第十四話『ぼくを信じろ』
夜も深まり、ぼくたちは壁際で横になった。ごつごつとした岩肌では、ゆったりとした眠りは味わえないだろうが、ある程度安心して眠れるというのは、それだけでもありがたかった。あれから決して短くない時間が流れたわけだけど、ぼくたちの間にはぎこちない沈黙があった。お互いにかけるべき言葉が見つからず、模索している内に日が沈んで今に至る。
そしてぼくは未だ、対ゼノ戦での彼女の立ち回りについて話すことができずにいた。
「起きてる、千紗?」
「なんで修学旅行みたいな雰囲気だしてるの? 起きてるよ」
お互いに背を向けて、顔は見ていない。
「明日、うまくいけば最後だね」
「うん。勝っても負けても最後」
「勝たなくちゃいけないよ。ふたりで生きて帰らなくちゃ意味がない」
犠牲は――いらない。
「あたしは戦力にならないんじゃない? なんなら陽動に徹しようか?」
自虐的に千紗は言う。
「そのことなんだけど、千紗、きみの〝武神〟が意味をなさないのはもうわかってる」千紗は何か言おうとして、その言葉を喉に押し込んだ。「なら〝武神〟に魔力を割く必要はないよ。〝武神〟に使っていたぶんの魔力を全部、もうひとつの術式にあてるんだ」
「〝力は満ちて〟……」
「うん。身体能力の向上――それができるなら、たぶん身体の強度をある程度高めることもできると思う。ゼノに対して魔法的な攻撃は一切通用しない。千紗はその〝武神〟を使わない場合においてはインファイトを主としてきた。その拳で敵を倒してきた。今はそのスタイルを徹底する時だと思う」
敵の懐に潜る――それが危険なことであるのはわかってる。だけど千紗はその方法でしか戦う術を残されていない。魔法に限らず、術式に限らず、放出された魔力を吸収してしまうゼノの能力を前に、対抗する方法は限られている。
「それはあたしも考えてた。でも……」
「でも?」
「怒らない?」
「もちろん」
「怖いんだ。初めてあの場所でアレに会った時、聖も知ってるでしょ? あたしが戦意を喪失しちゃったの。生まれて初めてだった。あそこまで何かを怖いって思ったのも、勝てないって思ったのも。異常だ! 狂ってる! そう思ったのも初めて。怖い。怖い。あれは関わっちゃいけない――あたしの全身がさ、そう叫ぶんだ。戦うな、関わるな、見るな、声を聞くな、存在を感じるな――そう言うんだよ。おかしいよね? 笑っちゃうよね。何が世界最強? あたしが? たった一体の魔に恐れを感じて、戦う意思さえ喪失しちゃうあたしが? となりで世界最弱って言われてる聖が戦ってるのに?
