街中でクエストが終えられそうなもの、複雑な手順が必要なもの、何かアイテムを調達しなければいけないものをティムが担当。
長距離の移動が必要な、おつかい系のクエストを敏捷度の高いニルが担当。
そして敵との戦闘が発生しそうなものがサツキの担当だった。ただし戦闘はせずに直前まで進めればよいとティムに言われていた。戦闘が苦手なティムやニルがクエストをやる時には、どちらにしろサツキの助けが必要で二度手間になるからである。
もっともティムでも勝てそうなレベルの低い敵が相手のクエストは、そのままクリアしてもよいとのことだった。その見極めはサツキに任せられている。
太陽は随分前に中天を過ぎていた、サツキの担当分は残りひとつである。
そのクエストの内容は、薬草として使うために森林エリアの南端にある洞窟に生えている『ヒカリゴケ』を採ってきて欲しいという依頼だった。ただし洞窟にはキノコの化け物が棲みついており、ヒカリゴケを採ろうとすると襲ってくるらしい。
この辺りはすでにゴルディア山脈の麓で木々もまばらだった。
見晴らしがよさそうな岩の上に登って周囲を見回すと、傾斜のきつい岩肌にそれらしい洞窟があった。近くまで寄って中を覗いてみると、洞窟の奥の方に外からの陽光にわずかに反射するものが確認できた。おそらくあれがヒカリゴケだろう。
サツキは洞窟の入り口で考えた。
報酬は高めだったし、グリンディンヴァルトからかなりの距離があることを考慮するとクエストのレベルとしては難しいほうだろう。敵がいかにも特殊攻撃をしてきそうなファンガスというのも厳しい戦闘を予想させる。ティムの手には負えないはずだ。このクエストは保留にして三人でまた来たほうがよい、そう判断した。
これで自分の担当分は終わったことになる。街まで戻ろうと振り向いたサツキの目の前に一匹の巨大な獣がいた。いったいいつからそこにいたのか、まったく音はしなかった。
最初はただの森林虎かと思った。だが目の前の虎はそれよりも一回り大きく、口から巨大な牙を生やしている。
外見で判断するまでもない、名前には剣歯虎とある。
あの女帝蜘蛛と同じレアモンスターだった。




