第十五話『そしてぼくたちは戦場へ』
夜が明けて、穴の中も光が差し込んできていた。ぼくが体をほぐしていると、ほどなくして千紗も目を覚ました。
「いよいよ、だね」
「うん」
もしかしたら会えないかもしれない――が、その可能性はやはり限りなく低いだろう。あの魔は絶対に彼女のもとを離れない。理解不可能な魔だけれど、それだけは確信がある。信頼できる――と言い換えても良い。
信頼。
それは彼女に対する想いへの信頼だ。
アレは必ずあの場所にいる。
準備を整えて、門へと向かう。その途中に彼らの姿はなかった。見送りを期待していたわけではないけれど、最後は会わずに別れることになるのかもしれない。
赤の絨毯を超え、門の前に立つ。
ぼくたちはお互いに言葉を交わさず、ただ――その門の向こう側を見つめていた。
そうやって門の前で決意を固めるぼくたちに、バハウがそっと近づいてきた。
「行くのか」
「ええ」
「人間のお前にこんなことを言うのも変かもしれないが、よろしく頼む」
バハウはそして――頭を下げた。
「気持ち悪い。あたしたちはただ、あたしたちがやらなくちゃいけないことをやってるだけ」
「それもそうだな」
バハウは千紗の言うことを気にした様子もなく、いつもの調子で嘆息した。
「そういえばフェリルの姿が見えませんが」
来てくれると思っていたぼくもぼくでおかしな話だが、見送りに来てくれているのはバハウだけだった。あの純粋な白はここに来ていない。
「ああ、あいつなら何か準備あるらしいぞ」
「準備、ですか?」
ということは、あと少しバハウが声をかけてくるのが遅かったら、その準備は水泡に帰していた――ということになるのか。バハウが近くにいるのは気づいていたけれど、絶妙なタイミングだった。
「ああ。何か渡したいものがあると言っていた」
なんだろう。あの後、ぼくたちは何も話していないし、彼女に何かを頼んでおいたということもない。彼女はぼくたちに何を渡そうとしているのだろう。
「変なものじゃないよね?」
あからさまに千紗が言う。
「それは本人に聞いてみたらどうだ」
バハウはそう言って、自分の後ろをくいっと親指で示した。そこにはフェリルがいた。フェリルは何かを持っているという様子はない。渡すもの、というのは何か形があるものというわけじゃないのか。
「アレはまだあの島にいるからさ……くすくす、そこをくぐればすぐにでも戦えるさ」
門。
魔が利用するワープポータルのようなもの。いや、それそのものか。移動先は使用者の意思が決定する。ぼくたちがここにたどり着いたのは、門の行き先がこの日陰の国だと信じて疑わなかったからだ。だから次にここをくぐれば――その行き先はあの島、あの場所だ。
「くすくす……期待しているよ。あいつを殺してくれよ」
ぼくたちはうなずく。フェリルの言葉は重かった。
「役に立つかどうかはわからないけど、ふたりに渡しておきたいものがあるのさ」
だが、フェリルの手には何も握られていないし、後ろに荷物があるわけでもない。
「まずはじゃじゃ馬のきみだ」
「じゃじゃ馬は余計」
千紗の声からは、昨日ほどとげを感じなかった。とはいえそれでも、やはりどこか刺すような響きはあるけれど。それは仕方のないことだろう。
「あのイーゴから魔力を採ったけど……」そう言って、フェリルは自分の胸元に手を当てた。そしてそこから淡い光が発せられる。「……もうひとつ、あれよりも上質な魔力を渡しておくよ」
言い終わった頃には、フェリルの手には純白の球が握られていた。汚れなく、どこまでの白い球。それにフェリルの魔力がこめられているのは明白だ。魔力そのものだ。
「あ、ありがとう」
戸惑いつつ、千紗はフェリルからそれを受け取った。
