第十四話『人間じゃないじゃん』
被害は甚大だった。
死者八十名。
このうち、戦闘員三十余名。
負傷者十余名。
生存者二十六名
行方不明者は全て死者に追加。
被害総額約金貨六枚。
ぼくたちは聞かされていなかったけれど、どうやらこの船は貿易船だったようだ。輸出のために商品を詰め込んでいて、その商品の大部分が海魔の襲来によって使い物にならなくなった。
「問題は被害額よりも船の損傷だな。まあそれも被害額には含んでるが……」
そう言ってリックさんは頭を抱えた。
「このままではこの船は沈みかねない」
「近くに港はないんですか?」
近くに港があるなら、そこへ入港し、それから態勢を整えることが先決だ。いや、近くになくても、まずはそれをしなければならない。
「ないな。あったらすぐにでもそこへ進路を変えるんだが……」
重い沈黙が降りる。
今、この部屋にいるのは七人だ。
副船長のジルさん、リックさん、航海士のジャミさん、ぼく、千紗、それからコックがふたり。どうしてコックが同席しているのかというと、食料問題が絡んでくるからだ。貨物と一緒に、旅に必要な食料も打撃を受けている。
「副船長……」
「確認したいことがある。海図を」
「はい」
ジャミさんが海図をジルさんに渡す。ジルさんは海図を広げ、ぼくたち全員が見えるようにした。ジルさんはそこに線を一本引いた。
「これが予定の航路だ。そして――」
ジルさんがその線の上に、×をひとつつけた。
「――ここが現在地……と予測している場所だ。残念ながら、今は正確な位置がわからん。お前はわかるか?」
ジャミさんは首を横に振った。
「いえ、ですが、その予測地点よりもさらに北に流されていると思います」
「そうか」
ジルさんが新たに×を付け足す。そこから東に進めば、島がひとつある。ぼくには海図に書かれた文字が読めないけれど、どうやらその島には村がひとつあるようだ。
「あの、そこの島に泊めるのは駄目なんですか?」
提案すると、部屋の中の様子が明らかにおかしくなった。全員が口をつぐみ、うんともすんとも言わない。
「ぼく、なにかまずいこと言ったかな?」
小声で千紗に聞いてみた。
「わかんない。でも地雷みたいだね」
沈黙が続く。
耐えられなくなって、ぼくが取り繕おうとしたとき、リックさんが不意に口を開いた。
「そこはな、終わりの島なんだよ。いや、終わった村――か」
「どういう――」
「その島にある村はな、一体の魔によって滅ぼされたんだ。圧倒的な暴力で――まるで世界がアレに力を貸しているかのような凄まじさで」
それは、もしかして――
「ゼノっすね?」
ぼくたち以外の一同の表情が固まる。今まで平然とこの名を出していたけれど、当事者たち――つまりこの世界の人たちにとって、その名は恐怖の対象でしかないということか。
世界を震わせる魔の長――それだけで、恐れを抱くには十分すぎる。
村一つ滅ぼしたのならなおさらだ。
「そうなんすね」
ジルさんがうなずいた。
「やつが現れたのはその事件が最後だが、それだけで十分だ」
十分すぎるほどに――わからされた。
格の違いを。
「だけど、今はその島に行かないと――」
「行ったところでどうする。何もないぞ」
ジャミさんが頭を抱えて言う。
「修理をするにもこの船に今いる人数じゃ時間が――」
「だが……」
ジルさんがジャミさんの言葉をさえぎった。
「……そうしなければこの船がもたない可能性もある。行くぞ、終わりの島へ」
「そうと決まれば、今からでもできることをしませんとな」
コックのひとりがそう言って立ちあがった。
「できること?」
「はい。まずは食事としましょう」
食事の準備はコックの言った通り、すぐさま開始された。壊れた厨房で、できる限りの調理をする。船員は食堂に集められ、そろって食事をとることになった。広い食堂には、空席が目立った。中には食欲不振を訴える人もいたけれど、コックは笑顔でその人の口に料理を放り込んだ。
コックの暴挙に対し、しかし、異論を唱える者はいなかった。口に半ば無理矢理放り込まれた当人ですら、何も言わなかった。
言うほどに、元気がなかった。
なかった。
何も残っていなかった。
