第二十四話『ささやかな裏切り』
深夜、誰もが寝静まっている中、千紗は動き出した。火守の番でもない。彼女は寂しげな表情で空を見上げ、頼りない足取りでキャンプを離れた。隣で寝ていた聖はまだ夢の中で、千紗が動き出していることに気づいた様子はない。
千紗は海岸線を歩き、またため息をついて森のほうへと歩いて行く。そのまままっすぐ歩けば、いずれあの廃村へとたどりつくだろう。そして丘を登ればあの墓地へ。
足取りは頼りなく、力ないが、千紗の意識ははっきりとしている。
「……あたしは何をしたらいいのかな」
結局――問題はそこに行きつくのだ。彼女は自分がこの旅において、これからどのような価値を持ち、どのような役割があるか――それに悩んでいる。
最初は放浪するだけの旅だった。
聖との出会いは、彼を助けることだった。
共闘し、思惑とは裏腹に苦い経験をした。
船旅の途中も、小物を数体屠った。
大物とやる時は、お互いの力を引き出しあった。
そしてこの島。
この島でゼノと出会い、千紗は何もできなかった。
サポートもできず、かといって逃げ出すことさえできなかった。身がすくんで動けなかった。聖はどうも千紗を対ゼノの切り札として考えていたようだったが――それに千紗自身も気づいていたが――その考えは崩れてなくなった。
それが彼女には悔しかった。
何が世界最強だ――と。
世界最強と世界最弱――そのコンビで旅を続けていたはずだ。
「でも……」
そう。世界最弱という肩書きは、聖が言っているだけにすぎない。エレナは自分を送りだす時、世界最強がいるからつれてこい――そういう旨の指示を飛ばしたはずだ。そして実際に聖を連れていけば、彼女は聖を最強として迎えた。
最弱と自分を評する聖に幾ばくかの戸惑いを覚えながら。
となれば――自分が最強であるという前提は崩れる。最強のように見える何者かになり下がる。そうなってしまえば〝武神〟の力も〝力は満ちて〟の力も――意味をなさないのではないか。この破格の力は、ゼノには届かない。
聖の力が届いた。
自分ではなく、彼の力が。
「こういうシナリオだったんすか? エレナ」
遠く空を見つめて呟く。
返事はない。
あるはずがない。
千紗は歩みを止めることなく、森の奥へと進んでいく。今はなくなってしまった森は、夜闇の中ではより寂しく見えた。大きな生き物の気配が全く感じられない。寂しい森。千紗はその森に溶け込むように、ゆっくりと歩いて行く。
そして気づけば、千紗は廃村までやってきていた。ここに何か目的があるわけではない。本当に気がつけばここにやってきていた。
「魔は――ただの敵。そのはずだったんじゃなかったっけ」
そう言われた。
敵は敵。
そのはずだった。
なのに――どうして魔が人と恋をする。
「なんなの? 敵なら敵らしくしてよ! 傍若無人に振舞ってよ! 敵という存在を徹底してよ!」
聖はゼノの過去を視たと言った。そしてその過去は、凄惨たるものだった――らしい。彼が持つものは、単なる破壊衝動ではない。
復讐心。
人に対する復讐心だ。
そして恋人――リズという人間の女性に対する恋心。
「こんなのまるで……まるで――」
千紗は最後まで言うことができなかった。それを言ってしまえば、もう戦うことができないと思ったのだ。
まるで人のようだ――と。
術式が通じない相手に対して戦力にならず、その上心まで折れてしまったら――本当に役立たずだ。
「〝力は満ちて〟をフルで使えばまだ大丈夫……なのかな」
もちろん、そんなことをすればすぐに魔力は枯渇し、触媒となっている千紗は活動する力を失う。論外にも程がある。しかし、そうでもしなければ魔と戦うことはできない。
今までは移動力に魔力を割き、不足する攻撃力は〝武神〟で補っていた。だからこそ魔力が枯渇せずに済んだのだ。それを〝武神〟なしで戦闘に対応するとなれば、必ず無理が生じる。
結局、打つ手なし。