「わたしにはこれくらいしかできないから。さてバハウ、ちょっとこっちに来て」
「なんだ」
少し離れたところにいたバハウは、フェリルに呼ばれてこちらに歩いてきた。フェリルはぼくのほうとちらりと見たかと思うと、バハウに何か耳打ちした。バハウは一瞬驚いたような表情になったが、すぐにうなずいた。フェリルはバハウに一体何と言ったのだろう。
「構わないのだな?」
「くすくす。もちろん」
フェリルがうなずくと、バハウはフェリルの左腕を掴み――そのまま引きちぎった。
「なっ――」
「ひっ」
言葉にならない。
一体何をした。
引きちぎった。
バハウが、フェリルの腕を。何故だ。
何故そんな事をする必要がある。
「ぐぅぅううう」
フェリルはその場にうずくまり、痛みに耐えている。痛みで意識が吹っ飛んでおかしくないはずだ。それでもフェリルは痛みにこらえながら、ぼくたちを見上げる。
「私が代わりに話そう。ヒジリ、これを斬れ」
平然とそう言ってのけ、バハウはフェリルの腕を地面に捨てた。
「斬れって……」
「お前のその《揺光》――まだ魔力を全く喰っていないではないか。フェリルの腕で満たしておけ」
「ど、どうして《揺光》を――」
「まずは斬れ。話はそれからだ」
バハウの目には有無を言わせない迫力があった。ぼくはその目に圧されて言葉が出ず、鞘から《揺光》を抜いた。
刀身が光を受けて閃く。
ぼくは余計なことを頭から投げ捨て、地面に投げられたフェリルの左腕を斬った。斬った。何度か《揺光》の刃を入れ、魔力を得られなくなった頃には腕の原型はなかった。その代わり、ぼくの体はフェリルの腕から得た魔力で満たされている。動く前からわかる。今のぼくはかなり身体能力が向上している。ココ何体分の魔力だこれは。
凄い。
「やはり、か。まさかそれがまた出てくるとは、な」
まだ鞘に収まっていない《揺光》を見ながら、バハウは驚きのような感嘆のような複雑な声で言う。
「どうして《揺光》を……」
「知らない奴などおらんさ。それは先の人との戦いで、我らの同胞を大勢殺したのだからな」
先の人との戦い――それはエレナさんたちのことを言っているのだろう。そして《揺光》を使っていたとされるのは、サクラという名前の剣士。《揺光》をぼくの前に振るった剣士。
「……」
「その剣の性質は我々も知っている。だがその性質は、アレと戦うには少々不利に働くはずだ。あらかじめ準備を整えて行ったほうが効率が良い」
「それはそうですが……」
その理屈はわかるが、どうしてそれでフェリルが自分の腕を差し出す必要がある。そんな無駄な犠牲を払う必要なんてないじゃないか。腕を失うなんて……そこまでする必要なんてない。
「そうでもないさ」
腕の傷を押さえながら、それでも立ち上がったフェリルが、額に汗を浮かばせながら薄い笑みを浮かべて言った。
「きみはわたしたちにとって希望も同義だ。その相手に対し、どうしてこの程度の力添えさえ許してもらえないのかな?」
フェリルは。
フェリルは一抹の疑いも、ためらいも、何もその言葉には含まれていなかった。純粋な敬意で、その言葉は構成されていた。今まで聞いた誰よりも、今まで接してきた誰よりも、フェリルの言葉は誠実だった。もしくはローズさんと同じくらい切実かもしれない。
人よりも人らしく、彼女は頭を下げた。
「フェリル……」
腕からボトボトと血を流しながら、彼女はほほ笑んだ。
「聖、行こうか」
隣の千紗が、どこか吹っ切れたような――迷いのない顔になっていた。
「ああ」
そしてぼくらは門をくぐる。
最後の戦いへの舞台へと、その歩を進めるために。
唐突に開幕し、救いなく展開し、それでも続いてきたこの旅を終わらせる場所へ。
加害者でありながら被害者。
そんな――魔の長との戦いの場へ。
悲劇の始まりの場所へ。