目に力はないし、活力はないし、行動力はないし、ないない尽くしだ。放っておけば数日で餓死しそうな男たちに、コックは笑顔で料理を運ぶ。
こういう事態を想定していなかったわけではないだろう。こういうことが起きるということは、むしろ覚悟して船に乗っているはずだ。だけど、現状――みんなの心は折れている。
「あたしたちって、何なんだろうね」
千紗は包帯が巻かれた右肩をさすりながら、遠い目で言った。
「あたしたちってさ、本当は化け物なんじゃない? 魔と互角以上に戦えるし、こんな事態になっても心は乱れない。巨大な波を砕く――人間じゃないじゃん」
人間じゃない。
「人間じゃなかったら、ぼくたちは一体なんだっていうんだい? きみもぼくも、元々あっちの世界から来た、ただの……ふつうの高校生であり、中学生じゃないか」
ぼくたちの日常は平凡だった。
こっちの生活は、あの日常でいうところのファンタジーで、空絵事のようなものだ。
異世界。
ここはあの世界とは違う世界。
「だから、化物だよ。人の皮を被った、ね」
「どうしたんだよ、千紗らしくないね。ネガティヴなぼくを叱咤するのがいつものきみだろ? これじゃまるでちぐはぐだ」
強く、明るく、前向き。
それが千紗に対するぼくのイメージだ。
「イメージはイメージだよ。どんな完璧人間なの、あたし。失敗したら悔しいって思うよ、あたしだって」
失敗?
「失敗なんてしてない」
「この被害を見て、どうしてそんなことが言えるの?」
食堂にできた空席。聞けば、本来ならほぼ満席になっているようだ。当たり前だ。これは客船ではなく、貨物船なのだから。必要な分の椅子しか用意はされていない。それが今では空席だらけ。埋まっている席のほうが少ない有様だ。
改めてその現実を見て、千紗は失敗だと思ったのかもしれない。
「ぼくたちは生き残ってる。船は沈んでない。魔を倒した。どうして失敗だなんて言うのさ」
「人が大勢死んだんだよ? たくさんの人を守れなかったんだよ?」
「大勢の人を守れても、たった一人死んでしまっただけで失敗だと感じる時もある」
守れた人の数が、成功か失敗かをわけることはない。
「あたしにとっては、失敗なんだよ。あの時あたしが寝てなければ……」
「そんなこと……」
そんなことを後悔してどうする! 意味がないじゃないか!
「意味はないかもしれないね。だけど……後悔すらできないなんて、本当に人間じゃないと思わない? 後悔は意味がないからしないなんて、あたしは人間味のない言葉だと思うよ」
千紗は食事を半分くらい残して、椅子から立った。
「千紗?」
「ひとりにしてね。考えたいことがあるんだ」
果たしてこの子をひとりにしておいていいものか。今にも死んでしまいそうな、力のない表情のこの子を。
危うい。
「大丈夫。本当に、ちょっと落ち着きたいだけだから」
ぼくの心を見透かしたように、千紗は力なく微笑んだ。
「なら、いいんだけど」
千紗のやけに小さく見える背中を見送って、ぼくは味気ない食事を再開した。味をほとんど感じない。自分が何を食べているのかがわからない。
どうしてだろう。
さっきの千紗の表情が、力ない笑みが頭から離れない。
今にも消えてしまいそうで、千紗らしくない顔。
「らしさ、ね。確かにイメージはイメージでしかないよな」
他人のイメージなんて、本人にとっては本当にどうでもいいことだ。他人がどう思おうと、自分は自分でしかない。イメージと違うなどと言われたところで、そんなことを言う人の人を見る目がないだけだと思うくらいのものだ。
滑稽、だよな。実際。ぼくは一体、千紗の何を見てきたつもりになっていたんだろう。ちょっと助けられて、ちょっと助けて、ほんのちょっと一緒に旅をした程度で、ぼくはあの子の何を知った気になっていたんだろう。
「失敗、か」
頭に浮かんだのは、炎に焼かれる村。
ただの血と肉になった彼。
ああ、そうか……今のあの子は、あの時のぼくなんだ。失敗して、悔んで、それでも悔やみきれなくて、どうしようもない気持ちだった――あの時のぼく。今の千紗は、ぼくそのものだ。形は違っても、その根底にある思いは同じだ。
「ひとりに、しておけないよな……やっぱり」
あの時、ぼくは助けられた。
今度はぼくが助ける番だ。