第0話 出会い
「どうしよう……」
サツキは呟きながら左腕の傷口に回復薬をふりかけた。
回復薬は淡く光ると容器ごと消えてなくなり、傷口は一瞬で治っていた。毒などの追加効果がなかったことは不幸中の幸いだった、毒消しはすでに使い切っている。
カバンの中をチェックする。といっても実際にカバンに相当する物を持っているわけではない。可視ウィンドウでアイテムボックスを開いただけだ。
中にはパンと水がわずか。回復薬はさっき使ったので最後だった。
「やっぱり一人だと厳しい……」
そもそも充分な準備をせずに来たのが間違いだった。食料や水、治療薬などの消耗品が全然足りないことに気がついて、街へ戻ろうとしところで先程の戦闘である。
勝てないと踏んで逃げ出したまではよかったのだが、間違って反対方向へと逃げてしまったのだ。
サツキの居る場所は、両脇に見上げるほどの断崖がそそり立つ、深い渓谷の底にある道で、それに沿うように幅10mほどの川が流れている。
この川の上流には滝があり、行き止まりだということは地図を見てわかった。つまり前にも後ろにも行けなくなってしまったのである。
道端の石に腰を降ろす。
すくなくともこれでHPは回復する。ただ何もしていなくても時間が経つごとに空腹のパラメータは下がっていき、それが0になると体力が減っていくので、そうなる前に行動しなければいけない。
疲れたように座り込んでいるサツキの姿はまるで子供のようだった。
砂色の髪は肩口の長さで無造作に切り揃えているだけでボサボサ。アーモンド形の目には青い瞳が浮かび、引き結んだ口は頑固そうな印象を与える。少年のように見えるが性別は女である。それがこの世界での『Satsuki』だった。
埃にまみれたフードと一体型のマントの下に着ているのは粗末な革鎧で、脚には土色のトラウザに、汚れたレギンスを履いている。
腰に吊っている曲刀の両手剣が不釣り合いに大きかった。
サツキが思い悩んでいると、かすかに何かが聞こえた。
サツキの聴覚は高めに設定されてある。声――のように聞こえたのは気のせいだろうか?
すると今度は思いのほか近くでそれが聞こえた。
「くぉのアホ××××野郎ーーーーーっ!!」
「……なんだろう?」
言葉の途中に警告音が混ざっていた。
つまり発言の主は好ましくない言葉、いわゆる禁止用語を発したのだろう。
今のは通常の範囲に聞こえるノーマルチャットではなく、広範囲に聞こえるシャウトだった。伏字になるような発言を連発するとアカウント停止や剥奪もありうるのに。そう思ったがそれが意味のない心配だと気がついた。
「こっち連れて来んな、死ぬなら一人で死ねーーー!!」
そのシャウトとともに声の主が現れた。
上流の方からクリーム色の毛並みをした猫の半獣族の軽装の女性がもの凄いスピードで駆けてくる。サツキも敏捷度は高い方だがそれ以上だろう。
彼女のステータスを調べると名前に『Nirvana』とあった。しかしレベルや、体力、魔力、それ以上の詳細な情報は隠した状態になっていた。これはサツキもそうだし、現在この世界にいる者はほとんどがそうしている。
Nirvanaはあっという間に近くまで来るとわずかに速度を緩めて声をかけてきた。
「やばいよ。あんたも逃げな」
「あ、でも」
「早く! 先に行くよ」
「あの。そっちには――」
しかしNirvanaはサツキの声に振り返ることなく走り去ってしまう。
すると別の声が上流の方から聞こえてきた。
「すみませーん。そこの人、逃げてくださーい。トレインしちゃいましたー」
どこか緊迫感に欠けた声で叫びながらバタバタと駆けてくるのは、杖を握りしめた背の高いローブ姿の人間だった。
調べると名前は『Otimtim』というらしい。他のステータスはやはり隠した状態だった。
それにしても足が遅い。見た目からして後衛職というのがわかるので敏捷度が低いのだろう。
逃げてくる彼の後ろには、地中から飛び出し、再び潜りを繰り返しながら迫ってくる、体長3mほどの巨大ミミズの姿があった。
サツキはそれを確認してシャムシールを抜刀する。
「わたしに任せてください」
「へ?」
Otimtimと入れ替わるようにして立ち塞がった。
巨大ミミズが地中から飛び出してきたところにタイミングを合わせて上段からシャムシールを斬り下ろす。
土を撒き散らせながら身をくねらせ、反撃してきたのを屈んでかわすと横に薙ぎ払った。
この敵ならばここ数日で何度も倒してきたのだ。遅れを取るようなことはない。
「あー。あのですね」
「大丈夫でしたか?」
「いや、あと7匹いるんですよ」
「え?」
見れば上流のほうから土煙を上げながら何かが迫ってきている。それはまるで大地が津波を起こしているような迫力だった。
「トレイン【※敵がリンクして集団で襲ってくること】って言いませんでしたっけ?」
「ご、ごめんなさいっ。早とちりしました」
「まだ間に合いますよ。すぐ逃げましょう」
