第九話『終わった世界のふたり組』
自分の術式を軽くあしらわれ、より警戒を強める千紗に対して、フェリルは苦笑を洩らした。
「わたしは話し合いをしようと言ったんだけど……どうしてその子はそんなに戦う気が満々なの?」
フェリルは千紗から視線を外し、ぼくに向かって言った。その問いはぼくにも答えることは容易ではない。千紗は魔を敵とみなし、敵は敵だから倒すだけ――そういうスタンスを貫いている。だが、どうしてそれをそこまで徹底するのか、それはぼくにもわからないのだ。
「千紗、話をするだけしてみようよ」ぼくはふたりの魔を見遣る。「あちらにもあちらの都合があるみたいだし」
フェリルは笑みを絶やさないまま「うんうん」とうなずき、バハウは苦々しくうつむいた。
「……仕方ないね」
千紗は大きな息を吐いて、グローブから放出される魔力を絞った。もちろんその力を完全に止めたわけではない。万が一に備え、常に戦える状態を維持している。
それはぼくも同じことだった。剣は鞘に納めているけれど、抜刀しやすいように左手で持っている。
バハウも立ち上がり、フェリルの横に立つ。並んでみれば、ふたりの外見は対極的だった。スマートなフェリルに対し、無骨なバハウ。
「で、きみたちの目的は?」
「我らが長の討伐だそうだ」
フェリルの問いに答えたのはバハウだった。
「あー……『元』長ね」
「『元』?」
「『元』だよ」
フェリルは表情を変えずに言う。
「あれはもう長じゃない。狂ってしまった」
「……」
「人の娘にうつつを抜かしていたのは良いのさ。そういう民も珍しいが確かにいるからね。ねえ……きみたちはそこの門から来たんだよね?」
フェリルはぼくたちの後ろを指差した。その方向は、確かにぼくたちがやってきた方向だった。
「見たでしょう?」
くすくすと、フェリルは笑う。
同じ笑みのはずだったが、その指差す先を知っているぼくには、その笑みが狂気のそれに見えた。狂っているのはお前じゃないのか――そんな風に思う。あれとは別の方向に来るっているのではないかと。
「あそこに転がっている死体は全部フィアド。そしてその原因は――ゼノ」
あれが――ゼノの仕業?
魔の長が、魔を殺したのか?
「それはどういう……」
「先日、ゼノはここへ戻ってきた。狂ってしまってから、初めての帰還だったものだから、私たちは彼を出迎えた」
バハウがフェリルから説明を引き継ぐ。
「出迎えた結果があれだ。ゼノはゼノではなくなっていた。私たちは一抹の希望を持って彼を出迎えたが、どうにも甘い期待だったようだ。長は――ゼノは、出迎えた我らに襲いかかり、ここ一帯のフィアドを惨殺した」
ぼくも千紗も、なにも言えなかった。
狂ってしまったゼノは、同族にも手を出していたのか。
いや、と、思い出す。
そもそもアレは、ぼくと初めて会ったときにも同族を殺していた。
「生き残ったのは私と――」バハウは言葉を切った。「――このフェリルだけだ」
たったふたり。
「それは……ここら一帯ですか? それともここの全て?」
「ここら一帯のフィアドだと願いたいものだ。実際、どこへ行っても死体。死体。もううんざりだ」
バハウはため息をついて、肩を落とした。こんなに気落ちした魔を見るのは初めてで、複雑な気持ちになる。
敵。
敵だとわかっていても、それはぼくたちの立場から見た話だ。あちらにはあちらの立場があって、片方の正義の敵が悪であるとは限らない。結局のところ、正義同士がケンカしているだけなのだ。しかも今回の場合、ぼくたちが倒さなくちゃいけないのは極端な話、ゼノだけで良いわけで、それ以外の魔は倒す必要は基本的にない。
――貴方方の中に戦える人とそうでない人がいるように、私たちにも戦闘向きの者とそうでない者がいるのです。
――人に襲いかかることを良しとしない魔もいるくらいです。
あの魔はそう言った。
それはつまり、魔――フィアドという種族は、人と変わらないということだったのだ。種族の違いが両者に隔たりを生んでしまったが、本質は変わらない。仲間は守りたいし、傷つけば悲しい――そういうものだ。
ということはつまり――
「勝手に死のうとしてるって言ってたのは、そういう意味ですか」
フェリルはぼくたちの戦いに水を差し、そしてバハウにそう言ったのだ。
バハウにとって今のこの世界は、死にたく程に救いがない世界になってしまっている。
「情けない話さ」
と、フェリルは呆れた声を出す。
「〈鏖殺するバハウ〉とまで呼ばれた男がこの有様なんだからさ。死んでったみんなが笑ってるね、これは。くすくす……」
「肩書きなど意味を成さん。そもそも私が門番などやっているのは、守りたいからだ。守る対象を失った今、どうしてのうのうと生きていられる」
ああ……と思う。
千紗も何かを思ったのか、彼らに背を向けて少し離れた場所まで歩いて行った。
「へぇー、わたしは守ってくれないわけね」
「お前は私よりも強い」
「強さなんて問題じゃないでしょう? 気持ちよ、気持ち」
「…………」
うーん……なんだかぼくが部外者みたいに感じるなぁ。いや、今に関しては完全に部外者か。うん? あれ? ふう。
ただ、この時点でぼくはこのふたりの魔を倒す――そんなことは考えなくなっていた。ぼくにはどうしても、このふたりが倒さなければならない相手には思えなかったのだ。感覚としてはそう――あの槍使いの時に似ている。まるで人のようで、姿こそ違えど――身近な存在に感じてしまうこの感覚。
「ねえ、きみたち」
「なんです?」
「ゼノを倒しに来たのよね? 身の程もわきまえず、力の差を理解せず、その無謀さを無謀だとは知らず、愚かにも倒しに来たのよね?」
「倒しに来ましたよ。身の程は痛いほどに知って、力の差は身を以て理解して、始めから無謀だと思いながら、愚かにも倒しに来ました」
へぇ……と、フェリルが呟いた。
「ならひとつ提案があるんだけど、ちょっと聞いてみないかい? くすくす……悪い話じゃないからさ」
そのくすくすと笑うのさえなければ、ぼくは安心して話を聞いたかもしれないのだが。このフェリル、絶対そこで損をした経験があるはずだ。人の価値観で考えれば、だけれど。
「受けるかどうかは別にして、まあ、聞いてみます」
提案はあくまで提案で、命令じゃない。それに敵方の提案だ。ひとまず話を聞いて、のめるならのめばいいし、そうじゃないなら蹴ればいい。条件を妥協させるのもいい。とにかく話を聞いて損はない。フェリルもバハウもまだ計り知れない。全力など見せているはずはないし、ぼくたちも無駄に戦って消耗したくない。なにより、この話の流れから考えれば、その提案はゼノ絡みである可能性が高い。
「ゼノを倒すのに協力しましょうか?」




