第十話『協力体制』
魔の世界は混沌としていた。
いや、混沌とした世界だったのだろう――と言ったほうがより正確なのかもしれない。なにせ魔がたったの二体しかいないのだから。フェリルが言うには、魔が減った代わりに魔獣の数が増えたらしい。魔の激減から魔獣の増加までの感覚が短いと思ったが、どうやら魔獣の繁殖力が異常に高いらしい。今はまだ遭遇していないが、実はいつ遭遇してもおかしくないらしい。
「とはいえ、わたしとバハウがいれば安心さ。きみたちはひとまず戦う必要はないかな……くすくす」
岩壁の一角、人が二、三人ほど通れるほどの穴に入り、しばらく進んだ場所――そこにフェリルが普段寝食している場所がある。実際は寝る時くらいしかいないらしいが。洞穴の寝室は、人のそれとは大きく様相が異なる。そもそも家屋じゃないというのは置いておくとして、家具と言えるものは何一つとしてない。ただ風雨をしのげる場所――それくらいの感覚なのかもしれない。
バハウとは入口で別れた。彼は魔獣が来ないかの見張りをするそうだ。
ぼくはまだ、フェリルの話に乗ったわけではない。ここまでついてきたが、これも罠ではないという保証はないのだった。ただ、ぼくたちを排除したいだけならいつでもできる。それこそあの時だって――フェリルが最初にぼくたちの戦いに割り込んだ時だって、ぼくらを攻撃することは可能だった。むしろあの時は好機だったのだ。
それを無視して、こんな提案をしている。
「本題に入りますけど、ぼくたちに協力してメリットがあるんですか? 今は違うとはいえ、ゼノ(Xeno)は長のはず」
ゼノ自身はそう思っている。
自分は魔――フィアドの長であると。
それを堂々と宣言した。
「メリット? くすくす……あるに決まっているでしょう?」
彼の死――フェリルは唇をつり上げる。
「彼――ゼノが死んでくれるなら、わたしはあなたたちに協力を惜しまない。だってそうでしょう? わたしは彼を憎む権利があるわ。もちろんバハウも」
同族殺し。
人の中で、それは禁忌だ。魔がそうであるということに、疑問は特にない。ただ……あの燃える魔のような存在を見ると、やはり違和感がある。彼は人を殺しはしても、魔は殺さなかったのだろうか。魔にとってぼくらは家畜で、ぼくたちが家畜を殺すのと同じ感覚だったのだろうか。
そうなら。
もしそうなら――納得せざるを得ないのかもしれない。
つまり彼らにとってぼくらのような存在は、気性の荒い個体でしかない。それだけのことだ。
「でもゼノを倒すにしても、場所がわからない。居場所もわからないのに協力も何もないでしょ?」
たしかにその通りだ。千紗の指摘を受けて、フェリルが思案顔で黙り込む。まさかこの問題にフェリルが気づいていなかったとは思えない。もう答えは見つかっていて、ポーズとして悩んでいるふりをしているのか――それとも解決できなかったのか。
「そうねぇ……くすくす、それじゃあ門を使いましょう」
やはりポーズだったのか、フェリルはすぐに顔を上げた。
「門を?」
「ええ。ご都合主義も甚だしいけれど、まあそれは今に始まったことじゃないでしょう?」
何の話だ。
「きみのような魔力なしがここまでたどり着いたこと――それがご都合主義じゃなくて何? くすくす……」
まあ確かに……そう言われてしまえばそれまでなのだけど。それでもぼくは自分の力で乗り越えてきたと思うんだが……。傍目から見たらそれはそういう風に見えてしまうということか。
「ご都合主義でも何でも構いませんよ。で、門を使って何を?」
「門がそっちの世界のいたるところに繋がっているのは知ってるでしょう?」
「ええ。ひとまずはひとつ確認してますよ」
キモン。
実際に確認したのはそのひとつだけど、ぼくはもう一か所――門があるかもしれない場所の目星はつけている。そこはぼくとアレが初めて会った場所。工業都市イカガカの廃坑だ。あそこでぼくは初めてゼノと遭った。あれの出現は突然で、そこにずっといたはずの魔でさえ、姿を現すまでその存在に気づけなかった。
ふつう、魔は周囲の魔力を感知できる。人間でもできる。だけど、あの時はできなかった。気づけなかった。ぼくと戦っていて注意がそちらへ向いていなかったのかもしれないが、あれほどの魔が、あれほど強力な魔力を見逃すなど考えられない。ならばそこに突然現れたならどうだ。もしそうだとしたら気づく以前の問題だ。
「つまりここに来た時の門だけしか知らないってわけね」くすくすと笑い、フェリルは続ける。「ゼノが人間と関係を持っていたのは知ってるみたいだけど、その相手がどこの出身か知ってる?」
「ええ。ゼノに滅ぼされた最初の村……ですよね?」
終わりの町。
終わった島。
「今、ゼノはそこにいるよ」
「どうしてわかるの?」
訝しげに千紗がフェリルを見た。
「あれはあれで『元』長だからね……嫌でも感じちゃうものなのさ」
フェリルは立ち上がり、出口の方へ歩いた。少し歩いて立ち止まり、やれやれ、とため息をついた。
「魔獣が数体来たみたい。まあ彼に任せていれば安心かな」
「あのさ」
千紗が立ちあがる。
「その魔獣から魔力の充填したいんだけど」
「充填?」
フェリルは首をかしげる。魔であるフェリルは術式の存在を知らないのだろう。
千紗はポケットからキューブをひとつ取り出して、フェリルに見せた。フェリルは興味深そうにキューブを手に取り、じっくりと観察して千紗に返した。
「魔獣の魔力をこんな結晶にして持ってこいってこと?」
「まあそんなところかな」
今までも補給する機会はあったが、あいにくその時間がなかった。魔の死体から得られる魔力は、たとえその魔が強力であってもそう多くはないそうだ。千紗が持っているキューブのように圧縮して結晶化しなければ、吸収効率が悪いらしい。
「くすくす……人間ってホント不便」
「なんとでも」
千紗固有の案件であるということを話す必要はないだろう。バハウはもしかしたら看破するかもしれないが、自分たちから打ち明けるようなことではないだろう。今はこうして協力関係のようなものを気づいているけれど、本来なら戦っていて然るべき相手なのだから。
いや……そうでもないのか。
そうじゃないのかもしれない。
よくわからなくなってきた。
「ただ待ってるってのもつまらないでしょう? 魔獣っていうのがどういう生き物なのか見てみない?」
出口に向かいながら、こちらに振り返ることもせずに言う。
「千紗、行ってみようか」
「行くの?」
「敵を知れば百戦危うからずってね」
「敵を知り己を知れば、だよ」
「……うん」
「まいいや。とりあえずついて行こうか」
千紗がフェリルの後を追うのに少し遅れて、ぼくも千紗の後に続いた。
「でも魔獣と戦うことなんてあるの?」
「魔獣の名前が魔法名に入ってる魔もいるんだよ」
〝火トカゲの目〟
〝イーゴの羽〟
そんな名前もあった。イーゴは魔獣の名前だと聞いた。火トカゲもたぶんその類だろう。そう考えるのが自然だ。
「なるほどね。本体を見れば魔法名である程度の予想ができるってわけだね?」
「そう思うんだけどね。自信は全くないよ」
「なにそれ。まあ聖らしいといえばそうかな」
「そんなぼくらしさはいらないよ」
ぼくはいつの間にそんな風に見られるようになったのだろうか。
甚だ疑問だが、そんな考えは魔獣とバハウの戦闘を見て吹き飛んでしまった。