第二十話『旅の終わり』
どうしてここにいる――とは、不思議と思わなかった。けれど意外な人物であったのは本音で、少なからず驚いたのも事実だ。だけど本当に、どうして、という思いだけは湧いてこなかった。それはどこかでぼくが悟っていたからかもしれない。
そうでないとおかしいと思っていたからかもしれない。
「お迎えにあがりました、ヒジリさま。チサさま」
「ヒジリ。こいつはきみのなんだい?」
フェリルは警戒を緩めずに言った。
「ぼくをこの世界に召喚した人――の側近です」
「味方なんだね?」
念を押すようにフェリルが言う。
「はい」
うなずくと、冷気は出したままであるものの、フェリルはゆっくりと後ろに退いた。彼女はエヤスさんへの警戒を解くことができないでいるようだ。それもそうだろう。彼は突如として現れた異分子だ。それを言えば、前回ここに来たぼくもそうだったのだろうけれど。何か違いがあるのだろうか。
「おや……チサさまが傷ついておられる様子。すぐに戻って処置をしないとなりませんな。ささ」
エヤスさんはそういってぼくを促す。うなずいて千紗を背負い、エヤスさんの隣に立った。
「失敬」
エヤスさんはぼくの腕を掴み、フェリルのほうに向きなおった。フェリルは身じろぎひとつせずぼくたちを見遣る。
「ご協力感謝いたします」
人に対してするのと同じように、フェリルに対しても慇懃に礼をした。
「それはわたしたちも同じさ。ゼノはわたしたちにとっても倒すべき対象だった」
「それはそれは。申し訳ないが私たちはこれで失礼させてもらいます」
「待て」
エヤスさんがぼくの腕を引いて一歩踏み出そうとしたところで、フェリルが制止の声をかけた。それを受けてエヤスさんは足を引いてもう一度フェリルに向き直る。足の動きからして、すぐそこに門があるようだ。
「何でございましょう?」
「どうやってここへ?」
「当然この門を使いましたが」
「どうして門の使い方を知っているのかな? その門の技術はフィアドの民のものであって、人はその技術を持っていないはずだと思うのだけど」
「簡単なことでございます。人と魔、その間に生まれた子が全て魔の側にいるとは限りらない。そういうことでございます」
「その子の名前だけ聞いておこうか」
「レミア、という娘にございます」
「そうか。引き留めて悪かったね。行ってくれて構わないよ」
「ええそれでは」
エヤスさんの手に引かれて、ぼくも門に体を沈めていく。
「ありがとう。フェリル」
「こちらこそ、さ」
フェリルは冷気がまだ落ちている手を振って、くすくすと笑った。
門をくぐる。
いつもの落下の感覚が終わると、そこは王都にほど近い平野のただ中だった。こんなところに門があったのか。こんなところにあるなら、魔の側からは簡単に攻撃できるな。防御も場所がわかるからある程度容易になるのかもしれないけれど。
エヤスさんは静かに歩きだし、ぼくは彼の後について歩いた。こうして歩いていると、初めてこの世界にやってきた時のことを思い出す。あの時はエヤスさんの後ろについて歩いているだけでもビクビクしていた。
都を囲む壁、その門をくぐって大通りを歩く。血まみれの千紗を背負ったぼくを町の人たちは奇異の目で見ていたけれど、前にエヤスさんが歩いているからかそれ以上のアクションはなかった。もしエヤスさんがいなかったら、今頃騎士団を呼びに走っている人が出ているだろう。
場内に踏み込むと、すぐに人が駆けつけた。
「この子をお願いします」
千紗を駆けつけた人に任せ、ぼくは千紗に持たせていた〈揺光〉を鞘に戻した。まだ持たせていたかったけれど、これはあの人たちでは千紗の手から話させることができない。それに彼らなら〈揺光〉なしでもどうにか処置してくれるはずだ。
あとは彼女の気力を信じるしかない。
「冷静ですな。もっと取り乱しても良いものでしょうに」
「薄情だといわれるかもしれませんが、取り乱してもどうしようもありませんから」
「変わりましたな。ここに来た時はもっと頼りない少年でした」
エヤスさんは静かに微笑んだ。
「そりゃあ変わりますよ。色々ありましたから」
「……感謝しております」
「いえ……」
エヤスさんが立ち止まった場所は、謁見の間の扉の前だった。きっとこの向こうでレミアさんが待っているのだろう。
彼女には――聞きたいことがたくさんある。
「レミアさま。ヒジリさまがお戻りになられました」
「通しなさい」
奥から女性の声が聞こえた。
思い扉が開かれ、謁見の間に入る。そこは豪華絢爛を絵にかいたような広間で、奥の玉座に悠然と腰かける妙齢の女性は優しい笑みをたたえてこちらを見ている。
女王――レミア。
レミアさんは玉座から立ち上がると、ぼくのほうへ歩いてきた。そしてまだ血がついたぼくの手を取ると、優しい手つきでぼくの手を両手で包んだ。
