第8話 仲間だから
サツキは思いっきり朝寝坊をして目を覚ました。
可視ウィンドウで時刻を調べるともう昼に近い。
慌ててベッドから抜け出して身支度を整える。といっても、装備画面で部位ごとにオンにすればそれだけで自動的に服は着るし、毎朝メイクをする必要もない、どれだけ寝ても寝癖がつくこともなかった。
こういうところはVRの世界は楽だなあと思う。
昨日は女帝蜘蛛を倒してミンクスに帰ってくると、サツキたち三人は冒険者の宿に直行して、そのまま泥のように眠ってしまった。
肉体の疲労はない。どれだけ歩いても疲れないし、どれだけ攻撃を受けても痛みもない。しかし精神は疲れる。
昨日は緊張の連続だったし、気疲れしたのも当然だろう。
ニルたちは起きているだろうか。二人の部屋をノックしてみたが返事がなかったので、食堂へ行ってみたがそこにも姿は見えなかった。
サツキは急に不安になってきた。まさか二人は自分をおいてどこかへ行ってしまったのだろうか。
冒険者の宿を飛び出して周囲を見回す。まだ街のどこかにいるだろうか、それともすでに街の外へ出てしまったのか。自分はなぜ寝坊などしてしまったのだろう。サツキはパニックに襲われたように走り出した。
他プレイヤーがほとんどいないミンクスなので、ニルたちを見かけなかったかたずねることもままならない。
とりあえず門まで行ってみようとNPCにぶつかりそうになりながら、全速力でミンクスの街を駆け抜ける。
中央広場を横切ろうとした時に聞き慣れた声がした。
「サツキー。おはよー」
慌てて止まろうとしたが、勢いがつきすぎていて転びそうになった。
声のしたほうを見ると、広場の隅に置いてある木箱に腰かけているニルと、その隣に立つティムの姿があった。
「おはようってことはないか、もう昼だぞー」
「おはようございますサツキさん、よく眠れましたか?」
サツキは呆けたように二人を眺める。
「どうしたの?」
ニルが不思議そうに聞いてくる。ティムも軽く首をかしげた。
サツキは泣きそうになって、泣いたりしたらダメだと思うとさらに泣きそうになってしまい、必死に涙がこぼれないように我慢をして、それも無駄な努力だとわかると、下を向いて二人に顔を見せないようにした。
そんなサツキを見てニルとティムは顔を見合わせ。それからサツキの元へと歩いてくる。
ニルが腰を屈めて下からサツキの顔を覗き込んだ。
サツキは恥ずかしくて、目を合わせないように顔をそむける。
「……あんた、なんで泣いてるの?」
それにこたえられないでいると、ニルがサツキの頭を抱き寄せてそのまま撫でた。
そんなことをされると余計に涙が溢れてきて、そのままニルの胸に顔をうずめながらサツキは泣き続けた。
「おいていかれたと思ったぁ!?」
ニルが大声で笑いだした。
鉱山都市のミンクスにはカフェテラスなどといった瀟洒なものはないので、三人は中央広場の隅で木箱や樽を椅子とテーブル代わりにして朝食兼昼食を食べている。
長い間ニルに頭を撫でてもらっていたサツキが、ようやく泣きやんだのはついさっきのことだった。
その後は天気も良いからと店で料理を買って外で食べることにした。当然なぜ泣いていたのかの理由を話さないわけにはいかず、サツキは恥ずかしいのを我慢して打ち明けたのだが、それを聞いてニルはずっと笑い転げていた。
サツキはさすがに腹が立ってきた。そんなに笑わなくてもいいではないか、これがさっきあんなに優しくしてくれた人がとる態度だろうかと。
そんなサツキの膨れ顔を見てさすがに気の毒になったのだろう、ティムがニルをたしなめた。
「ニルさん、笑いすぎですよ」
「だって、迷子になったちっちゃい子じゃあるまいし。うひひひひ、あーお腹痛い」
ますますサツキの頬が膨れた。
「もういいです! ニルさんがこんなイジワルな人だとは思いませんでした」
サツキは完全に臍を曲げた。もう二度とニルの前で泣いたりするものかと誓う。
「あはははは。ごめんサツキ、怒らないでって。もう笑わないから。でもね、どっちかっていうと悪いのはあんたのほうなんだよ?」
思ってもいなかったことを言われて、サツキは怒っていたことも忘れてきょとんとした。
「わたしが悪い――ですか?」
「そう。おいていかれたと思ったってことは、サツキはあたしたちがあんたをおいていくような人間だと思ってるってことでしょ。それってひどくない?」
「ち、ちがいます! そんなこと思っていません!」
「えー。だってそうじゃない」
サツキは何と言えばわかってもらえるのかと焦るが、言葉がうまく出てこない。