「あ、でも……」
「ちょっと、なんでこんな所にこんなヤツがいんのーーー!?」
さっき通りすぎたNirvanaが凄い勢いで戻って来る。その背後から巨大な大顎を持った生き物が迫いかけてきていた。
「砂漠アリジゴク!?」
それを見てOtimtimが目を丸くする。
無理もない、本来ならこの渓谷には存在しない強さの敵なのだ。
「ごめんなさい。あれ、わたしが引っ張ってきたんです……」
街へ戻ろうと渓谷を抜けて砂漠を横切っている時に、巨大なすり鉢状の穴を見かけた。
砂漠アリジゴクの巣だとはわかったが、アリジゴクというからには巣から出てこないだろうと思って興味本位で石を投げた。
そもそもサツキの投擲スキルは低く、当たるわけがないと思ったのだ。
しかし奇跡的にヒットしてしまい、まさか追ってくるわけがないと思った砂漠アリジゴクは巣から這い出てきた。
決死の覚悟で戦ってはみたものの勝てるわけがなく、命からがら逃げるはめになり、バチが当たったのか逃げた先が袋小路のこの渓谷だった。
なんとか振り切ることはできたのだが、砂漠アリジゴクは渓谷の入り口に居座ったままで、帰るに帰れず困っていたところだったのだ。
「本当にすみません」
サツキは深々と頭を下げる。
「いえいえ。私たちもトレイン引っ張ってきちゃいましたし、お互いさまですよ」
「あんたたちなに呑気に話してんのよ。どうすんの!? まあここで死ねばこの世界からもサヨナラできるわけだから、それでもいいけどね」
「ダメです! フォーチュンという希望がある限り簡単に諦めるのは!」
思わず大きな声をあげたサツキを二人は驚いたように見る。
注目を浴びてサツキは耳まで真っ赤になった。
「あ。えっと……すみません。わたしレベル低いのに偉そうなこと言って」
「んにゃ。いいんじゃない、レベルなんて関係ないっしょ」
「そうですよ。諦めたらそこで試合終了ですよって安西先生も言ってますからね」
二人につられるようにサツキは微笑んだ。思い返せばこの世界に来てからまともな会話をしたのはこれが初めてかもしれない。
「そのためにもまずはここを生き残らないとね。とは言ってもあたしは戦いが余り得意じゃない盗賊で、相棒のコイツも戦闘じゃあ力を発揮できない付与魔術師なんだよね。だからあんたに頑張ってもらわないと」
「そうなんですよねえ。二人とも24hourアビリティ【※地球時間で24時間に1回だけ使うことが出来る特別なアビリティ】も戦闘には関係ないですし」
それを聞いてサツキは慌ててステータスウィンドウを確認した。
確か最後に使ったのは昨日の今頃だったはず。リキャスト時間は――
「あの、3分だけ持ちこたえてくれませんか。そうすればわたしのスペシャルアビリティが回復するんです」
「へー、あんたのは期待できるアビなんだ。じゃあそれまで頑張ってみよっか。あたしはアリジゴクの相手をするからあんたはミミズを頼むよ。援護はコイツがしてくれる。――っと誘ったからパーティに入って」
「はい!」
可視ウィンドウにパーティ勧誘の文字が点滅したのを見て『YES』を選択する。
サツキにとっては初パーティだった。そう思うと一気に緊張してくる。
そこで大事なことを思い出し、月齢を確認した。
――――満月。
果たして運が良いのか悪いのか。一人だったなら文句なしの幸運だが今はパーティを組んでいる。警告しておかないといけない。
「あの、わたしのアビリティって月齢が関係してくるんですが今は満月なんです。だからアビ発動したらわたしにも気をつけてください」
二人は一瞬怪訝そうな顔をしたが「あいよ」「わかりました」とこたえた。
その返事を聞いてサツキは迫り来る巨大ミミズの大群に対峙した。すると手に持つシャムシールが白く光った。おそらく付与魔術師だというOtimtimの魔法なのだろう、効果はわからないし、尋ねている暇もない。
先頭で地中から飛び出してきた巨大ミミズに向かってサツキは斬りかかった。
とにかく大事なのはスペシャルアビリティが回復するまで時間を稼ぐこと。追撃ができそうだと見ても深追いはしなかった。
横目で見るとNirvanaも、ダガーは構えているだけで回避に徹しているようだ。さっき見た彼女の素早さなら充分に逃げ回れるはずだ。
そう安心しかけた時――巨大ミミズの1匹がOtimtimに向かって飛びかかった。
「危ない!」
サツキは走り寄って職業技能である〈三日月斬り〉を発動した。
白刃が煌めき、残像を残して弧を描く。巨大ミミズは胴体の中心から真っ二つになって地面に転がった。
(いけない。パーティなんだから自分のことだけでなく後衛の人にも気を配らないと)
戦闘中にも関わらず一瞬そんなことを考えたのが致命的だった。
「後ろです!」
Otimtimの声に振り返ると、残りの巨大ミミズが6匹まとめて、サツキを飲み込むように襲い掛かってきていた。
目の前が真っ暗になった瞬間――
サツキの意識はなくなった。