第十一話『日陰の国の戦い』
それはグロテスクな容姿の巨鳥だった。三つ又の尾を持ち、絵本に出てくる魔女のような顔とくちばし、けばけばしい色の羽。一見すればそれだけの化物鳥だが、しかし、少し注意して見ると――その特異性に気づかされる。
全身から流れ落ちる――というよりも、崩れ落ちている体。それはどこかに傷を負っているわけではなく、健全(なように見える)部位が、ぼとぼとと落ちているのだ。そして落ちていった部位から再生している。そして地面に打ち捨てられた肉片は、ぶくぶくと泡を立てて消えていった。
その巨鳥は空に弧を描いており、その数――五羽。地上に堕ちているのは三羽で、どの巨鳥もすでに事切れている。そしてどの巨鳥も胴体に穴が開いていた。どう見てもバハウのあの光線によるものであることは明らかで、そのバハウは次の敵を倒そうと光を収束させていた。
「バハウ、一体か二体は生け捕りにするから」
フェリルはバハウの隣に並んで、気楽に言った。バハウは光を吐き出して巨鳥の片翼を破壊し、
「何故だ?」
と、怪訝そうにフェリルを見た。
「あの子たちがね」
くいっと指をぼくたちに向ける。
「ふむ? まあ良い。ならばフェリルも手伝うのだろうな」
質問しながら、バハウは片翼を失い地に堕ちた巨鳥の体を撃ち抜いた。
「もちろん」
フェリルがうなずくと、その両手から冷気のようなものが落ち始めた。白いそれは、地面に近づくと色をなくして消えた。そしてその冷気は腕からだけでなく、足から――否、全身から冷気を発している。
「聖……」
「……見ていよう」
ぼくは純粋に――フェリルの美しさに見とれていた。その体は無垢な白。落ちる冷気は他を拒絶しているように見えた。あの冷気があの時――千紗がバハウにとどめを刺そうとした時、千紗の前に突き立てられた氷の源に違いない。
「とはいえ――くすくす、きみがやるとそのまま殺しちゃいそうだよ」
「ならばお前が生け捕りにしろ。私はただ殺す」
「実にいい役割分担だね」
「あっ――」
千紗が空を指差して声を上げる。空を飛ぶ巨鳥は急速に速度を上げ、肉眼では追うのも難しいほどにまでなった。身体能力向上の恩恵は、すでになくなりつつあるようだ。
空を切る音が何度も響く。
「千紗には見える?」
「うん。聖にはちょっとつらいかもね」
「そうだ、あの巨鳥以外には特になにもいない?」
「いないけど……どうして?」
「バハウとフェリルはあいつらに集中してるから、ぼくらはその邪魔になるやつがいたらそっちを相手にしないと」
それさえもきっと、彼らは気づいて倒してしまうのだろうけれど。ぼくらの力を借りるまでもなく――彼らは彼らだけで今までこの世界で生きてきていたのだから。
「きみたちは黙って見ているといいさ。くすくす……魔獣と戦うのは少し骨が折れるんだよ」
そう言ってフェリルは、タン、と地面を蹴って跳び上がった。その先には岩壁から突き出した足場があり、フェリルはそこに着地した。そしてどういうわけか――彼女は体から力を抜いた。臨戦態勢とは言えない。言うなればノーガード戦法のようなもので、見るからに隙だらけだ。隙があり過ぎて、逆に隙がない――のかもしれないけれど。離れたところから見ていると、ただただリラックスしているようにしか見えない。
「フェリルのやつ……早くしないか」
バハウが呆れたように言う。
どうやらあれは何かの準備中のようだ。ぼくらの視線は自然とフェリルに注がれる。
異変が起きた。
フェリルの冷気がまず、腰のあたりに収束する。
「あれは……」
この既視感。
ぼくはこの魔法を知っている――。
ぼくが見たことのある魔法とは、外見は違っていた。あの時見たものは、トカゲの尾だった。だが今回は、狼の尾だ。
白。
純白の毛が尾を包んでいる。
変化は尾だけにはとどまらない。四肢も狼のそれに変わっていく。だがそれらは完全に狼のそれになるわけではなく、あくまでそれに似た形状になっていくだけだ。狼男――いや、この場合は狼女か。その手の獣化が行われている。
無駄のない美しさを持っていたフェリルの体は、今では強靭な美しさを持っていた。頭も獣のそれに変わる。だがぼくが知っている狼とは違い、もっと荒々しく凶暴だ。
