第二十二話『戦闘条件』
その美しい刀を――魔は拾い上げた。
終わった。
ぼくにはもう戦う術がない。
奴に傷一つ負わせることはできない。
奴がこのまま自刃するならば話は別だけど、それはないだろう。そうする理由がない。むしろそれは奴にとって不利益でしかない。生命という意味だけでなく、生きる意味という観点からも。
奴の目的に反する。
「返せよ! 返せ!」
つまり、終わり。
そう思って――そう悟ったのだから、そこで諦められたら簡単だった。あとは時間に身を任せれば良いのだから。けれどぼくにはそれができなかった。するわけにはいかなかった。
「きゅあああああああああ!」
魔が吠える。
勝利を確信した叫びか。
その叫びからは感情が読みとれない。
「これはなに? なになになになに! これこれこれこれこれれこえこここ!」
甲高い声を上げながら、魔は〈揺光〉を振り回す。狂ってしまったように、そこに何かがいるかのように、魔は〈揺光〉を振る。それはおおよそきれいな剣筋と言えるものではない。子どものチャンバラごっこのようなひどい剣筋だ。
めちゃくちゃだ。
狂ってる。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいイタイイタイイタイイタイいだああああああああ!」
その声には明らかな苦悶が含まれている。
魔の苦悶の声に対し、〈揺光〉は喜びの声を上げていた。
「なにが……」
〈揺光〉は白く輝いていた。その刀身が美しく輝き、その紋様を浮かび上がらせている。こんな姿は見たことがない。一体何が起きているんだ。
「きいいいああぁぁぁぁああああ!」
恐ろしい。
理解できない現状が、ただただ恐ろしい。
「聖! 伏せて!」
「え――」
懐かしい声がした。声がしたほうを見ると千紗が立っていて、その右手に魔力を光らせている。今までで見たことがないほど澄んだ青い魔力。彼女が何をしたいのかをすぐに理解し、魔から離れて地面に伏せる。
この状況なら、的確に魔だけを攻撃することができる。〈揺光〉を傷つけることはない。
「唸れ! あたしの右腕!」
背後で地を割る音がした。魔力が駆けた衝撃でぼくの体も数メートルほど飛ばされ、魔が作った土の壁にぶつかって止まる。
「これで……」
終わった――のか?
青色の残滓が空中を漂う中、土煙が晴れていく。大きく地面をえぐり、木々をなぎ倒し、そして直撃したものは形も残っていない。初めからそこには何もなかったかのような無がそこにはあった。
「イィィィアアアアアア!」
ただし。
この魔を除いては。
「美味しい! 美味しかった! ありがとう! 魔力をありがとう! やめろやめろやめろ喰うな! 喰うなぁぁぁぁ!」
傷がない。
傷一つない。
ぼくが与えたはずの傷さえ、いつの間にか癒えている。
「そんな――あたし、全力で……」
千紗が攻撃をしたのは魔の背後からだった。いくらでたらめに〈揺光〉を振り回していたとはいえ、あの青い閃光の全てを斬るには至らない。それに斬ったとしても、傷まで癒えてしまうはずがないのだ。魔にダメージがなければおかしい。
それなのに、それがない。
歓喜の声の後、魔はすぐに苦悶の声を上げる。
「あぁああぁぁぁああああ! きみきみきみ! 調子に乗ってるね! 乗ってるだろ! ボクが食べるよ! 食べる食べる! ボクを食べるなぁぁ!」
魔がまた〈揺光〉を振り回す。今度は両手で柄を握り、〈揺光〉と戦うかのように。
「まさか……〈揺光〉に魔力を吸われているのか?」
〈揺光〉は魔力を吸う。
誰彼かまわず、周囲にいる者から魔力を吸い上げる。そしてそれを持つ者、斬りつけられた者はより多くの魔力を吸われ、〈揺光〉の養分となる。となれば、あの魔ほどの魔力を持つ存在が〈揺光〉を手に取れば、大量に魔力を奪われるのは明白なことだ。
「いらない! こんなものいらない!」
魔は〈揺光〉を投げ捨て、二対の羽を広げた。
「きゅああああ! リズ! リィィィィィィズ! ボクはボクは――帰ってくる! 帰ってくるるるるる!」
魔の体は空へと舞い――
「聖! あいつ逃げちゃう!」
「倒せないだろ!」
今にも魔に攻撃を仕掛けようとする千紗を止める。あんなものが舞い戻ってきても、ぼくらに勝つ見込みはない。深追いをするべきじゃない。
「でも――やっと見つけたんだよ!」