「そう思うとさ、アレが怖いってのと同時に自分が情けなくてさ。
「あーあって。結局自分は〝術式〟の恩恵があるから最強だってだけで、精神は弱いんだなぁってさ。学校の部活動で鍛えられた精神なんて、何の役にも立たないよ。生死の綱渡りを前にさ、負けても次に活かそう、そこから学ぼう、そういうスタンスで培ってきた精神なんて生ぬるいんだ。もっと根本的な部分から強くならなくちゃいけない――たとえば聖のように。剣一本で生き延びてきた世界最弱みたいに。戦う力は弱くても、心は強い最弱みたいに」
これはぼくの予想でしかないのだけど、千紗はずっとそう思い続けてきたのだろう。旅の間で思い悩むような表情をしていた時、ぼくが声をかけることをためらうような雰囲気が漂っていた時、おそらくこの子はずっとそんなことを思っていたのだろう。
それを取るに足らない悩みだとは、ぼくは思わない。
――最弱にして最強。
そんな風に言われて送り出されたぼくは、ずっとそのふたつの概念について考え続けた。未だにその答えは出ていない。出ていないと思う。だけれど、その答えは旅が終わって初めてわかる――初めて実感するものだろ思っている。レミアさんがどういう意図でぼくを召喚し、エレナさんがどういう意図で千紗を召喚したのか。それを知ることになるのも、おそらくは全てが終わった後。そしてそれを知るかどうかもわからない。
だったら――と、ぼくは考える。
知りたいことがあるなら、この旅を終わらせてしまえばいい。
「怒らないよ。それは誰にでもある悩みだと思うしね。ぼくだって最初からこうだったわけじゃない。わけもわからずひとりで歩いて、町の人たちに助けられて、ぼくを助けた人は死んでしまって――そんなことを繰り返してるとさ、自分は生きてるんだなって思う瞬間があるんだよ。もしぼくが強いっていうならさ、そういう実感を得たからじゃないかな?」
「生きてる実感」
「うん。力は筋トレでもしてれば強くなるし、計算は繰り返して計算をすれば速く正確になる。スポーツは繰り返して練習すればできるようになるし、戦いにしても実戦を積めばその空気に慣れる。でも精神的なそれはそうじゃない。いくら訓練しても、いくら理論で武装しても、芯から強くなるってことはないんじゃないかな。心を強くするのは、心に直接訴えかける刺激だよ。ぼくにその実感はないんだけど、千紗はぼくの心が強いと言う。だったらぼくを強くしたのはきっと、生きてるっていう実感なんだ」
生きたいとか。
悔しいとか。
そういう感情がぼくを奮い立たせている――そんな気がする。あるいはそれは勘違いなのかもしれない。もしかしたらぼくはそういう純粋なものじゃなくて、魔が憎いとか、現状の対する不満とか、そういうもので動いているのかもしれない。
「強さの種類はいろいろあるし、そもそも強くなくちゃいけないってこともない。千紗には千紗の強さがあるし、ぼくにだってそうだ。誰かが誰かのようになることなんてきっとできないし、そもそもそう思うこと自体が間違ってると思う」
「じゃあ、あたしはどうすればいいの?」
「千紗は千紗の強さを発揮したらいいんだよ」
「あたしの強さって何? 目の前の敵に怯えてるあたしの強さって?」
語気は強いけれど、その目は哀れなほどに弱い光しかなかった。いつものような自信に満ち満ちた目ではない。ぼくに何かを懇願するような――助けを求めるような目だった。この目は――一度だけ見たことがある。
千紗にとって初めての失敗。大勢の命を守れなかったあの事件。あの時の千紗の力ない顔には、まさしく今と同じ目があった。力なく、消え入りそうな目。
「信じる力」
「なにそれ」
「千紗は自分が信じたことに対して、どこまでも忠実で誠実だよ。それでちょっと困ったことにもなりがちだけど、でも、それが強さじゃないなら何が強さになる? 誇ってもいいと思ってる」
「でもそれとこれとは別だよ。それでゼノの懐に潜れるかは関係ない」
それは千紗が――彼女自身を信じていないからだ。自分の強さに自信がないからだ。彼女に信じられるものがあれば、千紗はきっと強くなる。今よりもっと強くなる。
「千紗はぼくの提案は、ひとまず戦い方として有効だと思う?」
「うん。あたしが臆病じゃなければ、ね」
誤算だったね。
申し訳なさそうに――自虐的に千紗は言う。
「なら、ぼくを信じろ」
「え?」
「自分の力が信じられないなら、ぼくを信じればいい。千紗の強さはぼくが知ってる。千紗の知らない強さを知ってる。知ってるから、ぼくは千紗にその戦い方をさせるよ。ぼくはきみを信頼してるからこそ――今まで一緒に戦ってきたんだ」
「……べつに、そんなこと言ったって、怖いものは怖いんだから」
「それでも、やってくれるんだよね」
「当たり前じゃん」
相変わらずぼくに背を向ける千紗の耳元は、ほんのりと赤みを指していた。