第十三話『力の自覚』
余裕と自信と慢心。
それらは紙一重だ。
ちょっとしたさじ加減で、それはどれにでも変化する。どれもほどほどが一番ということではあるのだけど、それだけではなくて、経験とか予測とか、そういうものも過信しするぎるのは禁物だ。その点、クリルは甘かったようだ。
「終わらせてやる! お前たちの――お前たちの未来を!」
それは――唐突に始まった。
海が荒れ、波が極端に大きくなった。その勢いは船を大きく揺らし、波しぶきが甲板を濡らした。
足場が悪すぎる。
「くっ――」
〈揺光〉を甲板に突き立て、何とかその場に立つ。千紗は人としてはもはや規格外で、平然と――とまではいかないが、ぼくよりは余裕のある表情で立っている。比べて意味のある差ではないけれど。
あってたまるものか。
「我が名はクリル! 〈報復するクリル〉! 静かなる同胞よ! 鏡映しの同胞よ! 強固なる同胞よ! 私は本気を出さねばならぬようだ! ふふ……ふははははははは! 見ていろ! 静かなる同胞に、鏡映しの片割れよ! 私がお前たちの仇を討ってやろう! ふははははは! 我が前にはお前たちの仇がいるぞ――憎き人間がいるぞ! 魔力を持たぬ異端と歪な魔力の異端がいるぞ! 私はこれからこやつらを喰おう! 海を汚すなどという愚行は犯さぬ! 我が血肉にしよう! ふはははははははは――ははははははは!」
そして切っ先をぼくたちに向ける。
「覚悟は良いか! 私はもう容赦せぬ! 痛みを感じる前に殺す!」
余裕の仮面は引き剥がされ、そこには凶器に満ちた海魔が一体。
「やってみろよ」
〈揺光〉によりかかったまま、ぼくは言う。
千紗はぼくを一瞥し、拳を青く染める。
「ほう?」
「ぼくは世界最弱。世界最弱の聖だ」
名乗る。
「やってみろよ、お前が最弱でないなら」
甲板から〈揺光〉を抜く。
「減らず口を!」
わかっている。
こいつは強い。
強く、強く――狂っている。
「――――ハァッ!」
水弾が六つ。
千紗はそれをかわしながらクリルとの距離を詰める。〝武神〟の術式は発動しない。あくまでその拳に魔力を蓄えたまま、千紗はクリルに向かう。
クリル――千紗――ぼく。
位置関係が直線になる。
ぼくは剣を構えたまま、揺れに耐える。
今のままでは、揺れに耐えるので精いっぱいだ。
水弾がさらに放たれる。今回はかわしきれず、千紗の右肩をかすり、血が弾けた。
「ぐぅ」
それでも千紗は前進をやめない。
「聖!」
「ああ!」
この瞬間を――待っていた。
「喰え! お前の大好物だ!」
〈揺光〉の刃が、水弾を切り裂く。クリルの魔力で構成されていた水弾は形を失い、ただの水となって飛び散った。
「よし」
体が軽い。
ようやく動けるようになったぼくは、千紗に続いてクリルとの距離を詰める。
「何を――」
突然動けるようになったぼくに困惑し、クリルは続けざまに二発の水弾を放った。
「無駄だ!」
内一つは狙いがそれ、船の壁に穴を開けた。残る一つを〈揺光〉で斬る。
「どうして、私の魔法が無効化されているんだ! くっ! もう魔法などには頼らん! そうだな、私は剣士として戦うのだったな!」
ぼくと対峙した魔は言った。
戦いとは――魔法でするものなのだと。
魔法を使わないぼくがしていることは、戦いではなく遊びなのだと。
千紗がクリルの懐にもぐり、拳をクリルの体に叩き込む。その体に触れるか否かの刹那、千紗の突き出した拳の光が増大した。
「がっふ――」
反応が一瞬遅れ、クリルの体が甲板を滑る。
「わかったんだ。〝武神〟は魔力を飛ばす術式じゃない」
触媒がグローブである理由はそこにあった。
拳が相手にめり込む瞬間、その一瞬に魔力を放出させること――これが〝武神〟の用途だ。触媒の性質を活かした、実にわかりやすい用途だ。
「術式――だあ?」
クリルが立ち上がる。
わずかだが、ダメージは残っているようだ。
「魔法とは違うってわけか。それが歪な魔力の正体」
まずい、な。
「千紗、ここでのキューブの使用は最悪でも二つまでに抑えたい」
「了解」
この先、どれだけ戦わなければいけないかわからない。二つでも多いくらいだ。
「……ふふん?」
クリルの姿が消える。さっきまでクリルがいた場所に、水しぶきが盛大にたった。
ピチャ――
「ゼァ!」
水音がして、ぼくは思いっきり剣を振った。
「――なぜだ!」
〈揺光〉がクリルの胸をかする。体が軽くなり、力がみなぎってくるのを感じる。
そうか、これが魔の力か。
自分の力を自覚しているのとしていないのでは、これほどまでに差があるのか。
「今度は――ぼくの番だ」
踏み込み、すばやくクリルの左の手首を狙う。
「チッ」
クリルは水の剣でそれをはじくが、はじくと同時にその剣は形を崩した。その隙を逃さないように、ぼくはさらに追撃を試みた。
執拗に左手ばかりを狙う。水の剣は何度も蘇っては、何度も〈揺光〉に砕かれた。クリルの顔に焦りが浮かぶ。対してぼくは、〈揺光〉が吸い上げる魔力のおかげで、どんどん体が自由に動くようになっていく。
「はは――っ」
楽しい。
勝てる。
徐々にクリルが後退していく。
自分が優勢になっていくのを肌で感じられる。なんだ、魔なんてのはこの程度だったのか。世界に愛されているとは言われていたが、まさかこの程度だったなんて! フィオもこの分だと実はそれほど強くなかったんじゃないか?
