第十九話『戦いの傷』
〈揺光〉がゼノの頭部を貫通した。ゼノの体が一瞬こわばり、そして全身から力が抜けた。崩れ落ちるゼノの体から〈揺光〉を抜き取り、もう一度、念を押してゼノの胸を貫いた。傷口からは勢いなく血が零れ出てくるだけだった。
終わった。
終わったのだ。
唐突に終わりを告げた日常。
唐突に始まった破魔の旅。
長かった。
どれだけの時間をかけたかもわからない。
それが――終わった。
〈揺光〉を一振りすると、〈揺光〉自身がそうしたかのように、刀身には血の一滴も残らなかった。刀身を鞘に納め、ぼくはぼろぼろになったゼノの手をとった。そしてそのまま『あの場所』へとゼノの死体を運ぶ。
ゼノの体は予想よりも軽かった。この巨体からは想像できないほど軽い体。まだ〈揺光〉の恩恵が切れていないということを考慮しても、異常な体の軽さだ。人間的な思考に従えば、ゼノはおそらく食事というものをほとんどしてこなかったのだろうと思う。いつもいつも『彼女』のことばかりを考えていた。『彼女』を探していたのだ。
「ぼくが殺しました」
きれいに手入れがされた墓の前。ぼくは精いっぱいの敬意をこめて頭を下げた。
リズ。
ゼノが愛した女性であり、ゼノを愛した女性。
「友達が待っているので、ぼくはこれで失礼します。お騒がせしました」
もう一度頭を下げて、ぼくは千紗の元へと駆けた。
当然、返事はなかった。
門をくぐって、ぼくはもう一度日陰の国へと向かった。ここ以外のどこに門が繋がっているのかがわからなかったからだ。おそらくあの廃坑の付近にもあるのだろうが、本当にあるかわからないし、ない場所に向かうように考えながら門をくぐった時、どんなことになるか予想ができなかった。千紗はぼくに門の位置を教えると、辛うじて繋ぎとめられていた意識が完全に落ちた。
日陰の国での生活は数日にすぎなかったはずなのに、ここを発ってから一日も経っていないのに、ここの空気が懐かしく感じた。
ぼくたちの魔力を感じたのか、すぐにバハウがやってきた。
「お前たちか。よく帰ってきてくれ――な……」
「千紗を助けてやってください」
千紗はまだ息をしているが、すでに意識を失っている。このままでは非常に危ない。止血はしたが、そんなもの応急処置でしかない。
「ひとまずその娘を寝かせろ」
バハウが駆けよってきて、寝かせた千紗の隣にひざをついた。するとそこへ、どこからか一匹のココが姿を現し、バハウの隣に控えた。
「フェリルを呼んで来い」
バハウが指示すると、ここはすぐにその場を離れた。
「この娘の魔力のストックは?」
「ありません」
「……そうか」
あの時、千紗に駆けよって声をかけた後、ぼくはすぐに千紗の服のボケット全てを調べた。しかしそこには魔力のストックはひとつもなかった。フェリルからもらった魔力も、ぼくが知らない内に使ってしまっていたようだ。力は満ちて〟をフルで使うということは、それだけ魔力を消費するということだったのだ。
わかっていたつもりだったけれど、認識が甘かった。
「この娘の腕は」
「ゼノに喰われました」
「……」
バハウは何も言わず、おもむろに自分の左腕の肉をえぐった。血が流れ落ち、地面に赤い円を描く。
「バハウ、何を」
「フェリルと同じことだ。もっとも――私には片腕を投げ出す勇気はないがな」
バハウはえぐった肉をさらにちぎり、その一部を千紗の傷口に押し当てた。そのままじっとしているが、きっと魔力を使って何かをしているのだろう。
「ふむ」
ひとり納得したようにうなずくと、バハウは傷口から手を離した。
「うまくいったようだな」
「傷口が……」
千紗の傷口はふさがっていた。元々傷がなかったように――とはいかないが、それでも傷はきちんとふさがっている。千紗の肌とバハウの肉で、明らかに色が違っているが、それは時間が解決してくれるだろう。してくれるはずだ。
バハウは残った肉片に手を添え、じっと目を閉じた。するといつの間にか、バハウの手には彼の肉片の他に、透明の球が握られていた。その球はフェリルが千紗に渡した球に似ている。きっとバハウが千紗のために、自分の魔力を使って作ってくれたのだろう。
「この娘はこれをどういう風に使っていた?」
「千紗はこれを握って壊していました。だからそうすれば……」
そこまで言って、気づいた。
千紗の意識はないのだ。どうやってそれを実行する。どうやって魔力を充填する。
「――あ、待ってください。バハウ、どうしてぼくがいることがわかったんです? ぼくは魔力なしで、あなたには目がない」
目のない魔は魔力で周囲の状況を判断する。魔力を持たないぼくの存在はすぐには気づけないはずだ。
「何を言っている。お前のその〈揺光〉にはまだ魔力が有り余っているぞ」
「――っ」
まさか。いつもならこのくらいの時間が経ったら、もう〈揺光〉の魔力は抜けてなくなっているはずなのに。〈揺光〉に魔力をフル充填したからか? いや、それなら前回もゼノがそれをしている。あの時はすぐに魔力がなくなった。
充填し続けた時間の問題……なのか?
