第十五話『告白』
悲しみとか苦しさとか、悔しさとか、嬉しさとか怖さとか、悩みとか、挙げればキリがないけれど、そういうものは他人から見たら小さなものに感じてしまうなんてことはよくあることで、たとえばぼくがここで彼女に「気にするな、大したことないさ」なんて言ってみたところで(人が死んでるんだからそんなわけはないのだけど)、「てめぇに何がわかるばっきゃろう」って返されるのがオチだ。どんな些細に思えても、当人にとっては切実で重大な問題だということは理解しておかなければいけない。
そこまで考えて、ぼくは千紗の部屋の前で立ち止まっている。ぼくはこういう時、体よりも思考が先行する。それについては良いとも悪いとも言えないけれど、今についてだけ考えればあまりよろしくない。
考えることと悩むことは、とてもとてもよく似ている。
「……ふう」
ノックをふたつ。
返事はない。
「千紗、ぼくだけど」
「入ればいいんじゃないかな?」
「そうだね」
さっきの戦闘による揺れで乱れた部屋は整頓されることなく、足の踏み場を探して歩かなければいけない状態のまま放置されていた。そんな荒れた部屋に備えられているベッドで、千紗は毛布にくるまっている。
「ひとりにしてって言ったじゃん」
「ひとりにしちゃいけない気がしたんだ」
あの時――ササ村でぼくが心を折った時、きっとローズさんがいなければ立ち直れなかっただろう。人は支え合って生きているなんて、言い古されてありふれていて、もはやありがたみも何もあったものじゃない言葉だけど、それは決してその言葉の持つ意味と価値を落とすものじゃない。むしろ――それほどに真実だ。
本物は、なくならない。
「自分勝手」
「かもしれないね」
「何か話して。楽しい話でも面白い話でも怖い話でも悲しい話でも……なんでもいいから、聖の話をして」
毛布にくるまって、頭も出さずに千紗は言った。
「話ねぇ……」
そう改めて言われると、話題を探すのに苦労する。ぼくはそれほどドラマチックな人生は歩んでいないから、人に話すようなことはあまりない。
全くない――わけではないと思う。
思いたくない。
「そうだね……」
あれ……。
だめだ。面白い話が全く思い浮かばない。何一つ思い浮かばないぞ? なんだこれ。
話のレパートリーが少なすぎる――というか、全くない。
ふむ。ちょっと面白い話をしてから話そうと思っていたけれど、諦めて話そうか。どうやらぼくにはその手の甲斐性は望めないみたいだし。
「ぼくがした『失敗』の話ってしたっけ?」
話したい出来事、ではないのだけど。
でも話さざるを得ない、話すべき出来事ではあるのだろうと思う。
失敗を失敗だと言ってそのまま殻に閉じこもったり、必要以上に卑屈になったりしないようにするためには、どうしても必要になることだと思う。ぼくのあの一件を今回の件と比べる必要はなくて、ただそういう出来事が、どこにでも起こり得るという事実を知ってほしいだけだ。
それこそ驕りなのだろうけれど。
傲慢でしかないのだろうけれど。
「してない、と思う」
「そっか」
思い違いじゃなくて良かった。これで思い違いなら、ぼくは本格的にというか本当に話のネタがない。
「ひとつ村があったんだ。きみが倒したフィオっていただろ? そいつとの初戦でケガしてさ、その村で手当てしてもらったんだ」
一緒にごはんも食べたし、子どもたちとも遊んだ。村の人も祭りの準備で忙しいのに、よそ者のぼくに良くしてくれた。本当に恩を感じてあまりある。
「平和な村でさ、本当にどうしてぼくがあの村にいたのか――それが悔やまれて仕方ないよ」
とはいえ、あの村に行かなければ――あの出来事がなければ、ぼくは生きていないのかもしれない。〈揺光〉を持たないぼくは、魔との戦いに生き残れたのだろうか。
「そして奴は来た――」
フィオ。
燃え盛る魔。
ぼくに魔を敵と認めさせた魔。
「――やつは村の半分以上を燃やしたんだ。ぼくとぼくの世話をしてくれた男の人と一緒に戦った。戦った――んだと思う。あいつにとっては遊びだったみたいだけどね」
戦いとは魔法でするもの。
この世界では、それは真理だ。
「そして村は燃え、ぼくを助けたあの人はフィオに殺された――ぼくは生き残った。あの戦いで死んでしまったのは、体が傷ついたのは、たったふたりだけだった。それはそれで大成功だとも言える。世界の大敵と言われている魔を相手にして、たったひとりの犠牲とたったひとりの負傷で済んだんだから、正解って言えば正解なんだろうさ。
「その点だけで言えば、確かになるほど、今回の件と同じだよね。とはいえ、ぼくは成功したとも正解だとも思ってない。むしろ大失敗だとさえ思ってる。
「恩人は死んでしまって、その奥さんと子どもは残されてしまった。確かに助かったんだから、それはいいことなんだけど、ここは説明しなくてもいいよね? つまりぼくはそれだけのことをしてしまったんだ。ぼくに責任はない――と思いたいけれど、思っちゃいけないだろうし、思いたいということすら思っちゃいけないんだろうと思うよ。
「え? いや、村の人たちはそんなことはしなかったよ。思っていたし、態度に表れていたけどね。ぼくはそれを甘んじて受けたさ。
「それからぼくはすぐに村を出ようとして、出る前にその奥さんに声をかけたんだ。借りていた剣を返すのと、壊れた家から取り出したものを渡すためにね。ああ、そうだね。泣いていたよ。あの顔は今でも忘れられない。
「あの人はぼくに、剣を貸してくれた。それがこの〈揺光〉だよ。うん。スダンでこの刀――うん、ぼくにはこれが刀に見えて仕方ないんだ――で、この〈揺光〉にこだわったのはそれが理由だよ。
「許してくれた――ってわけじゃないんだと思う。きっとあの人にとってあの出来事は、許すとか許さないとか、そういう話でもなかったんだと思うんだ。もしかしたら……というかただのぼくの希望というか願望というか、そういうものでしかないんだけど、あの人はぼくのことを自分の子どものように見てくれてたんじゃないかな。
「まあ、願望でしかないんだけどね。
「身だしなみに気をつけないと――そう言って、あの人はぼくの髪を切って、笑顔で……辛いはずなのに、笑顔でぼくを送ってくれたんだ。
「ぼくはその人に救われたんだ。その時は気付かなかったけどね。大切なものには後になって気付くんだ。今回は手遅れにならなかったけれど」
千紗は黙って、毛布で自分をくるんでいる。
まるで――自分を守るように。
「千紗。ねえ、千紗。元気を出せなんて、こんなことはどこででも起こるなんて、そういう説教じみたことが言いたいんじゃないんだ。ぼくはきみの気持ちを、全てじゃないけれど、ほんの一部ならわかる。わかるかもしれない。だからさ、ひとりになる前に話してよ。きみの話をしてよ」
千紗は身じろぎをするだけで、何も言いはしなかった。
何も――言わなかった。
「それじゃあ千紗、今はゆっくり休んでて。また来るよ」
彼女はすぐに立ち直るだろう――。
ぼくには確信に似たものがあった。彼女は強い。きっとぼくなんかよりもずっと強い。イメージだとかそういうものではなくて、今までの経験からそれがわかる。
だからきっと、大丈夫だ。