「よく帰ってきてくれましたね。ありがとう……ありがとう……」
レミアさんは何度も「ありがとう」をくり返し、その目には涙さえ浮かべていた。ぼくはどうしたら良いかわからなくて、じっと立っていた。
そしてレミアさんは伏せていた顔を上げ、ぼくの顔をじっと正面から見据える。
「私は貴方に詫びなければならないことがあります」
「……」
レミアさんはぼくから手を離し、また玉座のほうへ歩いていく。けれど今回は玉座には座らず、玉座に手を置いてその脇に立っている。
「魔の存在――それがこの世界にとって脅威であるという事実は、半分しか正解ではないのです」
半分。
その半分の不正確さが、この世界の人たちのあの緊迫感の薄さの正体か。
「魔の長ゼノ。彼の討伐は私の個人的な感情のほうが大きいのです」
レミアさんは遠い目でぼくを――いや、ぼくではない何かを見ている。
「もう耳にしているでしょう。私は人の母と魔の父を持つ半魔です。母の名を私は知りません。私が生まれた頃にはすでに亡くなっていましたし、誰も教えてはくれませんでした。父は……言わなくてもわかるでしょう? ええ、ゼノです。母がどうして死んだのか、どうしてゼノが――父がああなってしまったのか。その経緯は知っています。私は父を止めたかった。ですが私にはそれができない。どういう運命のいたずらか、私は女王の地位を持っていましたし、それだけの力を持っていなかったのです」
レミアさんの目は一体何をとらえているのだろう。視線はぼくをとらえているけれど、決してぼくを見ているわけじゃない。観察するまでもなくわかる遠い目。
「私の代わりを務める者が必要だった。けれど魔力を持っている者では父には勝てない。ならば魔力を持たない者に戦ってもらおう。それでいて体力があり、ある程度の知識を持った者。そして何より――魔法を発現する可能性がない人物。術式を扱うことさえできないであろう人物。……貴方を見つけた時にはさすがの私も戦慄しました。まさか魔法・術式の適正は全くないのに、魔力を保有する能力に関しては私たちの平均を大きく上回っていたのですから」
――これだけは覚えていてください。貴方は……呼び出されたら最弱だったのではなく、最弱だからこそ呼ばれたのです。決して、ミスではないのです。
彼女はぼくと対面した時、確かにそう言った。
「私の見立ては間違いではありませんでした。こうして帰ってきてくれたのですから。しかしそれでも身勝手な振る舞いだったのは確かでしょう。身内の争いに巻き込んでしまって、申し訳なく思います」
そう言って彼女は頭を下げた。
「レミアさん……」
「何か言いたいことがあるみたいですね」
レミアさんはぼくの心を読んだのか、そんな風に言って笑う。
「あなたのお母さんの名前は、リズっていうらしいですよ」
「まあ。どちらでそれを?」
……あれ? レミアさんって人の心が読めるんじゃなかったっけ。
「ゼノが何度も何度もその名前を呼んでいたんです。初めて会った時はその人を探して名前を呼んで、次に会った時にはその人のお墓の前で座り込んでいました」
「そう……ですか」
まるで初めて知ったような受け答えだ。ぼくの心が読めるなら、説明を待つまでもなかったはずなのに。ぼくの口から聞きたかった――というわけでもないだろうに。
「不思議ですか? 心を読まれないのが」
今度こそぼくの心を読んだのか、レミアさんは微笑んだ。
「読めないのですよ。私は人の心なんて読めやしないのです」
「えっ? でも――」
ぼくは確かに読まれた記憶がある。
初めて会ったあの日、ぼくは確かにレミアさんに心を読まれた。
「人の顔色を見れば、様子を観察すれば、容姿を見れば――その人の人となりや状況、考えていることはある程度わかるものです。私の目を欺くような謀があるならば、その手の調査をする部門が私の耳に入れます。あらかじめ会うことがわかっている相手なら、やはり事前に調査を怠りません」
それは――それは、つまりイカサマというやつだ。ぼくの世界でも占い師や霊能者と偽り、事前に集めた情報をさもその能力で知ったように言ってみたり、多くの人に当てはまることを能力によって言い当てと装ってみたりするイカサマ。
つまり彼女はイカサマによって、心視姫を装った。
「何のためにそんなことを」
「私の地位を安定させるためですよ。心が読まれるとわかっていれば、謀略を巡らせることもないでしょうから」
目の前に出ただけで看破される――そんな風に思わせるように仕込んだのです。
「……今日はもうお疲れでしょう。彼女に部屋まで案内させます」
レミアさんの目が指すほうを見れば、本当に懐かしい顔があった。
「おかえりなさい」
彼女はどこか泣きそうな顔で言って、
「ただいま」
ぼくは自然と笑みがこぼれた。