「おいていかれたと思ったのは、わたしがそう感じたということで、ニルさんたちがそういう人だと思っているなんてことは絶対にないです。あくまでもわたしが原因で、わたしだったらおいていかれても仕方ないというか。もちろんそんなわたしにもニルさんたちは優しくしてくれるから、だからニルさんたちがそういうことをしないというのは心の底から思ってます。ホントです」
サツキはもはや自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
そんな混乱状態のサツキにティムが優しく声をかける。
「サツキさん大丈夫ですよ、私たちはわかっていますから。ニルさんがあんなことを言ったのはサツキさんをからかっているだけです」
そう言われてニルを見るとニヤニヤと笑っている。
どうやらさっきの発言は本気ではなく、ティムの言うとおり、からかっていただけのようだ。でもそれはそれでやっぱり意地悪だと思う。
サツキは涙目でニルを睨んだ。。
「だからごめんって、お互いにひどいことしたってことでチャラにしよ。ほら、これあげるから機嫌直しなって」
ニルから受け渡しされたそれは『蜘蛛の糸』というアイテムだった。結構な数がある。
「これは?」
「昨日の巨大蜘蛛を倒した時にドロップしたアイテム。競売所に出品すれば良い値段で売れるよ。補助技能の裁縫で使う材料だから」
「たくさんありますね」
「それはあたしがいたからねー。パーティに盗賊がいると、ジョブ特性の効果でアイテムのドロップ率が上がるから」
「お二人の分は?」
確かにニルがいたおかげでドロップ率はよかったのだろうが、一人分がこの数というのはさすがに多すぎる気がする。
「あたしは『女帝蜘蛛の毒』が手に入ったからそれで十分」
シーフの24Hourアビリティ、トレジャーフィニッシュを使って女帝蜘蛛にトドメをさしたおかげで、ニルは目当てのアイテムを手に入れていた。
「でもティムさんの分は?」
サツキが顔を向けるとティムは神妙な表情で話しかけてきた。
「実はサツキさんに謝らなくてはならないことがあるんです」
「謝る、ですか?」
「はい。あの滝裏の洞窟に入る前に私が言ったことを覚えていますか?」
サツキは記憶を遡る。
確かあの時は洞窟の構造や、パーティの適正レベル、それらの知識はティムがまだ現実世界にいる時に得たものだということを聞いた覚えがある。
特に謝られるようなことは何もなかったはず――と、そこで気がついた。
「ひょっとして、ティムさんが何か忘れていることがあるって言ってたことですか?」
「それです。ずっと引っかかってはいたのですが、事が起きてから思い出したんです。女帝蜘蛛を倒すと子蜘蛛が沸くから、余力を残しておくようにとあったのを」
「でも、ティムさんがいなかったら何もわからなかったわけですし、責任を感じる必要はまったくないと思います」
サツキは慰めではなく本心からそう思った。忘れていたことがたったひとつあっただけで、それ以外の情報にはおおいに助けられた。それらは全てティムのおかげである。
「いえ、危ない目に遭ったのが私だったらそれで構いません。しかしあの時、危険に晒されたのはサツキさんとニルさんです。私は何もできずにただ待っているだけでした……」
沈痛な表情のティムに、サツキは声をかけられなかった。
この瞬間まで考えたことはなかったが、待つことしかできなかったティムは、実際に戦っていたサツキたちよりもつらかったのではないか。
「だからちゃんと謝らせてください。サツキさんを危ない目に遭わせてしまいすみませんでした。それと――ニルさんを助けてくれてありがとうございます」
そう言うとティムは深々と頭を下げた。
その姿を見てサツキは胸が苦しくなった。ティムは謝る必要などないし、謝って欲しくない。
ニルとティムが言ってくれた言葉を、今度は自分が伝えなければならない。
「顔を上げてくださいティムさん。昨日のことは謝られたり、ましてやお礼を言われるようなことじゃないと思うんです。だって助けるのなんて当たり前じゃないですか、わたしたちは……仲間だから……」
ニルがいきなりサツキの首に腕を回して抱きついてきた。
「そうだよね! あたしサツキのそういうとこ大好きだよ!」
そう言って自分の頬をサツキの頬にすり寄せる。
「あ、あのっ、ニルさん」
「まあ、今回はティムの気持ちを汲んで蜘蛛の糸はもらってあげて」
「わ、わかりましたから。離れてください」
ティムはそんな二人の様子を見て静かに微笑む。
サツキは思った、自分はもう一人ではないのだと。




