第九話『〈力〉がないということ』
背後に不吉な雰囲気を感じ、振り返る。
そこに――奴はいた。
「なんだ……人間いないのか。ああ……せっかく二人もいたのに」
目の前に立つそれは、プロレスラーのような筋肉質な体格だ。背は二メートルくらいあるだろうか。手は異様に長く、膝下ほどまでだらりと伸びている。黒い外皮に包まれ、見るからに堅そうだ。ごつごつとした体が攻撃的に映り、近寄りがたさを醸している。
「あ……ぁああ……」
恐怖で声がでないのは、幸いといったところか。
魔は周りを見回し――ぼくを見た。
「あーあー、もったいねぇな。それにしても、人肉趣味なんて悪趣味なもんだよな」
――あれ?
それはぼくを見ているにもかかわらず、まるでぼくがそこに存在していないかのように、ひとり言を続ける。目があっている……いや、こいつ、目がない! いや、でも目がないにしても、さっきいた人の人数までちゃんと把握していた。ということは、目以外の器官から周囲の状況を察知しているのか?
魔は退屈そうにため息をつくと、その場にどっかりと腰を下ろした。ぼくはそれから目をそらさず、じりじりと距離を離していく。ここが草原で良かった。ここが砂利道なら、足音で気付かれるところだった。
「ふあぁー……そういえば、王都が近いとか言ってたか? どうすっかなー。まだ計画ににゃぁないが、そろそろ侵攻したっていいだろうしな」
どうでもよさそうにそれは言う。
「よしっ! じゃ、いっちょやるかな」
緩慢な動きでそれが立ち上がる。
待て。待て待て。ぼくはこいつをこのままにしておいていいのか? 良いわけがない。こいつは魔で、王都に侵攻しようとしているのだから。さっきの騒動の全ての原因はこいつであることは、もはや考える必要がないほどの確定的なことで、ぼくが勝てる道理もないが――こいつは、ぼくに気付いていない!
やるしか――ない。
ぼくは魔の正面に立っている。にもかかわらず、魔はぼくに関心を示さない。これはぼくを誘っているのか――それとも本当に、文字通り気付いていないのか。
考える暇はない。
剣を構える。チャンスは一度と考えるべきだ。
狙う部位はどこだ?
腹?
腕?
足?
頭?
首?
魔がぼくに背を向ける。気付いているとしたら、大した余裕だ。ぼくのような小さな存在なんて、取るに足らないものだとでも言いたいのか。
――甘く見るなよ。
――――ぼくは、世界最弱でも……勇者なんだ!
狙う部位は腰だ。頭を狙いたいところだが、すこし身長が足りそうにない。剣の長さからして届くだろうが、下手に斬って威力が落ちたら目も当てられない。
一瞬ののち、ぼくは駆けた。
剣を構えて、魔の腰に向かって突き出す。
「うごあっ!」
剣はすべるように腰を貫通した。刺した場所から赤い血が流れ、魔が悲鳴を上げた。
「誰だ!」
嫌な予感がして、ぼくは剣を引き抜き、横に跳んだ。体勢を立て直すと、さっきまでぼくが立っていた場所に、タイヤくらいの大きさのクレーターができていた。何が起きたのか、ぼくには全くわからなかった。
「誰だ! どこに居やがる!」
魔は叫ぶ。ぼくの方を何度か見ているにもかかわらず、それでも魔はぼくを見つけていない。
気付かない。
なぜだ?
どうしてぼくに気付かない。
いや、今はそれを考えるときじゃない。これは好機だ。ここで勝負をつけなければいけない。魔がぼくを認識する前に――!
もう一度、後ろからだ!
瞬間、魔の体に変化が訪れた。魔の体が隆起し始め、明らかな戦闘態勢に入った。うかつには攻撃ができなくなってしまった。
「なめたマネしやがって。クソッ! 魔力を感知できねぇ生き物なんて聞いたことがねぇ!」
魔力を感知できない?
なるほど……そういうことか。
「……まあ、いい。どうせ敵ならこの場所ごと壊せばいいんだよな」
――――っ!
何が起こるかわかったものではない。一目散にその場から逃げた。
「ほーら! また会おうぜ! 生き残れたならな!」
後ろからそんな声が聞こえた。
直後、世界が白に染まった。
頭上から降ってくるのは、ゲームなんかで見かける光線。どういう軌道を描いて空から落ちてくるのか、そんなものを確認する暇なんてない。今はやつから離れること、それだけに集中する時だ。
光線が落ちた地面には穴があき、えぐれている。のどかな自然を見せてくれていた草原は、一片、惨劇の代弁者となってしまった。木々も折れてしまい、地に横たわっている。
光線が落ちてこなくなったところで、ぼくはやっと振り返えることができた。遠くで渦巻く砂煙の中に、まだ魔の姿があった。細かい動作は見えないが、すぐに動き出すとは思えない。物陰に隠れ、様子をうかがう。
「はぁ……はぁ……。王都に向かうつもり……なのか?」
一応傷は負わせたが、あの程度の傷なら無視しかねない。いや、王都には騎士団という抑止力がある。雑魚とはいえ魔を狩る力を持つ組織があるのだから、手負いの状態で単騎突入という無謀なことはしないだろう。
しない、のか。
あの圧倒的な攻撃力を持ってすれば、人の体など紙きれのごとく焼き切ることができる。ならば自分が負っている傷なんて大したことはない、と考えるかもしれない
もう一度、今度こそしとめるつもりで魔に近づく。
逃げ出したいけれど。
見なかったことにしたいけれど。
知ってしまったことは――誤魔化せない。
「んっんー、死んじゃった? あれ? 死んじゃった? 生きてるなら攻撃してみろよ。無理だろうがな。無理だろうがな! 魔力を吸われて平気な人間なんているわけがないんだからな!」
魔力を吸う吸わない以前に、地面をえぐるような物理的破壊力がある攻撃を直に受けたら、それだけで死ぬ自信がある。
魔の体は最初に見た状態に戻っていて、完全に緊張を解いていることがうかがえた。それに気づいていしまうと、さっきまでどこかに隠れてしまっていた闘争心がぼくの中に顔を出してくる。
調子に乗るなよ、と。
魔の腰から流れ落ちる血が、地面を赤く染める。さっきの攻撃の衝撃によってか、血は周囲にも飛び散っている。
暴力を行使した後は座るのが癖なのか、魔は――まるでぼくと打ち合わせをしていたかのように、その場に腰を下ろした。
ぼくを誘っているのだろうか。
今回はその可能性は十分にある。ぼくの存在を完全に認識しているのだから。殺したと思っているはずだが、一抹の可能性を消去しきれていないだけなのかもしれない。だがしかし、ぼくとしてもここで勝負をつけないと後がない。
ただの油断か。
はたまた誘いか。
「……悩む時間がもったいない」
のどの奥で呟いて、魔との距離を詰める。
「全く……アレは消耗が激しすぎるぜ。やっぱそうホイホイ撃つもんじゃねえな」
のんきに呟く魔。
自分の後ろに死が迫っているというのに、呑気なものだ。
「――ズェイッ!」
漫画やアニメで、奇襲をしているのに声を上げてしまうキャラたちの気持ちがわかった気がする。
なるほど。
こういう気分だったのか。
突き出した白銀の剣は、大きな欠伸を漏らす魔の首に――深々と突き刺さった。