第十二話『信用』
「はい」と、フェリルは巨鳥から精錬した球体を千紗に差し出した。
「ありがとう」
千紗はそれを受け取ると、使いかけだったキューブから魔力を媒介に充填し始めた。魔力が枯れたキューブは形を失い、砂となって消えた。千紗の指から零れ落ちた砂は地面に落ち、風に吹かれて四散した。
フェリル製の球体は、球の内側で魔力が渦巻いている。圧縮された魔力は、すでにぼくが肉眼で見えるほどになっていた。
「それは別に魔力が見えているわけじゃないよ」
千紗が苦笑ぎみに言った。
「そうなの?」
やっと魔力が見えたと思ったのだけれど、どうやら違うらしい。実は少し喜んでいたわけで……少し残念だ。
千紗はフェリルに向き直り、「ありがとう」と頭を下げた。
「くすくす……」
フェリルは答えず、微笑をたたえるだけだった。
バハウをまた入口に残し、穴の中に戻ったぼくたちは、誰ともなくため息をついた。
「あの鳥は……?」
「イーゴ。この世界で最速に近い鳥ね。そして限りなく高い再生能力を持っている」
「それにしては簡単に殺してたじゃん」
「くすくす……そりゃもちろん、不死ってわけじゃないさ。心臓を貫けば死ぬさ」
「生き物は生き物ってことか」
「そういうこと」
さて……と頭を巡らせる。戦いに出る前、ぼくらは何の話をしていたのだったか。イーゴ――あの巨鳥との戦いが、ぼくにとっては刺激が強く、その前のことが頭から吹っ飛んでしまっている。
あの鳥が――あの魔の魔法の由来だったとか。
フェリルの変身に、あの魔の影を見たとか。
あの短時間で、この他にも刺激があった。
「千紗……」
声を大にして聞くのはさすがにどうかと思ったので、千紗に小声で呼び掛けた。
「さっきまで何の話してたっけ」
「忘れたの?」千紗は呆れ顔で続ける。「ほら、門の話だよ」
「そうだったね」
なんでこんな大切なことを忘れていしまっていたのか。全く――自分の記憶力が嫌になる。もしかしてぼくは生きることに対して、セルフハードモードを選択しているのではないだろうか。我ながら滅茶苦茶なモード設定をしてしまったものだ。取り消したい。
「話を戻しますけど、結局フェリルは門を使って何をするつもりなんです?」
掘り起こされた記憶に間違いがないなら、確かそんな話をしていたはずだ。どうにもぼくの記憶力には不安があって、どうしても自信をもって断言することができないわけなのだけれど。ともあれ、今回はその心配はなかったようだ。
「くすくす……そういえばその話をしていたね」
わざとらしく言って続けた。
「門……門ね。そう――考えればわかることだと思うよ」
「考えれば? つまり単純なことだと?」
「もちろんさ。単純で簡単なことだよ。くすくす……門はなにも一か所に繋がっているわけじゃない。門があるところへなら――どこへでも行くことができるのさ」
「――っ」
その仕組み。
門の仕組みを知っていれば――確かに単純明快なことだった。
「きみたちがここへやってきたのは、きみたちの目的地がひとまずこの世界だったからだろうね。もちろんこの世界には門がいくつも存在しているわけだが……ま、そこは巡り合わせってやつさ」
巡り合わせ……ね。
「笑うところだよ?」
「それでここまで生きてきたようなものですから」
巡り合わせ。
偶然。
行き当たりばったりで生き延びてきた――と、自分で思う。
「くすくす。それは良い生き方だね」
フェリルは特に揶揄するような響きもなく、ただそう思ったという風に言った。ぼくはそれが意外に思えて、思わずフェリルをじっと見た。フェリルは相変わらずの笑みでぼくを見つめ返してくる。
千紗がぼくを現実に引き戻すように、ぼくの足をつねった。
「いたっ」
「戻ってきた?」
「……あ、ああ」
こんなことをしているぼくたちを、フェリルはいつもの笑みで眺めていた。いつもの――くすくすと小さな笑みを。
「きみたち面白いね。退屈しないでしょう?」
フェリルがそう言うから、ぼくたちは顔を見合わせた。
「そうでもなかったかな? まあいいや。くすくす……話を戻しましょう」
「そうだね」
千紗もうなずいて、またぼくたちは向かい合う。
「今、ゼノがいるのはあの女がいた町。終わらせてしまった町さ」
「そう言っていましたね」
「言ったね。そしてそこには――門がある」