「なぜだ! なぜ!」
「クリル、〈揺光〉って聞いたことないか?」
ためしに聞いてみた。
剣を打ち合っている最中でも、こんなことを聞く余裕が生まれている。
「〈揺光〉……だと? それがそうだというのか?」
「ああ」
「なるほど! なるほどな! ああ、納得だ! そんなものを持ち出しやがって! 身の程を知れ! クソ!」
クリルは汚らしくぼくを罵倒する。
いや――罵倒しているのは〈揺光〉か?
「知ってるみたいだな」
「当たり前だ! 今まで気づかなかった自分を呪っているところだ! そんなもの、この世界にあっちゃいけねえんだ! 違うな――使えるやつがいちゃいけねえんだ! どうしてだ! どうしてお前が扱える! それが扱えるのはあの忌々しい女剣士だけ――」
クリルはぼくを蹴飛ばし、後ろへ跳んだ。手すりの上に器用に着地して、死んだような目から殺意をぶつけてくる。
「ああそうか……そういうことか! この魔力なしめ! それがそれを扱う条件ってわけだな!」
「…………」
そうだったのか。
それは知らなかった。
魔力なし。
だから――か。
魔法の世界で魔法が扱えない世界最弱。
だけど――だからこそ、〈揺光〉が扱える。魔力を吸収し、魔法をなかったことにすることができる刀。
それを扱える特権的立場。
これをもっていれば――負けない?
「魔法を無効にするならば、魔法の結果で葬ればよい。そうだろう? ふふん」
船が揺れた。
大きな波が――この船を飲み込まんと押し寄せる。
「私の真髄はここにあり! その身で受けろ! 〝海竜の咆哮〟!」
海が鳴る。
それに呼応するかのように、クリルが壊れたように笑う。
「おおおお!」
クリルの隙をついた千紗の渾身の拳――クリルが気づいた時にはすでに遅く、その魚の頭部で全力の一撃を受けた。彼女の術式を全力で駆使した見事な奇襲だ。
「いっけぇぇ!」
青が、爆発した。
衝撃でクリルの体ははじけ、海の中に落ちた。さらに千紗は続けざまに五回、〝武神〟を発動した。青い閃光が波を打ち砕く。
砕けた波は船を大きく揺らしたけれど、それで転覆するようなことにはならなかった。代わりに、台風のような豪雨が十秒ほど続いた。
「やりすぎだよ。まあ、結果オーライだけど。ちゃんと魔力は充填するんだよ?」
「わかってるよ。キューブは一個と半分くらい使いそう」
「それくらいで済んだならよかったよ。実際、人間業じゃないからね、さっきの」
「必死だったんだよ」
「必死、ねえ」
「? どうしたの」
千紗が首をかしげる。
ぼくは血がゆらゆらと漂う甲板を見回しながら、ふぅ、とため息をついた。
「この刀、相当の化け物みたいだね」
ローズさんがこの刀をおてんばだと言ったのが、今ではわかる気がする。これをおてんばで済ませてしまうローズさんも、それはそれでなかなか豪胆な人だとは思うが。
「そうだね」
さっきの身体能力の向上はきっと、この刀から供給される魔力によるものだ。だが高揚感は? 魔力にはそういう作用があるのか?
ぼくはこの刀を使えているのか?
それとも――使われているのか?
「そうだ聖! はやくみんなと合流しないと!」
「あっ! そうだね、行こう千紗」
疑問はひとまず頭の隅においやって、ぼくたちは船の中に走った。
もっとも――船の構造なんてわかるはずもなく、ぼくたちはただ食堂で待つしかなかったわけだけど。