わからない。
わからないが、これはチャンスじゃないのか?
「バハウ、千紗の魔力はどれくらいありますか?」
千紗は魔力が枯渇すると生きていられない。だから今の千紗の魔力が全くない、ということはないはずだ。だがこれだけ弱ってしまっているなら、千紗の魔力は限りなく少ないはずだ。
「ヒジリ!」
岩壁の間から、フェリルがこちらに走ってきた。
「よくやってくれた! 本当によくやってくれた!」
フェリルは何度もぼくに礼を言って、千紗のほうを見た。
「生きてはいる……か」
フェリルの口ぶりから、千紗が生きている状況が奇跡的なそれだとわかった。ぼくにはわからない魔力量をふたりは知ることができるのだから。
「千紗の魔力はどれくらいです?」
「前回会った時の十分の一以下だな。もうほとんどないと言って過言じゃない。それにしても不思議だな。死にかけているとはいえ、魔力量はここまで減少しないはず」
「千紗にとって魔力は生命力と同義ですから」
「それはどういう――」
バハウの質問を無視して、鞘から〈揺光〉を引き抜いた。〈揺光〉の輝きと紋はすでに消え、ぼくの目では〈揺光〉の魔力量は判断できない。
「お前……何をしている?」
「〈揺光〉を千紗に持たせます。これは賭けですが、〈揺光〉が千紗に魔力を送りこむかもしれない」
〈揺光〉を千紗に握らせると、さっきまでふつうに動けていたのが嘘のように、体が岩のように重くなった。
くっ……ぼくは魔力のタンクじゃなかったってことか。共有していただけか。しかしそれだったら安心だ。共有なら――奪われない。
以前千紗が〈揺光〉を持った時には、千紗は〈揺光〉に魔力を奪われた。あの時は千紗いだろうか。斬った相手に魔力が流れないのは、柄と刃の違いといえばいいはずだ。さらに魔力量によって吸収速度が異なるのは、流れる勢いの違いだろう。総量が多いほうが流れの勢いが強いのは考えるまでもない。
だがこれはあくまでも仮定の話。実際にどうなるかは試さなければわからない。
「どうですか?」
魔力の推移が見えないぼくは、ふたりに声をかけた。
「娘と〈揺光〉の魔力量が同等になった。大した量ではないが……さっきよりはずいぶんマシだ」
「よかった……」
思わず息が漏れた。体から力が抜けていくのがわかる。〈揺光〉の魔力を持たないうえに、ここまでの脱力感に襲われると体が重くてしかたがない。
「待っていろ、少年。そこらの魔獣を狩ってこよう」
バハウはそう言って岩壁の向こうへと消えた。フェリルはバハウを見送り、千紗の傍らにかがみこむと彼女の手をとった。
「よくゼノを倒してくれたね」
静かにフェリルは言った。
「本当はわたしたちが対処しなくちゃいけないのにさ。身内の問題は身内で処理しないとねぇ」
「人は――」
千紗の手をとるフェリル。
このふたりを見ていると、ゼノが『彼女』を愛したのも不思議には思えない。人も魔も同じような存在なのではないか――そんな思いが強くなる。
「――人間全てを身内とは考えませんよ。他人は他人。同じ種族だからって身内とは考えません」
「くすくす。そんなのフィアドも同じさ。ただやっぱり種族間の問題になると、同じ種族はみんな身内なのさ。同一の集団に属しているからね。特にゼノはわたしたちフィアドの長だった存在だからなおさら」
「そうかもしれませんね」
静かな時間が流れる。バハウはどこまで行ってしまったのか、ずいぶん前に出たっきり帰って来ない。ぼくもフェリルも千紗を挟んで座りこんで、どこともなく見つめている。
人と魔が同じ場所にいて、こんなにも穏やかに過ごせるものなのか。
「なんて思ってたけど、どうやらお客さんが来たみたいだね」
「え?」
フェリルは立ち上がり、門のほうへ歩いて行く。
「さて……なんか覚えのある魔力だけど誰だったかな?」
フェリルの手から冷気が落ち始めた。それは彼女が臨戦態勢に入ったことを告げている。そして全身の力が抜けたその姿勢は、いつでも人狼の姿に変われるという意思表示だ。
ぼくは千紗から〈揺光〉を取り上げ、両手で構えてフェリルの隣に並んだ。千紗に魔力の半分を分け与えた上に、前回の充填から時間がたった〈揺光〉はぼくにまわす魔力はないらしい。手にとっても体に変化は起きなかった。
「フェリル、千紗の魔力量に変化は?」
「変化してないから大丈夫」
そして――門よりその人物は現れた。門を認識できないぼくには突然その人物が現れたようにしか見えなかった。
「お久しぶりでございます。よくゼノを倒してくださいました」
その人物は紳士の鑑のごとく慇懃な礼をして、にこりと微笑んだ。
「エヤス……さん?」