肉体的にも精神的にも、ゼノを打倒する術が見当たらない。自分も剣なりなんなりの武器を使えば良いか、そう考えたが、そんな付け焼刃では戦いにすらならないだろう。聖があれで戦えているのは、旅の最初からずっと使い続けているからだ。嫌でも使いこなし始める。達人のそれには足元にも及ばないだろうが、今まで生き残っているのだから腕はそれなりだろう。
しかし今までずっと拳によるインファイト、もしくはアウトレンジから術式をぶっ放してきた千紗では戦闘スタイルが違いすぎる。相手を殴り、その瞬間に術式を使うにしても、結局は魔力による衝撃である。ゼノに吸収されかねない。
「術式によってじゃなくて、その結果によって倒す?」
それは海魔――〈報復するクリル〉がやろうとしたことだ。それによって聖の〈揺光〉を無力化しようとした。自分でも同じことができるだろうか。不可能ではないだろう。例えば岩壁を術式によって破壊すれば、崩れた岩で敵を攻撃することができる。しかし、それがどれほど有効だろうか。それはやってみなければわからないが、ひとつわかることは、それが一度だけしか使えない――いわば奇襲だということだ。
「…………」
わかっている。
彼女はわかっているのだ。
それが認めるかない事実であるということを。
「認めよう」
そう呟いた千紗の顔は、言い知れぬ悔しさがにじんでいた。彼女自身、その悔しさは一体何に対してなのか、はっきりはわかっていないだろう。色々なことが悔しいのだ。一言で言い表せるはずがない。
廃村の真ん中を突き抜け、丘を登る。
荒れ果てた墓地には、まだゼノの魔力の残滓があった。その魔力は今までの誰よりも濃く、強く、そして濁っていた。
「魔は世界から愛されているかのような強大な力を持つって話だけど、案外それが当てはまるのって、ゼノだけかもしんない」
人の心を見通し、まだ全容を見せない攻撃力――敵の魔力を吸収し、当然のように高い機動力。
ゼノに比べれば、今までの魔など雑兵のようなものだろう。
何かに特化された魔ならいた。
個体は弱いが数の暴力で攻めるココ。
鈍重だが計り知れない力を持つイーザ。
攻撃力、機動力ともに高いが打たれ弱いフィオ。
千紗はこれらの名前を知らないが、全て戦ったことがある魔だ。その存在は覚えている。確かに高いステータスを持つ者もいたが、それでも千紗には及ばなかった。千紗の力はそれだけ破格のものだったのだ。
それなのに――剣一本で戦う聖が戦える相手に対し、何もできず見ているしかできない。
「認める。だけど……認められない!」
その事実は認める。それが事実なのだから。
認められないのは、その事実によって自分の中に芽生えた思いだった。
――自分は聖よりも弱いのではないか。
無論、千紗は自分が一番でなければ気に食わないというような、子どもじみた思想の持ち主ではない。負けは認めるし、格上は尊敬する。それは部活動で養われた精神でもある。だが、それを認めるためには力比べをするしかない。
部活なら試合だった。試合をすれば勝敗だけではなく、各個人の力量も計ることができる。たとえ勝っても相手の方が格上だと思えば、喜びはしてもそれをおごることをしない。
「聖……」
今のこの状況はふたりの特性が明らかになっているだけにすぎない。得手不得手というものだ。だからまだ、ふたりの力関係は不明だ。不明ならば――白黒はっきりしなければなるまい。
「今はだめ。まずはゼノを倒さなくちゃ。だから、全てが終わった後で――その後で」
これは自分のエゴだ。そのために旅の目的を蔑ろにはできない。だが、全てが終わればその限りではない。聖は元の世界に早く帰りたいだろうが、千紗はそれができない身だ。魔力に侵された体では、現実世界に帰ってもすぐに倒れてしまう。だから千紗は我がままを言う。
最後の最後で、とっておきのわがままを。
「許してくれるよね? 聖」
拳に青い光が宿る。
そこには先ほどまでの迷いはなかった。
千紗――世界最強はこの時、世界最弱の最後の壁になることを決めた。