門がある。
それはつまり、ここから直接踏み込めるという意味だ。
あの魔の元へ。
「行こうと思えば今すぐにでも連れて行ってあげられるけど、さすがに数日は休んだほうがいいんじゃないかな?」
「あたしは平気」
千紗は強がりなのか本当に平気だと思っているのか、そんな戯けたことを口にした。
「平気なわけないだろ?」
平気なわけがない。
あの門をくぐるまでにも戦闘はあったし、ここに来てからも戦闘があった。今感じていないだけで、確実に体には疲労がたまっているはずだ。このままの状態でゼノに挑んでも、力を出し切れずに負けてしまうことになりかねない。
万全で挑まずに勝てるほど、相手は甘くはないのだ。
「でも聖……急がないと移動しちゃうかもしれないよ?」
「その心配はない……と、思う」
「適当なこと言わないでよ」
適当なこと――なのだろうか。確固たる自信があるわけじゃないが、ゼノ――あの魔は、あの墓の主の女性に執着している。あの廃坑で遭った時の狂気――彼女を求めてやまない激情は常軌を逸していた。その相手の墓を見つけた今、アレがその場を離れるとは到底思えない。
「わたしもそう思う。心配しなくて、そっちの世界にだって門はいくつもある。大抵のところには移動できるさ」
けれど、千紗は首を縦に振ることを拒むように、苦い表情でぼくとフェリルを交互に見た。
「くすくす……なるほど。わたしたちが信用できないんでしょう?」
しばしの沈黙の後、軽い調子でフェリルが沈黙を裂いた。
千紗は少し逡巡した後、ややためらいながら首肯した。
「ま、当然っちゃあ当然かな。人と魔――それだけで信用するには難しい。けどなあ、せっかく魔力を凝縮してあげたんだから、少しくらい信用してくれたっていいじゃない?」
「少し信用してるから、今、ここにいるわけなんだけど」
「……ははっ。面白いね。いいさいいさ。ならどうする? ひとりであのゼノに挑む? ねえ、せっかく今まで一緒に旅してきたんだ。そう力入れずにその少年の言を信じてみちゃどうかな? そっちはそれなりに信用してくれてるみたいだし?」
ふたりの視線がぼくに注がれる。この流れはあれだ。ぼくに選択が託されている流れだ。だがこの場合、どちらの顔色をうかがうまでもなく、顔色をうかがうような話題なはずもなく、選択の余地すらないわけだが。
「千紗、一日だ。一日で良いから休んでいこう」
「でも――」
「言いたいことはわかるけど、フェリルたちにとってぼくたちを殺すことは不利益なんだよ」
ちらり、とフェリルを見ながら言った。フェリルはとぼけるような表情ではあったものの、小さくうなずいた。それは明らかな首肯だった。
「不利益?」
「千紗も身を持って知ってるだろ? ゼノは魔力による攻撃は吸収する」
「あ……」
実質――単純な思考をすれば、ゼノを倒しうるのはぼくだけだということになる。これは自慢でも何でもなく、事実に近いものだ。千紗でも厳しいだろう。しかし、それを甘んじて受けるわけにはいかない。ぼくにだって対策はあるのだ。
とはいえ。
それを伝えるのは後だ。
「ま、そういうことかな。心配しなくてもきみたちが休んでいる間、わたしたちが魔獣から守ってあげるさ」
あの狼の腕をちらつかせて言う。
「あの馬鹿もいればわたしが楽できるんだけど……」
「馬鹿?」
ひとりごと、だったのだと思う。けれど、ぼくは聞き返してしまっていた。
「くすくす。気になる? ただの戦闘狂の馬鹿よ。もう死んじゃったんだけどね。まあ……あいつと一緒にいたら溶けそうだし? せいせいしたかな」
言葉に反して、フェリルはどこか寂しそうだった。
それにしても……その魔、なんか心当たりがあるような気がする。気のせいか? いや気のせいじゃないだろう。もしかしたら別の魔なのかもしれないが、戦闘狂でフェリルが溶けそうだと冗談を言うあたり、おそらくあいつで間違いないだろう。
こんなところであいつの話を聞くことになろうとは。フェリルはあいつが死んでいることを知っているようだったが、ぼくはその話に触れることは避けた。手を下したのは千紗だが、つつかなくてもいい藪をつつく必要はないだろう。
「じゃあ、わたしはちょっと門番さんと話すことがあるから、ふたりはここでくつろいでいて」
フェリルはそう言って、ぼくたちに背を向けて歩いて行った。