魔獣。
あれも魔獣の類なのだろう。
準備が整ったとばかりにフェリルがこちらを見た。
こちらを見たフェイルの目は燃え盛る炎のように紅く、
「……全く」
バハウが片手を軽く上げ、フェリルに答えた。
――人狼。
フェリルは人ではないけれど、その表現がふさわしい。
巨鳥がフェリルの変化に気づき、数羽がフェリルを討ち倒そうと襲いかかる。それを見、バハウがその内の一羽に対して光を飛ばした。光は巨鳥の腹を的確に撃ち抜き、その巨鳥は地に落ちた。体の一部を落としては再生する――そんなことを繰り返していた巨鳥だから、ぼくは生命力の塊のような生物かと思っていたが、どうやらさすがに胴体に大穴があいてしまっては、さすがに回復はままならないようだ。生命活動を停止したらしく、地に落ちてからは体の一部が体から分離しなくなった。
「千紗、死体から充填しておけば?」
しないよりはマシだろう。
「そうだね……って言いたいところなんだけど」
千紗は難しい顔をして巨鳥の死体を見ている。
「どうしたの?」
「どこから魔力を採ればいいかわからないんだよね。魔には魔力を蓄えている器官がある――わけじゃないんだけど、濃い部分があって、そこから採らないといけないんだ」
「でも近づけばわかるんじゃ……」
「普通はそうなんだけど、魔獣はそうでもないみたい。それともこの鳥が特別なのかな?」
特別にしてもそうでないにしても、とりあえず、この巨鳥からは魔力を直接充填することはできないということか。フェリルが巨鳥を生け捕りにしようとしているのは、そういうことがあるからか?
そのフェリルはすでに岩壁の足場にはいなかった。巨鳥には劣るものの、それでも人の目で追うのは骨が折れる速度で走り回り、巨鳥を翻弄している――はずだ。巨鳥の動きはあまりに速く、ときどきそこに『いた』というのがわかるだけだ。
フェリルが下に下りてきた。それを追いかけるように、地面に砂煙が舞う。巨鳥がフェリルを追っている。猛然と走るフェリルは岩壁まで走ると、岩壁を蹴り――ふわり、と、宙を舞った。
その直後、その岩壁に巨鳥が衝突し、岩壁の一部が崩れ落ちた。轟音とともに崩れた岩が降り注ぎ、その崩れた岩の中から巨鳥が姿を現した。フェリルは軽い足取りで岩山に近づき、零下の手で巨鳥の羽を裂く。羽はすぐに再生するような動きを見せたが、フェリルによって裂かれた部分を中心に、どんどんと氷結していく。片翼が機能しなくなった巨鳥は、少し浮いたところでまた地に堕ちた。残った羽でフェリルを襲うが、フェリルはそれを難なくかわし、振るわれた羽に飛びかかった。
巨鳥の悲鳴が響く。
その悲鳴に共鳴するように、まだ空を舞う巨鳥が声を上げた。
フェリルは耳をつんざく悲鳴を無視し、残った羽を凍らせた。空に逃げられなくなった巨鳥が立ち上がるが、フェリルがすかさず露わになった足に食らいつく。大きなその口で巨鳥の足をかみ砕き、再生をさせないように噛みちぎったその場所を凍結させる。
フェリルの白い体毛が、巨鳥の血で赤く染まった。
「すごい……」
フェリルが口を拭い、また空を見上げると同時――バハウがまた一羽の巨鳥を仕留めた。残る巨鳥はあと一羽だ。フェリルの手が空いたから、あれも同じように生きたまま捕らえることになるだろう。
「くすくす……バハウ、殺さず堕としてちょうだい」
「わかっている」
バハウはうなずくと、続けざまに二本の光を飛ばした。その光は高速で移動している巨鳥の羽を見事に射抜き、巨鳥は体勢を崩して落下を始めた。だが巨鳥の羽を完全に無力化したわけではない。あの鳥は再生する。
再生を始めたか否か――高度が十分に下がり射程内にある巨鳥に、フェリルが襲いかかる。獰猛な牙で巨鳥の羽をむしりとる。全身に血を浴びて、フェリルは巨鳥とともに着地した。
そこからは流れ作業的に両翼と足を無力化し、二羽目の巨鳥の捕獲に成功した。
〈鏖殺するバハウ〉
〈氷結するフェリル〉
この二体――いや、ふたりが敵でなくて良かった。
彼らと戦うことになったなら、ぼくたちは今までで一番の苦戦を強いられるに違いなかった。
今までの魔とは違う、別の空気をぼくは感じた。