魔の影が小さくなる。
「見ただろ! きみの攻撃はあいつには届かない……届かないんだ」
信じがたいことだけれど、千紗の攻撃は魔の体を傷つけることはできない。むしろ力を取り戻す結果に終わってしまった。あれが〈揺光〉の魔力吸収によるものなのか、それとも魔が持つ能力なのかは判断できない。もしかした両方かもしれない。
苦々しい顔で魔が消えた空をにらむ千紗の肩に手を置く。それはなんの意味もないことだっただろう。ただ諦めろと言っているだけだ。この娘がこの程度で納得するとは思えない。千紗はため息をついて、ぼくに向き直った。
「行こ。船のみんなも混乱してるよ」
「そうだね。でもその前に〈揺光〉を探そう」
丘を下り、もう墓地が見えなくなる一歩手前。ぼくは振り返る。視線の先には手入れされたひとつの墓標。あの下にリズなる人物が眠っているのかは、正直疑わしいところだ。ぼくが視た記憶から考えれば、その確率は低いように思う。
「……止めてきます、あれを。もしかしたらあなたはそれを望まないかもしれませんが」
顔は見えなかった。けれど優しい声だった。優しい手だった。彼女はそういう人物だった。それだけは知っている。わかっている。だから、ぼくは誓う。
「討ちます」
ぼくは先行する千紗に置いていかれないように、小走りに丘を下った。
かがり火を囲んだ食事を終え、ぼくと千紗は海岸沿いにあった岩場でどちらともなくその足を止めた。少し離れたところでは、復旧作業を再開した乗組員たちがせわしなく動いている。それを横目に見ながら、ぼくたちは岩場に腰を下ろした。
「ごめん」千紗はぽつり、と呟くように言った。「あたし何もできなかった。あの魔にビビッて足も動かなくて、戦意もなくなって、聖が傷つくのを黙って見てることしかできなかった。ずっと。やっと……遅すぎるくらい時間がたって、あたしが術式を使って、できたことなんて魔の傷を癒すことだけ。邪魔にしかなってないよね。これならまだ石のほうが役に立つよ。砂のほうが役に立つよ。ごみのほうが役に立つよ。…………ごめん」
千紗の肩は震えていた。悲しいのだろう。悔しいのだろう。ぼくはかける言葉が見つからなかった。何を言っていいのかわからなかった。安い励ましをかけるべきなのか。叱責してやれば良いのか。
ぼくはどちらもできなかった。千紗が励ましを求めていないことはわかる。だけど、ぼくは千紗を責める気持ちにもなれなかった。相手はあれなのだ。
理解不能の魔にして、魔の長ゼノ。体がすくみ、心が萎縮するのはわかる。ぼくだって始めてあれと遭った時は何もできなかった。ゼノであることは知らなかったけれど、ぼくは千紗と同じように何もできなかったのだ。そんなぼくがどうして千紗を責められよう。
「……」
だからぼくは何も言わなかった。
言えなかった。
「エレナさんが言っていたのはこのことだったのかもしれないね」
「エレナ?」
「うん。ぼくは長限定条件化で千紗よりも強く、そしてそれはぼくが持つ能力に起因する」
千紗の術式は魔に届かなかった。/ぼくの剣は届いた。
千紗は攻撃に魔力を用いる。/ぼくは攻撃に魔力を用いない。
魔は〈揺光〉を扱うに至らなかった。/ぼくは〈揺光〉を問題なく扱える。
これらの事実から推測すると、ぼくが千紗よりも強い条件は――
「戦闘の相手はさっきの魔のようなタイプ、かつ〈揺光〉を用いている場合。そして数合切り込んでいる場合」
もしかしたら他の条件があるかもしれない。今わかっているのはこの程度だ。これさえも全くの検討違いという可能性もある。
「ぼくが千紗よりも優越している能力は、やっぱり魔力のなさってことになると思う。ぼくと千紗の魔力は〇対十。〈揺光〉の魔力付与を考慮しても、一対九もしくは二対八程度だと思う。常識的に考えればこれはぼくが圧倒的に劣っているということになるけれど、ぼくを呼び出したレミアさんはそれを目的としてた。つまり……魔力がないということを。だからこの場合、この〇という数字は劣等ではなくて優越を示す数字になる」
そうなるはずだ。弱さが強さであり、世界最弱であるぼくを呼び出し、そしてそれを良しとするならば――こうでなければおかしい。おかしいはずだ。
「もしそうなら……」
千紗はしかし、深刻な表情でぼくを見つめる。
「……あたしは魔を――ゼノを倒せないってこと?」