第七話『レトアノ街道の夜』
旅立ちの朝だ。目覚めも良い。ここ数年間で、一番良い目覚め方じゃないだろうか。
不安で不安で、仕方ないけれど。
怖くて怖くて、どうしようもないけれど。
そろそろぼくも腹を括らなくちゃいけない。目の前の現実は不可避なものなのだから、ぼくはぼくの全力でもって、乗り越えなくちゃいけない。
「その革袋には木の実が、そっちには水、それには干し肉を入れています。リヴィルまではもつと思いますが、食べ過ぎないようにしてください」
使用人さんは説明をしながら、革製のショルダーバッグに革袋を三つ入れた。
「それから、レミアさまから銀貨を預かっています。銀貨十枚ですが、こちらも革袋に」
この世界では革袋を使用するのが一般的なようだ。紙はほとんど羊皮紙。西洋に近い文化に思える。どこか、和風な国がないか期待しておきたい。
「どうぞ」
「どうも」
渡されたバッグを肩にかける。ほどよい重さが肩にかかる。盾は背に背負おうかとも思ったが、いざという時に即座に使えるように、少々歩きにくいが腰につるした。盾自体が小型なので、剣を抜くのもそれほど困らないだろう。
剣と盾を素早く構える練習を昨夜しているから、不意を突かれない限り大丈夫だろう。そうだと思いたい。
「それから……」使用人さんは周囲を見回した。「……レミアさまとエヤスさまは外せない仕事がありまして。ごめんなさい」
「いいですよ。……それじゃあ、あの……あれ? そういえば名前を聞いてませんでしたよね」
どうして気付かなかったのだろう。今まで「あなた」と呼ぶばかりで、彼女の名前を聞いていなかった。
「わたしは……いえ。ヒジリさんが帰ってきた時に、教えます」
「はい?」
「わたしの名前が知りたいのならば、しっかりと生き残って帰ってきてください」
また一つ、帰ってきた時のご褒美が増えたわけか。
「そうですか。わかりました。じゃあ、また――縁があれば」
「いいえ、縁がなくても――また会いましょう」
おかしくなって、少しだけ笑ってしまった。
「はい」
二人で関所まで行き、そこで彼女と別れた。門から出る時、彼女が少しだけ寂しそうな顔をしていた。それがとても印象的だった。
もしかしたら――ぼくもそんな顔をしていたのかもしれない。
なぜって。
防壁の外に出てしばらく、ぼくは〈外〉ではなくて、壁ばかりを見ていたのだから。
「……よしっ!」
気合を入れて街道を見遣る。
青々とした草原の中に、人が歩くことによってできる土の道が延びている。木々が転々と生えていて、とてものどかな印象を受けた。魔が勢力をのばし、人を脅かしているなんて想像もできない。
この道がレトアノ街道だという。商業都市リヴィルから王都レトアノまでの道のりを結んだこの街道は、リヴィルと王都をつなぐ大切な道である。その道を歩いていると、なんとなく、歴史のようなものが感じられた。
人と建物が全く見当たらず、獣の姿も見かけない。ただそれだけのことなのに、だんだんと寂しくなってくる。マズいなと思いながら、けれど、この孤独感とはずっと付き合っていかなくちゃいけないものなのだと自分を鼓舞する。
しばらく歩くと、川が見えた。あれがレミアさんが言っていた街道沿いにある川だろう。使用人さんにもらった水は、さすがに何日ももつものじゃないから、こうして川があることは助かる。水もきれいだし、聞いた通り水分に困ることはなさそうだ。川の水は本当にきれいで、魚が泳いでいるのが見える。
「本当に魔なんているのかねぇ」
今更だが、本当に疑わしくなってくる。しかし本当は嘘だというのなら、ドッキリとしては大掛かりすぎるし、それこそぼくを呼び出した意味が理解できなくなる。意味不明とさえ言っていい。だから、それはまずない。
と、街道を歩いていると、今までのほのぼのとした雰囲気に似つかわしくないものがあった。
川の向こう側、それからさらに少し向こうに、岩肌が見えてしまっている部分がある。しかもそれは同心円状に広がり、中央部はへこんでいる。周囲も同様に、草と岩が斑になっている。クレーター、というやつだ。
クレーター?
うん。そういうこともあるだろう。
嫌な汗をかいているが、そこは気にしない方向で。嫌な予感しかしないけれど、そこはあえて考えないようにしたい。考えないようにしたいのだけど……少し、状況を見ておいた方がいいような気もする。
川は思ったよりも浅く、容易に渡ることができた。
クレーターと思ったそれは、やっぱりクレーターだった。深さは……良くわからない。少なくともぼくは、このクレーターの中には入ろうと思わないだろう。広がりと裏腹に、深いこのクレーターは、自然にできた――隕石などでできたとは思えない。まるで漫画のような――バトル漫画で地面をなぐったような、そんな印象を受ける。
いやまさか。
まさか、だ。
いや……まさか、と思うということは、たいてい、その通りなんだ。自分が認めようが認めまいが、そんなことは関係ない。どうしようもなく関係がない。対岸の火事以上に関係がない。
――認めろ。
認めることも、強さだ。
あるいは、弱さだ。
「魔ってのは……雑魚でこれなのかよ」
騎士団が今回倒した魔とは別物なのだろうが(さすがに距離が近すぎる。遠征とは言えない)、それでもそれと同等程度の力を持っている魔なのだろう。いや、もしかしたらそれ以下かもしれない。
世界に愛されているかの如き、圧倒的な力。そんなものを有しているというのなら、この程度では話にならない。
魔の長というのは、この程度、小指一本で成してしまうに違いない。
この時、ぼくは初めて――改めて、事態の深刻さを知った。
街道から少しだけ離れた木の下で休憩をとることにした。というよりも、今日はここで野宿だ。日は沈んでしまって、月明かりと焚火で暗さをしのぐ。ライターは存在しているようで、使用人さんが渡してくれたのだ。ライターとはいっても、形状は全く異なるが。あえて例えるなら、チャッカマンのような形状だ。それでもやっぱり、違うのだけど。
今日は初日ということで、歩く距離は短くしている。自分でどのくらいの距離を歩いたのかはさっぱり見当がつかないけれど、へとへとでもう歩けないということはない。初日で疲れすぎてもいけないし、夜は物騒だということもある。まあ、寝てしまえば物騒も何もないのかもしれないけれど。
漫画や小説のように、気配で目覚めるなんてできそうにもない。できたとしても、眠りが浅いんだろうな、なんて。
木の実と干し肉を食べて(食べ慣れた味ではないけれど、案外おいしかった)、その場に寝そべる。夜空には星が点々と輝いていて、ぼくが今まで見てきた空と同じだ。
「同じだ……」
ぼくが今まで見てきた星空と、この世界の星空。
全く別の土地に――世界にいるのに、どこかでつながっている。
そう思うと、なんだか嬉しくなって、柄にもなく心の汗が出てきてしまった。




